靴に入った砂
庭園でのやり取りから一夜が明けた。
朝の空気は冷たく、石廊下を歩く靴音がいつもより響いて聞こえる。俺は窓の外を一瞥し、昨日のことを頭の中で整理した。
アンリはロンゲールに「覚悟」と言った。
ロンゲールは「今を選ぶ」と言った。
ゲームで何度も見た台詞と、ほとんど同じ言葉だった。
(……計画通りだ)
そう結論づけて、俺は廊下の角を曲がった。
「よぉ、リンタロウ」
曲がった先にロンゲールがいた。
正装ではなく室内着のまま。
わざわざ待っていたのか、たまたまいたのか。どちらとも取れない顔をしている。
「おはようございます。随分と早いですね」
「眠れなかったんでな」
珍しいことを言う。
ロンゲールはどこへ行っても大抵の場所で熟睡できるタイプだ。
遠征の野営でも、騒がしい宴の翌日でも。それがこの男の図太さであり、俺が密かに尊敬している部分でもある。
「どこか具合が悪いんじゃないですか?」
「そうじゃない」
ロンゲールは窓の外に目を向けながら言った。
「アンリ嬢、面白い女だな」
心臓がとくんと跳ねる。
(き……きたぁぁぁぁ!)
俺は内心で拳を握りながら、表面上は穏やかに答える。
「そうですね。芯があって、賢い方だと思います」
「あぁ。俺が思っていたより、ずっとな」
ロンゲールはそこで少し黙った。
続きを言うつもりがあるのか、ないのか。
「……なんだか悔しいな」
「何がですか?」
「分からん。だから余計に悔しい」
意味が分からなかったが、こういう時に追及するのは野暮だ。
俺は「そうですか」とだけ言い、話を切り上げようとした。
しかしロンゲールは動かない。
窓枠に肩を預けたまま、外を見ている。
今日は曇りで、光の質が平坦だ。彼の黒髪もいつもより艶を欠いて見えた。
「お前は昨日のアンリ嬢、どう見た」
これは昨日も聞かれた質問と実質的に同じだろう。
俺への問いかけの形をとっているが、たぶん彼は自分自身に問うている。
「覚悟のある方だと思いました」
言葉をを引用するのは、考える必要がなく、一定の説得力を生み出すことができる。前世で学んだ気がしなくもない。
「覚悟、か」
「ええ。令嬢として振る舞いながら、その内側はきちんと自分で考えている。あの場で殿下の言葉を正面から受け止めた時の目は、取り繕ったものではありませんでした」
ロンゲールはふむ、と短く鼻を鳴らした。
「お前、人の目をよく見るよな」
「見なければ間違えますから」
「そういうもんかね。俺はお前の目、あんまり見たことないな」
「私はそれほど面白い目をしておりませんので」
肩をすくめると、大男は笑った。
からかいではなく、どちらかといえば呆れに近い笑い方だった。
「そういうとこだぞ」
「何がですか」
「まったく……今日は鍛錬の予定を午後にずらした。昼前に少し時間が空く。昼飯でも付き合え」
「かしこまりました」
それだけ言って、ロンゲールはようやく窓から離れた。
廊下を歩いていく背中は相変わらず大きく、堂々としている。
ただ、今朝だけは歩幅がいつもより少しだけ小さいような気がした。気がした、というだけかもしれないが。
・
昼の食卓は質素だった。
ロンゲールが「大げさにするな」と指定したためで、二人分の皿が木のテーブルに並ぶだけだ。
城の食事にしては随分と庶民的だが、俺はこの形式が好きだった。気を張らずに済む。
「昨日の庭園、段取りはお前が?」
「ある程度は。席の位置と、話題のきっかけをいくつか用意しました」
「アンリ嬢が薔薇に近づいたのも?」
「いえ、あれは偶然です」
ロンゲールはパンを千切りながら「そうか」と言った。
「じゃあ、彼女は自分で動いたわけだ」
「そうなります」
「……なるほどな」
何がなるほどなのか、俺には分からない。
分からないまま俺もスープに手を伸ばした。
「殿下は、アンリ嬢のどのあたりが面白いと思われましたか」
これは純粋な確認だ。
どこに興味を持っているかを把握しておけば、次の機会に活かせる。俺はあくまで情報収集のつもりで聞いた。
ロンゲールは少し考えてから、
「逃げないところかな」
川の流れのようにサラリと言った。
「逃げない……ですか」
そりゃあそうだろう。
思考が顔に出ていたのか、彼は眉をあげる。
「俺が今を選ぶって言った時、たいていの令嬢なら俯くか、当たり障りのない返しをする。だが彼女は正面に立ったわけだ」
「それが面白い、と」
「面白いし――」
ロンゲールはスプーンを置いた。
「なんか、真剣にさせられるんだよな。こっちも誤魔化せない感じがして」
それは褒め言葉だと判断した。
ロンゲールにとって、相手を真剣にさせる人間は少ない。
大抵の場面で彼は余裕を持って立ち、それは強さでもあり孤独でもあった。
だから、アンリ・ベルナールは正しい相手だ。
ゲームの攻略対象として設計された彼女は、こういう男の核心に触れるのが上手い。
よし、次は二人が話せる機会を増やそう。
テーマは……そうだな、彼女が関心を持ちそうな——
「リンタロウ」
「はい」
「お前、いま何考えてた」
俺は表情を動かさずに答えた。
「次の段取りを」
「俺の話をしながらか」
「殿下のための段取りです。失礼ではないかと」
「……お前なぁ」
ロンゲールは苦笑し、それきり追及しなかった。
食事は静かに続く。
・
問題は夜になって現れた。
べつに考え事をするつもりはなかった。
窓から見える星の数を数えていたら、気づけばアンリの顔が浮かんでいて、それがロンゲールの隣に並ぶ絵に変わって、それを見ている自分が——。
(……眠れない)
身体を起こし、水を飲んだ。
喉は乾いていなかった。
これは何だろう。
計画通りに進んでいる。ゲームの流れと同じやり取りがあった。
ロンゲールはアンリを「面白い」と言い、「真剣にさせられる」と言った。何も問題はない。
では、なぜ。
胸の奥に引っかかりがある。
棘というほど鋭くはなく、だが無視するには少しだけ存在感がある。
砂粒一つが靴の中に紛れ込んだ時の感覚に似ていた。歩けないわけではないが、確かにそこにある。
(……意識を張り巡らせて疲れているのかもしれない)
そう決めて、もう一度横になった。
目を閉じたが、すぐに開いた。
天井の模様が薄闇の中でぼんやりと浮かんでいる。
この世界の天井は石で、前世のそれより遥かに高く、遥かに冷たい。
俺がここに来た理由はロンゲールとアンリを幸せにするためだ。
転生して、十八になって、田舎を出て、登用制度を使って、マッサージをして、覗きを捕まえて、貴族の嫌味をかわして、ここまでやってきた。
それは変わらない。変わるはずがない。
ロンゲールが笑って生きていける未来のために、俺は動いている。ただ、それだけだ。
理由を確かめ終えたら、少し楽になった。
その夜は、それで十分にしておいた。
未完の作品ばかり増えると気持ち悪いので、ぼちぼち書いていきます。
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