魔術を教わる
今までの暮らしでは考えられなかったが、鳥や虫の声も風の音も、慣れれば心地の良いもので、フィオナは森の中で寝泊まりすることにすっかり馴染んでいた。
ギルバートがフィオナに声をかけてきたのは、旅が続いたある日、野宿のために支度をしている時だった。
その日は天気が優れずに、夜中に雨が大降りになりそうだということで、夕方頃からテントの設営を始めていた。
こういう時は一番年下のヘンリーが最も張り切って準備をするが、フィオナも役立たずと思われたくない一心で、一緒に手を動かす。テントは三つあり、フィオナはシルヴィアと眠ることになる。
そうして布を骨組みに被せている時に、背後から声をかけられた。
「その人工精霊、出来損ないと言うが見せてもらってもいいか」
フィオナの側を常に漂っているルミナシウスを指さして、ギルバートはそう言った。
頷いて彼に手渡すと、興味深そうに眉間に皺を寄せ、口ひげを撫でる。
「普通、この手の物は特定の空間で働くが、こいつはあの塔を出てあんたにぴったりくっついているんで気になったが……確かに魔術が不完全な出来損ないだな。単なる失敗作か」
そう言うと、興味が失せたのかルミナシウスを宙に放った。
ギルバートは魔術の才能を買われてルイの隊に抜擢されたのだとシルヴィアが前に教えてくれた。年は二十八歳らしく、無骨な兵士然としている人だった。
「この子、感情があるみたいに思うんです」
魔術に詳しい彼ならこの子に心があると気づいてくれるかもしれない、と思いながらフィオナは言ったが、はん、と鼻で笑われただけだった。
「道具に感情はない。あるように見えるのは、お嬢ちゃんがそう投影しているからだろう」
宙に放たれたルミナシウスは、無言で青白い光を弱々しく放っている。「ところでフィオナ嬢」とギルバートは言う。
「用事はもう一つある。あんたの魔力を確認したいんだ」
「わたしの魔力を?」
街で一度使ったため、フィオナに魔術が使えるということは知られている。ああ、とギルバートは頷いた。
「団長からの命令で、適正があれば道すがら訓練しろとな」
フィオナは思わずルイに目を向けたが、ジャグと話し込んでいる彼がこちらに目を向けることはない。ギルバートは言う。
「とりあえず、全力であの木に向かって魔術を使ってみろ」
言われた方向を見ると、樹齢数百年は超えていそうな広葉樹があった。
はい、と答えてフィオナは両手を前方に翳し、言われた通りに魔術を放つ。
魔術は自己流だった。教わる機会などなかったためだ。
フィオナの両手から放たれた魔法はでたらめな質量で前方の大木どころか周囲の木々まで轟音を立ててなぎ倒す。
銘々の行動をしていた隊の面々が、唖然とフィオナが放った魔術の跡に目を向ける。
……やりすぎたかもしれない。
フィオナの前方の地面は放射状にえぐれ、倒れた木から鳥たちが悲鳴を上げて飛び立っていった。
ゆっくりと、ギルバートがルイを振り返る。
「……団長、これは凄まじい威力だ」
「……見れば分かる」
ルイも、顔を引きつらせてそう答えた。
「なぜ白銀王は、貴女の魔術を鍛えなかったのですか?」
魔術を使ったフィオナに対して、ルイはそう尋ねたが、理路整然とした説明はできなかった。
生きとし生けるものすべてに魔力は通っているが、それを魔術として表現できる者とできない者がいる。
フィオナは魔術が使えるが、前世で魔術を使っていた者のやり方を思い出し真似ただけの無様なものだ。なぜなら白銀は、フィオナに魔術を教えてくれなかった。
それは前世の自分に魔術が使えなかったからではないかとフィオナは考えていた。
(白銀様は、前世のわたしと異なる部分がお嫌いだもの)
直接言われたことはないが、おそらくそうだ。
塔の中の生活で、使う必要もなかったということもあるものの、だからフィオナも魔術を使わなかった。
しかし今の道中では、魔術が使えた方がいいとルイは言う。いつ敵に襲われるか分からないから、自衛のためだ。フィオナも同意見だった。
(それに、自衛だけじゃなくて、街のときみたいに、ルイ様やみんなを守れるかもしれないわ)
フィオナを塔から連れ出す時に、ルイの部下が二人亡くなっている。その時は何も思わなかったフィオナだったが、今こうして関わる彼等の誰にも、死んでほしくはなかった。
だからフィオナは道すがら、時間のあるときに隊の中で一番魔術が得意だというギルバートに魔術を習うことになった。だが情けないことにフィオナの魔術は素人同然で、彼は教えるのに随分と苦労しているようだ。
それでも魔術を学べるということは新鮮で楽しいものだった。早急に学んだのは攻撃と治癒の魔術だ。
攻撃の魔術は、魔法陣に込める力によっても、魔法陣を形作る魔法文字によっても威力を変えることができ、がむしゃらにやったらフィオナの魔術は強すぎて、攻撃しなくてもいい場所まで攻撃してしまうため、焦点に集中させろと言われた。これが中々難しく、フィオナは苦戦し続けた。
治癒の魔術はそれよりも簡単だった。「出力する魔力がでかすぎて無駄が多いが、でかい傷も治せると思えばまあいいだろう」と、ギルバートは言う。傷が大きければ大きいほど、治すにも大きな魔力が必要になる。だが魂が消えかかるほどの致命傷は癒せないようだ。
「貴女がそんなに大きな傷を負うとは思いませんから、深く考える必要はないですよ」
と、ルイはそう言った。
他にも火をおこすことや、空中の水蒸気を集めて水を作ることなど、生活に必要な魔術をいくつか教わる。
新しいことは楽しくて、心が弾んでいた。
「白銀王ももったいないことをしやがるな、きちんと教えていたらこうはならなかっただろうに。あんたの使う魔術式は無茶苦茶だ。せっかく魔力が強いのに、魔法陣さえ真っ当に描けないようじゃ才能の持ち腐れだぜ。ルイ・ベルトールじゃねえんだから」
ギルバートにそう言われたのは移動中、馬上でのことで、並んで馬に乗りながら魔術を習っているときだった。
ルイの提案でフィオナも乗馬を教わり、少しの移動なら問題なく乗れるようになっていた。
魔術は明確な式によって成り立っていて、それを空中に出現させた魔法陣により火や水、攻撃や防御となるということは知っていたが、フィオナができるのは単に力を放つだけの単純な魔術だ。式も自己流で、しかもその式は壊れていて使い物にはならないとギルバートは言いたいらしい。
だがフィオナが気になったのは、最後の一言だった。
「ルイ様にも魔術が使えるのですか?」
今までルイが魔術を使ったことはなかった。神妙にギルバートは頷いた。
「もったいねえとは思うぜ。団長の魔力をまっとうに生かせば今頃、俺なんて足元にも及ばないほどの有数の魔術師になれただろうに。剣を扱うために全ての魔力を使っちまって、魔術の方は今じゃさっぱりだ」
「剣……」
前方にいるルイにフィオナは目を向けた。
彼の腰に下げられている剣は、異様な気配を放っている。あの剣を見る度に、フィオナのことを殺したがっているような気がしてならなかった。
「あれは相当な魔力を食らう魔剣だから、扱い手も莫大な魔力を持ってなきゃならん。だがそうすると、他に回せる魔力がねえんだ」
「そんなに大きな代償を払ってあの剣を?」
フィオナの問いに、ギルバートは乾いた笑いを発する。
「あの男の狂気はそれだけじゃない。生き残った者の責任だとか抜かして、魔剣鋳造の際に生贄として捧げられた奴らの記憶を全て頭に移植した。九九九人分の記憶とともにあの男は生きている」
口調は皮肉めいていたものの、ギルバートの表情には、ルイへの尊敬が潜んでいる。
「ほ、他の人の記憶が入れられるなんてことができるのですか……?」
「死んだばかりの遺体にはまだ記憶が残っているから、魔術次第では可能らしいぜ。やろうとは思わないが。気が触れずにいられるのは、もう狂っているせいかもな」
それほどまでの覚悟を持って、剣を握る人がいるなどフィオナには信じられなかった。
(ルイ様は、一体どうしてそんな剣を持っているのかしら)
ギルバートは、フィオナの反応を楽しむようにさらに言った。
「代償は魔力だけじゃないぜ。あの剣は、持ち主の体を蝕み、命を喰らっている。使うほどに、死に近づいているってわけだ」
「どうしてそんな剣を使うんです!」
衝撃を受けてそう言ったが、ギルバートは実に端的に答えただけだった。
「長生きするつもりもねえんだろ」




