#14 『山査子の回廊』
翻案ショートショート5作品をひと通り読んだあと、私は匠真の翻案をもう一度読み返した。
『山査子の回廊』
この翻案の原作である、ホラー作家・伊藤むり氏の『虚ろの修道女』は以前読んだことがあった。
山査子の実を踏みながらその回廊を進むと過去に戻れる――そんな言い伝えを聞いた主人公が、修道女だった祖母の記憶を辿るため回廊へ向かう。すると風景は時代を遡り、そこで出会った若い修道女姿の祖母が怪異へと変貌し、主人公の記憶を喰らうという話だ。
匠真の翻案は、主人公と祖母との過去に焦点を当てている。原作同様、噂を聞いて回廊を訪れ、山査子の実が散る道を歩いていると、祖母との曖昧な記憶が主人公の脳裏に蘇る。修道女だった祖母の祈りの旋律、祖母が作ってくれた山査子ジャムの匂い、そして、山査子の実を踏み潰したような赤い血を吐いて死んだ祖母の姿。目眩を覚えた主人公は、自分の足元に血溜まりができているのに気づく。それは本当に血だったのか、それとも踏み潰した山査子だったのか。現実と幻想が入り混じり、血溜まりに映った自分の姿に祖母の面影を重ねる――というものだ。
私は雑誌を開いたまま、スマホを手に取り先日ハヤト君から届いたメールを開いた。
彼も発売日を過ぎてからこの翻案企画を知ったらしく、匠真の翻案を絶賛するメールを送ってきていたのだ。出版社の間で「翻案ショートショート企画は失敗だった」という認識が広まっていることに納得がいっていない様子。彼は私と匠真の関係を知らないから、このメールに他意はない。
『――出版社の人たちがあの企画を評価していないのは、たぶん自分のところでやりたかったという気持ちがあるんだと思います。スワップ翻案という尖った企画を、文芸誌とは見られていないマルット読物にやられたから。ただ、翻案作品に対しては、大っぴらにはみんな口にしないけど、評価してるという話も聞きます。
じゃあ、新蝶や群青のような文芸誌でやったらどうだったかというと、売り上げに繋がったかどうかは微妙なところです。悲しいかな、結局のところ文芸誌は文学好きによる文学好きのためのマニア本に過ぎません。間口を広げようとすると、結局マルット読物のような形に行き着いてしまう。
翻案ブームで文学への興味を持ってもらえたらと思っていたんですけど、なかなか上手くいきませんね。
むしろ、〝ハヤト文体〟は文学を消費対象にしてしまっただけのような気がしてます。ハヤト文体を楽しんでるファンたちが、AIの言葉に一喜一憂しているの見ると、本当にこれで良かったんだろうかって。
もちろん、理久さんに声を掛けてもらったことには感謝しています。翻案契約したことは後悔していません。ただ、最近声優に初挑戦してるDeeeeepメンバーが、現場でハヤト文体のことを皮肉っぽく言われたらしいんです。アニメ業界がAIアニメやAI翻案に怒ってるっていう話を聞いてたから、僕のせいでメンバーに居心地悪い思いをさせてるんじゃないかって、心配になって。
でも、どう考えてもリテラ・ノヴァのAI翻案と違法AIアニメアプリを同列に扱うのは間違ってますよね!
とりとめのない愚痴メールですいません。文学の話できる人ってなかなかいないし、芸能界と関わりのない理久さんならフラットな意見を聞けるんじゃないかと思って、つい――』
歌って踊れる文学青年・平井颯人は、小山内さんが言っていた通りかなり繊細なタイプだ。相手に怒るのではなく、自分を責める。自分のしたことが周りに良くない影響を与えるのではないかと、いつも心配している。そして、それは考え過ぎだと自覚し、内面の葛藤と折り合いをつけながら前に進んでいる。
マネージャーやメンバーではなく、私に弱音を吐くのは、やはり周りを気遣ってのことなのだろう。彼を反AI派の批判の的にしたのは私だから申し訳なさもあるが、翻案契約という形で同じ船に乗った以上、私には共に前に進むことしかできない。
ハヤト君のおかげで地方からのアクセス数も、翻案生成数も増えている――そう返信すると、ひとまず安心してくれたようだった。
「世の中、難しい」
糸井部長の口癖が思わず口をついて出た。口をつけたコーヒーカップはいつの間にか空になっており、時計を確認すると店に入ってから小1時間が過ぎている。
そろそろ店を出ようと腰を浮かせた時、奥のガラス戸が開いてぞろぞろと人が出て来た。何のイベントがあったのだろうと身を乗り出すと、イベント参加者の中の、見知った顔と目が合う。相手の目が大きく見開かれ、こっちも驚きで体が強張った。
5、6人の女性に囲まれた背の高い男性は、匠真。彼はすぐ視線を逸らし、私も顔を背けて椅子に腰を下ろす。
気づかないフリをしてやり過ごそうと思い、マルット読物を再び広げてアニメの特集ページを眺めた。聞こえてくる会話から、女性たちは文章講座の生徒で、匠真が講師を務めていたようだ。
「あっ、それ、結城先生の作品も載ってますよね」
唐突に、千鳥格子のレトロなスカートを履いた女性が足を止めて、そんなふうに言った。私に話しかけたのか、それとも匠真に話しかけたのか判断がつかず、視界の端に男性の革靴を捉えながら曖昧に首をかしげる。
「ご迷惑になるから」と、匠真がやんわりと嗜めた。しかし、女性はこのブックカフェに来る本好きなら、誰でも結城を知っていると思っているようだ。
「あのう、結城先生の作品は読まれました?」
覗き込むように話しかけられ、私は仕方なく「ええ」と営業用スマイルで返した。そして椅子から立ち上がり、匠真に向かって会釈する。
「お久しぶりです、結城先生。ご迷惑かと思い、お声かけするのを躊躇ってしまいました」
カフェの一般客である私と、芥河賞作家が知り合いだということに、彼の取り巻きは驚きを隠せないようだった。
「知り合いなんです。例のAI翻案図書館にお勤めの方ですよ」
匠真が私をそう紹介すると、女性たちの目に一瞬だけ侮蔑の色が走る。
「あっ、……へえ。そうなんですね。すいませんでした。読書中にお邪魔してしまって」
「いえ、こちらこそ」
「さあさあ、行きましょう」
匠真が促すと女性たちは素直に店を出ていったが、取り残された私はどっと疲れが出て、三度椅子に座り込むことになった。
かしましい話し声はしばらく店内まで聞こえており、喧騒が収まった頃に立ち上がると、匠真がガラス戸を開けて戻ってくる。そして、私の向かいの椅子を無造作に引いて、ドスンと腰を下ろした。
「何か用でもあるんですか?」
私はつい、つっけんどんな口調になる。
「生徒さんの見送りに出ただけだ。俺の荷物はまだ奥。それにしても、『マルット読物』なんて理久にしては珍しいもの読んでるな」
「別に珍しくないでしょ。何度か購入してるし、私が普段どんな雑誌を読んでるか知らないくせに」
「平井颯人の本だろ?」
「……ねえ、どうして彼を目の敵にするの? 平井先生と匠真は全くタイプは違うけど、同じ芥河賞作家じゃない」
「作家なんてみんなライバル同士だろ。あー、……いや、今は作家のライバルはアニメに漫画にゲーム。それを生み出すAIってとこか?」
「ここで喧嘩したいの?」
「お望みなら」
「本当にもうそういうのやめてよ。価値観は合わないけど、匠真のことは嫌いになりたくないの。純粋に、結城匠真の作品を楽しみたいのよ。『山査子の回廊』すごく良かった。罪悪感と後悔と、懐古や憧憬が入り混じる感情が、幻想と現実の境目を失う終わり方とリンクしてて」
匠真は一瞬口元を引きつらせた。そのあと、動揺を隠すように視線を伏せると、「理久から感想聞かされるのなんて何年振りだ?」と皮肉めいた口調で言う。
「7年?」
別れてからの年数を答えると、彼の捻くれた笑みがさらに歪む。
「そう言えば、さっきの人たちから聞いたんだけど、AI翻案図書館、変な噂が広まってるらしいな」
「変な噂?」
「AI翻案図書館が生成した小説が予言になってるって。どっかの小説コミュニティで話題になってるらしいぞ。予言専用のAI翻案コミュニティもあるってさ」
「……嘘」
「嘘つく意味があるか?」
こんなところで匠真に会うなんて最悪な気分だったが、思わぬ収穫だった。まさか、アナログ人間・結城匠真から翻案予言の情報が得られるなんて。
「コミュニティって、Pitter?
誰でも閲覧できる?
コミュニティの名前、聞いてない?」
斜に座っていた私が突然テーブルに身を乗り出したせいで、匠真は驚いて身を引いた。私が無言でじっと答えを待っていると、渋々口を開く。
「彼女たちの話だと『AI翻案コミュニティ』っていうのがあって、そこで理久のとこで作った長編や中編を共有して、感想言い合ったりしてるらしい。自分のAI翻案小説の予言っぽい部分を教え合うのが流行ってるんだってさ。
しかし、面白いよな。彼女たち、俺の前ではAIなんてダメだって言っておきながら、AI翻案についてあれこれ話してくるんだ。一体、どれだけ詳しいんだって話だよ」
「人間のそういう二面性を描くの得意じゃない。それより、AI翻案コミュニティってどこにあるのかな?」
問いかけながら、私はすでにスマホを取り出してPitterでコミュニティ検索している。けれど何もヒットしない。
「Pitterじゃないみたい。何か聞いてない?」
「聞いてない。俺はSNSやってないし、興味ないから聞こうとも思わなかった。でも、招待制っぽいことを話してた気がする」
「招待制かあ」
「予言のこと調べてるのか?」
匠真は意外にも心配そうな眼差しを向けた。過去に引き戻された感覚になり、かすかに胸が疼く。と同時に、彼が翻案した過去へ戻る山査子の回廊と、血だらけの修道女が頭を過る。
私は気持ちを切り替え、「うん」とうなずいた。
「予言のことは数日前に知ったの。翻案予言botっていう怪しいアカウントを見つけたんだけど、目的がよくわからないのよね。そのアカウントに反応してるユーザーを探ったら、そのコミュニティにたどり着けるかな?」
「たかが予言だろ。目的なんてない、ただ遊びでやってるだけじゃないのか?」
「そうかもしれないけど、いつ制御が効かなくなるかわからないのは、AIも人も同じでしょ。あまりいい予感がしないのよね」
「それを知っててAI使ってるやつが言うセリフじゃないだろ」
煽るような匠真の言い方にうんざりし、私は「もういい」と腰を浮かせた。
「コミュニティのこと、教えてくれてありがとう。次回作も楽しみにしてますね、結城先生」
座ったままの彼を見下ろして言う。向こうはおどけるように無言で肩をすくめた。懐かしい仕草だったが、あの頃のように笑い返す気分にはならない。
レジで精算をしていると、背後から結城と店主の話し声が聞こえてきた。さっきまでとは違う年相応の丁寧な口調は、社会人としての彼の仮面。私は密かに吐息を漏らし、カフェ紡ぎを後にしたのだった。




