#65 未練
「おい、惣領」
合田部長が慌ててフォローしようとしたけれど、蒼君はあえて淡々とした態度をとっているようだった。そのせいで、彼の発言が正当なものに感じられてくるから不思議だ。
「結城先生が理久さんを恨んでいないのなら、その逆だと思ったんです。どちらにしても、理久さんに対して何かしらの感情があるのは確かですよね」
私が横目で匠真をうかがうと、テーブルの下で半袖シャツの裾をいじっているのが目に入った。動揺した時のクセも以前と同じままのようだ。彼はその裾をギュッと握りしめ、口を開く。
「……未練とは、少し違う。彼女に対する恋愛感情は過去のものだから。
ただ、私が作家になる前。趣味で小説を書いていただけの時、最初に私の書いたものを評価し、文学賞への応募を強く勧めたのは彼女でした。それがなければ、たぶん私は小説家にはなっていなかった」
「小説家になったことを後悔してるんですか?」
問いかけたのはハヤト君だった。匠真は即座に「まさか」と首を振る。
「さっき話したように、私は小説がないと生きていけない。だから、彼女には感謝してる。その分だけ裏切られた気持ちが強かった。
初めて応募した文学賞の結果が出る前のことでした。彼女は『リテラ・ノヴァ』という、AIが翻案を作るサイトができたんだと、浮かれた顔で話してきた。自分で作ったAI翻案の感想を嬉しそうに喋って、リテラ・ノヴァに就職したいとまで言い出した。
私は混乱しました。
それまで彼女の言葉を支えに選考結果が出るのを待っていたのに、彼女にとって私の小説はAIが書くようなものと同じ価値、いや、それ以下なのかと思いました。それで、言い合いになって別れたんです。
裏切られたという感情が強くて、顔を合わせても嫌味しか返せませんでした。彼女が本当にリテラ・ノヴァで働き始めたと知った後は、彼女を見返したい、AIなんかに負けられない――そんな気持ちで執筆を続けていました。
そうしたら芥河賞を受賞して、それでひと区切りがついたと思ったのに、去年のハヤト文体の流行に理久が関わってると聞いて、それで……」
涙が零れそうになり、私は「すいません」と席を立った。
会議室の外に出て廊下にしゃがみ込むと、涙がどっと溢れてハンカチで拭う。深呼吸して涙を止めようとしていたら、扉がわずかに開いて蒼君が顔をのぞかせた。彼は目をそらしたまま私の隣にしゃがみ込もうとし、床に尻もちをつく。足首の痛みで顔を歪めていた。
「何してるのよ」
「すいません」と、彼は地べたに座り込んだまま頭を下げる。
「どうして謝るの?」
「僕が余計なこと言ったから」
「……未練じゃなかったみたいだけど」
「さっき結城先生が言ってたのも、一種の未練だと思います。先生、理久さんに一番に認めてほしかったんです。恋愛感情じゃないって言ってましたけど、そういうのって明確に区別がつくものじゃないし」
「そういうのじゃないよ。そういうのだとしても、私にはどうしようもないし」
「理久さん、結城先生のファンなんでしょう?」
「それとこれとは別。匠真ともう一度そういう関係になるなんて考えられないから」
蒼君は私の本心を探るようにじっと見つめてきた。泣いて化粧の崩れた顔を見られるのが恥ずかしくなり、私は「戻ろっか」と立ち上がる。
「大丈夫ですか?」
「うん。ありがと」
ふたりで会議室に戻ると、スクリーン上の斉田さんが場を仕切っていた。それは、今回の話し合いの総括とも言うべきものだった。
「――第三者による不正アクセスが確認された以上、事態は単なるデマ拡散からサイバー犯罪へと発展しました。おふたりを刑事告訴すれば、捜査が複雑化し、世間の注目もそちらに集まってしまうでしょう。悪質なハッカーを特定し、これ以上の被害拡大防止を最優先に対応を進めていきます。
刑事告訴を見送るにあたって、結城先生には次のことを求めたいと思います。
まず、ハッカーに関する情報提供、自身の端末の提供など、今回の事件捜査に関して全面的に協力すること。
Pitterアカウント『翻案予言bot』について、デマ投稿は不正アクセスによるものでご自身がしたものでないということと、これまでに投稿してきた予言が虚偽のものであった旨を改めて公に表明すること。動機や詳細な経緯の公表については、SLNとDRIと相談の上で決めることとします。
最後に、今後リテラ・ノヴァやスターライト・ネクスト、Deeeeepに対する一切の妨害行為を行わないことも約束してください。民事上の損害賠償請求については、被害状況と協力度合いに応じて検討させていただきます。
それから、新田一希さんについてですが、DRIさんの方ではどのような対応をお考えですか?」
斉田さんに話を向けられた佐伯部長は、考えをまとめるような表情でコツコツと指先でテーブルを叩く。
「懲戒処分を具体的にどのようなものにするかは、この場では決めかねます。
状況を考えると、まず彼にしてもらわなければならないのはDRIのセキュリティシステム改善に関する全面的な協力です。非公開データへの不正アクセスの手口や、もし何かしらの脆弱性を見つけたのなら、それに関する情報提供もしてもらわなければなりません。
彼の処分については、その際の態度や協力度合いによって検討したいと考えてます。新田君は、それがどのようなものであれ受け入れること」
一希君は解雇を覚悟しているのか、蒼白な顔で「はい」とうなだれた。匠真も失職の可能性と損害賠償という言葉で顔色を失っているようだが、ここに来た時のような棘々した雰囲気は消え、どこか諦めたようにも見える。
「では、新田さんの処分についてはDRIさんにお任せしますが、新田さんも警察の捜査に対しては積極的に協力してください。
それから、刑事告訴を見送るとはいえ、今回の件について結城先生と新田さんの関与を公表するかどうかは警察側の判断に委ねられます。私どもの判断で勝手に隠蔽するわけにはいきませんから。
ただ、できるだけ騒ぎが大きくならないよう配慮をお願いし、当方としてはおふたりの名前が出ないことを希望する旨は伝えるつもりです」
「ありがとうございます」
匠真と一希君の声が重なる。すると、ここまでずっと黙って成り行きを見守っていた砂川さんが、我慢しきれなくなったように口を開いた。
「感謝するのなら、ハヤトと本宮さんと惣領さんにしてください。事件の当事者である3人が望んでいるから、仕方なく穏便に済ませようとしているんです。私も、斉田も、本当はすぐにでも裁判を起こしたいくらいなのですから」
砂川さんの剣幕に匠真と一希君はいっそう低く頭を下げた。が、スクリーン上の斉田さんはおかしそうに口元をニヤつかせている。温厚な砂川さんが声を荒げるのは、同じ会社の人にとっても珍しいことのようだった。
話し合いはここで一旦終了。今回の件はDRIのある西京府ではなく、堂坂府警の管轄ということで、斉田さんが警察に大筋を伝えて相談した後にDRIに折り返し連絡が入るのを待つことになった。




