回想 9
※前回に引き続きダンスは基本、名称は実際にあるものを使用していますが、振りや踊り方は実際のものとは違ったものになっています(曲の雰囲気も違うかもしれません)。ご都合主義のそんな世界観と緩い気持ちで受け止めていただけると有り難いです。
何度も何度も、何度も何度も繰り返し、お母様と練習したダンス。最初はとんでもなく緊張した。ステップや振りを間違ってしまったらどうしよう、と。楽しんで良い筈の時にまで、ついつい最悪を考えてしまう私の悪くて困った癖だ。最終的には楽しくなったので、良かったのだが。今日のダンスもそうなれば良いのだけれど、とそればかりが頭を駆け巡っていた。
彼と手を繋いだまま、国王陛下のほうへ向いて並んで立つ。幸い場所は後ろのほう。目立つ場所ではなかった。……お母様達からは丸見えだったろうけど。
がちがちに緊張していた私に、彼は笑って優しく声をかけてくれた。大丈夫、心配しないで、これでももうデビューはとっくにしてるから、と。その言い様が可笑しくて、思わずくすりと笑ってしまった。
すとんと緊張が解けたその時、曲が流れ始めた。
慌てて国王一家に最上礼をしてから身体の向きを彼のほうへと変える。彼は、騎士の礼ではなく、紳士の礼を、私は淑女の礼をする。差し出された手を取るとステップを踏み出す。
明るく華やかな曲は、デビュタントを祝福するような曲調だ。それに合わせてデビュタントとそのパートナーが華やかに舞い踊る。白いドレスの華が此処彼処で咲き誇り出す。
彼のリードはきっちりしていて分かり易かった。お蔭で緊張はどんどん解れていき、段々と楽しく、そして一応かもしれないがそれなりにまともに踊れている自分が誇らしくなってきた。併せて顔も自然に緩んだ。単純なのは前世からだ。
ダンスなど踊る習慣のない日本人であっても、子供の頃にお伽噺に出てくる舞踏会に憧れた女の子は多いのではないだろうか。私は憧れた。見た目にそぐわないのは先刻承知。憧れるだけなら誰にも迷惑はかけないから良いのだ。
そんな憧れた光景の中に、今己がいるのだと思うと気分が高揚してきた。要するに楽しくなって、緊張はいつの間にかどこかへ飛んでいっていたのだ。
私の視界の範囲内だが、女性はデビュタントだけのようだった。見えるドレスは、意匠が違うながらも色は皆白。白、白、白である。男性のほうはデビュタントではない人も結構見られた。女性のほうが圧倒的に多いのか、それとも溢れた男性デビュタントがいるのか。如何せん、初めてのことだったのでその時の私には分かりかねたが、正直その時の私にはそれは些末事だった。ターンをする度にふわりと広がるドレスに心は浮き立ち、楽しいダンスに心が踊っていた。
本物の舞踏会に本物のドレスに本物のダンス。完全に浮かれたのだ。よくぞステップを間違って彼の足を踏みつけるという大惨事を起こさなかったものだと、今でも思う。
楽しい時間は早く過ぎ去る、とはよく言ったもの。デビュタントのダンスはそれなりに長いものの筈なのだが、この時の私には物凄くあっという間に終わってしまったように感じられた。最後にパートナーに礼をして、更に国王一家に向き直り最上礼をして。
終わった時には、身体が火照っていたように思う。きっと表情は興奮しきったものになっていたに違いない。彼に導かれてお母様達の元に戻った時には顔が熱かった。
お母様は満面の笑顔で迎えてくれた。とても上手だったわよ、と誉めながら。言うまでもなく私の誇らしさはMAXになった。誰に褒められるより、お母様の笑顔が嬉しかったのだ。……身体年齢に精神年齢が引き摺られている気は、した。でも良いのだ、人生開き直りが肝心な時もある、うん。
デビュタントが踊り終わると、広間の中心には色採り々々の華が咲き始めた。デビュタント以外の紳士淑女達も踊り始めたのだ。父も嬉々としてお母様を誘っていた。娘の私が呆れたくなるくらいに仲の良い夫婦だったのだ。お母様ははにかむように微笑んで、嬉しそうに父の手を取ってダンスの輪に加わっていった。
その間、彼はずっと私についていてくれた。興奮で喉が渇いてしまった私の為に飲み物を取ってきてくれたりしてとても紳士的で、私は間違いなく舞い上がっていたと思う。
お母様達が戻ってくると、クローディアおば様達とアニー義伯母様達も一緒にやって来た。ハルムヘイマー伯爵にご挨拶すると、伯爵は少し厳めしい顔を緩ませて、とても綺麗だね、と褒めてくださった。フェイ伯父様も――まるで対抗するように――この会場で1番綺麗だ、と言ってくれた。お世辞と分かっていても褒められるのは嬉しいものである。勿論、きちんとお礼を言いましたとも。いつ如何なる時も淑女としての礼儀作法を忘れてはいけない。お母様とクローディアおば様とアニー義伯母様が、当然ですとも、と私より誇らしげに私のドレスについて力説し始めたのには苦笑してしまったけれど。
でもそれだけお母様達が力を入れてくれたのは本当だ。前世貧乏人だった私は、この頃にはドレスを着るのが当たり前になっていたが、それでも流石に一体このドレス1着にどれだけのお金がかかっているのだろうと、青褪めた程なのだから。何しろ先ず全ての生地が贅沢だった。イブニング・グローブは勿論白のシルク。入れ口には沢山の淡い色合いの色糸で刺繍された色採り々々の小さな花々が、これまた柔らかい緑色の色糸で刺繍されたアイビーのような蔦で繋がれている。靴も勿論白のシルク張り。履き口にはこちらもやはりグローブと同じように蔦と花の刺繍が施されているという凝りよう。そしてドレスに至っては、正しい生地の名称は分からないが、白の、シフォンのようなジョーゼットのような、仄かに光沢のある柔らかくて薄い高級な生地を数種類、長さや形を変えてカットされたものを幾重にも幾重にも重ねて作られている。1番下は勿論白のシルク生地。どの生地もダンスでくるりとターンするとふわりと花開くように広がるように計算されカットされていて、実際ターンをすると本当にこれでもかという程広がった。その上で足が見えない絶妙な作り。勿論、折り重なった長さの違う布の裾には淡い色糸で刺繍された、アイビーのような蔦と様々な色や形の小さな花々が、ふわふわと舞うように見え隠れするようになっていた。所謂、プリンセスラインというのだろうドレスの形状は胸が悲しい鶏ガラ体型を強調してしまうものなのだが、それを覆い隠してくれるラバティンカラーのような襟元や少し長めに作られたベルカラーの袖口もとても可憐で可愛らしくて良い。要するに私もとても気に入っていたのだ。デビューのこの日以外に着られないと分かっているが、未だに取ってある。お母様には笑われてしまったけれどそれくらい気に入っているので良いのだ。お母様の、そしてクローディアおば様とアニー義伯母様の思いが沢山詰まった、私にとっては宝物のドレスなのだから。
そして、ちょっとした笑いの思い出もついている。フェイ伯父様とハルムヘイマー伯爵と、そして父の男性3人が、やれやれという表情でこっそり顔を見合わせて苦笑したのを見逃さなかったクローディアおば様に、それだから朴念仁だと言うんです、とぴしゃりと言われているのに、笑ってしまったのだ。――たったそんなことだけれど、楽しい思い出、なのだ。
こんな大人になってはいけませんよ、と話を振られてしまった彼は、気の毒だったと思うけれど。彼は穏やかに笑って遣り過ごしていた。それはそうだ。イエスともノーとも言えない。ハルムヘイマー伯爵と伯爵夫人。どちらも彼には逆らえない存在でもあるだろうから。
お母様達の話が一段落すると、フェイ伯父様とハルムヘイマー伯爵が順にダンスに誘ってくださって、私は心底ダンスを楽しんだ。ハルムヘイマー伯爵と踊った時は少し緊張したけれど。
勿論、フェイ伯父様やハルムヘイマー伯爵に先駆けて、父とも踊った。それが、最初で最後のダンスだった。――とても、楽しかったのを、今でも覚えている。
その後、お母様と父の知り合いの貴族の方々に次々と挨拶攻撃を受けた。そこで漸く、舞踏会やら夜会やらはさながら合同お見合いだとつくづく思い知らされたのだ。
幸いにも、お母様が必ず彼もセットで紹介してくれたので、見知らぬ男性とダンス、などという恐ろしい事態に陥らずに済んだ。これも内密とはいえ婚約しているからこそだったのだと知ったのは、後々のことである。
その時の私は全くそのことを知らず、暖気なものだった。楽しかったダンスをもう1曲踊りたいなあ、とそわそわしていた。察した彼が、その後2、3曲踊ってくれた。1人の男性と続けて踊るのはマナー違反であるが、それが許されたのは偏にお母様達の――内密の婚約を知る大人達の――お蔭であろうとは、流石に薄々気づいていたけれど。
とにもかくにも、お母様達のお蔭で私のデビューはとても、とても楽しく思い出深いものになったのだった。今でも、大切な大切な思い出の1つ。
この舞踏会の翌日、お母様は体調を崩してしまったのは、非常に申し訳ない思い出だけれども。お母様は元々お身体が弱かった。それなのにこの年は私のデビューの為にとても張り切っていた。ずっと張り切っていたのだ。多分無事に終わって気が弛んだのね、と、ご免なさい、私のせいで、と枕元で謝る私にお母様は優しく笑ってくれた。
「お母様はシアの晴れ姿を見られてとても嬉しかったわ。貴方はあの場にいた誰よりも美しかった。お母様はとても鼻が高かったのよ」
だから謝るより、楽しかったと言ってくれたら嬉しいわ。お母様のその言葉が、とても大きく響いた。そう言って貰えたことが嬉しかったのだ。そして、有り難う、お母様、と答えながら、お母様のような女性に、そして母親になりたいものだと、強く思った。ただ非常に残念なことに、その為には私も変わらなければいけないのだろうな、ということはぼんやりとしか考えられなかった。
それが、いけなかったのだろうか。それとも、人間をウン十年もやっているとそうそう簡単には変われない、というのを図らずも実証しているのだろうか。
どちらにせよ、あまり有り難くない話だし、情けない話だ、とは、我ながら思う。




