六 集い殺して下さい
元治元年六月。
ごろごろと男達が転がっている。
虚ろな目をし、言葉も発さずにただ呻き声を上げて。
「如何だ?」
慶庵は首を振った。苦しげな顔は「医者」のものだ。
「駄目ですね。もう手遅れです」
「十一人、か」
「ええ……」
「全てか」
「全て、常習した後、いきなり過剰摂取を行っています」
舌打ちして呟く。
「愚か者共が」
「しかし、阿片を常習しようと思えば、相当な資金が必要です。維新志士達にそんなに金があるのでしょうか……?」
令尼が口を挟む。板張りの床が呻き声で振動する。
「慶庵、令尼」
千鶴が転がっている男達を指差した。
「楽にしてやれ」
一条の外れにその家はある。平屋に小さな庭があり、先程まで食事をしていたのであろう香りが漂っていた。
「で、話は何だ?」
千鶴がじろりと睨みつける。
「美人がそんな顔するもんじゃないぜよ。無愛想じゃのう」
作り笑いを龍馬が浮かべる。
油断のならない相手、とお互い認識しているのだ。
「粗茶ですが」
とん、と令尼が三人の前に湯呑を置く。直ぐに緊張から立ち去った。
「いやー京の六月は蒸し暑いな。土佐の夏はええぞ。暑いのが帰って気持ちええ」
「地元自慢など知った事か」
「しかも夏ミカン美味いしな。あのちゅーって酸っぱいのが堪らん」
「さっさと用件を言え! 言って帰って死ね!」
「いや、それじゃったら言う意味ないき。何ぜよその三段階」
「はッ龍馬が自殺なんてするわけねえだろ馬鹿が。こいつは「世界人類と自分の命、どっちを取りますか?」って神に聞かれたら「それは自分の命取ったら、この世はわし一人のもんちゅう事じゃな! ひゃっほう!」とか言う男だぜ」
「酷ッ! 八雲! おまん俺の事そんな風に見てたがか!?」
「じゃあ世界人類取るのかよ?」
「自分の命取るけど「ひゃっほう」とかアホそうな歓声は上げん!」
「そこ比較的如何でも良い事じゃね!?」
「さっさと用件を話せ! 漫談がしたくば道でやれ! 言っておくが面白くはないぞ!」
ついに怒鳴った千鶴に、相変わらずの笑みを龍馬は向けた。爬虫類の笑顔とはこんな風であろうな。と思う。
「おんし、維新に阿片を使おうとしとった奴の事覚えとるかのう」
先日の赤燕の係わった事件だ。
「……それが?」
ずず、と音を立て、龍馬が茶を啜る。隣に座っている八雲は左目に黒い眼帯をしていた。先日お恋にやられた傷だ。
「それが、か。冷酷非情と聞いておったが。さて、本当の事か怪しいもんじゃ」
次の瞬間、八雲が龍馬の顔を机に叩きつけた。
カツ、という音を立てて何か龍馬の背後に突き刺さる。
鈍く光り、柱に突き刺さっているのは棒手裏剣。
「ほう……独眼になっても腕は変わらぬようだな。随分立派な飼い犬だ」
「てっめえ……・!」
激奮するのを龍馬が手で制する。千鶴は何事も無かったかのように茶を啜る。
「見ての通りだ」
「冷酷激情、とでも言うておくか。そう言うと雪女に似ておるの」
「さあな。性格分析をするのは勝手だが、自分もされている事を念頭に置いておけ」
「ほう」
龍馬も茶を啜る。
「わしらの事はどう見る」
す、と白い指が龍馬を指す。
「大胆狡猾」
八雲を指す。
「烈火短気」
「わはははは!」
龍馬が豪快に笑った。千鶴と八雲は顔を顰める。
「そういう嘘くさい馬鹿笑いが根拠の元となっているのだ」
「嘘くさいか? 笑顔は人間の潤滑油ぜよ。油は使えれば良い。たとえ偽物でもな」
「ふん……。へらへら笑うのが武器か。四国はタヌキの産地と聞くが真のようだな」
再び八雲を指差す。無礼を承知でやっている。
「貴様、右目はもう使えまい。義眼を入れられぬほど貴様らの財政がひっ迫しているという話は聞かぬが……?」
八雲は頬杖を付いた。
「入れねえよ」
眼帯をとんとんと指差す。
「幕府が倒れるまで、俺は義眼を入れねえ」
「願かけか。随分と日本人めいた事をする。坂本龍馬も迷信を教える事もあるのか」
「なッ! 迷信なわけあるか!」
怒鳴る八雲に口元だけ緩める。
「おや? 私は「坂本龍馬が迷信を教える事もある」と言っただけぞ? 貴様が素直に教わった通りやっているなどとは一言も言っておらぬが?」
「……ッ」
龍馬が本当に唇を綻ばせた。
「八雲は素直に言う事をよく聞く奴じゃ」
「龍馬!」
「照れんでもええじゃろ」
「照れてるんじゃねえよ! ムカついてんだよ! 最終的には迷信か本当がどっちなんだ!?」
「さて。信じれば真となり。信じなければ嘘となる。最終的には幕府は倒れるんじゃからどちらでも同じぜよ」
千鶴の蜜色の目が何処を見ているのか分からなくなる。
「幕府は倒れる。言いきったものだ」
「おんしは倒幕派じゃろう? それなのにほがな事言うがね? それとも」
龍馬の目が更に細くなり、ほとんど糸のようになる。
「本当の目的の為には倒れられたら困るとでも?」
千鶴の視線が戻って来る。
「何の話か言っている意味が分からぬな」
電流のように走る緊張。
「それより本題に入ったら如何だ?」
「まあ待て。それより酒は出さんのか? わしらは薩長同盟を成立させたばかりじゃ。祝いの酒ぐらい用意してくれても……」
「生憎と酒の買い置きは無い。まあ例えあったとしても無いと言うが」
「そうか。それなら外に飲みに行くしかしゃあないのう」
三人が立ち上がった。
「不味い酒になりそうだな」
「どないな酒でも甘露ぜよ。特に揉め事をこなした後の酒は何よりの甘露じゃ」
出会い茶屋。
ごく簡単に言うと逢い引き場所である。
そこの板張りの長椅子に、四人は座っていた。留守番の赤燕を置いての千鶴一派である。
「八雲と龍馬のおじちゃん、何処行っちゃったんだろう?」
お恋が椅子の上で足をぶらぶらとさせる。黒い上下の着物を着て帯刀している。
「何処でも知った事ではない」
四人の視線が出会い茶屋の中をうかがう。
睦言を繰り返す男女にはその異様な視線は気付かれない。
「多いな」
「多いですね」
帯刀している侍が多い。それも討幕佐幕半々ずつの割合で。
「おかしい」
茶を啜り呟く。
「何が?」
「気付かぬのか。討幕派の者が分かりやすくいるにも関わらず、佐幕派は知らぬ顔をしている」
「女と逢い引きするんだから気が緩んでるんじゃないですか?」
「それはない」
一人の侍を指差す。
「佐幕派は皆、あのように常に臨戦態勢に入れる構えだ」
ついでもう一人の侍を指差す。
「あちらは倒幕派。異様さは……貴様らなら分かるな?」
討幕派の侍は一様に目が落ちくぼみ、頬骨が浮き出している。死人が歩いているようだ。
「……阿片、ですかね」
また佐幕派の侍を指差す。
「そして、奴らは皆、男一人でずっと居る。女と逢っている様子はない」
「つまりは……」
「ああ」
出会い茶屋の奥をじっと見据えた。向こうには戸が付いている。それ以外の出口はない。
「何者かを見張っている」
がたん。
また侍が入って来た。
「どっち?」
「討幕派だ」
「千鶴、もしかして討幕派全員の顔を覚えているんですか?」
「そのような訳が無かろう」
侍をじっと見据える。
「京に居る者しか覚えておらぬ」
侍はやはり落ち窪んだ眼をしていた。目の下が真っ黒に染まっている。
茶屋の女を呼び寄せるのもだるそうに手招きした。女が寄って来る。侍はぼそぼそと問うた。
「からしなは居るか」
女はきゅうと唇を釣り上げた。
「はい。奥へどうぞ」
茶屋の奥。扉の鍵を取り出すと、女は扉を開けた。
「お待ちかねですよ。ごゆっくりどうぞ」
「成程な」
千鶴は席を立った。
「千鶴。また危ない橋を渡ろうとしていますね」
横目で慶庵を見る。
「それが何か問題でもあるのか?」
「問題無いよ。僕、危ない橋だーい好きっ」
はしゃぐお恋に肩を竦める。危ない橋に遠回りをしてでも行くか、最短ルートが危ない橋なら渡るか。この兄妹の差はそれだけなのだ。
つかつかと千鶴は茶屋の女に近づいて、耳元で囁く。
「からしなは居るか」
女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、直ぐ営業スマイルを取り戻すと鍵を手にした。
「はい。奥へどうぞ」
扉が開かれた。
四人が入ると、鼻に付く臭い。
そして先程の侍が虚ろな目で倒れている。
「何? これ」
お恋の問いに慶庵が答える。眉を顰めながら
「からしなとは芥子、要するに阿片の材料です」
「すなわち」
扉を閉めた女に振り向きざまに懐刀を吐き立てる。
「がほッ」
喉から血を流し、女が崩れ落ちる。
「此処は阿片窟と言う訳だ。幕府が推奨している、な」
つまりは維新志士達に阿片を吸わせ、弱体化させる。
完全に中毒にした上で致死量の阿片を吸わせる。
それが先程の廃人達という訳だ。
「しかし、坂本龍馬がただ単に情報提供だけをするとはとても思えませんが」
頷くと、二階への小さな階段を指差した。
そこからミシ、ミシと小さな足音がする。
「あなた達、何をしているの?」
小さな声。ほとんど少女のような声だ。
「維新活動だ」
「維新活動……そうなの……」
虚ろな目の女が下りてくる。着物は貴崩れきって青白い肩や足が見えていた。
「そうなの……だったらあなた達は人殺しなのね……」
「うん」
お恋が頷く。普通の生業を聞かれた口調で。
「人殺しは悪い事なのよ……?」
「知ってるよ」
「人殺しは悪い子なのよ……?」
「だから知ってるってば」
「悪い子は……死ななくちゃならないの……」
はっと令尼が血吸いの札を取り出す。
女に貼り付けようと飛びかかったが、女は傍の煙草盆で防いだ。注射針が折れる。
「お恋さん! 早く反応してくださいよ」
抗議にはぽかんとした返事が返ってきた。
「無いんだ……」
女が背を向けて二階に上がり始める。
「その人には殺気が無い!」
剣術の達人は、真剣で戦う時必ず相手の殺気を読む。それによって太刀筋を予測し、避けたり逆手に取ったりする。
人の戦いの場で殺気が無い事は……あり得ない!
千鶴がお恋を見据えた。
「殺気の無い敵が相手。怖じ気づいたか?」
ニイ、とお恋が歯をむき出し笑う。
「いや、面白そうだよ……。うぞうぞするなあ」
女が天井の梁に両手を掛けた。
「やっぱりあなた達は……悪い子……」
べき、べき、と音を立てて天井の梁が引っ張られる。
「悪い子は……ちゃんと死ななきゃ駄目……」
ばぎゃん!
梁がへし折れた。その中から薙刀が現れる。天井と同じ大きさの薙刀が!
「馬鹿な……」
唖然とする前で大薙刀が振り下ろされた。
出会い茶屋の横の壁が吹っ飛ぶ。
お恋はもう一度呟いた。
「うぞうぞするなあ……」
がらがらと崩れる瓦礫を踏みわけ外に出る。
「ちゃんと殺してあげる……。大丈夫
「……地獄はきっと良いところ……」
「へえ、勝つ気満々じゃないか」
それでも、相変わらずこの女からは殺気が無い。
抜刀!
息も吐かぬ速さで女の体を横薙ぎにする。
超重量武器の欠点はスピード。その重さ故に大ぶりにしか動けない。
ガチ。
しかし刀は通らなかった。
代わりに鳴る金属音。
着物の斬られた部分から覗いているのは鎖帷子。
「胴を狙っても駄目か……」
令尼が血吸いの札を取り出した。女に向かって走り出す。
それより早く、女は薙刀を振り上げた。
ドオン。
爆発のような音を立てて、地面に薙刀が振り下ろされる。小柄な体は衝撃で吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられ呻く所に、もう一度、薙刀が振り下ろされる。立とうとした矢先だった故、衝撃波をまともに食らってしまった。
次に薙刀を持ち上げる前に、お恋は女の肩を刺し貫いた。痛みでもうこんな大きな薙刀は持ち上げられない。
予想は裏切られた。女は薙刀を大きく持ち上げると、空中にぶん回した。
風圧でお恋も吹き飛ぶ。
「お恋! その女は何か薬で痛覚が無くなっているようです!」
慶庵が叫ぶ。受け身を取ったので大した傷はない。痛みは酷いが、また立ち上がる。
何より戦いでの痛みは、お恋の心を昂ぶらせる。
「ねえ、あに様、あの薙刀厄介だねえ」
「そうだな。で、すべき事は」
「当然!」
お恋の足が地を蹴った。薙刀の目前まで跳び上がると、一気に刀を振り下ろす。
「……刀で一回斬ったくらいで……この薙刀は壊れない……」
ニイ。
またお恋が獰猛な顔をした。
「一回しか分からなかったの?」
再び爆発音がする。
薙刀が木端微塵となっていた。
「二十回斬ったんだ」
着地と同時に、女は崩れ落ちた。
「さあ、止め!」
正眼に刀を据え、一気に斬りかかる。
「!? 何すんだよ!?」
その刀に鞭状に繋げられた短刀が絡みついていた。こんな物を使うのは一人しかいない。
「悪いな。その女は殺させる訳にはいかねえんだ」
短刀を外さずに目の前に立つ。
「如何いう意味?」
瓦礫の中から龍馬が姿を現した。
「慶庵と令尼ちゅうたか? 中に怪我人がおる。助けたれ」
瓦礫の中に入って行く二人を見ながら、龍馬は頭を掻いた。
「如何いう事さ。殺しちゃいけないって」
龍馬は女に向かって。
「わしが分かるか?」
女は答えない。
「わしが分かるか? おりょう」
女の両目から涙があふれ出した。恥も何もない滅茶苦茶な涙だ。
「龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様。龍馬様アアアッ」
「よく頑張ったのう。おりょう」
女――おりょうの背中をぽんぽんと叩いてやると、ゆっくりとその着物を肌蹴させた。
真っ白な背中が露わになる。
そしてその背中には。
「薩摩 長州 同盟の儀」という刺青。
また着物を着せかけてやりながら、龍馬は宣言した。
「薩長同盟成立じゃ! 新たな時代の先駆け同士、手を結んだ! 後は日本全土が新しい時代に進むだけじゃ!」
おりょうがピンク色に頬を染める。愛しい男の力強いこえ。
「その同盟の証が背中の刺青というわけか……。その事を知った幕府の者がその女をかどわかし、幕府に訴えるに最も益のある時期を待っていた……」
「欲深い奴じゃからのう。ついでに阿片窟も経営して一石二鳥じゃ。で、その元締めは?」
千鶴は瓦礫の中に声をかけた。
「元締めを連れて来い!」
即座に令尼の返答。
「もう血吸いの札を使っちまいましたから無理ですよ! なんせぶくぶく肥えて重たくて!」
「……だ、そうだ」
「そうか。ほたら慶庵に伝えてくれ。おりょうにおかしくするのに使われた毒を抜く薬の調合を頼む、と」
「何故私がわざわざ伝えねばならぬ? 言ったであろう、馴れ合いはせぬ、と」
「言うたはずじゃがの、利用はさせて貰う、と」
「千鶴!」
走って来た男が大声を上げた。大分に息を切らせている。
「何事ぞ? 赤燕」
「吉田稔麿が火急の用だ! 急いでくれ!」
2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正




