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第五章

  

 蹄が石畳を叩く音と商人たちの客寄せの声が通りに満ちている。


 屋台の匂いに刺激されて、ルクレアの腹が空腹を訴えた。


「賑やかな街だな」


「そうね」


 大きな街道の交差地点。

 交通の要衝でもある都市、バルセア。


「早く行きましょう」


「ああ」


 行き交う人々は、屋台に並んだ珍しい品々に目を輝かせている。


 魔獣と縁遠いこの場所に来たのは、観光のためではない。

 国からの旅の支援金と伝令を受け取るためだ。


 だが……。


「大丈夫か? 運ぶのを手伝おう」


 役場に着くのはいつになるだろう。

 ルクレアは慣れたようにため息を吐き、昇り始めたばかりの太陽を眺めた。











 息をするように人の手助けをしようとするロイドを連れ、なんとか役場で用を済ませた頃には日は昇りきっていた。


「やっと終わった……」


「そうだな」


 旅のための路銀を鞄にしまい、ルクレアは時間がかかった原因にじろりと視線を向ける。


「どうした?」


「……なんでもないわよ」


 ため息を吐いて、市場の方へと歩き出す。

 ルクレアの後ろを歩くロイドは首を傾げていた。




 食欲をそそるような香ばしい香り。

 じゅうじゅうと肉や野菜が焼ける音。

 

 昼時なだけあって、市場は人と屋台で溢れていた。

 旅のための買い出しは済ませたし、まだ時間に余裕はある。


 ルクレアは香ばしい香りにつられて、視線を左右に動かしてしまう。


「軽く食べていかない?」


「ああ」


 幸い、今は路銀に余裕がある。

 

 串焼きの肉や野菜たっぷりのサンドイッチ。

 少し値は張るが、たっぷりの果物と蜂蜜の使われた揚げ菓子なんかもある。


 この街を出れば、暫くはお目にかかれないであろう品々に目移りしてしまう。


 いつになく、ルクレアは油断してしまっていた。


「っ……!」


 後ろから衝撃がルクレアを襲った。

 

 膝がぐらつき、前のめりになって、石畳に靴が引っ掛かってしまう。

 

 倒れる直前に咄嗟に手を前に出した。

 手のひらに痛みが走る。


 同時に肩にかかっていた重みが軽くなった。


「ちょっと……!」


 顔を上げたルクレアの視界に小さな背中が映る。

 手を伸ばすが届かない。


 半ばまで帽子で隠れた顔は、口笛でも吹きだしそうな表情を浮かべていた。


 してやられた。

 

 そう思ったルクレアの目の前で、少年の足が止まる。

 いや、止められた。


「何をしている」


 ロイドが少年の服の襟首を掴み、持ち上げた。


 少年はぱちくりと目を瞬かせ、ルクレアは唖然と目の前を見つめる。

 ロイドはそんな二人に構わず、質問の返答を待つように少年を掴んだままだ。


「……っ、な!! はなせよ!!」


 少年の怒鳴り声でルクレアは、はっと立ち上がった。

 宙を掻くように手足をばたつかせる少年の手にある鞄を引ったくる。


「盗ってんじゃないわよ!!」


「こんな人混みでアホ面でキョロキョロしてる方が悪いんだろ!!」


 ルクレアに向かって舌を出す少年をキッと睨み付ける。

 少年はそんなルクレアに視線など、物ともしない様子で、宙ぶらりのままで肩を竦めてみせた。


「兄ちゃんもさ、いい加減降ろしてくれよ。逃げたりしないからさ」


「離しちゃダメよ。コイツ、絶対逃げるつもりなんだから」

 

 自分を掴んだままのロイドに、子供らしさを押し出すようにあざとく話す少年に、ルクレアは腰に手を当て、首を横に振る。


「何故盗もうとしたんだ?」


 ロイドの質問に少年の口元が、一瞬緩んだ気がした。


「実はさ……母ちゃんが病気で。お医者に見せるお金もないし、せめて……今日くらいはちゃんとご飯食べさせてあげたいなって、思ったんだけど」


 顔を下げてとつとつと話す少年に、ルクレアは白んだ目を向ける。

 

 ありがちな話。

 同情を買おうとする、よくある手口だ。


「なるほど。だが、盗みは駄目だ」


「そうだよな。……分かってたけど、母ちゃんさ……もう、ずっと元気無くて」

 

 眉を下げ、瞳を潤ませながら少年がロイドを見上げる。


「せめて、最期に好物を一口くらい食べさせてやりたかったなって」


「なら……」


 少年を掴んでいない方の手で、ロイドが自分の荷物に手を伸ばした。

 

 思わずルクレアは、ロイドの手を掴んで止める。


「どうした?」


「どうした、じゃないわよ。こんなガキの出任せ信じてるの?」


 しおらしい態度で顔を伏せる少年にルクレアは鋭い視線を向ける。


「そんな、出任せなんて……」


「テオ……!!」


 茶番劇を中断するように、声がした。

 人混みの中から、濃紺のシスター服に身を包んだ老女がこちらに駆け寄っていた。


 少年を見つめて、彼女は安堵の息を漏らす。

 少年は彼女から目を逸らし、口をきっと結んでいた。


「まあまあ……この子が、何かご迷惑をおかけしましたか?」


 地に足のついていない少年とロイド、ルクレアを見比べながらシスターはおろおろと近寄ってくる。


「なんにも、してないよ」


「いや。この少年が彼女の荷物を盗もうとして話を聞いていた所だ」


 ロイドの言葉に少年は俯き、シスターは目を見開いた。


「まあ……! それは、本当になんともとんでもない事を……申し訳ありません!」


 深々と頭を下げられて、シスター服が揺れる。

 少年はそれから目を逸らすように顔を背けている。


「テオ……あなたも、ほら」


 漸くロイドの手から解放された少年は、今度はシスターの手が背中に回される。


 促されても何も言わない少年、テオはじろりとルクレアを睨むように見つめてきた。


「テオ。盗みがいけないことだというのは、前にお話したでしょう? あなたは聡い子だから、分かっているでしょう?」


 唇を尖らせたテオは眉を潜める。

 目線を合わせるようにシスターは服の裾が汚れるのも気にせず、その場にしゃがみこむ。


「常に良い人、清廉潔白であれとは言いません。けれど、いけないことをすればその分自分にも返ってくる……だからこそ、悪い人にならないように生きなければなりません」


「それ何回言うんだよ! しつこいよシスター!!」


 怒鳴りながら、テオはシスターの手を振り払う。

 そのまま踵を返し、走り去ってしまう。


「大丈夫か?」


「ええ。本当にごめんなさいね」


 悲しげに目を伏せ、払われた手を擦るシスターの肩をロイドが支える。


「あの子はうちの孤児院で面倒を見ている子で、何度も抜け出してはこうして悪さをしようとしていて……」


 ため息を吐きながら、シスターはロイドの手を借りて立ち上がった。

 そして、ルクレアとロイドに改めて頭を下げる。


「うちの子がごめんなさいね。お二人は旅人さんかしら?」


「そうだ」


「なら、うちにいらっしゃらない? ……お詫びといっては何だけれどね。細やかだけれど、おもてなしさせてちょうだいな」


 ちょうど今夜の宿はまだ決まっていない。

 ロイドが頷けば、シスターは目尻の皺を深める。


「私は、孤児院を経営しているヘレナというの。お二人のお名前を聞いてもいいかしら?」


「俺がロイド。こっちはルクレアだ」


「ロイドさんとルクレアさんね」


 ルクレアは話している二人から顔を逸らし、少年が走り去った方をじっと見つめていた。


 











 賑やかな街から外れた静かな通りを進めば、あまり大きくない、古びた作りの教会が建っている。


 足を踏み出すごとに木の床が軋む音が反響していた。

 しかし、床には埃もなく、ガラスは曇ることなく丁寧に磨かれている。


「古い所ですけど、どうぞゆっくりとなさって」


 教会の奥。木製の扉の先。

 併設された孤児院へとルクレアとロイドは案内される。


 やはり、狭く古びた施設だ。

 ただ、庭から子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。


「シスター! おかえりなさい!!」

 

 ルクレアの肩程の背丈の少女がヘレナに駆け寄り、荷物を受け取る。

 他にも、幼い少年や少女が彼女に話を聞いてもらおうと、集まってきた。


「ええ。ただいま。みんな、お客様よ。こちらがロイドさんで、あちらがルクレアさん。お二人にちゃんとご挨拶しましょうね」


 彼女の言葉に、彼らは各々反応を返す。

 

 きらきらと瞳を輝かせ、二人に大きな声で挨拶する子。

 影に隠れる様に、シスター服の裾に縋りながら上目遣いで覗いている子。

 少し離れたところから、もじもじと二人を見つめている子。


 先ほどの、テオと呼ばれていた少年は一人離れたところで、唇を尖らせていた。


「ロイドさん、ルクレアさん。もしよろしければ、子供たちに色々とお話を聞かせて頂けないかしら?」


「構わない」


 ロイドがそう返答すれば、ヘレナは笑顔を浮かべ頷きを返す。

 子供たちの多くはそれを皮切りにロイドの元へと集まっていく。


「兄ちゃん旅の人!?」


「そうだ」


「なんで旅してるの!?」


「王命だ」


「おうめい?ってなーに?」


 子供たちを抱き上げたり相手をしながら、答えるロイドに子供たちは楽し気な声をあげながら質問攻めにしている。

 少し離れてぼんやりと立つルクレアの髪を風が揺らした。


「旅で何してるの?」


「魔獣を退治している」


「魔獣!? 魔獣ってすっごく強いんでしょ!? 兄ちゃんすげえ!!」


 魔獣など見たことも無い子供たちがはしゃいだように声を上げる。

 ふと、ルクレアの服の裾が引っ張られた。


「……何よ?」


 小さな女の子がルクレアをおずおずと見上げていた。

 先ほどヘレナの影に隠れていた子だろうか。


「魔獣、こわいの」


「……怖いのなら、あっちに行きなさい。守ってくれるわよ」


 ロイドの方を指すルクレアに少女もそちらを見上げる。

 しかし、ルクレアの服を掴んだまま、俯き、首を横に振った。


「あたしじゃ、どうもしてあげられないわ。だから……」


 促しても少女はルクレアの服を離してくれそうにない。

 このくらいの年の少女が大人の男性に人見知りしてしまうのは分かるが、ルクレアは子供の相手などするつもりはない。


 周囲を見渡すが、ヘレナは別の仕事があるのか席を外している。

 ロイドは、威勢のいい子供たちに囲まれている。

 

 いや、子供たちを抱き上げたり、よじ登られたりと遊び相手になっていた。


 あの包囲網を突破できる気力などルクレアにある筈もなく、仕方なく足元の少女をそのままにしておく。


「お姉ちゃんも、旅してるの?」


「……仕事だからよ」


 少女の小さな手が、妙に暖かく思えた。














「遠慮せずに、食べてちょうだいね」


 暖かい湯気に顔を擽られる。

 スープと焼きたてのパンの香りが食欲を刺激してくる。

 

 子供たちが我先にと食事に手を伸ばしていた。

 

 自分の前に配膳された器を持ち、ゆっくりとスープを嚥下する。

 薄いスープが腹の奥から暖かさを主張してきた。


「……暖かい」


「おかわりも、少しならあるからね。みんな分け合って、今日の糧に感謝しながらお食べなさいな」


 ヘレナの言葉に子供たちは元気よく返事をする。

 しかし、テオだけはヘレナに視線を向けずに、手元のパンをちぎっていた。


「食べないのか?」


「食うに決まってんじゃん」


 ロイドの問いかけにテオは唇を突き出して、答える。

 テオはちぎったパンをスープに入れ、器を傾けて一気に喉に押し込んでいく。

 

「テオ、あまり掻き込んで食べるのはよくないわ。ゆっくりおあがりなさいな」


「別に食えりゃいいだろ! シスターしつこいよ!」


 器が机に叩きつけられて、大きな音が鳴る。

 周囲の話し声がぴたりと止まった。


「テオ……怖い」


「乱暴にすんなよ!」


 向けられる言葉にテオは唇を噛みしめて、席を立った。

 ヘレナは眉を下げ、テオの背中を見送りながらも、慣れたように子供たちの方へと向き直る。


「テオには、私がちゃんと後でお話しするから皆は気にせずに食事を続けなさい」


 微笑むヘレナに子供たちは返事をして、再び楽しい会話と共に食事が続けられる。

 ルクレアは黙って、テオの背中を見つめていた。


 










 


 

 窓から朝日が差し込む静かな廊下。

 まだ、子供たちの声はしない。


 ルクレアは壁に凭れながら、昨日とは打って変わって誰もいない庭を眺めていた。

 草花がキラキラと夜露で輝いている。


「あらあら。随分と早起きしたのね。眠れなかったかしら?」


 まだ、シスター服を身に着けていないヘレナがルクレアの元へと歩いてきた。

 ルクレアは壁から身を離して、腕を組む。

 

「……そんなことはないわ」


 旅の最中に比べれば、あの牢屋に比べれば硬い寝台であっても身体は充分に休められた。


「綺麗な庭でしょう? 花壇が特に自慢なのよ」


 あまり豪奢とはいえない花が咲いている花壇を指さし、ヘレナは嬉しそうに顔の皺を深くする。


「どこでも咲いてるような花ばかりだけれど、あの子たちも懸命に世話をしてくれているのよ」


「……綺麗ね」


 ルクレアはぼんやりと窓越しに風に揺られる花を見つめる。

 

「昨日はテオが本当にごめんなさいね。あの子も、色々と事情があってね」


 眉を下げたまま見つめてくるヘレナからルクレアは視線を逸らす様に、窓の外の庭を眺める。


「ここにくる子たちは皆色々な事情を抱えている子だけれど……テオはまだそれに向き合っている最中なのよ」


「……そう」


 自分の身体に回した腕に少し力が入ってしまう。

 何故か昨夜の少年の背中を思い出してしまった。

 

 

 突然、二人の間に横たわった静寂を何かが落ちるような音が壊した。


 「……何の音?」


 「教会の方からかしらね?」


 教会へ続く扉へと向かうヘレナの後ろをついて行く。

 扉で隔てられた清廉な空間で、落とされた木箱を挟んで立っているテオとロイドが居た。





 



「まあまあ、二人ともどうしたの?」


 二人の足元には幾らかの銅貨が零れ、散らばっている。

 落ちたのは教会に置かれたお布施を入れるための木箱のようだ。


 テオが自分の手を後ろに隠し、またわざとらしい声で話始める。


「昨日あんなことしちゃったから……せめて、教会の掃除をしようと思ってぶつかっちゃって!」


 ルクレアは眉間に皺を寄せる。

 ヘレナも少し困ったように眉を下げていた。


「本当だよ! ね、ロイドさん! 俺、掃除してただけだよね?」


「それは……」


 ロイドが困ったように視線を彷徨わせた。

 ヘレナがため息を吐く。


「テオ。嘘を吐くのはいけないことなのよ。だから、正直に教えて頂戴。……何をしていたのかしら?」


 優しい声色のヘレナにテオは顔を俯かせる。

 ヘレナがロイドに視線を向けるが、彼も困ったように眉を下げるだけだ。


「……なんで掃除で、銅貨を隠し持ってんのよ」


 テオに歩み寄ったルクレアが腕を掴めば、その手から銅貨が数枚零れ落ちた。

 ヘレナは痛まし気にそれを見つめる。


「これは……」


「最近、お布施のお金が少し減っていたの。勿論、ご厚意を頂いてるものだから減ることもあるかと思っていたのよ。それが……どうして」


 テオがヘレナの顔を見て、ぎゅっと唇を噛みしめる。


「別に、いいじゃん! ほんとの寄付金は金持ちから貰ってんだろ! たかだか銅貨数枚くらい……」


「良いわけがないでしょう。その銅貨一枚が、誰かの優しさだと、思いやりだと……何故気が付けないの?」


 ヘレナの震えた声にテオは顔を背ける。

 逃げようとした身体をヘレナが抱きとめた。


「貴方が今までの境遇から、そういう行動を繰り返してしまうことは分かっているわ」


 ヘレナの言葉にテオは拳を握りしめる。

 

「けれど、それを続ければ貴方は周囲を踏みにじり、良くないことを続けて生きていくことになるのよ」

 

「……それの何が、悪いんだよ!」


 テオがヘレナの腕を乱暴に振り払う。

 床に手を着いたヘレナに一瞬、テオは動きを止めるが、そのまま踵を返して、自室の方へと走っていってしまった。


「大丈夫か?」


「ええ。ありがとう……もっとあの子ときちんと話さないといけないわね」


 ロイドの手を取り、立ち上がったヘレナが困ったような笑顔を二人に向けた。

 ルクレアは自身の腕をぎゅっと握る。


「あの子はね、両親を亡くして暫くの間、誰にも頼れずに一人で生きていたそうなの」


 子供が一人で生きるための手段なんて、限られている。

 手慣れた手口や言い訳は彼の生きる手段だった。

 

「信用できないのは分かるけれど、このままじゃあの子は誰かから奪ってしか生きられなくなってしまう。それでは、駄目なのよ」


 ヘレナが凛とした目で教会の祭壇を見つめる。

 綺麗に整えられたそれは何も返してはくれない。


「世界は、皆の優しさで回っているのよ。だから、奪うだけではだめなの。……与えるだけでもね」


 ヘレナの言葉に何故かロイドが息を飲んだ。

 

「お互いに与え合う。思いやりが大切なの。そして、誰かへの優しさを抱くことが……あの子の中にも優しさの芽はある筈なのよ」


 ヘレナの視線がロイドとルクレアへと向けられた。

 

 慈愛に満ちた瞳。

 口元に浮かべられた笑み。


 ロイドは少し戸惑うような表情をしていた。

 ルクレアはきゅっと唇を閉ざし、視線を逸らす。


 慈愛と優しさに満ちた空間の中。

 何故か、不便さしかない筈の二人だけの旅の道中の静けさが頭を過った。



 









 

「もう行ってしまうの? 朝食も準備しようと思っていたのに……」


 寂し気に二人を見つめるヘレナに、ロイドが首を横に振った。


「充分に休息は取れた。それに、旅の支度も済んでいる」


 子供たちも名残惜し気に二人を見つめているが、表立って引き留めるような言葉をかけることはない。

 ルクレアはヘレナの影からじっと見つめる少女の視線から、敢えて目を逸らす。


「シスター! テオが居ない!!」


「まあ……!」


 あの後、部屋に戻った筈のテオが居ないのだと同室の子供が慌てて訴える。

 ヘレナが焦った様子で、立ち上がった。

 

「探しにいかないと……!」


「手伝おう」


 自然にロイドが手助けを申し出る。

 今回ばかりはルクレアも同意するように、立ち上がってロイドの後ろをついて行った。














 教会の近くの路地裏。

 市場への道。

 馬車の通る大通り。

 

 どこにも、少年の影はない。

 ルクレアはテオを探し、息を切らす。


「あのくそガキ……どこに行ったのよ」


 子供の足では街を出てはないだろう。

 ただ、あまり時間をかけると本当にどこまで行ってしまうか分かったものではない。


 細道で立ち止まり、汗を拭ったルクレアの耳に、聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえてきた。


「……離せ!」


 テオの声。

 暴れるような音とそれを怒鳴りつける大人の声が聞こえた。


 いかにも柄の悪そうな、汚れた身なりのごろつきがテオの腕を掴み、口に布を押し込めようとしている。


 一瞬の迷いの後、ルクレアは男たちの方へ走り出した。


「あんたたち、何してんのよ!」


 手が震えそうになる。

 口だって上手く回っていないかもしれない。


 それでも、テオを掴む男に掴みかかり、何とか助け出そうとする。


「なんだこのアマ!」


 不意を突かれた男がテオを離す。

 しかし、今度はルクレアの腕が掴まれた。


「早く行きなさい! なにぼさっとしてんのよ!」


 どさりと地面に尻もちをついて、ルクレアを見上げるテオに怒鳴りつけた。

 テオは我に返ったように立ち上がり、ルクレアが指した道を走っていく。


「てめぇ! なに邪魔してやがんだ!」


「いいじゃねえか。なんならこいつの方が高く売れんだろ?」


 別の男に肩を掴まれて、ルクレアは身動きが取れなくなる。

 

 心臓が痛いくらいに脈打っている。

 足が震えて立っていられなくなりそうだ。


「はあ? 誰が大人しく売られるもんですか!」


 向けられた敵意を鏡のように顔に浮かべて、ルクレアはきっと男たちを睨みつける。


 こんなやつら怖くない。

 魔獣の方が恐ろしかった。


 もっとおぞましい人の悪意だって知っている。

 

 それでも。


 ルクレアは一瞬救いを求める様に、テオが逃げた道を見つめてしまう。

 だが、男たちに頭を抑えつけられ、視界には白い石畳と汚れた靴しか見えなくなってしまう。


 唇を噛みしめ、ルクレアはぎゅっと瞳を瞑った。


 その時、ルクレアにかかる力が弱まった。


「……い、痛ってぇ!!」


 一人の男の腕をロイドが掴み上げていた。

 もう一人の男が唖然とする。


 地面に叩きつけられる音。

 ルクレアの視界の端で、重力に従うように何かが素早く落ちた。

 

 つられて足元を見下ろせば、男が寝ていた。

 ぴくりとも動かない。


「な、なんだてめぇ!」


 男はルクレアの腕を引こうとするが、その前に硬質なものがぶつかる音がした。

 男はゆっくりと姿勢を崩し、後ろへと倒れる。


 地面に尻をつけた男が鼻を抑えながら、ロイドを睨みつけた。

 ロイドはそのまま、男を地面に抑え込む。


「無事か?」


「……ええ」


 少し遠くから駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 顔を上げれば、焦って息を切らしたヘレナと泣きそうな顔のテオが居た。


「ルクレアさん……!」


 転がる男と怪我もしていないルクレアを見て、ヘレナは安堵の息を漏らした。

 同時にテオが顔を背ける。


「なんなんだよ……いいやつぶりやがって」


 テオの言葉にヘレナが息を飲む。

 そして、肩を強く掴もうとするが、ルクレアの言葉に動きを止めた。


「ガキが分かったように言ってんじゃないわよ! あたしはいいやつぶりたいんじゃなくて、そいつらの仲間になりたくないだけよ!」


 テオが睨むように、薄く膜を貼った瞳でルクレアを見上げる。

 ルクレアも負けじと目尻を釣り上げて睨み返す。


「ガキ扱いすんじゃねぇ!」


「ガキでしょうが! 悪ぶってスネてる暇があるなら、黙って守られてなさいよ! 心配してくれる人がいるのに、バカやって心配かけてんじゃないわよ!!」


 ルクレアの言葉にテオは唇を噛み、黙り込んでしまう。

 ルクレアは喉の突っかえが取れたように、大きく息を吐いた。















 ごろつき達を街の衛兵へと引き渡し、改めてロイドとルクレアは孤児院の皆に見送られる。


 今度は罰の悪そうな顔をしたテオもヘレナの後ろにいる。

 周りの子供たちから、心配かけるなと怒られて唇を尖らせてはいたが、その場から逃げ出そうとはしていなかった。


「最後まで、ご迷惑をおかけしてごめんなさいね」


「構わない」


 何度も頭を下げるヘレナと手を振る子供たちに見送られて街を出る。


「ルクレア」


「……何よ」


 立ち止まったロイドがルクレアの方を振り返った。

 つられてルクレアもその場で足を止める。


「……テオは、思いやりだとか、優しさが分かるようになるのか?」


 唐突な質問にルクレアは首を傾げる。

 ロイドは何を考えているか分からない、真面目な顔をルクレアに向けている。


「知らないわよ。ただ、まあ……ヘレナはそう望んでるんじゃないの」


 ルクレアの答えを聞き、ロイドは街の方に視線を向ける。


「俺は、ヘレナの言っていることがよく分からなかった。優しさとは、いいこととは……与える事じゃないのか?」


 何故かロイドが、親を見失った子供のような表情をしている気がした。


「……別に、そんなの人それぞれでしょ」


「そうなのか?」


「そうでしょ。別に、どう考えてても、周りに迷惑だの心配だのをかけないなら好きにすればいいじゃない」


 ルクレアはそれだけ告げると、ロイドから視線を外して歩き始める。

 後ろからロイドの足音が聞こえる。


「そうか」


 街道から外れ、舗装されていない道を二人は進んでいく。


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