811~820
811.
雨の向こうから、どんちゃん騒ぎする音が聞こえる。隼が音のする場所を探していると、カーテンを細く開けた鶺鴒がニコニコ手招きする。覗くと、庭の無駄に立派な池が異様に明るい。テレビの音がかき消される程の雨に乱される水面に、煌々と金色の満月が映し出されていた。
812.
月が地球に近いから、夜道が明るい。昼間に降った雨に濡れたアスファルトに光る道ができている。少し猫背の鶺鴒が、影を引きずりながら月色の道を家路に向かう。俯きがちに歩いていた鶺鴒が不意に顔をあげた。まんまるい月の影が、卵の中の嬰児のようにぐるりんずるりと泳いでいた。
813.
「頼むよ隼」笑顔の鶺鴒は、腕に生首を抱いている。足元にもいくつかころころ転がっている。期待の眼差しが隼に注がれ…隼は折れた。折れるしかない。そして深夜のバスケコートで生首をシュートし続けるという怖過ぎる光景が生まれた。自力ではなく人の手で、というのが重要らしい。
814.
家の中で消えた小物は、いったいどこへ行ったのだろうか。大半は誤って捨てているのだろう。あるいは狭い隙間や動かさない家具の裏に落ちている。だが今使っていたペンがないのはどうしてだ。隼が腕組みしていると「悪い、借りてた」抽斗からひょいと出た腕がペンを机の上に置いた。
815.
鶺鴒が公園を駆けずり回っていた。珍しいこともあるものだと、肉まんを食べながら眺めていた薔薇は気づく。夏よりもすこし柔らかくなった長い影を、鶺鴒の靴が踏む。影踏みをしているのだ。踏まれた影が動きだす。鶺鴒以外は、鬼ごっこなのかもしれない。
816.
妖怪が鶺鴒を訪ねてきた。もぉだいぶ慣れたもので、薔薇などお茶とお茶菓子を出している。隼は努めて意識せずTVゲームをしている。縁側に腰かけた猿に似た物の怪はふうと溜息。「昨今の人間の心は聞いてる方が辛いねえ。でもそれでも生きてる人間は、やっぱり強い生き物だねえ」
817.
ドンッと壁を叩く音。ソファでゲームをしていた薔薇は顔を上げ―困惑した。部屋の壁に背中を張り付けた鶺鴒が照れてる。すごい照れてる。顔は耳まで真っ赤だし、目を逸らしたり上目遣いになったり。「…何してんの?」「あ、あの今流行りの…え?壁ぎゅうって?いややらなくていい!」
818.
母が子どもの頃、蓑虫という蛾の幼虫がたくさんいて、蓑を丁寧に剥き、毛糸や細切りの色紙を与えて綺麗な蓑虫を作ったという話を聞いた。薔薇は自分の眼で蓑虫を見たことはない。けれど古家の軒にぶら下がる黒い髪の毛で指や白い骨を束ねた小さな巣に棲むものは蛾ではないだろう。
819.
スマホを見ながら歩く人とぶつかり、鶺鴒はげほっと咽た。相手は謝るどころか一瞥もくれずに歩き続ける。薔薇は怒気の籠った視線を向け―空間にぱっくり開いた黒い亀裂に真っ直ぐ入るのを見た。亀裂が閉じる瞬間、複数の笑い声。兄が腕を引く。「前を見て歩かないとダメだよ」
820.
庭で大豊作の葡萄を薔薇が籠いっぱいに摘んできた。豪快に水洗いして、水滴のついた立派な葡萄を何房かテーブルに置く。兄弟妹で仲良く食べ始め…鶺鴒が苦笑い。「ちゃんと洗った?」「うん」「虫?」「気にしないで」鶺鴒が摘んだ見えないナニカを投げると猫が猛然と飛びかかった。




