#149 Lux Nova
蒼君の心境は、表情からは推し量れなかった。彼の期待を裏切るかもしれないと思う反面、もしかしたら彼も賛同してくれるかもしれないという期待もある。蒼君は、新しいことを面白がる人だから。
「佐伯部長のおっしゃる通りです。その上で、キュレ部として提案したいことがあります。パーソナライズ翻案を、一般ユーザー向けではなく、メンタルクリニックやカウンセリングの場でのセラピー補助ツールとして、企業向けに提供してはどうでしょうか」
「企業向け?」
蓮見部長が眉を寄せた。
「はい。事業譲渡ではなく、あくまでDRIとしてサービス提供するんです。これは、平井先生がパーソナライズ翻案のことを箱庭療法のようだとおっしゃっていたことで思いついたアイデアです」
「なるほどね。そういう形でパーソナライズ翻案を提供すれば、商業利用されておかしなことになる心配はない。どういった場所で、どういった形で利用可能かは検討する必要があるけど、そっち方面へのリサーチなら私と小山内さんで可能です」
蓮見部長の前向きな発言に、「僕も賛成です」と続いたのは蒼君。燻っていた不安は彼のひと言で消え去った。
「理久さんの提案はありだと思います。BtoBサービスとして、パーソナライズ翻案をメンタルクリニックなどで活用することは、技術的な面から見ても理にかなってる。
データ管理の透明性が向上しますし、これまでのように不特定多数のユーザーが利用するのではなく、特定の法人が契約者となることでデータの利用目的や範囲を明確に限定できます。これにより、佐伯部長が指摘されたような、非公開データの漏洩リスクにも対処しやすくなります。
あっ、でも、気をつけないといけないのは、そのクリニック側のデータ管理です。DCJの件を教訓に、クリニック側のセキュリティ体制を厳格に審査するとか、データ管理ガイドラインを共同で策定するとかして、インシデントに備えた連携体制を構築するのがいいでしょうね。運用面でもこっちから積極的に関与していくべきです。
現場での調整はけっこう大変だろうし、技術的な課題もゼロじゃないですけど、個人向けサービスとして抱えていた潜在的リスクを考慮すれば、この方向性は健全で、AIの可能性を広げるものだと思います」
蒼君が饒舌なのは、可能性とやりがいを見出したからだ。これまでも、外部と共同で進める事業や研究について話すとき蒼君は楽しそうだった。西京大との研究も、幻となってしまったコネクト・アベニューでの『翻案ミュージック』も。
蒼君の様子に、合田部長も表情を緩めた。
「キュレ部のアイデアは、人々の心の健康に貢献する公共の利益の提供。まさにコモンズです。これをよりDRIの理念に沿ったものにするなら、システムをオープンソースにすることも検討してもいいと思います。私たちの技術をコモンズとして社会に還元することで、他の企業や研究者がより安全で倫理的なAIを開発する手助けになる」
表情を変えずやりとりを聞いていた佐伯部長が、気難しい表情のまま合田部長に問いかけた。
「これまで、無課金サービスについてだけオープンにしてきたのよね?
キュレ部の提案を採用したとして、運営維持のためにも企業側に金銭負担をお願いすることになる。オープンソースにしても、その部分は問題ないのかしら?」
「オープンソース化と収益化は必ずしも矛盾しません。
私たちが無償公開するのはあくまでプログラムの設計図で、DRIが提供するのはサービスです。AIチームがシステムを保守・管理し、常に最新のセキュリティを提供する。キュレ部やカンサポ部、倫理法務部があらゆる場面でサポートする。その運用と信頼に対価をいただくんです。
それに、希望的観測も込めて言わせてもらえれば、DRIはAI関連の実証実験モデル事業として、政府から助成金を得ている立場です。運営の基盤はすでに国が支えてくれているので、過度な利益を追求する必要もない。
DRIとしては、この技術をオープンソース化し、社会全体に還元することこそが使命だということです。もちろん、細かい調整や議論はこれからですが」
「――そうね」
佐伯部長は、ようやく肩の荷を下ろしたような、和らいだ顔になった。そして「AIと人が織りなす豊かなコモンズの創造だものね」と、噛み締めるように口にする。
会議室の緊張が解けていく中、小山内さんが心配そうな顔で「あの」と手をあげた。
「私もとてもいいアイデアだと思うんですけど、鴻巣理事長はOKしてくれるんでしょうか?」
すると、佐伯部長と合田部長とが顔を見合わせる。
「最後に言うつもりだったんだけど、8月末で理事長は交代するの」
「えっ? どんな人が来るのかもうわかってるんですか?」
「情に厚い理事長だ」と合田部長。佐伯部長が居心地悪そうに咳払いした。
「私よ。私が理事長に就任することになったの。だから、変な横槍が入ることはないから心配いりません」
一瞬の沈黙のあと、会議室はお祭り騒ぎになった。拍手と祝辞、今後への期待が溢れ出る。
「じゃあ、パーソナライズ翻案はセラピー補助ツールとしての提供という方向で進めても大丈夫なんですか?」
私が質問すると、答えを急かすようにあちこち「理事長」「佐伯理事長」と声があがった。佐伯部長は半分呆れ顔だ。
「もっと詰めた議論が必要でしょうけど、キュレ部の提案はパーソナライズ翻案が抱えていた問題をある程度解決できると思うわ。
それに、リテラ・ノヴァもずっと同じままでいるより、時代に沿った形でアップデートしていく必要がある。なにより、私自身、リテラ・ノヴァの構想を思いついた時のような高揚感を感じてるの。
やるべき価値のあることだと思う。提案はキュレ部からだったけど、この件はカンサポ部が主導して検討を始めてください。ひとまず、リサーチから」
「わかりました」
蓮見部長より先に小山内さんが答え、会議室には笑い声が響く。佐伯部長がパンと手を叩いて立ち上がった。
「じゃあ、今日はここまでにしましょう。みんな、戻るときに総務に寄って行って。惣米菓さんから届いたお中元があるから」
「惣米菓?」
出口に一番近い場所にいた蓮見部長が、扉を開けながら首をかしげる。
「うちの実家の煎餅工場です。送るって連絡はあったけど、もう届いてたんですね」と蒼君。
「給湯室の冷蔵庫に、本宮さんのご実家からいただいたお茶もあるから」と佐伯部長。
「本人たちだけじゃなく、実家まで息ぴったりだな」
合田部長の笑い声に、小山内さんの「アアッ!」という叫び声が重なった。彼女は歓喜の表情でスマホを捧げ持つ。
「小山内さん、何かあったんですか?」
「星空ミュージックフェスです!
Deeeeepが予定通り出演するんです!
良かった〜。5人で活動するって宣言してましたけど、その後なんの音沙汰もなかったじゃないですか。だから、事件の影響で出演見合わせるかもしれないって噂もあって心配してたんです。信じててよかった〜」
「信じてた人の言い方じゃないと思うけど、がんばってチケットとったんでしょ。良かったわね」
小山内さんは感激に目を潤ませ、蓮見部長に連れられて会議室を出ていった。合田部長と佐伯部長と糸井部長とが雑談しながらその後に続いたが、私は足を止めてDeeeeepの公式サイトを確認する。そこには、『星空Music FESTIVAL☆出演詳細決定!』の文字。
「うまくいってるみたいで良かった」
私がつぶやくと、蒼君が横からスマホ画面をのぞき込んだ。
「理久さん、平井先生とは連絡とってないんですか? さっきのアイデア、平井先生と話してて思いついたって言ってましたよね」
「箱庭療法の話は、SLNに行ったとき話したの。蒼君も伊藤刑事とSLNに来たあの日。AI翻案の文学的評価についてはいつ話したっけ。堂坂のホテルから電話くれたときだったかな。手厳しい評価だよね」
横顔をうかがうと、蒼君はわずかに唇を尖らせている。
「平井先生は芥河賞作家ですから、素因数分解みたいに文章をバラして分析して、積み木みたいに組み立てても文学とは思えませんよね。翻案システム作ってるのはエンジニアだし」
拗ねた様子が子どもっぽかったけれど、笑うのは我慢した。
「蒼君って、知れば知るほど負けず嫌いだよね」
彼は私をじっと見つめ返し、一拍おいて「はい」とうなずく。
「平井先生が理久さんに脱退の相談してたのも、本当は嫌なんです。負けず嫌いなので」
横から手を出しDeeeeepのサイトを勝手に閉じ、「行きますよ」と背を向ける。普段の淡々とした態度とのギャップに堪えきれず、私はアハハッと声をあげて笑った。
「蒼君の行間読むの、本当におもしろい。今の、嫉妬?」
「知りません。早く行かないと煎餅なくなりますよ」
蒼君は扉を片手で支え、私はその隣に並んで会議室を出る。総務部の前には職員が勢ぞろいし、DRIオフィスの通路には笑い声が響いていた。
〈終わり〉




