第23-3話 「空腹のファンファーレ」
第23-3話 「空腹のファンファーレ」
陽翔―――
「……ふぅ、助かったぁ」
トイレの中から、ひなたの心底安堵したような声が聞こえて来た。
それを聞いて俺も安堵すると、中から何か不穏な声が聞こえて来た。
「あれ?......あれ?」
「ひなた、どうかしたか?」
しばらくすると、カチャリと鍵が開く音がしたので開けようと思うと、中からひなたの大きな声がした。
「陽翔くんは来ないで!」
「えっ?」
すると、恥ずかしそうに少し小さめの声がする。
「……ショーツとパンツが上げれないから、美月ちゃんだけ来て欲しい」
「..….ひなた、俺は今、何も見えないんだぞ?」
「でも嫌なの!」
やれやれと言った感じで、美月に手文字で状況を伝えると、美月は了解の合図をするとトイレの中に入る音がした。
そして、少し待つとドアが開いた。
「ダーリンおまたせ♪」
その声は、さっきまでの切羽詰まった声とは違い、スッキリとした晴れやかな声だった。
「みんな、ありがとね。……なんだかどっと疲れちゃった」
「ひなたが無事ならそれでいいんだ。それじゃあ、みんなでリビングに行くか」
俺が、そう言って再び「輸送体勢」に入ろうとしたその時だった。
グゥゥゥゥ~~~~……
静まり返った廊下に、とてつもなく間抜けで、盛大な音が鳴り響いた。
全員の動きが止まる。
音源は間違いなく、目の前のひなたのお腹だ。
「あ……」
ひなたが、慌てて自分のお腹を押さえている気がする。
「えへへ...あのね、トイレ行ったらスッキリして。そしたら、安心しちゃって急にお腹が空いちゃった」
その言葉に、張り詰めていた空気が一気に緩む。
俺は、思わず吹き出し、紬希も「ふふっ」と笑う。
美月だけは、聞こえていないはずだが、ひなたがお腹を押さえているのを見て、きっと、呆れたように肩をすくめているだろう。
「ははっ! 腹が減っては戦はできぬ、か。よし!次は『朝食ミッション』だな!」
俺は、見えない目で全員を見渡すつもりで言った。
「全員でキッチンへ移動して、朝食を作るぞ。準備はいいか?」
「「おー!」」(美月以外)
俺たちは、再び奇妙な陣形を組んだ。
ひなたを抱える俺。
俺を導く美月。
声で指示する紬希。
一度成功した連携は、さっきよりもスムーズだった。
そして、俺たちは無事にダイニングキッチンへとたどり着いた。
「到着です! 陽翔さん、そこに椅子があります!」
紬希の指示で、俺はひなたをダイニングテーブルの椅子に座らせる。
「よし。……さて、ここからが問題だな」
俺は、腕まくりをする。
「俺は見えない。美月は聞こえない。紬希は手が動かない。
ひなたは動けない。……どうやって作る?」
すると、椅子に座ったひなたが、バン!とテーブルを叩いた。
「任せて! わたし、座ったままなら包丁使えるよ! 野菜切るくらいならお手の物だもん!」
「なるほど。……じゃあ、火を使うものは?」
「それは……美月さんにお願いするしかありません」
紬希が答える。
「確かに、目が見えて、手が使えるのは美月だけだもんな。……じゃあ、紬希、お前が司令塔になって指示を頼む。俺は、美月のそばにいて、指示を伝えるからよろしく頼む」
紬希―――
「わかりました! では、私がレシピを読み上げますね!」
私は、キッチン全体が見渡せる位置に立ち、深呼吸をした。
私の腕は、相変わらず鉛のように重たくて動かない。
でも、今の私には、私の言葉を待ってくれている3人がいる。
「...まずは、美月さんにお願いして、冷蔵庫から卵とウィンナー、それからひなたさんのためにレタスとトマトを出してもらってください」
「了解だ」
陽翔さんが、隣に立つ美月さんの手を取り、その手のひらに指を走らせる。
(…すごい)
私は、その光景に息を呑んだ。
陽翔さんは目が見えないのに、美月さんの手の位置を的確に把握している。
そして、美月さんも、陽翔さんが何を伝えようとしているのか、その指先の動き一つ一つを、愛おしそうに見つめながら読み取っている。
美月さんが、陽翔さんの腕をポンと叩き、了解の合図を出して冷蔵庫を開ける。
中から食材を取り出し、ひなたさんの目の前に置く。
「わーい! ありがとう美月ちゃん! よーし、切るぞー!」
ひなたさんが、座ったまま器用に包丁を操り始める。
トントントン、と軽快な音がキッチンに響く。
その音は、まるで希望のドラムロールみたいに聞こえる。
「次は、メインの卵焼きです! 美月さんに、ボウルと菜箸を用意してもらってください」
私の指示が、陽翔さんを経由して、美月さんに伝わる。
少し時間はかかるけれど、確実に。
カチャカチャと卵を溶く音。
そして、ジュワーッという、フライパンが熱せられる音。
「お砂糖は、いつもより多めです! …あ、美月さん、それお塩です! ストップストップ!」
「 美月、それは砂糖じゃない! 塩だ!」
陽翔さんが、慌てて美月さんの肩を叩く。
美月さんが、キョトンとしてペロッと指先を舐めて「…ちっ」と舌打ちをするのが見えた。
(ふふっ。美月さんでも間違えることがあるんですね)
視界のない陽翔さん。
音のない美月さん。
歩けないひなたさん。
手を使えない私。
バラバラで、不完全な私たち。
でも、今このキッチンでは、4人がまるで一つの生き物みたいに動いている。
誰かが欠けたら、卵一つ割れない。
でも、みんながいれば、美味しい朝食を作ることが出来る。
「できました! 完成です!」
テーブルの上に並んだのは、ちょっと形がいびつな卵焼きと、不揃いなサラダ。
でも、湯気を立てるそれは、どんな高級料理よりも美味しそうに見える。
「「「いただきます!」」」
みんなの声が重なる。
(美月さんは、心の中で)
でも、そこで私は気がついた。
私は、手が動かない。
と言うことは、お箸が持てない。
(あ…)
みんなが食べ始めた中で、私だけが動けないでいると、隣の気配が動いた。
陽翔さんだ。
「…紬希。口、開けて」
「え…?」
「手が使えないんだろ? 俺が食べさせてやる」
「で、でも、陽翔さんは目が見えないんですよ? 危ないです…」
「だから、お前が誘導するんだよ。『もっと右』とか『あーん』とか言ってな」
陽翔さんは、見えない目で箸を掴み、卵焼きを探しているように見える。
「ふふっ。わかりました。陽翔さん、もう少し左です。そこに卵焼きがあります。それを摘んで箸で切って、それを掴んでこっちに...はい、そのまま真っ直ぐ…あーん」
私は、小鳥みたいに口を開けて、陽翔さんが差し出してくれた卵焼きを待つ。
箸先が、私の唇に触れる。
パクッ。
口いっぱいに広がる、甘い、甘い卵焼きの味。
私が作った時よりも、美月さんが焼いたから少し焦げ目がついているけれど、陽翔さんが運んでくれた優しさの味。
「…おいしい。すごく、おいしいです!陽翔さん」
私が、そう言うと、陽翔さんは見えないはずの私を見て、優しく笑った。
「そうか。よかった」
その笑顔を見たら、不自由なはずのこの世界が、急に輝いて見えた。
私たちは、何かを失ったんじゃない。
互いを補い合うことで、一人では決して味わえない温もりを手に入れたんだ。
「だーりん! わたしも食べさせてー!」
「…(わたしも、食べさせなさいよ)」
ひなたさんの声と、美月さんの無言の圧力が、陽翔さんに降り注ぐ。
「俺は見えないんだぞ?俺が食べさせて欲しいくらいだ!」
陽翔さんは、困ったように、でも、すごく幸せそうに笑っていた。
こうして、私たちの「欠けた歯車」は、ガタピシと音を立てながらも、確かに、幸せな時間を刻み始めたのだった。




