夢のあと
結局、どのような経緯を辿ったのか一切が終わった後に目覚めたルークスには分からなかった。だが竜王配下と都市に暮らす竜族達は、フィオナ――もとい野薔薇王に従うことにしたようだ。ルークスが体を起こした時、彼等が野薔薇王にひれ伏しているのが見えた。
竜族は本能的に自分より強者に従うという。彼等は新たな支配者を野薔薇王に決めたようだった。
レオンローズを殺したルークスをすぐに移動させた方がよいというフローダストの判断があり、即座に船へと戻された。野薔薇王と会話をする隙はなかったし、彼女がこちらを振り返ることもなかった。
船上で、僅かな間だけフローダストと話す機会を得た。
彼は数時間のうちに、多くの情報を掴んでいた。
レオンローズは竜王が身体を乗り換えた姿であり、その副産物としてルイ・ベルトールが生み出された。彼の墓から盗まれた左腕から、肉体を再生したらしい。だが当然、そこに魂はなく、レオンローズが動かしていたという。
だから此度の和平の申し出は、何年も前から周到に用意されていた罠だった。
ルークスが死んでからのこともフローダストの口から聞いた。曰く、ルイ・ベルトールがルークスの魂を守っていたらしい。だからやはり、ルークスは彼の生まれ変わりなのだと彼は言う。同じ魂を持っているのだと。
だがそう言われてもなお、実感はなかった。
微かに覚えているのは、満ち足りた感情だけだ。ルイ・ベルトールがいかなる思いでいたのかは知らないが、彼の無念は成仏されたのだろうか。
「別の出会い方をしていたというわけか」
ぽつりと、フローダストがそう言った。意図しているところは分からないが、彼はルークスを見て、微かに口の端を上げる。
「私はあの男が好きではなかったし、最後まで友人にはなれなかった。だがお前のことは、大切な友人で、家族だと思っている。そう思える今は、過去があったからだ。だから感謝したい」
正面切って言われるとこそばゆい。大切な家族で有人だと思っているのは自分もそうだが、それをまともに口にする前にルークスは話題を反らした。
「でも、野薔薇王もなんでこの大陸に来たんだろうな。彼女が来なければここまでの騒ぎにもならなかっただろうし……逆に彼女がいなければレオンローズを倒して竜族を従わせることもできなかっただろうけど」
ああ、とフローダストは神妙な表情になる。
「あの方は番の寿命をあわせる術を探しに来たのだと思う。だが既に失われてしまった魔術のようだ」
ルークスは眉を顰める。
「番はもう死んでいたのに?」
「私とミエラのためだ」
予期していなかった回答に、ルークスは反応できなかった。なら野薔薇王は、フローダストとミエラの二人ができるだけ長く一緒にいられるようにしてやりたいという親切心だけで危険極まるこの大陸にやってきたというのか。
フローダストは哀しげに微笑んだ。
「そういうお方なのだ。お優しいのだ。常に考えているのは他人の幸福だが、それを気づかせないように隠している。だから側にいたいと思う。彼女の思いやりごとお守りしたいのだ」
ルークスも彼女の姿を思い描いた。華奢で儚げでありながら、強烈な存在感を放つ様は今までであったことのない異質な存在だった。
「まあ、危なっかしくて放っておけない人だってことは、俺にもよく分かったよ」
フローダストは野薔薇王と共に西大陸に残るらしい。寿命が長い彼等がどれほどの時間をかけるのかは分からないが、この大陸を野薔薇王の支配下に統合するとのことだ。
だからこれが、別れだった。
船は出港する。
使者と従者の幾人かは西大陸に残るようだ。城に付いて来なかった者達は顛末を聞いて大層驚愕していたものの、事態を飲み込み納得し、各々の行動を決めた。
帰り道は気が楽だ。打ち解けた者も多い。帰国してからも、彼等とは親交が続くだろう。なにせ非日常を共に経験した者たちなのだから。
オルフとカリアはもちろんのこと、クロエを初めとする竜族も頻繁に船を行き来し、皆と親交を深めていた。行きとは異なる疲労感と仲間意識が周囲に広がっていた。それは驚くほど心地の良いものだった。
船が出て数日経ったある日、ルークスの乗る船に小竜の姿を見つけた。朝方の、よく晴れた凪いだ時だった。
小竜は気ままに甲板の上を気ままに歩き回っていたが、ルークスを見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。この小竜は牢にも入れられてはいなかったし、戦闘中もうまく身を隠していたようで、ルークスと共にちゃっかり船に乗り込んでいた。
「お前、実は要領がいいよな?」
しゃがみ込み首元を撫でてやると、満足げに喉を鳴らす。
「野薔薇王のところに残らなくて良かったのか?」
答えの代わりに、小竜はルークスを見つめ返す。その視線を受けて、ルークスは納得した。
「そうか、お前も独り立ちの時が来たのか」
言いながら、ルークスは立ち上がった。腰にはかつて竜殺しと呼ばれていた剣がぶら下がっていた。成り行きでそのまま持ってきてしまっていたのだ。だがここに封じられていた魂は三百年前に消え失せ、魔力もない、単なる剣に過ぎなかった。
ルークスは自分の右腕を見た。傷跡は残っている上に動きは鈍く痛みもあるものの、一度切り離されたことが信じられないほど綺麗にくっついている。背後から剣で突かれた左目も丁寧に治療され、視力には問題なかった。
一切は、戦闘開始前と何も変わらない。何もかも元通りだった。
「ルイ・ベルトールか……」
言ってから、ルークスは顔を上げた。青々として海と空の他には、水平線上にはなにもない。
ルイ・ベルトールは歴史書と劇の中にしか存在しないはずだった。だが彼は、確かに過去生きていて、皆の心に計り知れない影響を残していた。――奮い立つ勇気と絶望を。
「勝てるわけないよなぁ」
思わず小さな笑みが溢れ、小竜がそれを見上げていた。
嵐に遭遇することもなく船旅は問題なく終わり、予定通りに東大陸の港町に着く。
使者等を歓迎する人々の声が響き、温かな空気が満ちていた。
ルークスが陸地に降り立った瞬間、懐かしい大声が聞こえた。
「おにーちゃーーーん!」
見るとミエラが大きく手を振りながら、人々の間を縫うようにしてこちらに駆け寄ってくる。そうしてその勢いのまま、妹はルークスの腕の中に飛びついてきた。
同じ色の髪と目は、ルークスにとっても特別なものだ。誰よりも大切なたった一人の妹をルークスも抱きとめた。
「驚いた。来てると思わなかったよ」
あはは、と朗らかに笑いながらミエラは答える。
「待ちくたびれて、迎えに来ちゃった! フローダスト様のことは知っているよ、お兄ちゃんがここに来るより先に竜が手紙を届けてくれたから。落ち着いたら、数カ月で戻ってくるって。それかその前に、わたしを西大陸に呼び寄せるかもって言っていたよ」
フローダストのことを言う前に、ミエラはそう言ってまた笑った。一つの陰りもない妹の笑顔はルークスの心をいつだって明るく照らす。
「土産を山程買ったから、後で渡すよ」
「やった! お土産楽しみだったの。美味しいお菓子があるといいな〜」
そのまま腕を組み、迎えに来ていた城の使用人のところへと連れ立って歩いていく。歩きながら彼女は言った。
「フローダスト様も野薔薇様もいらっしゃらないから、しばらくインエットにいようかなって。たまにはお兄ちゃん孝行しないと、拗ねちゃうでしょ? お母さんのお墓参りもしたいもの、一緒に行こうね」
ああ、と頷くとミエラは不思議そうな表情をしてルークスを見上げた。
「なんだよ?」
言うと妹は柔らかく微笑んだ。
「お兄ちゃん、雰囲気変わった? ちょっと大人っぽくなったね」
――そうかな? そうだよ。
そんな会話をしながら、人々の群れの中を二人は歩いていく。インエットの使用人達が二人に駆け寄り、口々にねぎらいの言葉を発した。ルークスが大切に思っている者達だった。城に戻れば、また忙しない日常が始まる。夢から徐々に覚めていくように、ルークスは静かに元の自分へと戻っていく。
これから先、自分がどうなっていくのか、確かなことは何も分からない。己の中に未だ眠る微かな違和感が今後広がるのかどうかも、今は何も分からないままだった。これからどうなるのか、未来はまるで不確定だ。
それでもいいさ、とルークスは思う。
「なるようになるさ」
そう言って、ルークスは愛する人々の輪の中へと入っていった。




