#57 結城匠真という人物
蒼君はいつの間に買ったのか、私がいつも飲んでいるレモングラスアイスティーを「どうぞ」と差し出した。彼自身の前には、コモンズ・カフェのコーヒーは諦めたのか自販機のコーヒー。
「正直、蒼君はもっと冷めた目でAIを見てると思ってた。異端児だったんだね」
「AIに感情はないっていうのが一般的な見方ですけど、異端ってほどでもないと思います。西京大と一緒にやってる研究は『AIにおける「情動的創発」の可能性と内部機構の多角的検証:人間感情発露メカニズムとの比較研究』なんですけど、学部横断でいろんな人が協力してくれてます」
「AIにおける、情動?」
「ざっくり言うと、AIに感情があるか検証する研究です。この記事に載ってるジョンも現役でこの研究に使ってるし、2匹目のポールも生まれました」
「ビートルズ好きなんだ」
「LPレコード持ってます。デジタルで表現しきれないものってどうしてもあるし、AIの感情もそういう『表現しきれない』類のものだと思うんです。
小説も同じですよね。喜怒哀楽を『喜んだ』『怒った』『哀しんだ』『楽しんだ』なんて、直接的な表現はしないでしょう?
登場人物の振る舞いを描き、言葉にし難い人間の感情を表現するものじゃないですか」
私は「そうね」と相づちで話の先を促した。蒼君が喋るのを遮りたくないと思ったのは、記事を書いた記者と同じように、彼の言葉にあふれる熱意を感じたからかもしれない。それに、蒼君が語る小説論は、目から鱗が落ちることが度々ある。
しかし、彼の話は思わぬ方向に進んだ。
「人間だからこそ、人間の感情を小説という形で表現できるし、行間に表現されたものも読者に伝わるんだと思います。感情のないAIが表層だけ似せて人間の感情のようなものを描いたところで、それは紛い物だと、結城先生は考えてるんでしょう。
僕がAI翻案小説に携わりながら胸を張っていられるのは、AIに感情があるかもしれないという可能性を大前提として持っているからです。でも、いくら言葉を重ねても、結城先生には伝わらない気がします」
蒼君は、私の心を覗き込むように目を合わせた。
「理久さん。結城先生から連絡はないですか?
先生がいくらネットに疎くても、理久さんが事故に巻き込まれたのは知ってるはずです」
「ないわ」
首を振ったとき、自動ドアが開いてAIチームのメンバーがぞろぞろと出てきた。気づけば正午を回っている。
一希君はエレベーターに向かおうとしていたが、思い直したように私たちの背後にある自販機へと行き先を変えた。まっすぐこっちに来た合田部長は、記事が表示されたままのPC画面を見て「なんだ」と拍子抜けした声を漏らす。
「SLNの声明文でも確認してるのかと思ったら。惣領、おまえ、過去の栄光を自慢してたのか?」
「違います。ジョンとポールの意義について話してたんです」
「AIビートルズか。――あっ、そう言えば惣領。この時の優勝がきっかけでシンギュラリティ・ラボにスカウトされたけど、おまえの方からフッたって噂を聞いたことがあるんだが、あれ本当か?」
シンギュラリティ・ラボと言えば、先日ヒューマノイド暴走事件を起こしたあの会社だ。
「スカウトっていうほどのものじゃないです。決勝戦の対戦相手がS高専だったんですけど、S高専はシンギュラリティ・ラボの運営なの知ってますよね?
それで、例の貝塚社長も観戦に来てて、『うちに来ないか』みたいな話はされました。でも、その場の雑談で終わったので社交辞令だと思います」
「おまえが今あの会社にいたら、ヒューマノイドの暴走は起きなかっただろうに」
「それはどうでしょう。プロジェクトはひとりでやるものじゃないし、脆弱性のないプログラムなんてありません。あるのはセキュリティレベルの高低だけです」
淡々と答える蒼君に合田部長は「だな」と苦笑し、躊躇いがちに私に視線を移した。
「惣領はこんな時でも相変わらずだが、本宮さんは大丈夫か?
惣領からチラッと聞いたが、俺が配慮のないことを言ったみたいで申し訳ない」
一瞬何のことかと首をひねったが、すぐ匠真のことだと思い当たった。蒼君が「すいません」と隣で頭を下げる。
「勝手に喋りました。でも、放っておいたら部長がまた何を言うかわからないから」
「ってことだ。俺がデリカシーないのは、本宮さんも知ってるだろう?」
「私は大丈夫です。佐伯部長も糸井部長もご存知ですし、一希君も知ってますから」
話に入ってこようとしない一希君が気になり、あえて彼の名前を口にした。コーラのカップを自販機から取り出そうとしていた一希君は、突然自分の名前が出たことで「俺?」と声を裏返らせる。
「悪い、聞いてなかった。何の話?」
「私と結城先生のこと」
「……結城先生の話が、なんで今?」
一希君は首をかしげる。合田部長が思案するように顎を指で揉み、周囲をうかがった。9階のエレベーターロビーと通路には、私たち4人以外誰もいなくなっている。
「新田も共同研究で西京大に行ってるわけだし、結城先生と顔を合わせるかもしれないから、言っといた方がいいだろう」
「理久と先生の関係なら知ってますよ」と一希君。
「その話じゃない。翻案予言botの正体が、結城先生という可能性があるんだ。SLNの近くで本宮さんが写真を撮られた時、直前に結城先生に出くわしたらしい。ライブの日も、スカイアリーナにいたかもしれない」
一希君は言葉を失ったようだった。ただ驚いているというより、事件への関与を疑いたくなるような、混乱と驚愕の表情。蒼君もそう感じたのか、探りを入れるように動画の話をした。
「ライブ会場で配信者が動画撮影していて、その映像に映り込んでる人物が結城先生かもしれないんです。キャプチャー画像のブレ修正と解像度の調整をして、一番マシなのがこれです」
蒼君が表示して見せたのは、黒いキャップを目深に被った男性の、斜め後方からの横顔。輪郭はかなりハッキリしたが、やはり人物を特定するのは無理そうだ。
一希君はその画像に目をやったまま、「これが結城先生?」と半笑いの表情。
「私がそう思ったの。姿勢とか、動きとかで。もともと彼を疑ってたからそう見えただけかもしれないけど」
「本宮さん、最初から疑ってたのか?」
驚きの声をあげたのは合田部長だ。一方、蒼君は予想していたような反応。
「小山内さんが言ってた翻案予言botの性格分析と、結城先生が似てたんじゃないですか?
翻案予言botの投稿傾向から小山内さんが指摘したのは、完璧主義だけど自己評価が低く、自己保身と自己顕示欲がせめぎ合ってるアンバランスな状態、そして、他者へのコントロール欲求。
僕は結城先生についてはよく知りませんけど、極端な反AI主義は完璧主義に通じます。一方、『アナログ人間』という自虐的な自称は、反AIの主張が時代遅れであり、AIフォビアに起因するものと自覚していることをうかがわせます。AIネイティブへの劣等感が、自己評価の低下へと繋がっているということです。
ハヤト文体やAI翻案を公然と批判するのは、自己顕示欲の強さの表れ。反面、大学勤務という堅い仕事についている保守的な側面は、自己保身的な傾向によるものかもしれません。
ほぼこじつけみたいな推論ですが、理久さんの話によると結城先生はずいぶん皮肉屋らしいので、そういった面からも隠れた劣等感がうかがえます。皮肉は婉曲的に他者をコントロールしようとするものですし、型に嵌められたくない人とは合わないかもしれません」
「おまえは心理分析官か?」
合田部長は呆れ顔だ。そして、あえて誰も口にしないけれど、彼が最後に言及した『型に嵌められたくない人』というのは、きっと私のことに違いない。
私は蒼君の分析力に感心しつつも、心の中では「それだけじゃない」と否定している。蒼君が言ったのは匠真のほんの一面に過ぎない。そして、その『ほんの一面』が暴走して、今回の事件を起こしたのかもしれない。
私が沈黙したことで気まずい空気になり、合田部長が「まあ、だから」と強引に話を変えた。
「新田は大学で結城先生と顔を合わせても何も知らないフリをしろってことだ」
「知らないフリも何も、向こうは俺のこと知りません。情報科学部と文学部は全然場所が違うから、すれ違うこともないし。惣領だって、西京大で結城先生と出くわしたことないだろ?」
「そうですね。でも」と、蒼君は声のトーンを落とす。
「SLNビル周辺の防犯カメラの映像を見た警察が、結城先生に任意で聴取を求めるなら――、西京大経由かもしれません。学内で変な噂が立たないといいですが」
「それな。DRIで結城先生と話し合う機会を設けるとしても、噂が拡散しそうな出版社経由は避けて、西京大経由で、かつ翻案に関する相談という形で穏便に進めようって話を佐伯部長としたところだ」
蒼君と合田部長の話を聞いていると、警察に連行される匠真の姿が浮かんでくる。軽いめまいを覚えて目を閉じたが、「俺」と、かすかに震える一希君の声で顔をあげた。
「とりあえず、飯食ってきます」
一希君は、普段通りのどこかおちゃらけた表情だった。合田部長が一希君を疑っている様子はまったくなく、「俺はあと15分仮眠するか」と欠伸する。
「惣領、なんかあったら起こしてくれ」
合田部長はそう言い残して自分のブースへ戻り、一希君はエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まって彼の姿が見えなくなり、私が一希君の違和感を口にしようとした時。
「変じゃないですか」と、蒼君がエレベーターを指さした。
「上に向かってます。たまに屋上でコンビニ弁当食べてるみたいですけど、新田さん、さっき何も持ってなかったですよね」
オレンジ色の階数表示が『R』で止まり、私と蒼君は同時に立ち上がった。




