負けるのか
九回表の逆転劇はあったものの、柳はそれ以上の失点を重ねることなく、四対五のまま試合は裏の攻撃へと進んでいった。
五点もの点数を奪えたことへの達成感はあった。
しかし、結局試合に勝たねば何の意味もない。
この九回裏は、相手に同点に追いつかれるわけにはいかなかった。
炎天下の中、スクランブルで三回から登板した前川は、相手の打線を登板初回以降は無失点に封じ続けていたが、ここに来て明らかに疲労の色が見え始めていた。
「ボール。フォアボール」
先頭打者を四球で出塁させた前川は、気だるそうに帽子を一旦脱いで、汗を拭った。
伝令係も、内野陣も、まだ前川には駈け寄らなかった。
「落ち着いていけよ」
キャッチャーの平泉先輩が前川にボールを返球しながら声をかけていた。
前川は頷きはするものの、球はどこか上擦っていた。
ノーアウトランナー一塁からの打者は、高めの甘いストレートを捉えたが、運よくライトの正面に打球が飛んだことでアウト。
一瞬、ヒヤッとする当たりだった。
そして、続くバッターの打球は、三遊間、俺の隣を抜くヒットとなった。ワンアウト一、二塁。
ベンチが慌ただしくなっていた。
内野陣も、マウンド周辺に集まっていた。
「落ち着いて投げろよ」
吉村先輩が前川に声をかけた。
前川は力なく頷きながら、汗を拭っていた。
ふと、前川の視線が俺に向けられた。他内野陣の視線も俺に向けられていた。
俺は、
「負けるのか?」
前川に言った。
途端、前川はムッとした顔をして、唇を尖らせた。
「負けねえよ」
前川の俺への文句は、続いた。
「負けねえ。柳にも、相手打線にも。
新井にも、お前にも」
気だるげに見えた前川に、活力が再び溢れたように見えた。
内野陣は、少しだけ安心したように定位置に散っていった。
そこからの前川の投球は、威力を少しだけ取り戻した。ストレートとスライダーでカウントを稼いで、フォークで三振を取る。
その鉄板パターンで、ツーアウトまで漕ぎつけたのだった。
ツーアウトピンチでの最終バッターは、相手の四番、柳だった。
初球、二球目と、前川はスライダーをアウトコースのゾーンに出し入れした。カウントは、ワンボールワンストライク。
相も変わらず、前川は勝気な性格をしている割に、クレバーな投球術を披露していた。
前川の三球目のストレートは、アウトコースに見事にコントロールさせた素晴らしい球だった。
カキィン!
しかし、さすがは柳だった。
狙い澄ましたように、腕を伸ばして、痛打した打球は、再び三遊間を襲った。
俺は打球に飛び込んで、鋭い打球に飛びついた。
砂埃が舞う中、二塁審が近づいてきたことに気付いた俺は、グラブを掲げてボールを掴んだことをアピールした。
「アウトー」
歓声とどよめきと安堵のため息が聞こえた。
立ち上がって整列に向かうと、不服そうな前川を見つけた。
「なんだよ」
「……納得いかん」
「抜かせとけば良かったのか?」
「そうじゃない。だけど、討ち取りたかった」
不服そうに俯いた前川に、俺は微笑んだ。
「じゃあ、決勝でそうしてくれ」
「……うるさい」
前川とハイタッチして、俺達は整列に向かった。
試合終わり、歓声に包まれながら味方観戦席に向けて、挨拶をした。
その時、速水と目が遭った。
速水は、なんだか誇らしげなように、俺に小さく手を振っていた。
「ありがとうございましたー」
挨拶を終わらせて、ベンチに引きあがる直前、俺は速水に向けて、他の誰にも見えないようにVサインを見せて、微笑んだ。
* * *
試合終わり、続いて試合をする及川率いる首都第一の試合を、俺達は観客席から観戦していた。
「はええ」
誰かが呆れるように呟いていた。
相も変わらず、及川のストレートは並み居るバッターを一ひねりできるくらい、高威力のバズーカ砲のような球だった。
「攻略するにはどうすればいいかだな」
新井が言った。
「ストレートとチェンジアップのコンビネーションが、練習試合の時より効果的になっている気がする」
俺は返事をした。
「確かに、チェンジアップが高めに浮いたような、そんな空振り方を誰もしてない」
相手校の打者は皆、腰を折りながら、低めのボールにバットが届かないと語るような空振りを繰り返していた。
「というか、チェンジアップであんだけ空振り奪ってる時点で、ありゃあ相当の落差があるんだろう」
「コントロールも抜け目なし。落差も抜け目なし。なのに、腕の振りが緩んでる感じはないな」
「高校野球雑誌で語ってたけど、チェンジアップの握り、大会直前で変えたらしいぞ。所謂オッケーボールから、フォークみたいな握りに変えたらしい」
前川が口を挟んだ。
「それが嵌ってしまった、と」
「なんだよそれ、無敵じゃん」
少なくとも、今のあいつは高校生程度では太刀打ちできるピッチャーではないだろう。
「じゃあ、お前が無失点に抑えるしかないな」
「簡単に言うな」
新井の軽口に前川が文句を言ったタイミングで、首都第一の四番バッターの打球がバックスクリーンまで飛んでいった。
「……四番サードの宮崎。今年二年生なのに、全国で注目されている長距離砲だ」
「そういえばお前、あの人に練習試合で二本塁打浴びてたな」
俺は笑った。
「……投手はプロ級。四番も全国区。どうやって勝てばいいんだろうな」
新井が弱気に呟いた。
「それを、これから試合までに探すんだろう。負ける気なんて、俺は毛頭ないぞ」
俺は強気に言い放った。




