番外編 魔のカウントダウン 零
今回は長い間放置していた番外編を進めてみました。
この二人は色々なことを考え過ぎていて私も何度か胃が痛くなりましたが、やっとスタートラインに漕ぎ着けられた感があります。
どのキャラにも幸せになってほしいです。
《Side悠紀》
もうすぐ今日が終わる。
視界に入った時計が指し示す時間は、今日という日が残り僅かだという事をただ事実として伝えてくる。一週間前からきっかり一時間ごとにある特定の人物からのメール着信を知らせていた携帯も数時間前から沈黙を続け、今この時に至っても沈黙を貫いている。その事に不気味さは感じるものの、この状況を作り出してくれた二人には感謝をしていた。
自分一人では決して、こんな風に彼女と二人で過ごすという選択は出来なかっただろうから。
彼女は真海グループの御令嬢。“海の珠”の正統継承者にして真海家次期当主。
対して自分は真海家の分家の血すら引かない。誰の子供かもわからない捨て子。
違いすぎるのだ。本来なら声をかけることすら、出会うことすら叶わなかったかもしれない。
けれど、出逢えた。
話しかけて、話しかけられて、笑い合えて、触れ合えて、ぶつかり合えて、支え合える。
それだけで充分良かったと思っていた。幸せだと、奇跡だと感じていたのに・・・。
――――ねぇ、悠紀。幸せになることを罪だとは思わないでね。誰にでも幸せになる権利はあるの。それに手を伸ばすことを躊躇わないで。諦めないで――――
手を伸ばしていいのか迷った時、これでいいんだと諦めようとした時、よみがえる言葉があるのだ。
最後まで彼を想い、迷わずに歩いていけるように背中を押して、彼の幸せを願い続けてくれたあの人の言葉が、心が、一歩を踏み出す勇気をくれる。
約束したのだ。《彼女の分まで生きる》のではなく、《自分の人生を真っ直ぐ歩く》と。
自分だけの人生を一日一日大切に、自由に生きていくと。
だから、もう迷わない。
彼の強い思いを感じ取ったように体の奥底で反応する異能。それは暴走の前兆時のような荒々しい気配ではなく、まるで彼に寄り添うように全身に広がって一瞬で消えた。
――――大丈夫よ、悠。自分を信じて。
聞こえるはずのない声が聞こえた気がして思わず口元が緩んだのがわかった。
ありがとう、姉さん
「そろそろ閉園だね」
ポツリとなされた呟きに斜め下へ下へ視線を落とすと、彼女は夜空を見上げていた。都会ではビルに遮られてあまり見えない煌びやかな星達を眩しそうに、少し、切なさを滲ませて。
「だな。最後に、どこ行こうか」
同じように空を見上げるとベンチに置いた手に冷たい感触が触れた。それを見ることなくそっと指を滑らせるとじわりと伝わってくる確かな温もりにふわりと胸の内に熱が灯った。
冷え切った二つの温もりが互いを求めるように、確かめるように絡み合い、互いの指の間に相手の指が入り込み、ぎゅっと握り合った。
ちらりと下を見下ろすと、ちょうどこちらに視線を向けた彼女と目が合った。
あぁ、このまま――――
不意に込み上げてきた思いに胸が締め付けられるように痛んだ。そんなことは有り得ないと、起こり得ないと、わかり切っているから。
それでも一度込み上げてきた思いを消すことは、一度芽生えてしまった望みを摘み取ることは、到底出来そうになかった。
時が止まってしまえばいい。
ふるっと忍び込んでくる寒さに体を振るわせた渚が温もりを求めるように体を寄せた。すっかり夜の帳に覆われた園内は身を切るような冷たい風が悪戯に吹き込み、衣服の隙間から侵入すると容赦なく素肌を撫でていく。
「寒いな」
「うん」
すでに二人の間に隙間はない。手を繋ぎ合い、見つめ合い、寄り添い合いながら動かない。
本当に時間が止まっているようだった。この場所だけ周りの時間から取り残され、世界には自分達しかいない。
そんな錯覚すら覚えるほど互いの事しか見えていなかった。
最後の距離を詰めたのは、どちらからだったろうか。
示し合わせたように揃って目を閉じた二人の距離が埋まっていく。
あと数㎝のところで悠紀がわずかに顎を引き、こつりと額が合わさる。開かれたであろうまぶたの奥にあるものを見たくなくてそのまま俯き、ぐっと奥歯を噛み締めた。
あぁ、本当に
全ての柵を振り払ってしまえたらいいのに
「わぁ、綺麗」
眼下に広がるまるで別世界のように光で彩られた美しい夜景に感嘆の声が零れる。立ったまま観覧車の窓にぴったり張り付くという子供のような姿に悠紀の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
「ねっ、悠紀」
同意を求めるようにこちらを向く青玉の瞳が興奮でかキラキラと下に広がる夜景より美しい輝きに満ちている。それを眩しそうに見つめ返した悠紀は頷いて同意を示す。
普段の彼女からは想像もつかないような子供っぽい仕草に結構なギャップを感じ、自制しても口元が緩んでしまう。
本当に幸せだ
もう二度と来ない今日という1日を好きな人と過ごせただけでもう充分過ぎるほど幸せだ
心から、そう思う
だから
鎖骨のあたりをきゅっと掴んだ悠紀の顔が苦しそうな、寂しそうなものへと変わる。
これ以上望んだら、いけない
♪♪♪♪
今まで沈黙を保っていた携帯が唐突に震えた。バイブ設定にしていたそれを取り出すと、新着メールが1件ある旨が表示されていた。
差出人はこの状況を作り上げた人物。
嫌な予感がしたものの、数秒の迷いの後ゆっくりと指先が動き出す。
『告白まであと10分』
目の前にいたら自慢の顔が原型を留めなくなるまで殴っていただろう。
ピキ、と悠紀の指が触れている箇所から薄く氷が張り付き、少しずつ広がって行く。それが彼の内から滲み出す怒りのほどを何よりも明確に表していた。
ガタン
「わっ」「っと、渚!」
前触れもなく観覧車が止まり、その際の軽い衝撃に踏ん張りきれなかった渚の体が泳ぐ。それを立ち上がった悠紀が支え、椅子に座らせる。
地上に広がっていた幻想的な光は跡形もなく消え去り、観覧車内の電気すら消えてしまっていた。
幸いにも雲ひとつない夜空のおかげで月明かりが射し込み、充分過ぎるほど室内を照らしてくれていた。
「大丈夫か?渚」
「うん。だけど、いきなり止まるなんて」
『ご搭乗のお客様へお知らせいたします。ただいまシステムトラブルのため一旦観覧車の運転を停止しております。システムが復旧次第運転を再開いたしますので、ご搭乗のお客様はそのままでおまちください』
その後は緊急停止への謝罪と何かあった時はブザーを押して知らせてほしい旨が流れ、同じ内容のアナウンスがもう一度繰り返された。
「トラブルって、何があったのかな?」
「電気系統のトラブルだとしたら時間かかるかもな」
薄暗闇に沈んだ室内に沈黙が落ちる。それは決して居心地の悪いものではなく、むしろ心地よく感じた。
横にある彼女の顔を盗み見る。わずかな月明かりに照らされた横顔は幼い頃から見慣れたものだ。
初めて会った時は、彼女に対してこんな気持ちを抱くことになるなんて思ってもいなかった。
守るべき対象で、仕えるべき相手で、自分とはまるで住む世界が違う別世界の住人。
けれど、違った。
『お嬢様なんて、よばないで。わたしには、渚ってなまえがあるんだから!』
いつだったか。出会って初めて感情をあらわにした彼女を目にして気づいたのだ。
同じなんだ。
決して別世界の住人などではない。
ただの1人の強がりな女の子なんだと。
今にもこぼれ落ちてしまいそうなほど目一杯に涙を溜め、それでもそれを零さないようにまっすぐこちらを睨みあげていた青玉の瞳の奥に見えた、大人びた顔の裏にある寂しさ。
それに気づいた時から悠紀にとって渚はただの主人ではなく、ちょっと強がりで寂しがりな女の子になった。
今現在ではそこに(重度の)兄馬鹿を付け加えているが。
「私、最初は悠紀の事嫌いだったんだ」
思い出に浸っていたところへの突然の爆弾発言に数秒程思考が停止した。ついでに息も止まった。
「あんまり覚えてないんだけど、さ。距離を感じたというか、壁を築かれてるように感じたんだよね」
停止してしまった悠紀に気づいていないのかそう続けた渚は昔を思い出すように目を閉じ、小さく笑った。
「他の使用人も似た感じだったからね。だけど私はそれが、嫌で嫌でたまらなかった」
開かれたまぶたから覗く青玉が宙へ伸ばされた己の手のひらを映す。普通より少し小さめの、他の人と同じように血が通い神経が走り痛みを感じる手のひら。
なんて事のない。ただの人間の手のひらだ。
「周りと違うところなんて、何一つないのに。私は、私なのに、“真海渚”を見てもらえてないのが、すごく、嫌だった」
のろのろと握り込まれた手のひらを抱え込むように俯く彼女の頬に髪がかかり、暗い闇を落とす。月明かりさえもどこからかやってきた雲に覆われ、まるで一人闇に取り込まれてしまったような錯覚を覚えた。
久しく感じた事のなかった孤独感に心が震えた。
「知ってるよ」
手に、熱が触れた。
一つ瞬いてそれが悠紀の手だと気付き、もう一つ瞬くとひどくゆったりと顔が上がっていく。
「俺は、お前が“真海 渚”というただの一人の人間だって知ってる。とんでもないブラコンで、運動音痴で、不器用すぎてりんごの皮むきもできなくて、実は妹が大好きで、数学が壊滅的で、血が苦手で、いつでも冷静なくせに友達のことになるとすぐカッとなって」
丁寧に、壊れ物を扱うように優しい手つきで握り込まれた指を一つ一つ解いていき、爪が食い込んで赤くなってしまった手のひらを労わるように冷えた唇を寄せる。
「口が悪くてかなりの腹黒で性格も捻くれてて素直じゃなくて人付き合いが苦手で、わかりにくいけど優しくて、結構な寂しがり屋で」
座る渚の前に跪くような形で並び立てていた悠紀が顔を上げる。
雲の切れ間から光が差し、ただ一心に彼女を見上げる冬空の瞳がはっきりと見えた。真っ直ぐ、逸らされることなく彼女のみを映す瞳。
『お嬢様なんて、よばないで。わたしには、渚ってなまえがあるんだから!』
幼い自分の精一杯の訴えが唐突によみがえった。
幼い心に溜まりに溜まった鬱憤が爆発した瞬間だった。
あの時彼は、なんて答えたんだっけ。
「俺が世界で一番好きな女性が、“真海 渚”だ」
『・・・では、渚様とおよびしてもよろしいでしょうか?』
『様、いらない』
『さすがにそれは』
『いらない!あなたはわたしのことなまえでよんで!』
『それでは渚さんでいかがでしょうか?』
『渚だけでいいってば!』
『・・・・・・では、渚とおよびしても?』
「渚。俺、ずっと言えなかった。本当は一生伝えないつもりだった。伝えても俺とお前では立っている場所が違う事を、生きる世界が違いすぎる事を、身に染みてわかってたからな」
彼の中での良いと悪いの線引きがイマイチわからなかったが、たった二文字の響きがとても特別なものに思えた。
その日から私は彼の前だけではただの“渚”になれた。
「それでも俺は、他の何を捨ててでも、誰を裏切ってでもお前だけは諦めきれない。側にいたい」
真海 渚という人間がただの駒に成り下がらなかったのは、彼がくれた“渚”という特別があったから。
「何度も諦めようと思った。消そうとした。今でもその方がいいって、思ってる」
私自身見てくれる悠紀がいたから、真海渚は渚でいられた。
「だけどもうやめだ。俺は俺の人生を、俺が生きたいように生きる。手を伸ばさずに後悔するくらいなら、手を伸ばして後悔した方がマシだって、気付かされた」
言葉とともに雪のように白い手が伸ばされ、そっと彼女の頬に添えられる。
「好きだ」
『ねぇ、渚。喪ってから後悔するのと、喪う前にやれるだけやって後悔するの、どっちがマシかな』
未来なんて誰にもわからないけどさ、やらずに嘆くよりかはやって後悔した方がマシに思えない?
うん。本当に、その通りだね。
「・・・き・・・」
頬が冷たい。
それが自分の流した涙のせいだと気付いたのは、彼の指先が優しく目元を撫でてくれたからだった。
労わるように、慰めるように、愛おしそうに。
どうして。
「っ・・・」
こんなに嬉しいのに、本当はずっと待ち望んでいた事なのに、幸せでいっぱいなのに。
胸が痛くてたまらない。
涙が後から後から押し寄せてくる。
喉の奥で様々な思いが絡まって満足に声も出ない。
子供の頃からそうしてきた。自分は感情をコントロールできる人間だと思ってた。
だけど
私が感情についていけないなんて
「俺は、お前が好きだ。渚」
何度も、何度も、今まで伝えられなかった分を埋めるように、溜めに溜めた想いをぶつけるように繰り返す。時には額をくっつけて、時には抱きしめて、時には真っ正面から微笑みかけて。
一言彼に告げられる度に胸が熱くなり、更なる涙が溢れ出す。
彼が触れる度に形容できない想いが渦巻いて堪え切れない嗚咽が溢れる。
嬉しいのに苦しくて、幸せなのに怖い。
この幸せが一時のモノだとわかっているからだ。
この先はきっと茨道。進めば進むほどたくさん傷ついて、たくさん苦しんで、血が流れる。
ほんの少しでも選択を間違えれば、殺される可能性すらある。
私が傷つくのは構わない。
けれどきっと、犠牲になるのは彼の方だ。
この胸の内を伝えたいのにはくはくと無意味に動く唇からは一言たりとも言葉は出ず、みっともない嗚咽だけが薄暗闇に吸い込まれていた。
「わかってる。渚が何に悩んで、苦しんで、泣いてるのか、全部わかってる。それでも俺はお前といたい。たとえこの先何があっても、絶望へ向かう道だとしても、渚と一緒なら進んでいける」
強い決意を秘めた冬空の瞳が一つ瞬いた。
「俺と生きろ」
彼らしくない、なのにどうしてか彼らしいと思える有無を言わせない強い意志を持って紡がれた言葉にただでさえ緩んでいた涙腺が完全に壊れてしまった。全身の水分を出し切るのではと思うほどダバダバ途絶えることなく流れる涙。
幸せにするという常套句ではない。
それでも渚にとって、使い古されたどんな言葉より胸に響いた。
共に生きたいという、その想いが。
「・・・っき」
全てが吹き飛んだ。
家の事。
父の事。
柵の事。
この先の事。
身動き一つ取れないほどがんじがらめにこの心を縛り付けていた鎖が、この身を閉じ込めていた檻が、彼の一言で木っ端微塵に塵一つ残さず消え去った。
「すき・・・!」
解放された心が赴くままに、自由になった身体が求めるがままに目の前の白い人を抱き締めた。壊れた機械のように同じ単語ばかりを繰り返し、一心に彼の温もりに縋り付いた。
「愛してる」
絞め殺さんばかりの勢いで抱き締める彼女に苦情を言う事なく抱き締め返し、肩口にある彼女の耳元に唇を寄せる。
吹き込まれた2文字に渚が顔を上げ、涙に濡れたそこに咲く笑顔。
「私も」
どちらともなく目を閉じ、近づく距離。
あと数㎝で触れ合う、瞬間。
『ゼロォ!!!!おーいゆーうきー!!告白成功したかーい!!??』
場違いにもほどがある声が大音量で小さな空間を貫いた。
・・・とりあえず、この声の主を即刻始末しようと決意した悠紀だった。




