#94 予言の使徒の負傷
「蒼君のところに行ってくる。起きてたら教えてあげないと」
私は市原に鞄を押し付け、スマホだけ持って相談室に向かった。
謹慎中の一希君がここにいるということは、何かがあったに違いない。しかも、普段なら私と同じように地下鉄で西京駅まで来て、地下駐車場からエレベーターで9階に直行するのに、今日に限って1階の正面玄関から入ろうとしたようだ。
その理由はわかる気がした。
一希君の顔写真はPitterに出回っている。一時的にインサイト・エンジンに世間の目が向いているとはいえ、いつものルートで来れば同じビルに通う顔なじみに会わないとも限らない。それに、電車は人目が多い。だから、あえて普段とは違う手段でここまで来たのだろう。そして、それが裏目に出てしまった。
「うまくいかないな」
つぶやきとともに吐息が漏れた。
相談室には使用中の札がかかっていて、私は蒼君を起こさないようそっと扉を押し開けた。すると、机に突っ伏していた蒼君がむくりと頭を持ち上げる。
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
「いえ」と言いながら、彼は眠そうな顔で伸びをした。
「さっき慌てて走っていく足音が聞こえてきたから、それで目が覚めました。ビル前でデモやってるみたいだし、その関係とかですか?」
「まあ、その関係かな。一希君がデモの人と揉めて怪我したって、警備から連絡があったの」
「えっ?」
蒼君は完全に目が覚めた様子で、ガタッと音をさせて椅子から立ち上がった。
「今は?」
「糸井部長が下に行ってる。合田部長にも遠藤さんが知らせてくれてるはず。私も行こうとしたんだけど、市原に止められちゃった」
蒼君は「じゃあ、僕も行かないほうがいいですね」と、ストンと腰を下ろした。私は手前の椅子を引いて腰掛ける。
「ねえ、蒼君。堂坂からは、部長と別々に戻ってきたの?」
「はい。SLNが僕と部長に1台ずつタクシー呼んでくれて、部長は自宅に帰られました」
「そっか」
他にも色々聞きたいことはあるけれど、困らせるだけのような気がした。言葉を探していると、不意に蒼君が表情を緩める。
「理久さん、心配してくれてたんですか?」
「あ、……うん。だって、昨日いろいろあったし」
「あっ、そうだ。平井先生のホテルには砂川さんが向かいました。精神的にちょっと無理がきてたのか、いつもよりお酒飲みすぎて理久さんに電話したみたいです。そんな感じじゃなかったですか?」
「酔っ払ってる気はしなかったけど、でも、変なのは変だった。だから心配になって砂川さんに電話したの。……蒼君、もしかしてDeeeeepに何かあった? 答えられないなら答えなくていいけど」
蒼君は「わかりません」と小さく肩をすくめる。即答だった。
「嘘ついてるわけじゃないです。僕が知ってるのは、SLNの迅速なセキュリティ強化が必要な状況にあったってことくらいです。でも、これも他ではあまり言わないでください。昨日、SLNの斉田さんから佐伯部長に助言を求める電話があって、それで僕が行ってきました。理久さんは、平井先生からの電話でなんとなく状況を察してるだろうと思って話したんです」
――SLNもハッカーの標的になったの?
その質問が喉元まで出かかっていたけれど、聞くのはやめておいた。
「わかった。私、そろそろ戻るから、蒼君はもうちょっと寝て」
相談室から出ていこうとすると、蒼君は「待ってください」と立ち上がる。
「新田さんのことが気になって、寝られそうにないです。謹慎中なのにここに来た理由、なんとなくわかるので」
「そうなの?」
「辞表出すつもりなんだと思います。だから、佐伯部長が来る前に僕が破り捨てないと。佐伯部長、まだ来られてないですよね?」
「来てないけど」
抑揚のない口調で「辞表」とか「破り捨てる」といった刺激的な言葉が出てきて、脳内処理が追いつかない。けれど、蒼君の推測は合っていそうな気がした。むしろ、それ以外に一希君が今ここに来る理由がないようにすら思えてくる。
「行きましょう、理久さん」
「どこに?」
「9階です。怪我の程度にもよりますけど、糸井部長なら8階で騒ぎになるより9階に連れて上がると思います」
彼の予想通り、9階に着いてエレベーターを降りると一希君の姿があった。自販機前の椅子に腰掛ける彼を、合田部長、糸井部長、AIチームの面々が囲んでいる。加えて遠藤さんの姿もあった。
遠藤さんは、手のひらサイズの大きな絆創膏を一希君の二の腕に貼ろうとしているところだった。足元のゴミ箱には血のついたティッシュ。シャツにも血を拭ったような痕があるが、大した傷ではなさそうなのが幸いだ。
「なんか、またギャラリーが増えた」
一希君が私と蒼君を見て笑った。
「笑ってるけど、大丈夫なの? 怪我したのは腕だけ?」
「大した事ない。プラカードが当たってちょっと切れただけだよ。向こうも別に俺を傷つけようとしてたわけじゃないみたいだし、むしろ、『予言の使徒』とか呼ばれて悪寒が走った。勘弁して欲しいよ」
「予言の使徒?」
私が首をかしげると、合田部長が苦々しい笑みを浮かべる。
「下にいるのはAI予言信者だ。予言の元になる〝非公開状態の翻案データ〟を公開した『K』は、予言を伝える使徒というわけだ。まったく、何を考えてるんだか」
「世の中、いろんな人がいますね」
糸井部長も怒りを通り越して呆れている。治療はすぐに終わって遠藤さんが脇に避けると、入れ替わるように蒼君が一希君の目の前に立った。
「惣領、なんか色々迷惑かけて悪いな」
「いえ、怪我がたいしたことなくて良かったです。それより、持ってきたものを出してください」
手を差し出す蒼君に、まわりはキョトンとしている。一希君は笑みを浮かべたまま蒼君を見上げた。
「なんで惣領に渡さないといけないんだ?」
「誰に渡しても同じです。最終的に佐伯部長の手に渡ればいいんですよね? でも、佐伯部長はまだ来られてません」
状況が理解できているのは私と蒼君と一希君の3人。もしかしたら、不機嫌そうに口を引き結んでいる合田部長も察していたかもしれない。
「まあ、いっか」
軽い口調でそう言って、一希君は鞄から『退職願』と書かれた封筒を取り出した。AIチームから「えっ」と声があがる中、一希君は改まった様子で直立し、蒼君ではなく合田部長にそれを差し出す。しかし、蒼君は躊躇いなくそれを横からかっさらい、そして、みんなの見ている前で真っ二つに破ってしまった。
「ちょ……、惣領、おまえ……」
一希君は唖然として言葉を失ったが、蒼君の表情は揺らがない。
「新田さんが辞めるときは、自主退社ではなく懲戒解雇です。うやむやで丸く収めようとしないでください」
「いやいやいや。おまえ、今の状況わかってんのか? 俺がDRIにいたらマズいだろ。頭いいんだから、これが合理的な判断だって理解できるよな?」
「マズいかどうかは佐伯部長が判断してくれます。新田さんの役目じゃありません。ですよね、合田部長?」
「あ、……ああ」
合田部長は勢いに押されてうなずいたが、頭痛の種が増えたというようにこめかみを押さえる。一希君は、これみよがしに大きなため息をついた。
「なあ、惣領。生殺しが一番きついって知ってるか?」
「でしょうね。そのくらいの罰は受けて当然です」
一希君は「あー、クソ!」と自分のリュックにこぶしを叩きつけ、怪我に響いたのか眉をしかめる。見かねた様子の合田部長が、蒼君の手から破れた退職願を奪った。
「まあ、ひとまずこれは俺が預かるわ。ついでにテープでくっつけといてやるよ。だが、受理するかどうかは別の話だ」
「やっぱり、生殺しってことじゃないですか」
「それくらいの罰は当然だろう?」
蒼君を真似る上司に、一希君は抵抗を諦めたようだった。「もう知りませんよ」とそっぽを向く。不安そうに成り行きを見守っていたAIチームの人たちは、退職が遠のいたとわかり安心したようだった。遠藤さんも、にこやかに「じゃあ、これで」とエレベーターに向かう。
「あっ、今の話はオフレコってことで、誰にも言いませんから〜」
遠藤さんが降りていった直後、スマホの振動音がどこかから聞こえてきた。蒼君と合田部長とが同時にスマホを取り出して確認している。どうやら、同じものを見ているようだ。
「出たな」と合田部長。
「はい。〈漆黒の夜【公式】〉が、昨日の予言の続きを投稿しました」
蒼君の言葉で緊張が走り、それぞれ自分のスマホを開く。私は「これです」と蒼君から差し出された画面に目をやった。




