#51 2枚の写真
頬に何か触れた気がして瞼を持ち上げると、その何かはパッと逃げるように消え去った。目の前には心配と安堵が入り混じった表情の蒼君。その顔を見た瞬間、意識を失う前のことが一気に蘇る。
「理久さん――」
彼が何か言おうとしたのを遮り、「ここは?」と寝かされていたソファーの上で跳ね起きた。
「ここは、スカイアリーナ内の控室です。理久さんが倒れたあと、すぐに砂川さんが来て、ここに運んでくれました。他にも怪我した人がいるので、救護室でその人たちと一緒になるのは良くないだろうって」
「……怪我人、出たんだ」
「みんな軽傷です。理久さんは痛いところないですか?」
蒼君に聞かれて自分の体を触ってみたが、肘あたりに白く擦れた痕があるだけで痛むところはない。
「大丈夫みたい」
「良かったです」
蒼君は安心したようだったが、その表情はすぐ曇った。
「あの事故、ネットニュースになってます。事故のことだけじゃなくて、その原因になった翻案予言botの投稿も」
「翻案予言bot?」
「はい。翻案予言botがライブ終了直後に写真を投稿したんです」
これです、と蒼君が見せてくれた翻案予言botの投稿には、2枚の写真が添付されていた。
1枚はスターライト・ネクストビルの裏口で私を迎えるハヤト君、もう1枚はスカイアリーナの第二駐車場で砂川さんから何かを受け取る私。一緒にいたはずの蒼君の姿はなぜか消されている。
『1枚目:ハヤトとリテラ・ノヴァ職員の密会/2枚目:Deeeeepマネージャーから関係者パスを受け取るリテラ・ノヴァ職員 #ハヤトの裏の顔 #予言は真実だった』
投稿文と写真を見比べ、私は言葉を失った。目覚めたばかりのせいか、考えがうまくまとまらない。
「理久さん、大丈夫ですか?」
「うん。でも、これ――」
「フェイクです。理久さんと平井先生の密会写真については、すでにDeeeeep公式アカウントでフェイクだとアナウンスしてあります。使用されている平井先生の写真は過去にメディアに載ったことのある写真らしくて、ずいぶん雑な合成なのですばやく対応できたようです。
ただ、2枚目の写真については完全なフェイクとも言えないし、関係者パスをもらったのは事実なので、ちょっと面倒なことになってます。一応、公式から個人的な利益供与ではないと説明してあるんですが、すでに尾ひれのついた噂が拡散してて」
「尾ひれ?」
嫌な予感がしつつも、目をそらすわけにはいかなかった。そして、蒼君の口から語られたのは予想していた以上の内容。
「理久さんと平井先生の熱愛だけじゃなくて、ハヤト文体が流行語大賞になったことを理由に、リテラ・ノヴァの職員が平井先生や砂川マネージャーに無理な要求をしてるとか。それから、理久さんが予言信者と接触したところも見られてたみたいで、平井先生が売名のために理久さんを使って予言を広めたんじゃないかって、かなり飛躍した投稿がされてます」
ネット民の想像力の豊かさに、私の口からは力ない笑いが漏れた。予言にあった「ハヤトの不祥事」を、私が引き起こしてしまったのだ。
誤解を解かなければという焦りとは別に、頭の真ん中に居座っているのは動画に映り込んでいた人影。私の元恋人、結城匠真の顔。
1枚目のフェイク写真が、華泰堀で匠真と出会った直後に撮られたものであることは間違いなかった。ハヤト君はそこにはいなかったけれど、私の着ていた服はあの日のものだ。
「ねえ、蒼君。この写真、ハヤト君だけじゃなく、私のことも狙ったと思う?」
「2枚とも理久さんが映ってるので、たぶん。理久さん、動画に映り込んでた背の高い男に心当たりがあるんですよね?」
匠真に対する疑念を伝えるべきだと思ったけれど、口を開いても喉の奥から声が出てこない。もし違っていたら匠真の名誉を傷つけてしまうし、目端の鋭い蒼君が、彼が犯人であるという確証を見つけてしまうのが怖かった。
「僕、当ててもいいですか?」
「えっ?」
「結城匠真じゃないですか?」
私は言葉に詰まったが、その沈黙を彼は肯定だと捉えたようだった。「やっぱり」という蒼君の小さなつぶやきと同時に、コンコンと扉がノックされる。
「砂川です」
「どうぞ」
蒼君が返事をすると、砂川さんだけでなくハヤト君も一緒に姿を見せた。ソファーから立ち上がろうとする私を、「座ったままで」「無理しないでください」「ダメです」と、3人が制止する。
「本宮さん、調子はどうですか?」
私を気遣う砂川さんの顔にも疲労の色があった。ライブを終えたばかりのハヤト君は当然疲れているはずだが、若さゆえかそんな様子は欠片ほども見せない。
「ご心配おかけしました。怪我もしてないし、体は問題なさそうです。私が無理を言ってライブに押しかけたせいで、こんなことになってしまって……」
「理久さんのせいじゃありませんよ。悪いのは翻案予言botです。これまでは予言文だけ投稿してたのに、どうして急にあんな写真を投稿したのか」
ハヤト君は少々憤った口調で言い放ち、その怒りを引き継ぐように砂川さんが続けた。
「翻案予言botのあの投稿については、SLNの方で情報開示請求するつもりです。騒ぎが大きくなるタイミングを狙って投稿したのは間違いないですし、一般人の本宮さんの写真を使うなんて、かなり悪質です。しかし、……その……、」
砂川さんは突然歯切れが悪くなり、ハヤト君と何か示し合わせるようにチラと視線を交わした。そして、ハヤト君がおずおずと口を開く。
「実は……、ノックする前に理久さんが起きてるかどうか確認しようと思ってドアの前で聞き耳立てたんです。それで、ふたりの会話が聞こえちゃって」
ふたりが控室に入ってくる前の会話と言えば、匠真のこと。私は思わず両手で顔を覆った。




