#55 人気者
佐伯部長の執務室を出てキュレ部に戻ったあと、私は余計なことを考えないよう入力作業に没頭した。部長が言っていた『今後の方針と注意点』が届いたのは午前11時半になろうという頃。私だけに宛てたものではなく、総務部から職員全員に向けて共有されたもので、内容は主に4点。
ひとつ、本日正午、リテラ・ノヴァサイト上にDRIの公式声明文を掲載すること。
ふたつ、出退勤時の突発的な取材依頼については、声明文を見るよう促して具体的な回答はできうる限り控えること。
みっつ、事件当事者となった私と蒼君の個人情報の流出がないよう留意すること。
最後に、当面のあいだは取材依頼や批判の電話が増えると予測されることから、電話対応はAI音声ガイダンスに切り替える旨が書かれていた。
AI音声ガイダンスは、去年、ハヤト文体の影響で取材やユーザーからの電話対応に追われていた時に導入されたものだ。取材依頼の場合はリテラ・ノヴァサイト上の『取引依頼フォーム』へ、批判を含む一般的な意見は『ご意見フォーム』へと誘導され、職員へと繋がれるのはAIが必要と判断した場合のみ。
それでも通常より電話対応件数が増加しているため、当面は総務部とカウンセリング・サポート部門の4人体制で電話対応にあたるらしい。
「理久、さっき来た通知見た?」
椅子から立ち上がった市原は、お弁当用のトートバッグを手にしている。3階のキッズルームに行くようだ。
「見た。だいたい知ってる内容だったけど、AI音声ガイダンス使うのは今知った。普段電話なんて使わない人が、こういう時には電凸してくるの不思議だよね。総務とカンサポ部に申し訳ない」
「そのためのAI音声ガイダンスなんだから、理久が気に病む必要ないよ。対クレーマー最終兵器・小山内さんの出番はないかもね。AI音声だって最初に言ってるのに、AI相手にキレてる人がいるっていうから、ホント笑う。AIだからいくらでも罵詈雑言吐いていいって考えなのかな」
市原はキュレ部を出る直前、「あっ、そうだ」と私を振り返った。
「理久、しばらくコモンズ・カフェには行かないほうがいいよ。突撃取材とか、Deeeeepファンが押しかけてくるかもしれないし、ランチがてら様子を見に来る野次馬もいるかも。――あっ、惣領君目当ての女の子も来るかもね〜」
市原はからかうようにヒラヒラと手を振って出ていく。糸井部長はまだ仮眠中で、櫻井さんはリモート。私はひとりキュレ部に取り残された。
見かけはいつもと同じ平穏な日常の風景だけど、なぜかそこに現実感がない。手が空いた時のクセでPitterを開くと、Deeeeepライブ事件に関する憶測が次々とタイムラインに流れてくる。気を取り直して仕事に戻ろうとしたが、Pitterを閉じようとした瞬間、蒼君の写真が投稿されて目が釘付けになった。ライブ終了直後に撮られたものを、彼の部分だけトリミングした画像だ。
『イケメン君、DRI職員なの残念すぎる。SLNでスカウトして』
『肩書AIジェネレーティブ・アーキテクトって書いてあった。小難しくてよくわからん』
『AIエンジニアの上位互換。DRIは頭脳派イケメンのドキュメンタリーを作成すべき』
『ドキュメンタリー最高! 公開されたら絶対観る!!』
私は居ても立ってもいられなくなり、Dチャットで蒼君に『9階にいる?』とメッセージを送った。数分待ったけれど既読がつく気配はなく、迷いつつも席を立ってエレベーターに乗り込む。押しかけて何を言うつもりなのかと自問しつつ、9階に到着するまでにあれこれと考えを巡らせた。
エレベーターを降りると、合田部長のブースのまわりにAIチームの面々が集まっているのが見えた。部長を含めて6人。出勤しているエンジニア全員でミーティング中のようだ。
のこのこ入っていける雰囲気ではなく、私は踵を返してエレベーターのボタンを押した。そのとき背後で自動ドアの開く音がし、振り返ると蒼君の姿がある。残りのメンバーはミーティングを続けているが、ガラス越しにこちらを見ている一希君と目が合った。そして、彼はまた不自然に目をそらす。
「理久さん、何かありました?」
「ううん、大したことじゃない。蒼君、Pitterで人気急上昇してるし、コモンズ・カフェにいろんな人が押しかけてくるかもしれないから、しばらく行かないほうがいいよって言おうと思って。Dチャット送ったんだけど」
わざわざそんなことを言うために来るなんて――と思われていそうな気がして、恥ずかしさで顔が熱くなった。けれど、彼は私がここに来た理由よりDチャットが繋がらなかったことのほうが気になったらしく、ポケットを探って「スマホ、ブースに置きっぱなしにしてました」と言う。
「戻っていいよ。ミーティングの邪魔してごめんね」
「あっちは大丈夫です。12時にSLNが声明文出すから、リテラ・ノヴァへのアクセスも増えるだろうって話です。あとは、事前にDチャットで送られてきた通知内容の再確認。合田部長、そういうところは見た目に反してきっちりしてるんです」
「今でもアクセス増えてるんでしょ?」
「DRIのスタッフ紹介ページへのアクセスが異常に。僕がAIエンジニアっていうのはとっくに流れてましたけど、こういうときのネット民のサーチ能力には脱帽です。ずいぶん前なのに、AIロボコンで優勝したときの記事も投稿されてました。
スマホ取ってくるので、自販機のとこで待っててください」
蒼君はそう言うと、虹彩認証でドアを開けて自分のブースへと戻っていく。他人のことには目敏いくせに、自分のことには無頓着な感じがして、彼の飄々とした態度が今回は少し心配だ。
ミーティングが終了したらしく、9階メンバーがそれぞれ自分のブースに戻っていくのが見えた。気になるのは一希君。あえてこちらを見ようとしないようにしているし、顔色も朝より悪い。ノートPCを抱えて戻ってきた蒼君に「一希君、体調悪そうじゃない?」と聞くと、彼の表情がわずかに曇った。
「寝不足なだけだって本人は言ってましたけど、あとでちょっと話してみます。僕も心配なので」
憂いを帯びた彼の顔には、心配だけでなく警戒心のようなものが滲んでいる。私はふと、蒼君との昨日のやりとりを思い出した。『Japan突劇隊!』の動画に映り込んだ人影が怪しいと私が言ったとき、蒼君は最初それを一希君かもしれないと考えたのだ。
「蒼君、もしかして――」
一希君が事件に関与してると思ってる? と言おうとし、9階メンバーの視線が気になってやめた。
「もしかして、AIロボコンの記事見せてくれるの?」
「大した内容じゃないですよ」
「それでもいいから。高専時代の写真も載ってるんでしょ?」
「わかりました」と彼が見せてくれたのは、IT関連メディアによる『全国高専プログラミングコンテスト「ロボット競技部門」優勝 チームリーダーの発言が物議「AIに感情が宿る」?』という記事。その見出しは、想像していたより不穏なものだった。




