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第八章 後編

 戦が始まっても聖女の役割はあまり変わらなかった。


 ルクレア以外の聖女の役割は。




「聖女ルクレア。君に特別な役割を与えよう」


 中央からやってきた士官から、平民であるルクレアにだけかけられた言葉に周囲がざわざわと騒ぎ始める。


 平民であることを嘲る声。

 弁えろという僻み。


 全てがどうでもよかった。


 自分が役割を与えられる。

 誰かを助けるのに相応しい働きをしてきたと認められた気がした。


 


 聖女の巡行から外されたルクレアが連れていかれたのは、地獄だった。
















 鉄の匂いと苦悶の声。

 赤に染まった包帯。


 平民の徴兵軍。

 彼らの戦場の後方、治療テントへとルクレアは連れてこられた。


「聖女ルクレア。お前には、これから彼らを癒し続けて貰う」


 「……癒すって」


 治癒魔法で彼らの命を救えるのか。

 ルクレアは顔を上げて、周囲を見回す。


 無事な箇所を探す方が難しい。

 全身に包帯が巻かれて、下の傷口からは膿が滲んでいる。

 

 こんな状況では治癒魔法は、ただの延命にしかならない。


 ルクレアは聖女の証を、強く握り締める。

 

「彼らには、まだ戦場での役割がある。癒してもらわねばならん」


「こんな状態で……戦場なんて!」


 ルクレアは思わず士官の顔を見上げた。

 しかし、彼はルクレアを一瞥もせずに淡々と言葉を続ける。


「ここで敵国を足止めしなければ、我が国は不利な立場になるだろう」


「っ……」


 ルクレアは唇を噛みしめて、証を握る手に力を込めた。

 歯がぎしりと軋み、手のひらがひりひりと痛む。


「聖女ルクレア。これが、今日から君の仕事だ。国のためになれる、栄誉ある仕事だ」


「わかり、ました……」


 このままでは、彼らは死んでしまう。

 なら、それを助けて延命するのは正しいことだ。


 ルクレアは顔を上げて真っ直ぐ前を向く。

 

 人を助けるのだと。

 

 足を一歩踏み出してテントの中に入った。


 場違いな白いローブのルクレアに目を留める余裕のある者はいない。

 特に、状態の悪そうな男の傍にルクレアは腰を下ろす。


 頭に巻かれた包帯はいつ替えられたのだろうか。

 真っ赤に染まった包帯から覗く顔は血の気が失せている。

 乾いた唇から、浅い呼吸音が聞こえた。


「たすけて、くれ……」


 譫言のように、口から零れた言葉にルクレアは息を飲んだ。

 しかし、すぐに首を横に振り、男の手を取る。


「すぐに、助けるわ」


「しに、たくない……」


 ルクレアには目を向けずに、男はかさかさに乾いた唇を動かす。

 一度大きく息を吸い、ルクレアは真っ直ぐに男を見つめる。


 治したい。

 救いたい。


 そう力を込めれば、目の前が光に包まれる。

 

 男から苦悶の声が上がった。

 躊躇なく、ルクレアは魔法を使い続ける。


 光が収まれば、ルクレアの揺れる視界に傷が塞がった男の姿が映った。


「……よくやった。次に取り掛かれ」


 後ろから士官に声をかけられる。

 次の患者の元へと向かおうとするルクレアを余所に、無傷の男たちが先ほど治療したばかりの男を連れて行こうとしていた。


「まだ、安静にしてないと……!」


 治癒魔法で怪我は塞がっても完治は出来なかった。

 体力も削れている。


 立ち上がろうとしたルクレアに士官が肩を掴んで制止する。


「ちょっと……」


「聞いていなかったのか? 次に取り掛かれと言った筈だ」


 肩に走る痛みにルクレアは眉を顰めた。

 士官の冷たい瞳に身体が震える。


「……あの人は、まだ安静にしてないといけないんです!」


 みっともなく、震えた声だった。

 ルクレアは真っ直ぐ士官を見つめた。


 だが。


「……きゃぁ!」


 乾いた音が鳴った。

 ルクレアの身体が地面に叩きつけられる。


 頬が熱い。


 一瞬遅れて、ずきずきと痛みを訴え出した頬を抑えて、ルクレアは士官を見上げる。


「お前の仕事は、指示されたとおりに治癒魔法を使うことだ」


 見下ろす瞳に身体の震えが止まらなくなる。

 熱い頬を涙が伝った。


「……分かったか?」


 ルクレアは黙って頷く。

 

 首から下げた聖女の証。

 ちっぽけなそれを拠り所にルクレアは立ち上がった。




 












 限界まで魔法を行使して、一日が終わる。

 今までと同じことの繰り返しだ。


 ただひとつ違うのは、ルクレアが患者と直接向き合うこと。

 彼らの言葉が直接ルクレアに届くことだった。


 しかし、それはルクレアにとっての救いにはならなかった。


「もう、いやだ! 死なせてくれよ!!」


 昨日治した重症の男が、昨日よりも酷い怪我を負っている。

 ルクレアは黙ってそれを治した。


「もう、戦いたくないんだ!」


 何度目かも分からない兵の一人がルクレアから逃げようと、動かない身体を必死に動かそうとしている。

 無傷の士官に抑えられたその身体にも、治癒魔法を使った。


「悪魔……!! お前は、悪魔だ!!」


 ルクレアに向けられた憎悪の目。

 

 違う。

 自分は聖女で、彼らを死から救っている。



 










 


 兵士たちの治癒を終えた夜。

 ルクレアは震える足を抑え、士官の休むテントに向かった。


 テントの入り口で不機嫌な士官が腕を組み、ルクレアを見つめる。


「あの、ほんの少しだけでも、彼らを休ませて……!」


 言葉が終わる前にルクレアは地面に叩きつけられる。

 痛みに涙を流し、蹲ってしまう。

 

 そんなルクレアの身体を無理やりに起こす様に、髪を掴まれて持ち上げられる。


「……何度言えば分かる? お前の仕事は治癒魔法を使うことだ」


 髪を離されて、身体が再び地面にぶつかった。

 幾度目か分からない言葉にルクレアは目から涙を流しながらも、士官をまっすぐに見つめる。

 

 震える手で聖女の証を握りしめ、ふらつく身体を起こす。


「あたしは、聖女として……」


「平民出身の、使い捨てが……身の程を知れよ」


 再び頬に衝撃が走った。

 地面に崩れたルクレアは、今度は立ち上がれず、士官を見上げることしか出来ない。


「平民聖女にしては、力があるからお前に回ってきた役目だ。お前が使えないなら、何人かの平民の聖女で代用すればいい」


 士官の言葉がルクレアの思考を揺らす。

 あの夜、木の実を差し出してくれたノルカの笑顔が浮かんで消えた。


 ルクレアは聖女の証から手を離し、士官に向かって頭を下げる。


「申し訳、ありませんでした。……自分の仕事に集中します」


 ルクレアの態度に、鼻を鳴らして士官はテントの中へと戻る。


 一人残されたルクレアは、頭を地面につけ、声も出せずに地面を濡らしていた。















 日に日に、ルクレアは疲弊していた。

 治癒魔法による体力の消耗と、心の疲弊。


「聖女ルクレア。仕事の時間だ」


 いつもの言葉。

 それと同時に、ルクレアは何も考えずに治癒魔法を行使する。


「いやだ……いやだぁ!!」


「殺してくれ、もう、死なせて……!!」


 苦悶と拒絶の声。

 いつもの日常がそこにある。


 自分は、ただ自分の仕事をしている。

 それだけだ。


 最後の一人の元へとルクレアは歩み寄る。

 男は、ルクレアには目も向けずに、自分の服を握りしめていた。


「いやだ……帰りたい。マリー、ルイーズ……父さんは、お前たちにもう一度……!」


 ぼろぼろの服に継ぎ当ての跡。

 丘を吹き抜ける風の暖かさを思い出した。


「もう、もう戦場なんていやだ……帰りたい。お前たちに会いたいよ……!!」


 聖女の証が重たく感じる。

 治癒魔法をかけようとしたルクレアの手が震えた。


「聖女ルクレア。……何をしている」


 促されて、ルクレアは身体をびくりと揺らした。

 

 呼吸が浅くなる。

 汗が止まらず、背中をぐっしょりと濡らした。


「……ここで、敵国を足止めせねばより多くの民が犠牲になる。お前の仕事はなんだ?」


 諭すような口調で、士官がルクレアに語り掛ける。


「あたしの仕事は……」


 胸にかかっている聖女の証が熱く思えた。

 ルクレアは一度唇を強く噛みしめながら、俯く。


「……治すことです」


 前を向いたルクレアの視界が光で埋まった。


 それと反対に、ルクレアの世界は色褪せていく。

 


 自分は、人を救う聖女などではない。

 人を苦しめ、死という最後の安寧すら奪い取る。


 誰かを救うことなど出来ない。


 救いたいだなんて、救えるだなんてただの思い上がりだったのだ。











 





 地獄は突然終わりを告げる。

 

 隣国との戦に勝利したという吉報が国中に広まった。

 

 ルクレアが治し続けていた平民たちは、もうわずかしか生き残っていない。

 その少ない生き残りは短い余生をどう過ごすのか、ルクレアには知る由もなかった。

 

 前線で治療をしていたルクレアは呼び戻され、戦で怪我を負った騎士の治癒の補佐を任命される。


 それが終われば、また平民の聖女としての日常に戻れると。

 そう、思っていた。









 騎士の怪我の治療に目途が立った頃。

 

 ルクレアは突然身柄を拘束された。


「ちょっと……いったい、なによ!」


「大人しくしろ! 罪人ルクレア!」


 意味が分からなかった。


 周囲を見渡すルクレアに味方などいない。

 

 蔑む視線。

 嘲りの言葉。


 ルクレアの身体から力が抜けていった。













 気が付けば、ルクレアは牢に入れられ、自分の罪状を聞かされていた。


「元聖女ルクレア! お前は、治療を拒絶する兵士に同意なく治癒魔法を行使し、彼らに戦場へ立つことを強制し続けた!」


 ルクレアにそんな権限なんてないことは、目の前の男だとて分かっているだろう。

 それでも、男はまじめな声で書状を読み上げる。


「……平民たちからの嘆願! 貴族からの同情の声! それらによって、お前の罪は白日の下に晒されることとなった!」


 なんてことはない。

 使い捨ての道具が使い終えて、捨てられただけだ。





 冷たい牢屋の中。

 誰もいない、一人の空間。


 人を助けられずに、苦しめた罪人にはふさわしい場所。


 ルクレアは、聖女になどなれなかった。

 無償の善意など、そんなもの抱えたいと思う方が間違いだったのだ。



 ここにいるのは、ただの愚かな罪人だけだ。



















「……ルクレア」


 名前を呼ばれて、ルクレアは息を飲んだ。

 

 首にかかっている聖女の証の重み。

 祭りの喧騒。

 屋台から漂ってくる匂い。


 無意識に震えていた指を隠すように、手をぎゅっと握りこむ。


 一度、大きく息を吐き出して、ルクレアは前を見る。

 ロイドが首を傾げながら、ルクレアを見つめていた。


「……なによ」


「……待たせてすまなかったな」


 差し出された手には、入れ物代わりの大きな葉に包まれた蜜漬けがあった。


 「……杏」


「ああ。……好きなんだろう?」


 先日の干し杏のことを言っているのだろうか。

 だが、あれはルクレアではなくロイドが選んだものだったはずだ。


 一瞬黙ったルクレアにロイドは再び首を傾げる。


「……好きではなかったか?」


 少しだけ、呆れた目を向けた後、ルクレアは杏の蜜漬けを摘まんで口に放り込んだ。


 甘酸っぱい。

 幼い頃は、この酸っぱさは苦手だった。


「……美味しいわね」


 ルクレアの小さな呟きに、ロイドが安堵したように頷いていた。


 

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