最終章
魔獣の巣から戻って数日。
誰も物音を立てない部屋でルクレアは、目を開かないロイドの顔を眺めていた。
命に別状はない。
直に目を覚ますという言葉すら、信用できずにほとんどの時間をここで過ごしていた。
ロイドの手を強く握りしめた手元から、小さく光が放たれる。
何も起こらない。
治癒魔法は毒には効果がない。
分かってはいても、何かせずにはいられなかった。
今日も駄目だ。
ルクレアの目元が熱くなる。
その時。
「……ルクレア?」
ベッドに横たわるロイドの瞼がゆっくりと開いた。
「……ロイド」
ルクレアはロイドの手を握ったまま、顔を上げる。
ルクレアの顔を見てロイドが首を傾げた。
「何かあったのか? 大丈夫か?」
きょとんとした表情に、ルクレアは握っていた手を離して、勢いよく立ち上がる。
「大丈夫じゃないのは、あんたでしょうが!」
ルクレアの怒鳴り声にロイドがますます目を丸くした。
その様子にルクレアは何かが込み上げるような感覚のままに、更に声を荒げる。
「治癒魔法が万能じゃないって、そう言ったのはあんたでしょ! あたしじゃ、毒は治せないって……」
ポタポタと頬を何かが伝う。
ロイドが息を飲み、身体を起こして、ルクレアへ手を伸ばそうとするのにルクレアは眉を寄せる。
「……起き上がるんじゃないわよ」
「……役に立てずに、迷惑をかけてしまってすまなかった」
ロイドの言葉にルクレアは唇を噛み締める。
胸の辺りがざわついて、握りしめた手が震えた。
「……そういうことを言ってるんじゃないわよ」
「……だったら」
ロイドの言葉が、勢いよく開かれた扉の音でかき消された。
「おー! 目を覚ましたかロイド!」
安堵したように笑顔を浮かべたヴァルフが枕元までやってくる。
後ろから、眉を下げながら、笑顔を浮かべたカナンが続いて部屋に入ってきた。
「お前が目を覚まさなくて、ルクレアが随分と心配してたんだぜ?」
ヴァルフの言葉にルクレアは鋭い視線を向ける。
しかし、そんなことは意にも介さない様子でヴァルフはへらへらとした顔を向けてきた。
「……魔獣は」
ロイドが尋ねれば、カナンが苦笑いを浮かべながら前に出る。
「お陰さまで、全て討伐できました。街も元の通り平和なものです。ロイドさんの怪我はルクレアさんが治してくださいましたが、毒の影響は抜けきっていません。暫くは安静に。……この薬を飲んでいれば元気に戻ります」
ロイドが頷き、ルクレアを見る。
ルクレアはロイドから視線を外して、唇を噛み締めていた。
ロイドが目を覚まして数日。
ルクレアはベッドから起き上がろうとしているロイドに眉を寄せて早足で歩み寄る。
「……寝てろって言ってるでしょ」
「すまない。少し、荷物を取ろうと思っただけだ」
ロイドの言葉にルクレアは深いため息を吐いた。
暇だからか、痛みが分からないからか、ロイドは目を離すとすぐに動き回ろうとしてしまう。
ロイドを半ば無理矢理にベッドへと連れ戻し、ルクレアはロイドの手を軽くはたく。
「……子供じゃないんだから、言うこと聞きなさいよ」
冷たく言い放ったルクレアにロイドは、大人しく頷く。
聞き分けがいいのか悪いのか分からない。
もう一度ため息を吐き、立ち上がろうとしたルクレアの腕をロイドが掴んだ。
「……なによ」
ロイドが珍しく口を開いては閉じてを繰り返し、目線を迷わせる。
ルクレアは眉を寄せながらも、黙ってロイドの言葉を待った。
「……ルクレアは、ここに残るのか?」
「……はぁ?」
ようやく聞けたロイドの言葉に、内心の苛立ちが抑えきれずに声に乗ってしまう。
「……残るわけがないでしょ」
「だが、ここの方が安全だろう? 街の住民もいい人ばかりだ」
ロイドが真っ直ぐルクレアを見つめる。
ルクレアは腕を握るロイドの手を軽く振り払い、立ち上がった。
「……あんた、何も分かってないのね」
呟き、部屋を出るルクレアの背中をロイドが黙って見つめていた。
毒も消え、鍛練を再開して、体力も万全に戻ったロイドとルクレアが街を発つ日。
「また近くに来た時にでも、顔見せろよ!」
「本当にお世話になりました。お元気で」
「ああ。また機会があれば寄ろう」
ヴァルフとカナンに見送られ、二人で黙って歩き始める。
元々お喋りしながら道中を楽しむタイプではないが、これほど静かだったことはない。
前を行くロイドはチラチラと何度もルクレアを振り返っていた。
そんな空気のままで、二人は進んでいく。
街が見えなくなって、小高い丘の上にたどり着いた時、ルクレアは足を止める。
ロイドも立ち止まり、首を傾げながら振り返った。
「……ルクレア?」
「……良い場所ね」
風に吹かれた髪を軽く指で抑えながら、ルクレアはポツリと呟く。
「ルクレアはこういった場所が好きなのか?」
「……ええ。小さい頃はね、村にあった丘の上が好きで……よくそこで過ごしていたの」
遠くを見つめるルクレアの瞳に真っ直ぐとこちらを見つめるロイドの顔が映る。
ルクレアは、一度深呼吸してから、言葉を続けた。
「両親と、仲のいい近所のおじいちゃんがいてね……幸せだったの」
ロイドは黙ってルクレアの話を聞いている。
「もう、誰もいないの」
ルクレアは顔を俯かせて、呟いた。
言葉を噛み締めるように、ゆっくりと続ける。
「……あたしの大切な相手はね、もう一人しかいないの」
顔を上げたルクレアの静かな瞳が、真っ直ぐとロイドを捉える。
「……一人だけか?」
ロイドが問えば、ルクレアは眉を下げながら呆れたように口の端を持ち上げる。
「そうよ。……だから、あんまり無茶しないでよ」
ロイドが目を大きく見開いた。
それを見て、ルクレアは更に呆れたように眉を寄せる。
「………覚えておいて。私は街に残ったりしないわ」
「……ああ」
「私は他人なんかどうでもいいのよ。もう……誰が傷付いていたって、無条件に救いたいなんて、考えたくないの」
ルクレアはそっと胸元の聖女の証を持ち上げ、そのまま離す。
「……そうか」
「私が、救いたいのは……失いたくないのはあんただけよ。あんただけが、私の心を傷つけるの。
だから、その自覚を持って……傍にいてよ。」
ルクレアは一度目を強く瞑ってから、ロイドを真っ直ぐと見つめる。
「……分かった」
「……たぶん分かってないでしょ」
力強く頷いたロイドに、ルクレアは少し眉を下げ、困ったような、呆れたような表情を浮かべながら、クスクスと笑う。
きっと何も分かってはいない。
けれど、それで良いと思えた。
ただ、これからも二人で歩き続けられればそれで。




