#80 蒼の提案と誘い
蓮見部長は、私の問いかけに「考えてないわ」と首を振った。私の緊張はわずかに緩む。しかし、その後の蓮見部長とのやりとりは、自分の甘さを思い知るには十分だった。
「パーソナライズ翻案は、何かしらの形で残すべきだと思ってる。あの物語に救われてる人がたくさんいるってことは、カンサポ部の私たちが一番わかってるもの。でも、それはDRIがすべきことなのかってことね。
矛盾した話なんだけど、DRIからパーソナライズ翻案を切り離したら、サービスはきっと維持できないわ。この活字離れの時代に、有料サービスとして需要が見込めるかといったら疑問でしょう?」
「つまり、DRIがパーソナライズ翻案やめたら終わりってことですか?」
「終わりとまでは言わないけど、パーソナライズ翻案だけの事業っていうのは無理でしょうね。占いに大金を積むような一部の富豪なんかが利用する怪しげなサービスに成り下がるかもしれないし、もしかしたら、テレビドラマみたいにプロダクトプレイスメントが翻案の作中に入れ込まれるようになるかもしれない」
「プロダクトプレイスメントってなんですか?」
小山内さんが聞き慣れない言葉に首をかしげた。
「スポンサーの商品がドラマの中に出てくるでしょ。そういう形で広告するの。でも、そんな小説最悪だと思わない?」
蓮見部長は、パーソナライズ翻案のあり方についてユーザーに寄り添った視点で憂い、事業としての存続可能性まで考えを巡らせている。私は未熟だった。
「本宮さん。事件の経緯説明は読んだけど、例の流出した非公開データが『漆黒の夜』の予言元の抜粋文なのよね?
こういうことが起きた以上、再発防止の観点からどうすべきか。あなたなら佐伯部長がどんな判断をするか想像がつくんじゃない?」
私はぎこちなくうなずいた。佐伯部長なら、パーソナライズ翻案のサービス停止、よくて「見直しのため一時サービス停止」を決めるだろう。それは、思いの外すぐ実行されるかもしれない。
蓮見部長は慰めるように私の肩をもう一度叩き、小山内さんを連れてカンサポ部に戻っていった。
ふたりの姿が見えなくなった後、ひとり帰り支度をしていると、肩にのしかかる気圧が倍になったような気がする。ふと顔を上げ、エレベーターから降りてくる蒼君の姿を見つけた。
私は鞄を肩にかけ、彼のところへと走る。
「蒼君、佐伯部長のとこ行くの?」
「いえ、帰るとこです」
彼は背中に背負ったリュックを見せる。
「ふうん。珍しく泊まらないんだ。じゃあ、8階には何の用?」
「理久さんがまだいるかと思って、ちょっとのぞきに来たんです。帰るなら一緒に下りましょう」
蒼君はそう言ってエレベーターに向かった。
一緒に働いて何年にもなるけれど、こんなふうに並んで帰ったこともなければ、蒼君が帰りがけに8階に顔を出すなんてこともなかった。エレベーターでふたりきりになると変に意識してしまいそうで、私は気まずくならないよう自分から喋りかける。
「9階は忙しいはずなのに、蒼君が帰っちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫です。たぶん堂坂府警の意向だと思うんですけど、例のテレビ出演、なるべく早くがいいって話で明日堂坂に行くことになったんです。それで、合田部長がちゃんと風呂入ってから行けって」
「朝早いの?」
「午前中に伊藤刑事と会って、テレビ局には午後から行くことになりそうです。もしかしたら、結城先生と面会できるかもしれませんけど、……理久さん一緒に行きますか?」
「えっ?」
思いもかけない提案に、自分の顔が引きつったのがわかった。
「む、無理だよ。明日もここで仕事だし、刑事さんがダメだって言ってたじゃない。蒼君、刑事さんからOKもらったわけじゃないんでしょ?」
「それは、そうなんですけど」
不満そうにうつむく蒼君は、どことなく子どもっぽかった。それで少し気持ちが緩む。
「もしかして、私が昼間に取り乱したから気を遣ってくれた?」
「気を遣ったつもりはないですけど、あまり自分を責めないでください」
「忙しい蒼君に心配かけちゃって、なんかごめんね。帰って缶ビール開ければ心配事なんて消えるから、心配しなくて大丈夫だよ」
チンと音がしてエレベーターの扉が開いた。
薄暗い駐車場に人けはなく、私たちの足音だけが響いている。扉を開けてコネクト・アベニューへと繋がる通路に出ると、遠くからかすかに喧騒が聞こえた。
歩き出そうとした瞬間、不意に蒼君の手が私の腕を掴む。ドキリとしたが、平静を装って振り返った。
「どうかした?」
「あ……、えっと。うち、来ませんか?」
「えっ?」
あまりに唐突な話に返事ができずにいると、蒼君はバツが悪そうな顔をして手を放す。
「……すいません。以前話したビートルズのLP、聴きに来ないかと思って。ちょっと気持ちが先走ったみたいです。忘れてください」
早口に言うと、私を置き去りに歩き出した。呆然とその後ろ姿を眺めていたら、彼は数メートル先でハッと気づいたように立ち止まる。どうやら、私が追いつくのを待っているようだった。
冷静で余裕綽々な姿は息をひそめ、うつむきがちにチラチラとこちらをうかがう。その姿に、胸の内側がほっと温かくなる。
私は小走りに彼に追いつき、隣に並んだ。
「全部片付いたら、ビートルズ聴きに行こうかな。あー、残念だなぁ。私もテレビ局で蒼君の勇姿を拝みたかったのに」
「テレビ局まで来なくても、どうせすぐ放送されます」
「撮影現場見られるの恥ずかしいんでしょ?
蒼君って、クールな顔してけっこう恥ずかしがり屋だよね」
「……羞恥心は、AIにはない人間固有の感情ですから」
あまりに蒼君らしい、予想を裏切る返答だった。地下通路には、私の笑い声とふたり分の足音が響いた。
そして、一夜明けた七夕の日。7月7日13:30。〈漆黒の夜【公式】〉は、DRIの不正に関する新たな予言を投稿した。
『厳重に閉ざされた温室に、決して触れてはならぬ秘密の花弁があった。それを守る者は、自らの誓いを破り、その一片を外の嵐へと委ねた。まるで、檻から逃れし鳥が、闇夜へ羽ばたくように。やがて、その花弁が散りゆく事実も、温室を覆う霧の中に、静かに、しかし巧妙に、隠し通されていった。』
『【暴露:AI解析】AIが解析したチャットログの一部を公開する。「秘密の花弁」は、内部から持ち出された。そして、その事実は巧妙に隠蔽された。DRIの公式見解は「不正アクセス」と主張するが、AIの目は「内部犯行」と「隠蔽」の痕跡を捉えている。』
ハヤト文体の投稿文には『#AI予言』のタグもなく、演出のために存在しているようなものだった。『DRI』を想起させる言葉すらないが、ふたつ目の投稿には【暴露】の文字。そして、添付されたチャットログの画像には再び『K』と『Y』が登場している。
K:試しに抽出しました
Y:データは?
K:メールは危険なので直接会いましょう
このやりとりから、「不正アクセス」により流出したデータが持ち出し不可の重要データと推測したようだった。しかし、それが非公開扱いだった翻案データで、かつ予言『漆黒の夜』の元になった抜粋文ということまでは突き止めていないようだ。
この、内部犯行と隠蔽を告発する投稿はゾッとするほどのスピードで拡散されていった。そして、予言『漆黒の夜』のAI翻案抜粋文の中に『織姫』『牽牛』という七夕を指し示す言葉があったことから、制裁されるべき『罪人』はDRIだったとして非難の的になったのだった。




