第十七章 セルラートの森
ソウルは襤褸い外観のレイアーズの家から出てきた。
「準備はできたか?」
旅装らしい荷物も持たず、見た目には手に持つ一つない気軽な姿でレイアーズはソウルに声を掛ける。
勿論、荷物の類は全て≪シュルノウ≫で収納してある。
「ああ。用事も済んだ。」
ソウルが再びクルストス家に訪れていたのはハウラーへの用事。
それも今済んだ。
「んじゃま、行きますか。」
そしてレイアーズがソウルを先導してストラートの町の大通りを歩く。
一応は商人達で盛んではいるが、しかしその空気は国王暗殺と言う巨大な事件についての根も葉もない噂話で埋め尽くされていた。
「最後に買っておく物とかあるか?」
当然、それらの噂話はカイやバルアを悪く言う物ばかりで、ソウルが気を使ってレイアーズに話しかけた。
「ん〜干し肉とか、その他携帯食料の類は充分用意したし、武器も補充してある。不安があるとすれば魔力補給の手段だけど、それはストラートじゃちょいと無理だよな。」
当のレイアーズは特段気にしている風もなくソウルの問いに答える。
「エーテルか。俺が少し持っているからそれでいいだろう。」
魔力を補給できる結晶、通称『エーテル』。
飲み込むことで体内に溶け、魔力を充満させる事の出来る道具だ。
ただ、希少であり非常に高価なその秘薬はそこらの市場に売られている様な物ではない。
買おうと思えば城下町ウレ級の大きな町にある秘薬の専門店くらいでしか手に入らない。
稀だが自然物として採取できる事があり、ソウルが持っているのはそれである。
「準備がいいねぇ。少し分けてくれ。」
「ほらよ。」
ソウルが≪シュルノウ≫の空間から半透明に煌めく指先程度の結晶をいくつかレイアーズに投げ渡す。
「どうも。」
レイアーズはそれを受け取って自らの≪シュルノウ≫の空間に放り込んだ。
「よし。では改めて、行くか。」
「ああ。」
ソウルは短く答える。
ストラートの町の出口の門では既にフィルも、そしてクライスとハリアも待っていた。
☆
ヒムリャ公国は地図上ではスノフメルに属する事になっているが、実際はレーガスとを股に掛ける大国である。
そのため、入国のための関所も各地に設けられ、検査の甘い関所もあって比較的入国は容易い。
その一つ、警備に立つ門兵が二人しかいないその場所に二人はいた。
「結局、こうなったか・・・」
「そうぼやくなよ。こうして『鋼仙の蓮玉』はこっちの手の中にあるんだからさ。」
二人の体格は対照的。
一人は大柄、一人は痩身。
そうバルアとカイだ。
「何者だ!」
二人の存在に気付いた門兵が槍を構えながら強い口調で問い掛ける。
「何者だろうと関係無い。通せ。」
それに対し、カイは短い言葉で要求を述べた。
「それはできない。国王暗殺の事件によって現在ウレ王国からの出国は全面禁止されている。」
そのカイの要求に対し、門兵は自らの役目を全うすべく、この門を通す訳にはいかない事情を告げた。
「関係無い。通さないと言うならば・・・」
カイの殺気を孕んだ声音に門兵二人は思わず戦慄した。
「殺してでも通る。」
「・・・」
そしてカイは腰の剣を抜いた。
バルアは何も言わない。
「貴様!」
それでも門兵は自らが使命を全うすべく槍を構え、迎撃態勢をとる。
その瞬間には最早全ては決していたが。
-ドサッ-
呻き声すら上げることなく門兵はその場に倒れた。
「遅すぎるな。道理で出し抜かれるわけだ。」
「チッ。」
「それにしても優しいじゃないか、カイ。生きてるぜ?」
「むやみに殺す事も無い。通れればいいんだからな。」
「そりゃそうだ。」
そうしてカイとバルアは国境を超える。
ウレ王国最強の二人の背中は少しずつ小さくなっていった。
☆
「ここを通るの?」
「そうだよハリア。この道がヒムリャ公国へ行く最短の道程なんだよ。」
ストラートの町から北へ行くと少し大きめの森がある。
セルラートの森と呼ばれるそこは盗賊が跋扈し、危険な生物も数多く生息する危険な森だが、そこを越えて少し行けばすぐにヒムリャ公国の国境があるという事で無理をしてでも通ろうとする商人などは多い。
「そんなこと知ってるわよ!でも本当にここを通らないと追いつけないの?」
「恐らくだけど、カイとバルアはあの城下町から東に行った先にある国境からヒムリャに入ったと思うんだ。それを真っ直ぐ追いかけてもきっと追いつけないからさ。」
セルラートの森を通らねばならない理由はクライスが説明してくれているが、どうにもハリアは納得していない様子。
「でも・・・」
「もしかしてハリア・・・怖いの?」
「そんな!そんな・・・」
「やっぱりね。大丈夫だよハリア。僕が付いてるから。」
森全体から不気味な雰囲気が立ち上り、特別臆病な人間でなくとも尻込みするほどにセルラートの森は恐ろしい異様な気配を放っている。
「意外だな。」
「そうだねぇ。」
ソウルもクライスもなかなか二の足を踏めずにいたのだが、それ以上に怯えた様子を見せるハリアのお陰で若干震えが解消された。
「さて、行くか。」
フィルの一言を切欠に五人は森の中へ足を踏み出した。
☆
-ジャシャァ!!-
何もない場所にただ咲いているだけに見えた花が突然牙を剥き出してハリアに向かって吠えた。
「ヒッ!」
「大丈夫ハリア。ただのラファンだよ。」
咄嗟にクライスの腕にしがみ付くも、クライスは落ち着いた仕草でハリアを諭す。
ハリアに向かって吠えたのは『ラファン』という植物型のモンスター。
凶暴な見かけに騙されやすいが特別害の無い生物。
ただ葉には毒があり、食用にはならない。
「確かに不気味だ。」
「不安がるのも無理はないな。」
圧倒的なまでに成長した木々の枝葉は天を覆い隠し、まだ日中だというのに森の中は薄暗い。
森の奥深くから聞こえる正体不明の生物たちの鳴き声や草木の擦れる音は互いが互いを引き立て合って人に嫌悪感を齎せる不協和音を奏でていた。
そんな森の中に入って早三時間。
適宜休憩を挟みながら歩いては来たが、光射す入り口は既に遥か後方で、ソウル達五人はもう森の出口目指してひたすらに歩を進める以外ない。
時折ラファンなどに鳴かれて驚く事はあるが、少なくとも現時点では危険な生物などに遭遇してはいない。
「・・・くるか?」
「え?」
それからさらに二時間。
入り口から見えていた光が完全に見えなくなり、空にも陰りが見え始めた頃、五人は窪んだ竪穴の様な場所に腰を落ち着かせていた。
その折、フィルがぼそりと呟いて立ち上がり、急激な殺気を発した何者かをすぐに迎撃できるよう魔力を練り込む。
すぐにその緊張感は伝わり、まずはソウル、続いてハリアとクライス、それにやや遅れてレイアーズもすぐに臨戦態勢を整えた。
-ワフォォン!!-
「!!」
叢の中から飛び出して来たのは一匹の獣。
銀色の滑らかに流れる毛皮、障害物を最低限の移動で避けながら直線を最高速度で駆け抜ける事に特化した流線型の体躯、思わず居竦んでしまう鋭い眼光。
この森に多数生息する、セルラートの森の名を冠する理由になった生物、文字通り獣型獣族セルラートだった。
「一匹?」
「そんな筈はない!」
レイアーズがそれなら何とかなる、と希望的観測を述べた所でソウルがそれを一蹴する。
なぜならば、すぐに周囲からグルルルルと獣特有の唸り声が多数聞こえてきたからだ。
「そういえば≪生物学≫の時にセルラートは必ず群れで行動するから一匹に出会ったらまずは後方を警戒しろって言われてたっけ・・・」
「クライス!今それを言うの!?」
あまりにもの危機的状況だというのに落ち着いた声を出すクライスにハリアは思わずと言った様子で声を張り上げる。
「1・・・2・・・3・・・・・・・・・・・・・どうやら15匹ほどに囲まれたな。」
周りから聞こえる唸り声と気配を頼りにフィルは大凡の数を口にする。
「だってよレイアーズ。お前、何匹いける?」
「俺か?まぁザッと15匹ってとこかな。」
「奇遇だな。俺もだ。」
ソウルは目の前の一匹へ掌を突き出し、レイアーズは≪シュルノウ≫の空間から二本の剣を取り出した。
「ハリア!」
「こういうとこじゃクライスは上手く戦えないでしょ?私に任せなさい。」
「・・・じゃあ頼むよハリア。でも無茶はしないでね。」
「私を誰だと思ってるの?」
「そうだね。」
クライスを押しのけて背後に迫る圧力に向かうハリアにクライスは悲痛な声を掛けるが、しかしハリアは先程の震えもどこえやら、既に臨戦態勢でクライスに応える。
クライスは諦めてハリアに任せる旨を伝えた。
そこには一片の不安も混じっていない。
「来るぞ。」
フィルの呟きと同時、周囲に隠れていたセルラートが一斉に襲い掛かって来た。
-ワフォォン!!-
「≪エルトルイレイト≫!」
ソウルの指先から発せられた閃光が先頭にいた一匹を貫く。
同時にソウルは両腕を左右に広げ、
「≪ファイエル≫!」
迫り来るセルラートに火球をぶつけ、しかしそれを散開して回避した五、六匹のセルラートが魔法を発動して無防備なソウルに迫る。
「接近戦は俺にお任せってな!」
うちの一匹の牙がソウルの腕を噛み千切ろうとしたその瞬間、そいつの首筋にレイアーズが剣を突き立てて切り捨てる。
残った数匹はそのレイアーズの剣技を警戒するように距離をとりグルルと唸りながらもただ突撃してくるだけという様子は無い。
ソウルとレイアーズは背中合わせに立ち、互いに相手の後方を警戒しながら油断なくセルラート達を見据える。
どうやらソウルとレイアーズに隙が無い事が分かったのかセルラート達は襲い掛かって来ない。
「ハァァアアア!」
そうして警戒しながらソウルはハリアの声が聞こえた方向へ視線を投げる。
ハリアは襲い掛かる五体のセルラートを相手に拳一つで見事に殺陣劇を繰り広げていた。
避けては打ち込み、その瞬間に背後からくるセルラートを振り向き様に肘で薙ぎ払い、今度は頭上から来るセルラートの攻撃を地面を転がって避け、その隙にセルラートの顎を目掛けて痛烈な拳を叩き込む。
時折ハリアにできる隙に襲いかかってくるセルラートはピンポイントを狙い撃ちしたような精確なクライスの魔法によって撃墜される。
全く隙の無いコンビネーションだった。
「負けてらんないねぇソウル。」
「そうだなレイアーズ。だが・・・」
「「手出しはいらんぜ。」」
両者同時に同じ事を相手に向かって言う。
「クク・・・」
「ハハ・・・」
同じ事を考えていたというその事に、ソウルもレイアーズも思わず笑ってしまう。
そうして出来た隙をセルラートは逃すものかと一斉に襲いかかってきた。
「≪シーレット≫」
ガキィンとセルラートの飛びかかりがソウルの魔法防御によって制される。
「はいよっと!!」
そうして今度はセルラート側に出来た隙をレイアーズは逃すことなく的確にセルラートの急所を切りつけていく。
「≪エルトルイレイト≫」
そうして仲間がやられたのを見て過剰にレイアーズだけを警戒したセルラートにソウルから容赦のない魔法が飛ぶ。
ソウルとレイアーズを取り囲んでいたセルラート達はあっと言う間に倒されていた。
後はフィルに向かって行った5匹のセルラートだが・・・
「ん?終わったか?」
フィルは返り血一つ浴びずに死屍累々のセルラートの死体の上に立っていた。
零顕を使用したのか、セルラートはどれも胴体の中心で前と後ろが離れていた。
「さて、場所を変えて休むとしようか。」
凛とした姿勢を保ちながらフィルはそう声を出す。
確かに、先程まで休んでいたこの場所はセルラート達の血で池ができ、死臭もしてとても休めるような場所ではない。
しかし、同じように窪んで火も焚けるような場所がそう都合よくあるだろうか、といった不安もある。
「いや、先に進もう。あんまり休んでてもまた襲われるだけだよ。」
それはクライスの言葉。
それにも一理ある。
どうするか、とソウル達が頭を抱えたその時、
「まずは移動するべきだろう?馬鹿か?お前らは。」
急に頭上から五人の中の誰でも無い声が割り込んできた。
ハッとして声のして来た方をを振り向く。
「馬鹿だよなぁ?餓鬼ども。あんな大っぴらに戦っておいてその場から動かないなんてよ!襲って下さいって言ってるようなもんだぜ。」
そこにいたのは男。
筋骨隆々の大柄な体躯に整えていないブワッと広がった髪と数カ月は剃られていないであろう薄汚い無精髭。
着ている服もボロボロで、あちこち継ぎ接ぎだらけで繋がれているようだ。
そしてその肩には大木すらも一刀両断できそうな刃の厚い巨大な斧。
「なんだ?不思議そうな眼をしてよ。名乗ろうか?俺はこう見えても騎士道に準じる身でね。ジェグ=デルトルっつぅんだ。覚えたか?」
斧を肩でトントンと軽く弄びながらジェグは言う。
その仕草はまるで隙だらけで、殺気もない。
そもそも襲おうとしていたのならわざわざ堂々と現れたりせずに、セルラートを倒して油断していたソウル達を躊躇なく襲っていたはずだ。
「キャッ!」
「え!?あ!グッ!」
しかし、そんなソウルの考えはすぐに改められる事になる。
ジェグの方に意識が行っていて気付かなかった。
「(クソッ!何たる失態・・・)」
クライスとハリアが、恐らくはジェグの仲間と思われる者に拘束され首筋にナイフを当てられていた。
フィルですらも「しまった!」という表情をしている。
「俺たちみたいな盗賊団にとって気配を断つってなぁ当たり前のことだが、お前らみたいな魔法師が相手だとそれでも看破されかねん。が、まあこうして殺気バリバリの獣との戦闘後だと気付かんもんだろう?」
ソウルは思わず歯噛みする。
全てはジェグの計算通りだったのだ。
ソウル達がセルラートに襲われた事も、ジェグが堂々と出て来てソウル達の意識を自分に向けさせたことも、そうして殺気の無い自分を見せてソウル達から警戒心を奪い単純な体力では最も劣るクライスと女性であるハリアを捕える事も。
「さて、身ぐるみ全部置いて行けなんて甘い事は言わねぇよ。働き盛りの男が三人に上玉の女が二人。しかも全員魔法師ときたもんだ。薬漬けにして奴隷業者に売り飛ばしてやるよ。ま、抵抗すんなや。大事なお友だちが傷つけられたくなかったらよ。」
「クッ!」
ソウルは悔しさと己の迂闊さに拳を握りしめる。
このセルラートの森には獰猛で危険な生物だけでなく、盗賊団も巣食っている事は分かっていたはずだ。
だというのに、セルラートとの戦闘だけで警戒心を解いてしまった自分をソウルは強く恥じた。
「ソウル!それにレイアーズ!」
しかし、そんなソウルにフィルからの強い言葉が飛ぶ。
ビクッとしてフィルの方を向くと、なんとフィルは不敵に笑っているではないか。
「ああ?気でも触れたか?」
そんなフィルを見てジェグは怪訝な表情。
ソウルも、そしてレイアーズもフィルの言わんとする事が分からない。
「間抜けめ。貴様らは何だ?魔法師だろう?そこの二人は分かっているようだが?」
フィルが顎で示したクライスとハリアを見る。
その二人の眼光は殺される恐怖に怯えるそれではなく、覚悟を決めた者が放つ特有の色を示していた。
それを見ただけで、ソウルもレイアーズも全てを理解した。
そう彼らは魔法師なのだ。
「ジェグといったか?貴様、魔法師を相手にするのは初めてと見える。」
フィルがジェグに対して挑発とも取れる不敵な態度で言葉を発す。
「それがどうかしたか?」
ジェグは意味が分からなかったようで、吐き捨てるように訊き返した。
「覚えておけ。魔法師を人質にとっても全くの無意味という事を!!」
同時にソウルとレイアーズは動く。
そう、魔法師になる際の三つの覚悟。
その内の一つ『殺される覚悟』とは、すなわちいつ殺されても文句は無いという事。
その魔法師が人質になり、人質を取られた人間がその魔法師のために相手の要求を呑むなど、魔法師として生き恥も良い所である。
「≪ファイエル≫!」
「≪ジールレーゲン≫!」
即座にソウルとレイアーズの魔法がジェグに向かって飛ぶ。
ソウルの飛ばす炎の弾丸とレイアーズの矢の魔法がジェグに向かって殺到する。
「ふん、つまらん。お前ら!そいつら殺しちまえ!」
ジェグはその巨体からは信じられない素早さを持ってソウルとレイアーズの魔法を回避しつつ指示を飛ばす。
クライスとハリアの首筋にナイフを当てていた盗賊達はそれぞれ頷くとナイフを持った手に力を入れようとして、
-パカァン!-
フィルの≪零顕≫によって、ナイフを持った腕の肩から肘までが消し飛ばされた。
「な!」
「あ・・・」
盗賊の二人は予想外の事態に目を白黒させ、自身の肩から溢れる大量の血液を見て気を失った。
「ラァァアアア!」
レイアーズがジェグに斬り掛る。
右腕に握った剣を上段から振り下ろす。
「ふん。」
ジェグはそれを体を半身にすることで避け、次に左手からの横薙ぎをその場で跳び上がって避ける。
「≪エルトルイレイト≫!」
そうして逃げ場のない空中にいるジェグをソウルが得意の≪エルトルイレイト≫で打ち抜かんと発射。
しかし、
「デゥゥラァ!!」
「な!?」
ジェグは自身に迫る光線に向けて、先程までずっと担いでいたままであった巨大な斧を思い切り振り下ろす。
ソウルの≪エルトルイレイト≫はその斧の刃で半分に避け、何に当る事もなく霧散した。
「つまんねぇな!魔法師ってやつぁよぉ!!テメェら!殺しちまえ!!」
瞬間、先程のセルラートなど物の数でもないほどの怒号が響き渡った。
すいません。
ずいぶん遅れました。