心と身体どちらも大事
一夜と亜衣莉の戦いです。恭哉の様子がおかしかった理由もわかります。ではどうぞ。
亜衣莉と攻防を繰り返しながら一夜は恭哉と桜の事を考えていた。
――――あの二人は俺にとって大切な親友だった。今でも大切な親友だ。
あの二人は小さい頃からずっと一緒だった。俺にとってそれは微笑ましい光景だったのだが、周りの女子はそう思わなかった。小学校での桜へのいじめは絶えなかった。慧斗と龍護、春の存在も大きかったようだ。同性でも惚れ惚れしてしまうくらいカッコいい恭哉達に囲まれている桜と美優と千夏は取り巻きの一部女子たちの不満のぶつけどころになった。
「動きが鈍ってるよ」
亜衣莉の声が鼓膜に届く。無造作に紐をかわしながら戟を手のひらで回転させ、亜衣莉目掛けて鋭い突きを繰り出す。亜衣莉は紐で勢いを殺し、避ける。
――――いじめの対象になった桜と美優、千夏は毎日嫌がらせを受けた。教科書や体操服が無くなるなど日常茶飯事。それでも桜達は一度も学校を休まず通い続けた。
桜は自分がいじめられていることなどまったく歯牙にもかけていなかった。だが、美優と千夏がいじめられてると知った途端怒りをあらわにし、いじめをしていた女子全員を呼び出した。総勢五十に及ぶであろう女子の群に桜は臆することなく、いじめをやめるように言ったそうだ。しかし聞く耳を持たなかっただけでなく殴りかかってきたので女子全員を返り討ちにし、力でいじめをやめさせた。そのことを知った恭哉達が後日彼女らを呼び出し、二度と手を出さないようにと脅しをかけたのは言うまでもない。
亜衣莉の髪が数本舞う。
「へぇ。やるじゃん」
無言で身をさばく一夜。あの紐、見た目以上に厄介だ。何とかしないと。
「もらった」
「しまっ」
眼前の紐に意識を集中した隙をつかれ、逆側から迫っていた紐に左手を拘束され、両手で持っていた戟が弾き飛ばされる。そのままぐいっと引っ張られ、他愛無く体勢を崩す。
「お仕舞いだよ」
紐が一夜の首を絞める。ぎりぎりと締め上げてくる細いものを引き剥がそうと両手で掴む。しかし締め上げる力は弱まらない。
「これで終わりか。つまらない」
少しでも苦しさから逃れようと首元をかきむしる。だが、苦しさが解消されることはない。
――――三珠学園中等部に入り、杉浦 亜衣莉と出会った。俺達と同じクラスで桜と仲良くなった。彼女は恭哉目当てで桜に近づいた。桜はそれをわかっていた。それを知った上で表面上だけ亜衣莉と仲良くしていた。
「そうだ。このまま殺すのも惜しいからこいつ操って他の奴ら襲わせようか。それがいい。ふふっ」
名案を思いついたとばかりにとびきりの笑顔を浮かべ、一夜に手のひらを向ける。そうだ。あの時もこれで恭哉は。
――――杉浦は桜と恭哉が仲良さげにしていると必ず割って入っていった。恭哉は物凄く迷惑そうにしていたが、桜が杉浦を庇って無理矢理恭哉を納得させていた。「亜衣莉も一応私の友達だから」と言って。なのにこいつは。
「いい操り人形になってね」
もう二度とあんなことをやらせて、たまるか!
深緑色の瞳を閉じると、意識を集中する。ずず、という何かが擦れる音が鼓膜を震わせ、一夜は薄く笑む。
――――一年前の三月。
終業式が終わり、生徒達が帰路に急いでいる時刻に、あの惨劇は起こった。突然杉浦に空き教室へ来るようにと言われた桜は少しも疑わずにその空き教室へ向かった。悠紀と俺、真海さんは何か怪しいと睨んで美優と千夏を連れてこっそり桜の先回りをして空き教室に隠れた。そこへ不思議そうな顔をした桜が来た。杉浦の姿はない。
「お前の操り人形なんかになるくらいなら、死んだ方がマシだ!」
木の枝が大きくうねりを上げて亜衣莉と一夜の間を飛んでいく。ぶちぶち、という音が微かに聞こえ、一夜は会心の笑みを口元に刻む。
――――そこで俺達は気付いた。恭哉がいない、と。俺らが教室を出た時にはもう既にいなかった。美優が言うには恭哉を伴って教室を出て行ったらしい。嫌な予感がした。
「あんた・・・私の異能を・・・」
「お前の異能は人の体を操る。なのに心は残っているから自分がやったことは全て覚えている。確かに恐ろしい異能だ。だがそれには大きなリスクがある。それは、必ず相手を拘束しないといけない」
あの日もそうだった、
――――ガラッと扉が開く音がして一斉にドアに視線が集まった。そこにいたのは驚き顔の恭哉と心底楽しそうにしている杉浦だった。そして桜を見つけた恭哉が駆け出そうとした瞬間恭哉を拘束し、手のひらを恭哉に向けた。するとしだいに恭哉の紅い瞳は空ろになっていき機械的のような動きになっていった。
「そして手のひらを相手に向け、意識を集中しなくてはいけない」
「そこまで知られちゃったかぁ。意外と鋭いんだね、君」
否定はしない。すなわち肯定だ。一夜は木の枝に戟を取ってこさせ、両手で握る。亜衣莉は紐で槍のようなものを作り、構える。
――――桜はばっと亜衣莉を見て叫ぶ。
「恭哉に何をした!?亜衣莉!」
杉浦は耳障りな声で高らかに哄笑すると恭哉に抱きついた。恭哉は空ろな目のまま杉浦を抱きしめ返した。俺達は何が起きたかわからず呆然としていた。桜は唸るように呟く。
「お前の異能だな」
「そうよ。いい異能でしょ」
空ろな目の恭哉に抱きしめられ心地よさそうに目を細める杉浦。桜ははぁ、と落胆したように嘆息すると頭をかいた。そして一言。
「あんた、馬鹿なの?」
「なっ・・・」
絶句して二の句の継げない杉浦を見据え、大仰に肩を落とした桜はこう言った。
「人の心を異能でどうこうしようなんて勘違いもはなはだしい。そんな偽りの感情が手に入って何が良い訳?虚しいだけじゃん。形だけ手に入ればあんたは満足なの?そうじゃないでしょ。体と心が一緒じゃなきゃ意味ないんだよ!努力もしないで結果だけ欲しがるなんて言語道断。好きなら好きって言えばいいだろ。言えないのはお前が弱いからだ。それに気付かないあんたに恭哉を、私の大切な親友を、渡す気はない!」
きっぱりと断言した桜は身を屈め、走り出す。両手はいつの間には顕現していた太刀の鞘と柄に添えられている。杉浦は桜の言葉にぎりっと唇を噛み締め怒鳴り返す。
「あんたに何がわかるっていうの!?いつもいつも恭と一緒にいるあんたに」
双方同時に走り出す。これが最後だ。
一夜は己を串刺しにせんと向かってきた亜衣莉の槍を斜めに弾く。
――――「わかんねーよ。自分の力で切り開かねぇで座ってるだけのお前の気持ちなんか!」
「黙れ!!」
逆上した杉浦の紐が桜目掛けて襲い掛かる。それらを全て掠らせながらもかわした桜が太刀を抜く。焔の中で桜が舞い落ちている様子を連想させる太刀が宙に鮮やかな紅い軌跡を刻む。
「叶わなくたって自分の力ですることに意味がある。それを忘れたお前に私が負けるか!」
幾つもの紅い軌跡が宙に走り、紐を両断する。キン、という澄んだ音がしたと思った瞬間、桜は杉浦を殴り飛ばした。同時に恭哉は糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「お前が恭哉に好きと言えないのは誰のせいでもないっ。子供じみた真似はやめろ。好きなら真正面から向き合え。それが出来ないなら好きという気持ちを消せ。そうじゃなきゃ好きっていう感情が可哀想だ。更に言えば八つ当たりされていい迷惑だっつの」
最後の言葉がおそらく一番言いたかったことなのだろう。これでもかというぐらい生々しい本心が込められていた。殴られた杉浦は呆然としている。桜はぐっと拳を握り締め、激情から一転して愁いを帯びた瞳が杉浦を見つめる。それに気付いた杉浦は嘲笑をあげる。
「はっ。同情?あんたはいいよね。好きな時好きなだけ恭哉と話せるんだから。幼馴染ってだけで恭哉を独り占めに出来るんだから!一部取り巻きの女子があんたの事なんて言ってるか知ってる?」
「恭哉にくっ付いている邪魔な女、でしょ。それが何か?」
「知ってたんだ。そうだよ。あんたさえいなければ私は恭哉ともっと話せる。あんたさえいなければ恭哉と付き合えてた!」
「それは違うんじゃね。私と話して欲しくないなら恭哉に直接そう言えばいいだけだろ?私に当たるのは筋違い。だいたい幼馴染なら話すぐらい普通だと思うんだけど。それから、私と恭哉は四六時中一緒にいるわけじゃない。私がいない時に話しかければ?」
うざったそうに顔をしかめる桜の言葉は正論だ。だが、たとえ恭哉本人に言ったとしても「俺が誰と話そうが俺の勝手だろ。お前らに指図されたくない」って言うだろうけど。
「うるさい!あんたさえ・・・あんたさえいなければッ・・・」
桜の後ろで何かが動いた。
戟を回転させ威力倍増した突きを繰り出す。亜衣莉は薄皮一枚犠牲にしてこれを避ける。
二つの赤い雫が舞う。避けた瞬間槍が一夜の頬を掠めたのだ。返す手で二人は激しく鍔迫り合う。
「くっ・・・」
「ちっ」
間近で睨みあい、いったん飛び退る。油断なく相手を見据えながら一夜は乱れた呼吸を整える。相手も若干乱れ始めている呼吸を整えている。何合打ち合ったかもう覚えていない。これだけはわかる。集中を乱したら負けると。
――――桜の後ろに倒れていた恭哉がゆらりと起き上がったのだ。気配でそれに気づいたであろう桜は目を瞬いて背後を顧みてすっと身構える。まだ操られている可能性があるからだろう。
「桜・・・。俺は・・・」
頭を押さえて空ろではない瞳を桜に向けた恭哉は普段通りに見えた。桜は手は腰に差してある太刀の柄に置き、一歩前へ足を踏み出す。何かあれば峰で気絶させる気だろう。
「恭・・・哉・・・?」
「何ビビってんだよ。俺以外にこんなカッコいい奴はいないだろ」
口調も言い回しもいつもの恭哉だ。桜もそう思ったのだろう。ほっと肩の力が抜け、太刀から手が離れる。
刹那、恭哉がふらりと桜にもたれ掛かった。紅玉色の瞳が面積を増す。
「・・・恭・・・・・・哉・・・」
呆然と呟く桜。呼び掛ける声に反応したように恭哉は顔を上げて、笑う。その微笑は、彼のものとは思えないほど酷く酷薄で冷たいものだった。その手元に光る、よく見知った紅い太刀。そこから滴る、赤いモノ。
「よくやったわ。恭」
俺達は、見た。
体のあちこちから血が滴る。その血が地面に着くと同時に二人は駆け出した。二振りの武器が交差した。一方は一夜の左腕に突き刺さり、もう一方は亜衣莉の喉元に突きつけられている。亜衣莉の喉が鳴った。
「勝負、ありだ」
一夜の言葉に亜衣莉が悔しげに顔を歪ませる。一夜はすっと身を引いて戟を亜衣莉の喉元から引く。勝敗は決した。もう戦う必要はないと判断した結果だ。
――――一歩、桜がよろめく。その胸に刺さった、恭哉の紅い太刀。寸前で恭哉の左腕が持ち上がり僅かに軌道をそらしたが、致命傷に変わりはない。
制服に赤い染みが広がっていく。胸元に当てられた桜の手に赤いものがべっとりとついていて、腕を伝って床へと滴り落ちていく。再び崩れ落ちた恭哉に代わって杉浦が無造作に桜の左胸に突き刺した太刀を引き抜く。栓の役割を果たしていた太刀が抜け、派手な血飛沫が太刀に添うように上がった。
杉浦の顔や制服に数滴返り血がつく。杉浦は頬についたそれを指ですくって舐め、これ以上ないほど残酷で、無邪気な笑みを顔一杯に広げた。
ずっと欲しかった玩具をようやく手に入れられた子供のように、とても嬉しそうで、とても幸せそうだった。
「・・・・・ぁ・・・」
桜の体が大きく傾ぎ、床へと崩れ落ちた。微かな喘鳴が薄く開いた唇から漏れ出る。呼気と共に赤い霧が散り、口の端から滴り落ちた。
「桜ぁ!!!」
色を失った叫びが上がり隠れていた場所から美優、真海さん、千夏さんが転がり出る。強張って上手く動かない体を叱咤して三人は桜の元に転がり込む。俺はあまりの出来事に動くことすらできなかった。
桜は喉に競りあがってきたであろう血を、音を立てて吐き出す。美優が急いで止血するも、流れてしまった血が多すぎる。このままじゃ助からない可能性の方が圧倒的に高いのは誰の目から見ても明らかだった。
いくら生命力が無能力者より秀でていると言っても所詮人間。どんなに生命力が強くても急所をやられれば死に至る。
俺は藁にも縋る思いで携帯を取り出し俺の親父へ電話をかける。菊池家は三珠学園がらそんなに遠くない。間に合え。
「杉浦!てめぇの仕業か」
「あはははっ。いいざまね、桜。これで恭哉は私の物になる」
お腹を抱え、狂ったように歪に歪んだ嗤いをまき散らしていた杉浦だったが、耳障りなそれは数秒で止まった。蒼燕さんが杉浦の胸倉を掴んで壁に叩きつけたからだ。
「もし、桜が死んだら――――俺がお前を殺してやるよ」
冷たい声音で紡がれた言葉に真海さんがはっと顔を上げる。蒼燕さんは本気だった。彼の体から滲み出た冷気が鋭利な刃へと姿を変え、抑えきれない殺気が教室を満たす。その時だった。
パンッ
乾いた音が鼓膜を叩いた。全員の視線が集まった先、そこには泣き出す寸前のように表情を歪ませた真海さんと、首が横に振れている恭哉の姿があった。恭哉の頬が赤いことと、真海さんの手のひらが横に振り切られていることから彼女が恭哉をひっぱたいたことは理解できた。
俺は、普段冷静な真海さんが感情をあらわにした所を見たことがなかったため、そんな場合じゃないのに呆然と目の前の光景を眺めていた。
「何で桜を刺したのっ?まさか、操られていて体の自由が利きませんでしたで済まそうってんじゃないよね!?――――ふざけんな!!あんたの桜への気持ちってその程度のものでしかなかった訳?簡単に操られて他の女抱き締めてるんじゃないよ!意識飛びそうならあんたの手ェ刺してでも大事な人守りなさいよ!!」
そこまで一気にまくし立てた真海さんは肩で息をしながら叩かれた格好のまま静止している恭哉を睨みつける。その瞳から一つ、二つと涙が零れ落ちていく。
「確かに一番最悪なのは亜衣莉だけど、桜に何かあったら私はあんたを絶対赦さない」
真海さんが言い切った後、恭哉はのろのろと顔を動かした。その視線は頼りなく虚空をさ迷い、ある一点へ固定される。
「・・・・・・さく・・・・ら・・・」
悲痛に満ちた小さな声が今にも杉浦を殺そうとしていた蒼燕さんを止める。冬空の視線が向いた先で、恭哉が端正な顔を歪ませていた。
「・・・桜・・・・・・」
急速に温もりが薄れていく指に触れ、名前を呼ぶ。いつも恭哉が名前を呼ぶと、必ず桜はたとえどんな状況だとしても振り返って返事をしていた。だけど、返事はない。桜の指に触れているのとは逆の手が握り締められる。その手にはきっと、桜を刺したときの感触が生々しく残っているのだろう。
「俺がッ・・・」
血を吐くような声で呻き、自分の胸元を強く握り締める。その短い一言に己に対する怒りと憎しみ、絶望が感じ取れ、蒼燕さんはぎりっと奥歯を噛み締めて亜衣莉を押さえつける手が白くなるほど力を込めた。
「急所は僅かに外れてる。でもこのままじゃどっちにしてもッ。渚さん、手伝って」
「もうやってるっ」
「私、龍護さん達呼んでくる」
倒れたままぴくりとも動かない桜を見る恭哉の瞳が音を立ててひび割れる。戦慄く唇を認め、俺は悲しげな慟哭が聞こえてくる気がした。すると、閉じられていた桜の瞼が震え、ゆっくりと開くと紅玉色の瞳が一つ瞬き、誰かを探すように彷徨う。そして彼女は血の気の失せた顔で微笑んだ。
「きょっ・・・や・・・」
しゃがれた声には喘息が混じり、ほとんど音にはなっていなかった。だけど、確かに呼んだ。「恭哉」と。
「・・・・・・」
微かな声が音にならず消えていく。瞼から僅かに覗いた紅玉色の瞳が物言いたげに揺れる。もどかしそうに上手く力の入らない手で恭哉の手を握ると、必死に唇を震わせる。
「・・・かな・・・で」
先ほどよりは音になっている声が赤い霧と共に桜の口から漏れる。けれど、それでもほとんど聞き取れないほど小さかった。
「「桜!」」「「桜ちゃん!」」
慌しい足音と共に龍護さん達が飛び込んできた。それに次いで眠そうな青年が俺の親父と美優の親父さんを連れてきた。足元には不思議な陣が展開している。緊急事態だったため、転移許可が下りたらしい。
惨状に息を呑んだ龍護さん達だったが、真っ先に正気に戻った龍護さんが桜の許に駆け寄って傍らに膝をつく。胸元全体に広がった鮮血。左胸に穿たれた傷からの出血は真海さんが抑制しているが、それも時間の問題だろう。
俺の親父と美優の親父さんは急いで桜の治癒にはいる。一縷の望みを託して美優が場を譲る。
「桜・・・・っ」
龍護の胸が冷たく凍えていく。大量の血を吐いたのだろう。唇には固まった血がこびりついている。振動を感じ取ったのか桜は僅かに瞳を動かすと龍護さんを見つけ、力なく微笑む。
「泣か・・・・・いで・・・・・・恭哉・・・・・・ッ」
桜の眦から涙が滑り落ち、それは彼女の頬を伝って恭哉の手の甲に当たって砕ける。恭哉ははっとしたように手の甲を見つめ、きつく唇を噛み締める。
今まで見たことのない、今にも泣きそうな表情がそこにはあった。
「恭哉。何があったかは千夏から聞いた」
静かな声が容赦なく恭哉を打ちのめす。美優の親父さんの手の下で桜の胸か微かに上下している。眠っているような穏やかな横顔に安堵と恐怖が湧き上がる。
「理由なんざどうでもいい。桜を殺しかけたのは、てめえだ。恭哉」
直球で告げられた変えようがない紛れもない事実に恭哉は体を震わせる。龍護さんの冷たく、事実だけを述べる淡々とした声に弁解も謝罪の言葉はおろか、他の言葉も出てこない。
「・・・だが、こいつはお前を責めねぇ。俺も、二度とこの件でお前を責めねぇ」
桜の呼吸が安定してきた。真剣な顔で治癒に集中していた美優の親父さんが頷いてみせた。春さんが喜びの声を上げた。
「俺はお前がしたことを忘れない」
木の枝が隙なく亜衣莉を取り囲む。一夜は深緑色の瞳を亜衣莉にあて、感情を見せない声音で続ける。
「だけど、桜が言ったんだ」
――――あの事件から三ヵ月後。桜はようやく立ち上がれるまでに回復し、退院した。まだ通院は必要だが、驚異的な回復のおかげで一ヶ月早い退院となった。急所ギリギリを貫かれたくせに元気が有り余っている様子に龍護さんも他の皆も苦笑していた。恭哉だけが桜と会う事を避けていた。龍護さんが言うには見舞いには行っていたらしい。誰とも会わないように時間を選んで桜の病室にいき、一時間ほどすると帰るらしい。
「杉浦の処分だが牢に入れられることになったらしい。殺人未遂の現行犯で「待って!」
退院する少し前。春さんがその話をすると桜が真剣な顔でこう言ったのだ。
「確かに亜衣莉は私を殺そうとした。でも結果的に私は死んでない。だから罪を軽くしてあげて」
「・・・甘ぇんだよ、お前は」
桜が重傷を負ってから機嫌が悪かった龍護がさらに不機嫌になったのだが、桜は頑として首を縦に振らず、言い続けた。「罪を軽くしてあげて」と。何故かと聞くと必ずはぐらかして逃げるように布団に潜り込む。
退院した日。龍護さんに半強制的に連れてこられた恭哉と二人っきりになったとき初めて訳を話したそうだ。いわく。
「亜衣莉の言葉を聞いて、ダメだなって思った。亜衣莉があんな凶行に及んだのは私のせいでもある。だから亜衣莉を罰するなら私も罰して欲しい。これ言ったら龍兄凄い怒るから内緒だよ」
「ただでさえ今もすっごく機嫌悪いんだから」と肩を竦めた。そうして一呼吸分置いてから桜は静かに続ける。
「あんなことされても、私は亜衣莉を嫌いになれないんだよ。なんでかな・・・。ずっと考えてたらね、答えが出たんだ。多分ね、楽しかったからだと思う。亜衣莉との会話が、ふざけ合いが・・・。だから、心の奥では嫌いになれないんだと思うんだ」
「これ、内緒ね」と悪戯っぽく微笑んで桜はそう言ったらしい。
その後、病室に飛び込んできた真海さんが「ひっぱたいてごめん」と謝罪し、恭哉がわざとらしく頬を押さえて「あ~マジで痛かったなぁ~。スゲー痛むなぁ~。癒してくんない?君のキ」ドグォ「渚に近寄るな。この万年色魔」
にっこり微笑みながら再度握り拳を振り被る悠紀の背後に氷山が、額に青筋を浮かべて指を鳴らす恭哉の後ろには火山がそれぞれ見えた気がするのは気のせいではないだろう。
一夜はひとつ瞬いて戟を一振りする。
「俺はお前のしたことを忘れない。だが、もう二度と責める事はしない」
亜衣莉がはっと瞠目する。一夜は空に目をやり、誰にともなく囁く。
「桜は己の非を認めた。恭哉も時間はかかったが向き合う努力をしている。お前はいつまで目をそらし続ける気だ?」
何も答えない亜衣莉を見ることなく一夜は続ける。
「あんなことされてもあいつはお前を嫌いになれないって言ってた。お前はどうなんだ?」
その言葉に答える声は、ない。
次回は龍護と聖の戦いと他の人の戦いも書けたらいいな、と思っています。




