寝ぼけ爺さんの話
あの時なぜわたしは気づかなかったのだろうか。時間が遡れるのならば殴ってやりたい。あの鴉が先ほどの威勢を無くして小さな置物のようになっている時点で気がつくべきだった。やってしまった。しかしもう後には引けない。ならば聞こう。最後まで。
「実はここ数日のことなんだが家庭菜園なんか始めたのだよ」
「立派なことです」
「しかし、まだ苗は植えておらんのだ。
まだ田畑が未完成でな」
「それはそれは」
寝ぼけ爺さんの寝言のような話を、わたしは適当な相槌を打ちながら聞いた。聞き流しても良いが最終的には内容を訪ね返してくるので、二度手間を避けるために仕方なく聞いている。
……それにしても前置きの長い話である。
「それに山近くだから野生の動物がウヨウヨいる。
だから針金やらを使ったバリケードを作っていたんじゃがね」
「どうかしたんですか?」
何故だろうか? 少しばかりだが聞き覚えのある単語がチラホラ寝ぼけ爺さんの口から聞こえてきた。気のせいであろか。はたまた聞き間違いか。そうであって欲しい。しかしわたしの密かな願いは聞き届けてくれはしなかった。
寝ぼけ爺さんは驚愕した顔を作り大きな声で話し始めた。
「そしたら今日起きたらなんと、どうしたことか無くなってしまったのだよ!
それに洗濯物に使うハンガーも!!」
「…………それは実に不思議ですね」
(あの鴉!!)わたしはすぐに犯人の見当がついた。というよりこの空間でともに息をしている。本当に殺して猫の餌にしてやりたい。
わたしが心の奥底で計画を練っているのを知らない寝ぼけ爺さんはホケホケと笑いながらわたしを見つめた。そして今度は先ほどとは違い密かな声で話した。
「よいよい、隠さなくても」
寝ぼけ爺さんの言葉にわたしの表情が固まる。わたしは固まる表情を必死に笑みに作り上げて小首を傾げる。しかし寝ぼけ爺さんは相も変わらず笑みを見せるだけだった。
「実は庭にコレが落ちていたのだ」
寝ぼけ爺さんはそう言いガサゴソと胸元を弄る。そして何かを見つけるとそれをわたしの前に見せてきた。それを目にし、わたしは愕然とした。
「……羽、ですね」
真っ黒の羽が机の上に置かれる。わたしはそれを見てすぐにゲージへと目が行く。鴉の身体が挙動不審に動く。もう言い逃れは出来ない、あの鴉が犯人だ。殺す。絶対に八つ裂きにする。
「ああ、それも鴉の羽だ。
そこでゲージに入っている」
寝ぼけ爺さんもわたしの目の行く先へと目を向けた。鴉がバサバサと狭いゲージの中を飛び回る。動けない状態から解放されて少しばかり嬉しそうな鴉に対し恨めしさが腹を占めた。睨むわたしと対象的に孫の顔を見るように見つめる寝ぼけ爺さん。わたしは静かに息を吐くと寝ぼけ爺さんに一言告げその場を去る。そして先ほどあの鴉が持ってきた針金のハンガーを手に持って再び席に着く。
「お返しします。
どうやらこの鴉が光物と勘違いして持ってきてしまったようです」
すみません、と頭を垂れて謝り二つの品を返す。すると寝ぼけ爺さんは優しい眼差しでわたしを見つめ、これまた静かに首を横に振った。
「いいさ、どうせホームセンターでいつでもどこでも変えるお手軽品だ。
それに安い」
そう残し、寝ぼけ爺さんはわたしから目を外しゲージの鴉へと向ける。どうやら鴉の存在が珍しいのかもしれない。確かに、わたしも知人の家に御宅訪問して、鴉がいればそれは珍しくて見るだろう。納得である。
「ありがとうございます」
「あの子は飼っているのかい?」
寝ぼけ爺さんがポツリと呟く様に聞いてきた。わたしはその問いに即座に首を振って否定した。わたしは少しの意地悪というか悪戯心を擽り、先ほど言っていた鴉の言葉を述べた。きっと信じないであろう。わたしでさえもいまだ半信半疑だ。しかしあの時、鴉から人の姿へと変ったのを見たのである。言い逃れも出来ないだろう。
「いいえ、野生です。
なにやらわたしが前に手当てしたのを気にしてしきりに恩返しをしたいようです」
言いきり、わたしは即座に寝ぼけ爺さんの反応を見た。さて、どうするのであろか? 少しの不安と期待がせめぎ合う。寝ぼけ爺さんはわたしを無言で見つめ、やがて何を思ったのかクツクツと含み笑いを浮かべた。
「それはそれは、なんとも凄いことだな。
鴉は恩を受けたら返す生き物だ」
どうやら寝ぼけ爺さんは信じた模様だ。子供の心を大切にする良い人なのかもしれないが、信じ過ぎるのも如何なものである。自分で言うのもなんだが。しかし今回ばかりは助かった。そう一人思っていると「そういえば」と言いこの寝ぼけ爺さんの職種を思い出しハッとした。
「鴉と言えば、寝ぼけ爺さんの所で祭っているのも鴉でしたよね」
そうであった。この寝ぼけ爺さんは神社の神主であった。いきなり家庭菜園の話を持ち出すのでド忘れしてしまった。申し訳ない。
寝ぼけ爺さんはわたしの言葉に目を丸くし、そしてまたクツクツと笑った。
「鴉と言っても”烏天狗”だ。
似ているようで異なる。
しかし親戚に近いかもしれない」
そう言い、寝ぼけ爺さんは鴉を見た。鴉はバサバサと音を立ててゲージ内を暴れ回る。あまりにも五月蠅いので睨みを効かせれば効果はてきめんだった。直ぐに羽を閉じてビクビクとわたしを見る始末だ。
「なかなか神道を難しいものですね」
わたしはポツリと鴉を睨みつけながら言った。事実、一度だけ興味本位で神道の本を読んだことがあるが先ほど言ったように小難しい内容だったために読むのに一苦労した。そして最終的には専門用語が多過ぎて挫折した経験を持つ。多分だが二度と読む事は無いだろう。寝ぼけ爺さんはわたしと鴉を交互に見つめにこやかに笑った。
「違いない」
「ええ、全く持って」
そう言い目を鴉から外せば、鴉は安心したような顔を作る。しかし直ぐにだんごの気配を察知するやいなやだんごを見つめて警戒し始めた。忙しい鴉である。
その姿に和む寝ぼけ爺さん。わたしはそれに対し呆れ顔を見せた。暫く鴉を見つめていた寝ぼけ爺さんであったが、急になにを思ったのかわたしを見て「そうだ」と言い向かい合った。
「忘れる所だった」
「何がです?」
焦りだす寝ぼけ爺さんに小首を傾げて問うわたし。すると寝ぼけ爺さんは苦笑しながらわたしに小さな何かを手渡した。覗きこめばそれはお守りであった。しかし何も書いていないまっさらなものであった。わたしが繁々とお守りを見つめていると、寝ぼけ爺さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「進学祝い、というには些か地味だったかな?」
カラカラと空き缶のような笑い声を高らかにするも、わたしはお守りを握り締め笑みを浮かべた。小さくしかしだが細かい細工をしてあるお守りである。神社で売っている物とは一味違うのが良く見て分かった。きっと寝ぼけ爺さんか奥さんが作ったのであろう。一度だけ境内を掃除したところを出くわし仲良くなった記憶がある寝ぼけ爺さんの奥さん。皺だらけだったが美人であった。きっと昔は巫女として神楽を舞ったのであろう。見たかったものだ。なぜだか手に馴染むそのお守りをそっと撫でる。
「いいえ、とても素晴らしい物です。
大切にしますよ」
「ああ、そうしてくれ。
きっと君を守ってくれる」
寝ぼけ爺さんの言葉にさらにわたしは笑みを深めた。




