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愛しいあなたは竜の番  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第一章 敗北者達へ捧ぐ

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逃れられぬ過去

「例の獣人、まだ付いてきているぞ」


 ジャグ・ダガーが背後も見ずにそう告げたのは、日中、馬で移動している最中のことだった。馬の列は前後に伸び、先頭を行くルイの側にはジャグの他には誰もいない。会話を聞かれる恐れはなかった。


「ああ、そうみたいだな」


 ノット・ティルティガーの白銀への忠誠がいかに強いか、これで知れるというものだ。せっかく逃げられたのだからフィオナのことなど忘れて自由に生きればいいと思うが、幼少の頃から竜人に仕えて来た彼は番を取り戻すまで後をつけることにしたらしく、往々にして機会を狙っている。

 ルイの答えに、ジャグはやや面食らったようだ。


「気づいていたのか。……このまま放って置くつもりか?」

 

 ルイが静かに頷くと、ジャグは呆れたように目を細めた。


「貴方にはそういうところがある。人を試して見定めるのが好きだ。放っておいてどうするつもりだ?」


「側を離れることがあれば、追って出方を確認するつもりだ。フィオナを逃がそうとするのであれば、再び捕獲するだけさ」


 側を離れないということは、彼は間違いなく単独行動をしており、他に、近くに白銀の家臣はいないということだ。

 フィオナの名を出した時、ジャグは初めて背後を振り返った。離れた場所にシルヴィアやヘンリーと談笑するフィオナの姿があるはずだった。再び顔を戻し、ジャグは言う。


「白銀王の番の世話を貴方がするものだと思っていたが、なぜそうしない。あの獣人が番を逃がそうとしているのなら、貴方だったらなおさら側を離れないだろう。俺が知らないうちに街でなにかあったのか?」


 ジャグは妙に鋭い。ルイは首を横に振る。


「いやなにも」


 と言いかけたが、あの時の情景を思い出しその先の言葉に詰まる。喉に空気がつかえて、胸が詰まりそうだった。


「雷で――」


 溜め込んだ水が桶の縁から溢れるように、すでに限界が近い。掠れる声で、ルイは愚かな告白をした。


「雷で、打たれたのかと思った。彼女に触れた瞬間だ。フィオナが危険を冒して街に入り込み、私の無事を確認して、安堵の表情を浮かべた時、抗い難い衝動が生じた。怒りのまま、彼女を破壊したいと思った。そうしてそう思った自分が恐ろしかった」


 言葉にすると止まらなかった。

 柔らかな肌に触れ、彼女の匂いが鼻腔をかすめた時、ルイは金縛りにあったかのように動けなくなった。


(あの瞬間、俺の心は復讐を忘れていた)


 激しく自分を恥じていた。聞いたジャグは、有鱗族特有の黄緑色の目を驚いたように見開く。


「そりゃ……」

 

 次にジャグが言いたいことが分かるような気がしていたが、言いかけた言葉が確信に変わる前に、ルイは遮った。


「彼女に近づくのは危険だ。私は自分を見失うわけにはいかない。必要がない限りは、側には寄らない」

 

 それから、こうも付け足した。


「聞かなかったことにしてくれ。二度と言わないから」


 余計なことを口走ったのは、幼少期より知るジャグが相手だからだろうか。


(このところ、俺の頭はどうかしている)


 普段だったらこんなこと、口が裂けても言わない。抱え込んできたものを思えば、言えるはずもないことだ。

 ジャグはしばしの間何かを言いたげにルイを見つめていたが、やがて静かにこう言った。



「――――――様」



 予期せず呼ばれた名に、ルイは固まる。


 馬だけは間抜けにも進行を続け、馬上でルイは返答もできないままジャグを見つめ続けた。その名がルイの心に破滅的な感情の渦を生じさせるということを、ジャグは知っているのだろうか。 


 脳裏に懐かしい記憶が蘇る。


 ――貴方に愛する人はいますか? そう問いかけてきた、美しい少女の姿が蘇る。女神を愛し、この世は美しく、平和こそ真実だと思い込んでいた純粋な少年の姿が蘇る。もう全て、過去のものだ。


「……彼は死んだ。もうどこにもいない」


 ルイは静かにそう答えたが、ジャグは逃がしてはくれなかった。


「貴方は、フィオナ・ラインとよく話し込んでおられた。だから俺は今のフィオナを見た時、貴方が壊れてしまうのではないかと思った。貴方にとって彼女との思い出は、懐かしさとともに、憎しみと恐怖と絶望を駆り立てるものだろうから」

 

 駆り立てられるのは、それだけではなかった。自らの愚かさ――それもまた、同時に思い出す。フィオナがルイを見上げて瞳を揺らす度に、ルイの中に積もるのは激しい感情の澱だった。


 王国名がそのまま王族の名になった、栄華を極めたルカリヨン王国。無謀にも竜族に戦争を挑み、自惚れのまま悲劇の底に沈んでいった祖国。

 竜族が国を滅ぼしにきた姿は今でも思い出せる。押していた戦況は見事に崩れ、徐々に迫る彼等の姿に、幼いルイは恐怖した。国土は焼かれ焦土と化し、人々もまた豪火に包まれ死んでいった。


 生き残ったルイは異国へと逃れ、貴族によって保護された。以来、名と身分を変え、生きてきた。

 ルイが女神に祈らなくなってから久しい。自らを信じた純真な少年に、女神は裏切りを働いた。家を奪い、家族を奪い、希望と祈りを絶望に塗り替えたのだ。


「貴方は貴方の幸福を追い求めても良い。それこそがご両親のお望みであらせられました」


 ジャグと再会したのは随分と後になってからだが、変わらぬ忠誠を誓っている。そのジャグが、心の底からルイを案じていることは知っていた。だが、いくら名を変えたところで、過去は捨てられない。


「……私の幸福は国の仇を取ることだけだ。憎しみを忘れ、復讐を果たさずのうのうと生きるなど屍と同じだ。そんな生き方を、私は私に許せない」


 絶望のまま死んでいった同胞の姿がまだ脳裏に焼き付いている。竜をなんとしてでも破滅へと追い込むべく、復讐を剣に託し、命を捧げた同志もいる。

 それを忘れて自分だけの幸福を追い求めることなどできるはずがなかった。


「ジャグ。すまないが、もう少しだけ付き合ってくれ」


 ――白銀を殺すか、それより先に、俺の命が尽きるまで。

 ルイにジャグは憐れむような視線を向けたが、それ以上は何も言わなかった。



 道程は順調に進んでいった。一行が公国領地の都市にたどり着いたのは、街を出てから十四日後のことだった。

 公国を支配するのは同名を冠する公爵一族であり、この都市に住んでいる。都市はぐるりと城壁に囲まれており、東西南北に門があった。


 城壁を見ながら、フィオナが呟く声が聞こえた。


「なんだか、物々しい街……」


 彼女がそう思うのも当然で、城門の前にも上にも武装した兵士がいて、城壁の上には空に向いた大弓があり、曇天の空模様も相まって重い空気が支配していた。

 聞いていたジャグが言う。


「城塞都市だからな。交易の拠点になっていた時期もあったが、今は閉ざされ、敵の襲撃に備えている」


「前世で知っているのは、領地と王都と、天空の城だけでした。王都はそれなりに栄えていましたけれど、また雰囲気が違うように感じます」

 

 ルイは二人の会話を聞いていた。固い雰囲気の中でさえ、フィオナの声は透き通っていて、耳から入り毒のように心の中を侵食する。


「君の知っていた頃のルカリヨン王国は親竜派の王だった。あの時はまだ、街も開かれ、活気に満ちていたはずだ」


「どうしてルカリヨンの王様は、平和を破ってまで反竜を掲げたのですか?」


 自由のためだ、と彼女の問いを聞いたルイは思った。

 帝国からの支配を抜け出すという自由を夢見たために、当時の王は反竜を掲げ、そうして国ごと心中した。だがその夢を、今も引き継ぐ者がいる。

 滅亡国家と同じ行く末を辿ろうとも、止まれない者達がいるのだ。


「さあな、俺には為政者の考えなど分からん」


 ジャグは無難にそう答えていた。




 城壁を守る兵士に公爵との面会を依頼すると、待たされた後に許可が降りたため、皆で街へと入っていく。


 公国の中心地に位置するこの街はかつての交易路上に建設されたことから、平和な時代においては大層栄えていたと聞くが、ルイが知るのは既に城塞都市として敵の襲撃に備えるため城壁に囲まれた無骨な姿だった。


 敵というのは無論、竜族のことだ。


 連邦国に加盟するさる国の貴族であったトリデシュタインの一族は、竜族との戦争の際に著しい功績を上げ、この公国を貰い受けることとなった。実際は連邦が新竜派より奪った土地の見張りも兼ねている。

 近隣を親竜派の国に囲まれた中で、この公国は反竜派を掲げる数少ない国であり、飛地のような立地ゆえに周囲からの孤立は凄まじかった。


 トリデシュタイン公爵は街の心臓部に城を構えていた。この地で採掘される石は堅牢であり、城壁も城もそれで造られている。

 公爵に軍を借り、フィオナを取り戻しに来た白銀を迎え撃つのがルイの交渉の目的だった。



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