それは突然訪れて(1)
はじめまして、菜乃晴斗です。
異世界モノを初めて書きます、よろしくお願いします。
——現在地:日本——
男は絶望していた。
どうにもならない人生とやり直しのきかない後悔に苛まれていた。
男は小説家を目指していたが、文才に恵まれずその道を断った。
その結果が「これ」だ。
親からの多額の支援もありながら目指した何年もの道を、無難な就職という道で上書きする。
書き溜めた書記は全てゴミ箱に捨てる。
そうして半ば強制的に殺した己の心にも、パタリと蓋は閉めた。
男は文章を書くという作業とは程遠い、会話でお金を稼ぐ営業職に配属された。
これっぽっちも楽しいと思わないまま、生活のため、と自己暗示を重ねる。
目の前の顧客に愛想を振りまき、気に入られるためにあれこれ思索する。
夜に一度寝たと思えば、嫌いな朝は必ずやってくる。
机のPCは、もう3年ほどろくに触っていない。
台所下の棚に入れておいた袋入りのクリームパン1つを朝ご飯と呼び、出社をする。
そんな毎日。ありふれた普通のサラリーマン。
ただ、今日はなぜだかいい日になる気がした。
特になにかめでたいことがあるわけではない。なんてことのない出勤日。
気がしただけだ。特別なことが起こるわけでもない。
しかし、些末な理由でも人間は生きる活力を得られる。
心なしか身体も軽い。目の下の隈もいつもよりは少し薄くなったように感じる。
普段通る往路もどこか華やいで見える。
今日は、「何かが違う」
思わず独り言が口に出てしまうほど、僕はハイになっていた。
——現在地:???——
途端に目の前が真っ暗になる。ただ一人、その空間に見知らぬ女性が立っている。
意識はハッキリとしている。身体の感覚は…、無い。
朝食べたクリームパンの味もビル街の匂いも覚えていない。
「ここはどこだ」
両耳は使える。目も見える。
目の前の白いドレスのようなものを着た美人がなにか話そうとしている。
「※?&%q々」
どうやら言語は通じない。会話は不可能なようだ。
それにしても、こんな非常事態にも妙に落ち着いている。営業でクレーム対応に適応してきた成長の証だろうか。
さて、会社にはなんと弁明しようか。
『瞬きしていたら異国の女性に拉致された』
うん、信じてもらえるわけがないな。改めて口にすると、僕が部下に同じことを言われても思わず頭を心配するレベルのデタラメだ。
「&♪#…本語ってどのチャンネルよ。あ!これねこれ!」
目の前の女性が急に耳なじみのある言葉を話す。もしやすると、とんでもないマルチリンガルの方なのかもしれない。
「あなたね。死んだのよ」
と思えば、えらくあっさりモラルに欠けた冗談を吐いてくる。コミュニケーションというものを知らないのか。
第一印象は最悪だった。
「お嬢さん、どこの生まれかは存じないがそういう失礼なことは他人に言うべきではないよ。僕は忙しくてね、仕事に行かないといけないんだ」
これでいい。できる限り愛想よく返答したつもりだ。彼女はろくな教育を受けていないのだろう。僕に面倒ごとを押し付けられようと、社畜がゆえ断る以外の選択肢は持ち合わせていない。
彼女を背に出口を探し始めると、静かな空間で彼女の息を吸う声が聞こえた。
「芥田圭吾。26歳営業職。7月6日生まれ。趣味は読書で、好きなものはバターいっぱいの食パン。違った?」
疑念を敵意に変えるに彼女の言葉では十分だった。見知らぬ人に自分の個人情報が一部とはいえ漏洩しているんだ。
「君は何者だ?」
「その反応を見る限り、転送は成功ね。私はね、あなたのことならなんでも分かるのよ!女神だから」
「なんだ?女神様になりきったつもりか?犯罪者のくせに」
「犯罪者!?あ、あなた、どういう思考回路したら私が犯罪者になるのよ!」
「拉致の時点で十分犯罪者だろ!なにが”転送”だよ。その個人情報もどこから提供があった?黒幕もまとめて警察にぶちこんでやる」
喋りながら携帯を取り出そうと、腿のポケットに手を伸ばそうとしたが、すり抜けて地面に指先が付いてしまった。
熱くなって忘れていたが、身体の感覚はこいつに奪われていた。
「あのねぇ。死んだあとに警察なんていないし、あなたが探しているスマートフォン?だっけ。も、現世に残しているのよ。何度でも言うわ。あなたは死んだの。亡くなったの」
本当はずっと彼女の最初の言葉が脳裏をよぎっていた。口論をしている時も、自分が死んでしまっていたら、と一瞬おぞましい想像をしてしまった。
あまりにも超常現象であるこの状況に難癖をつけようとしたが、事件と思い込むにも理屈が強引になる。
また、考えまいと会話でごまかしたが、この世の女性というには顔が良すぎる。
見れば見るほどライトノベルの挿絵で見たことのあるような女神っぽい風貌をしている。
アニメや漫画の世界ではこれがカワイイと言われる人物なのだろうし、こんな場所でなければ一目ぼれしていたやもしれない。
仕方がない、彼女の言葉に適応する以外に現状を理解する手立てがない。深くため息をつく。
「死因は」
天災か、事件に巻き込まれたか、車にでも轢かれたか。一瞬でぽっくり逝ったんだ。単純に好奇心で訊いた。
「過労死みたいね。ご愁傷様」
「いやいや、ご冗談を」
「過労死舐めちゃいけないわよ。ホモの身体の許容量はそれほど多くないの。あなた、無理してたんでしょ?」
「いや、別に舐めちゃなんか…。んあ?ホモじゃないぞ、僕は」
「え?あなた人間でしょ?」
「人間だけど、ホモではない。ノンケだ。どんな偏見を持ってるんだ」
自称女神様は目を丸くして固まると、すぐに吹き出すように笑い出した。
僕がなにか変な勘違いをしたのか、と心配になるぐらいに腹を抱えて彼女は笑い出す。
「ちょっと」
「あぁ、ハハハッ!ごめんごめん…、ホモってのはホモサピエンスのことでヒトを意味するのよ。そういやそんな意味もあっ…プハァッ!アハハハハ!!」
せっかくの美人が台無しになるほど口を開けて下品に笑う失礼なやつだ。やっぱりこいつは嫌いかもしれない。
「さて、何が望みだ?僕に何かしてほしいからここに呼び出したんだろ?それとも、天国にそのまま通してでもくれるのか?」
「ああ、ホm…じゃない。人間の死生観は六道のものもあったわね。残念ながら、ここはそういう場所じゃないわ」
またホモって言いかけた。
それはさておき、何かとんでもない面倒ごとを頼まれそうな気配が強まる。いい予感ならまだしも、こういう悪い予感をなぜか外したことがない。
そして、それは突然訪れた最悪かつ最高の日となる。
「あなたには”異世界”に行ってもらいたいの。そして、そこでの記録を一生分懸けてお願いしたいの」




