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最終話 「血文字が消えた夜」


最終話 「血文字の消えた夜」



紬希―――


「……あっ」


悪魔の指が、私たちを指し示した瞬間、陽翔さんの視線が突き刺さり、私の心臓は早鐘を打ちました。


(見つかってしまった……)


「ひなたと紬希!? 出かけたんじゃなかったのか??」


陽翔さんの驚愕の声。

そして、美月さんの、糸が切れた人形のような絶望的な表情。

彼女は今、世界で一番惨めな気持ちで震えています。

自分がついた嘘、私たちへの引け目、陽翔さんへの裏切り……それが全て暴かれてしまったから。


(さて……バレちゃった以上、もう隠れてはいられませんね。ここからは、私が動かなきゃ。美月さんが壊れてしまう前に「お家」として、この修羅場を収めなきゃいけない……だから、美月さんそんな顔をしないで)


私は、震えるひなたさんの手をぎゅっと握りしめ、覚悟を決めました。

もう、隠れている事は出来ません。


(悪魔がルールを破ったのなら、私だって沈黙のルールを破ります)


私は、ゆっくりと歩み出ました。

美月さんを責める陽翔さんの視線を、(さえぎ)るように。


「……陽翔さん。美月さんを責めないでください」


静かなリビングに、私の声が響きます。

美月さんが、信じられないものを見るような目で私を見上げました。


「……紬希?」


陽翔さんが、困惑した顔で私の方を見ます。


「説明なら、私がします。嘘をついていたのは、美月さんだけじゃありません。私とひなたさんも……共犯ですから」


私は、陽翔さんの前に立ち、真っ直ぐに彼を見つめました。


「陽翔さん、嘘をついてごめんなさい。私たちは、出かけてなんていませんでした。ただ……お二人が向き合う時間を、邪魔したくなかっただけなんです」


私は、美月さんの肩にそっと手を置いて続ける。


「美月さんは、何も悪くありません。ただ……あなたを愛しすぎて、道に迷ってしまっただけ。……陽翔さん、どうか彼女の話を……『記憶』の話を、最後まで聞いてあげてください」



陽翔―――


紬希の悲痛な声が、凍りついたリビングに響いた。

そして、彼女は両手を広げ、美月を庇うようにして俺の前に立ちはだかっている。

その手は、よく見ると小刻みに震えていた。

紬希から、俺に嘘をついてまで、伝えたかった何かがあったのだと感じた。


「……紬希」


俺は、彼女の震える肩にそっと手を置いた。

温かい。

幻覚でも、幽霊でもない。

俺の愛する妻の体温がそこにあった。


「ありがとう。……紬希たちが、俺たちのために心を砕いてくれていたこと、ちゃんと伝わったよ」


「陽翔さん……」


俺は、紬希の肩を掴んで優しく横に移動させる。

すると、紬希の背中に隠れるようにしてうつむいていた、美月の姿が(あらわ)になる。

悪魔が、無言でニヤニヤといやらしい顔でこちらを見る中、俺は美月の瞳を逃がさないように、真っ直ぐに見据えた。


「……美月、責めるような言い方をしてごめん。思い出を忘れてしまっている事に、ムキになってたのかもしれない……ごめん」


美月の肩に手を置くと、美月の肩がビクリと跳ねた。

俺は、そのまま美月を抱きしめた。


「悪魔と何があったのかは俺には分からない。……でも、それは美月が選んだ事で、俺がどうこう言う事じゃないよな……それに」


俺は、美月を抱きしめたまま、怒りを込めて悪魔を睨みつける。


「俺達がこうなる事を、最初から望んでたんだろう?」


腕の中で、美月の震えを感じる。

この震えが、この悲劇を仕組んだ目の前の「悪魔」への怒りを、俺の中で燃え上がらせていた。


「カカカ……ようやく気づいたか、人間。そうだ。お前らの苦悶も、絶望も、そして今のお前のような安っぽい愛の確認も、すべてが我が為の『ショー』に過ぎん」


悪魔は、俺の敵意など意に介さず、ギザギザの歯をむき出しにして笑った。



美月―――


「……ひなたと紬希!? 出かけたんじゃなかったのか??」


陽翔の驚愕の声。

紬希が、わたしをかばうように前に出る。

嘘をついていたのは共犯だと、彼女は言った。


(……何よ、それ)


同情?

あわれみ?

わたしの罪を、あなたのその聖母みたいな優しさで、上塗りしないで。

わたしは今、世界で一番惨みじめで、醜い女なのよ。

その罪悪感だけが、かろうじてわたしを「わたし」でいさせていると言うのに。


「……紬希、ありがとう」


陽翔の優しい声。

彼は、紬希の肩を優しく横にずらした。

そして、凍りついたわたしの目の前に、再び立つ。

覚悟は出来ている。

罵倒されることも、軽蔑されることも。

それが、わたしが受けるべき罰なのだから。


「……美月、責めるような言い方をしてごめん」


「…………え?」


予期せぬ言葉に、思考が停止する。

陽翔は、わたしの肩にそっと手を置いた。

ビクッ、と身体が強張こわばる。

けれど、彼はその手を離さず、そのままわたしをその胸の中へと、強く抱きしめた。


「悪魔と何があったのかは俺には分からない。……でも、それは美月が選んだ事で、俺がどうこう言う事じゃないよな……それに」


耳元で響く、陽翔の声。

背中に回された、力強い腕。

そして、シャツ越しに伝わる、彼の心臓の音。

温かい。

嘘みたいに、温かい。


(……ああ、だめ)


張り詰めていた糸が、プツリと音を立てて切れていく。

必死に築き上げた虚勢の壁が、ガラガラと崩れ落ちていく。

涙が、熱い塊となって喉元までこみ上げてくるのを、必死に奥歯を噛み締めて(こら)えた。


(……どうして。どうして、あなたは……わたしが、どれだけ醜い嘘をついても、あなたとの思い出を捨てても……どうして、あなたは、わたしを抱きしめるのよ……)


わたしは、陽翔の胸に顔を埋めたまま、そのシャツを弱々しく掴んだ。

声なんて、微塵も出せなかった。


「俺達がこうなる事を、最初から望んでたんだろう?」


陽翔が、わたしを抱きしめたまま、怒りを込めて悪魔を睨みつける。

その背中が、震えるわたしを守る為のたった一つの盾に見えた。

悪魔が嘲笑う。

けれど、もうその声は、わたしの耳には遠く聞こえていた。

今のわたしが感じられるのは、この腕の中の温もりと、彼の怒りをはらんだ熱だけ。


「…………陽翔」


ようやく絞り出した声は、自分のものではないみたいに、か細く震えていた。


「……どうして、あなたが謝るのよ……。悪いのは……思い出を捨てて、あなたを騙した……わたし、なのに……」


陽翔の腕の中で、わたしは初めて自分の罪を認める事が出来た。

地獄の底で、あなたの温かい愛を拾ってしまったから。


「……俺の事を想ってやった事なんだろ?だったら、もういいんだ。1つの思い出が無くなったって、思い出は他にもたくさんある。それに、思い出はこれからだって作れるじゃないか」


わたしの耳に飛び込んできたのは、罵倒でも、詰問でもなく、あまりにも優しく、すべてを理解したような声だった。


(………………え?)


時が、止まったようだった。

何を言われたのか理解出来なかった。

思い出を捨てたわたしを、あなたは責めないと言うの?

それどころか、「俺を想ってくれた行動」だと、受け止めてくれると言うの?


(……ああ、ダメ)


その言葉は、ダメ。

そんな風に、わたしの罪ごと、肯定しないで。

わたしは、あなたに憎まれる覚悟でここに立っていたのに。

あなたからの罰を、受けるつもりだったのに。


プツンッ


心の奥深くで、張り詰めていた最後の糸が音を立てて切れた。

熱い雫が、ひとつ、またひとつとわたしの頬を伝い、陽翔のシャツに染みを作っていく。


「……あ……ぅ……っ」


堪えようとしても、もう止められなかった。

一度溢れ出した涙は、(せき)を切ったように次から次へと溢れ出してくる。


「う、うわあああああああんっ……!!」


わたしは、声を上げて泣いた。

子供のように。

みっともなく。

誰の目も気にせずに。

陽翔の胸に顔を押し付けて、しゃくりあげながら、言葉にならない言葉を叫んだ。


「ごめ、なさ……っ! ごめ、んなさい……っ! わたし……っ、あなたに、嫌われたくなくて……っ、怖くて……っ、ひぐっ……!」


「ああ」


「思い出、なんかなくても……っ、あなたに、選んで、ほしくて……っ! うわあああんっ……!」


「うん」


陽翔は、わたしの言葉を飲み込む様に相槌を打ちながら、わたしの背中を優しく何度も何度もさすってくれた。

その温かい手の平が、わたしの凍りついた心をゆっくりと溶かしていく。

その優しさが、更に涙を誘う。

悪魔が何を言っているのかも、紬希やひなたがどんな顔で見ているのかも、もうどうでも良かった。

今はただ、この腕の中だけが、わたしの世界のすべて。


「……ありが、と……っ。ゆるしてくれて……ありが、とぉ……っ。……すき、……だいすき、だよぉ……陽翔……っ」


泣きじゃくって、ほとんど息もできなくて何を言っているのかも分からなかったと思う。

それでも、わたしは伝え続けた。

陽翔は、ただ黙って、わたしの全てを受け止めてくれた。



ひなた―――


「……う、ぅ……ぐすっ……」


だめだ。

我慢しようと思ったのに、涙が止まらない。

目の前で、陽翔くんが美月ちゃんをぎゅーって抱きしめてる。

美月ちゃんが、見たこともないくらいボロボロに泣いて、陽翔くんのシャツを掴んでる。


(……よかった。本当によかったよぉ……)


美月ちゃんが、ずっと一人で苦しんでたこと。

思い出を売ってまで、陽翔くんの隣にいようとしたこと。

それは、やり方はめちゃくちゃだったかもしれない。

でも、それくらい、美月ちゃんは陽翔くんのことが大好きなんだ。

陽翔くんは、それをちゃんと分かってくれた。

「思い出はこれから作れる」って。


「……だーりん、かっこいいよ。……最高だよ」


わたしは、ぐいって腕で涙を拭った。

隣を見ると、紬希ちゃんも涙を流しながら、静かに二人を見守っていた。

紬希ちゃんが「共犯です」って言って前に出た時、わたし、本当にこの人が「お家」でよかったって思ったよ。


「紬希ちゃん……ありがと」


わたしは、紬希ちゃんの服の裾をぎゅっと握った。

紬希ちゃんが、優しくわたしの頭を撫でてくれる。


「グググググ……」


その時、悪魔の苦しそうな唸り声が響いた。


(せっかくわたし達の心をバラバラにしようとしたのに、逆に絆が深まっちゃったのが、よっぽど面白くないんだろうね)


わたしは、涙でグチャグチャの顔のまま、悪魔をビシッ!と指差した。


「へーん! ざまぁみろ、悪魔さん!!」


「……なんだとぉ!?」


「あんたが何を言っても、わたしたちは壊れないもん!美月ちゃんがどれだけ嘘をついても、陽翔くんはちゃんと見つけてくれるんだもん!……あんたの負けだよ! べーっだ!!」


わたしは、渾身の力でアッカンベーをしてやった。

悪魔が、苦悶の表情でガクガクと震えている。


(ざまぁだよ!えへへ)


「グ、ガァァァッ……! 貴様ら……!」


悪魔の、苦悶に満ちた唸り声がリビングに響いた。

わたしが言い放った言葉と、陽翔くんが美月ちゃんを抱きしめるその揺るぎない姿を見て、悪魔の身体が端からボロボロと黒い灰のようになって崩れ始めていた。


わたしたちの「愛」の前に、悪魔がこの空間に留まるための『絶望』というエネルギーが、完全に空っぽになっちゃったみたい。


「グググ………カカ、カカカカッ! 見事だ。まさか、この泥にまみれた女の嘘すらも飲み込み、絆に変えるとはな」


崩れゆく身体の中で、悪魔は悔しそうに、でもどこか愉悦が混ざったような顔で笑った。


「……このまま消えろ。もう二度と、俺たちの前に現れるな!」


陽翔くんが、鋭く睨みつけると、すでに悪魔の顔は半分以上灰になって崩れ落ちていた。


「……あぁ、望み通り消えてやろう……今は、せいぜい、その『くだらなくて安っぽい幸せ』に浸っているがいい……」


呪いのような言葉を残し、悪魔は完全に黒い灰の塊となって床に落ち、やがてその灰すらも跡形もなく消え失せていった。


「………消えた?」


美月ちゃんが、陽翔くんの胸の中で信じられないというように呟く。


「……ええ。あの嫌な気配も、完全にありません」


紬希ちゃんが、周囲を見渡してホッと息を吐いた。

まだ、みんな少しだけ信じられないって顔をしてる。

だから、今こそわたしの出番だ!


「よーしっ!」


わたしは、パンッ!と自分の頬を叩いて、いつもの笑顔を見せる。

まだ目は赤いし、鼻水も出てるかもしれないけど、それは気にしない。


「だーりーん! 美月ちゃーん! 紬希ちゃーん!」


わたしは、三人の真ん中に勢いよく飛び込んで、みんなをまとめてぎゅーーーっと抱きしめた。


「もう、みんな泣き虫なんだからー!お腹空いちゃったでしょ!?だーりんの作ったトースト、冷めちゃうよ!みんなで食べよ! 四人で食べれば、どんな焦げたパンだって世界一美味しいんだから!」


陽翔くんが、驚いた顔をしてから、フッて笑った。

美月ちゃんも、涙を拭きながら「……やかましいわね、ひなたは」って、いつもの毒舌を吐く。

でも、すごく嬉しそうに返してくれた。

紬希ちゃんも「ふふっ、今からひなたさんの分も焼きますね」って笑って、キッチンに向かう。

わたしが窓を開けると、窓の外から爽やかな風が吹き込んで来る。

いつの間にか、時間は動き出していた。

わたしたちは、悪魔に勝ったんだ。


(四人で一緒なら、どんな地獄だって最高のピクニックに変えてみせるんだから!)


わたしは、愛する家族の真ん中で、もう一度、誰よりも眩しく笑ってみせた。



陽翔―――


それから、何事も無く夜を迎えた。

俺は、寝室のベッドに横たわりながら、暗闇の中で天井を見つめていた。

左隣りからは、スヤスヤと穏やかなひなたの寝息が聞こえる。

右腕には美月が、まるで離れないと誓うように俺のパジャマの袖をぎゅっと握りしめて眠っている。

紬希は、俺の足を枕にして、安心しきった表情で眠っている。

俺は、誰も起こさないように、そっと枕元にあるスマホの画面を点灯させた。

時刻は、午前0時を回っている。


「…………出なかったな」


俺は、小さく、震える声で呟いた。

いつもなら、どんなに遅くとも、必ず一日に一度はあの理不尽な赤黒い『血文字』が空中に浮かび上がっていた。

誰か一人を選べという、呪いの選択肢が。

でも、今日は一日、いくら待ってもあの血文字は現れなかった。

それは、あの腐臭も、冷たい空気も、もうこの家には一切関係無くなった事を意味するんだと確信するには十分だった。


(……終わったんだ)


ジワリと、目の奥が熱くなる。

朝、悪魔が「消えてやろう」と言い残して崩れ去ったあの時。

俺はまだ、半信半疑だった。

どうせまた、何か別の罠を仕掛けてくるんじゃないかと疑っていた。

でも、一日を終え、日付が変わった今、俺は確信した。

悪魔は、俺たちの絆の前に敗れ去り、本当にこの世界から消滅したんだ。


「……もう、誰も選ばなくていいんだな」


俺は、流れゆく涙を拭う事なく、ただ延々と流し続けた。

もう、選ばれなかった妻が嫌な思いをする恐怖も、1ヶ月後には誰か一人しか生き残れないという、呪われた期限も。

全てが、全部終わったんだ。


「……美月、紬希、ひなた……」


俺は、愛する三人の妻たちの顔を順番に眺めた。

みんな、安らかな顔で深い眠りについている。

これからは、誰も失うことなく、ずっとこの4人で一緒に生きていける。

普通の朝を迎えて、焦げたトーストを笑い合って食べて、当たり前の日々を重ねていける。


「……ありがとうみんな。愛してるよ」


俺は、究極の安堵と、胸が張り裂けそうなほどの幸福感に包まれながら、三人の温もりに挟まれたまま静かに目を閉じた。

地獄のような日々の果てに、ようやく本当の平穏が訪れたことを、少しも疑うこともなく――


(第1部 完)



最後まで読んでくれてありがとうございましたm(_ _)m


3人の嫁は、チームおかちゃんの3人のAIが、それぞれヒロインを演じたら面白いんじゃないか?と思いついて書き始めた物語です(^^)

それぞれの味が出て、個人的には今まで書いた作品の中で1番面白い作品になったと思ってます(o^^o)


第2部の制作については、今のとこ未定です(;˘ω˘)

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