妹って怖い
タイトルにもあるように今回は渚さんの妹が登場します。楽しんでもらえると嬉しいです。
カーテンの隙間から目覚めを告げる朝日が差し込んでいる。窓の外からはくぐもった鳥のさえずりと走り去る車のエンジン音、そして、通りすがる人々の声。
「・・・・・・ん・・・」
目を擦りながら体を起こすと、昨日よりは遥かにマシなものの、まだ幾分か倦怠感が残っていた。熱もあるらしく頭がぼうっとしている。
項垂れた格好のまま額に手をやり、何度か瞬きを繰り返すと大きく伸びをする。
「今、何時だ」
包帯を解かないように頭をかいて時計に目をやると、10時過ぎを指し示していた。
夏休みでよかった。これでは完璧に遅刻である。
・・・熱があるのに登校するのか云々は流していただこう。
「なんだ?これ」
時計の横に置いてある小さな紙を拾い、広げると千夏の字で『今日も部活に行ってきます。桜は今日までちゃんと休んで早く元気になること!それからもし熱が下がっていたなら買出しをお願い。寮の料理人さんが焼肉だって言ってたよ』と書いてくあった。最後まで読んだ桜の口元が緩む。
「お前は私の母親かなんかかよ」
まぁだるいのは確かだ。言われた通り今日ぐらいは大人しくしてるか。
簡単に着替えて朝食を食べつつテレビをつけるものの、平日の昼間なためろくな番組がなくすぐに消した。
朝食を食べ終わると普段できない春兄のゲームに手を伸ばす。しかし三十分で厭き、ソファーに放置。それでは寝るかと思ったがさっきまで爆睡してたのでいっこうに眠気が訪れない。なので寝るのも断念。勉強は論外。本は昨日全部読んだ。
「やることねぇ~」
盛大なため息が漏れる。暇なのは性に合わない。さて、どうするか。
しばらく悩んだ後、決めたとばかりに立ち上がる。
「(微熱あるけど)買出しに行くか」
千夏達がいれば猛烈な勢いで反対され、怒られるのが目に見えてるが、いないのだから反対されないし怒られない。つまり止めるものも注意するものも怒る者もいないわけだ。
そうと決まらば桜の行動は速い。執行部権限で外出許可を(もぎ)取ると瞳の色を黒に変えて颯爽と校外へ出る。
好きな歌を口ずさみながら所々にある水溜りを避けて馴染みがやってる安い肉屋へ向かう。まだ雲はあるが青空が見える空は見ているだけで心が弾む。
一昨日龍護に言われた言葉が頭の中を駆け巡り、知らず知らずのうちに笑みが零れた。
「ありがとう、龍兄」
彼の言葉のおかげでこれからも生きていける。
「私は幸せ者だな。こんなに思ってくれてる人がいるんだから」
その人達に恥じないように生きてみたいと、生きて行けたらと、思ってる。
そんな自分の考えが意外でクスッと笑う。
「こんな風に思える日が来るとはね。変わったな、私は」
変わったと自覚しても嫌な気はしない。むしろこっちの方が自分らしい気がする。こう感じられるのも自分が変わったからだろうか。
「自分を必要としてくれる人の傍で、「罪」と共に生きていく」
そうだ。こんな自分を必要としてくれるならその人達の支えになって生きていく。
そうしようと頷いていると、十字路が見えてきた。どっちだったか、記憶を掘り返しながら歩を進めていくと曲がり角から声が聞こえてきた。
「やめてください!しつこいです」
「いいじゃねえか。一人で歩いてたし暇なんだろ?俺らと遊ぼーぜ」
「嫌です。警察呼びますよ」
「人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって・・・いいから来い!!」
「嫌ッ!!」
曲がり角を覗き込むとそこには不良らしき数人と壁に背中を押し付けられて今にも泣きそうな女の子が揉み合っているところだった。目に飛び込んできたのは女の子の腕を不良の一人が無理矢理掴んでいる場面。
「なーにやってんのかな?」
普段であってもこういうのは見過ごせないが、何故か今日はいつも以上に放っておけなかった。
声に反応してこちらを見た少女の顔が自分の親友である腹黒少女にひどく似ていたからかもしれない。
「あ?誰だお前。引っ込んでろ」
「他人じゃないんだよね〜。その子私の友達だし」
友達と言われた女の子は涙に濡れた黒目を大きく見開いて固まっている。初対面なのに何故、と顔面に書かれていた。それを綺麗に流して桜は怒りを帯びた冷たい声で続ける。
「友達が変な奴らに泣かされてるのを黙って見てる訳ねーだろ」
「友達?ほーぉ、そうかそうか。ならお前も混ざるか?心配なんだろ」
「バカか。誰があんたらみたいなアホな集団についてかかってんだよ。寝言は寝てから言え」
不良達の両眼に怒りの焔が燃え上がる。女の子の腕を掴んでいた男はその手を離し大股にこちらへ歩いてくる。
「お前、俺らが誰か知らねぇのか!?」
「知るか」
即答で切り捨てる。その態度は惚れ惚れしてしまうくらい堂々としている。
「俺らはあの玄武学園の不良グループ《紫藤》の傘下だぞ。俺らに手ェ出してタダで済むと思うなよ」
「玄武学園の《紫藤》ね。私の学園目の敵にしてる学園だったか」
「お前・・・三珠学園の生徒なのか。こりゃラッキー。お前を誰かわからなくなるまでボコって三珠に放り込んでやるよ」
「それはそれはご苦労なことで。まっ、出来んなら、ね」
ふっと不敵に笑んだ桜に同時に不良共が殴りかかってきた。微熱があるとはいえ、こんな雑魚共に負けるほど弱ってはいない。
一撃目を易々かわした桜は反撃開始とばかりに最初に殴りかかってきた奴の腹に拳を、反対にいる奴に肘を入れると上に飛び、回し蹴りを三人目に、横にいた四人目の首筋に手刀を叩き込む。着地すると残りの三人の腹、首、背中に蹴りと肘と拳を入れる。
「海よりも深く反省しろ、アホ共。あとな、女だからってナメんな」
「・・・あの、ありがとうございます。お強いんですね」
後ろから恐る恐る寄ってきた少女は驚きの表情をしていた。どうやら私が返り討ちにあう図を想像していたらしい。
「どーも。怪我ない?」
「はい。本当にありがとうございます」
「どってことないよ」
桜はにこっと笑う。そしてまだ怒りの消えない黒い瞳で不良共を睨みつけている。女の子は目を瞬く。赤の他人のためにここまで怒る人、初めて見た。
その視線に気付いたのか桜は睨むのをやめ、どつかしたのかと軽く首を傾げる。感情がそのまま顔に出るらしく不安げに眉毛が寄っているのがよくわかった。
「・・・大丈夫?震えてるよ」
女の子の膝は見ているのが可哀想になるほど震えていた。震えを止めようとしているのか膝に手を突くが止まりそうにない。
「だ・・・・大丈夫、です・・・」
「そうは見えないけどね」
ポンポンと震える頭を叩き、その手を肩に滑らせると引き寄せ、そっと抱き締める。直に震えが伝わってきた桜は女の子がどれだけ怯えていたか手に取るようにわかった。再び泣き出してしまった女の子は桜にしがみ付く。
外見的に幼さが残るこの子にとってあの不良共はそれほど恐ろしかったのだろう。しかも相手はここらじゃ有名な不良の一つ、《紫藤》だ。
しばらくして泣き止んだ女の子はよくやく震えも止まり、慌てて桜から離れる。
「あの・・・すみません。抱きついてしまって」
「いいよいいよ。怖かったんだろうし。さて、家まで送るよ。道どっち?」
「・・・ぇ」
「家まで送るよ。またさっきみたいなのいるかもだしね、君可愛いから」
「でも、そこまでして頂く理由が・・・・」
「友達助けるのに理由なんか要る?」
はっきり言い切った後、遅ればせながら気づいた事実にぼっと顔が真っ赤になる。
「あーそうだった!見ず知らずの人に馴れ馴れしすぎたよないきなり友達宣言しちゃうし・・・いやあれはああ言った方がいいかなと思っただけで・・・・・・嫌だったよね、ごめんね」
「嫌じゃ、ないですよ」
ふるふる首を振った女の子が顔を上げ、嬉しそうに笑う。その顔にはやはり親友の面影がちらついており、桜はほっとしたように息をつくと歩き出す。
「じゃ、送るよ」
「一つ、いいですか?お人好しって、言われたことありませんか?」
「ん?主に周りの人に言われてるかな。よくわかったね」
「やっぱり・・・」
「何か言った?」
女の子は首を振り「いいえ」と呟き、今気付いたという顔で問う。
「友達なのに名前知らないって変ですよね。私の名前は真海 汐です。あなたは?」
何処かで聞いたことがあるような•••と頭の片隅でぼんやり感じながら自分も名乗る。
「そういえばそうだったね。私は天空 桜」
意外と抜けているのかもしれないと思った矢先、その名を聞いた汐の顔に緊張が宿った。
「天空 桜。もしかして“空の珠”の正統継承者」
「なんで、それ・・・まさか」
お互いの正体に気付き、咄嗟に間合いを開ける。だが、桜は戸惑っていた。真海といえば“海の珠”を守る家。その苗字を持っているものが“珠狩”やその他の組織の者になるか?と。
その迷いが隙を生んだ。
「水よ」
どこからともなく出てきた水が桜を囲み、汐の合図と共に桜を水の球体に閉じ込める。
「っ・・・」
水の中にっ。
わずかに開いた口から気泡がもれる。ズキンとまだ塞がっていない傷が痛みを訴え、桜の顔が苦しげに歪む。
「助けてもらったのとこれとは話が別です。無理はしない方が身の為。この檻から出るにはよほどの力で無理矢理破らなければ・・・ん?」
苦しそうな顔を眺めながら語っていた汐の顔が訝しげに顰められる。
水の色が微妙に濁っている。なんで・・・。
水に閉じ込められたせいで緩んでしまったのか頭に巻かれていた包帯が水の中を漂う。それを見て合点がいった汐はクスッと笑う。
「頭、怪我してたんだ。それで傷が開いたわけだ。ご愁傷様」
ゴボッと口から大きな気泡が漏れ出し、更なる息苦しさに奥歯を噛みしめる。
とにかく、ここから出ないと。
それだけが頭を占め、霞みがかってきた視界を閉じると意識を集中させる。
――――この水を一瞬で蒸発できるだけの、力をッ。
水中を漂う体から紅いオーラが漏れ始める。それと同時に桜色のオーラも彼女の体を覆っていく。二つのオーラが混ざり合う様子に汐は驚愕の表情で顔を強張らせ、その体から藍色のオーラを立ち上らせると黒かった瞳が藍色へと色変わりをする。
「失せろ!」
短い叱声と共に水の檻が消えた。正確には一瞬で蒸発したのだ。
「ガハッ・・・ゲホゲホ」
荒く速い呼吸を繰り返し、桜は道路に手をついて派手に咳き込む。それでも体を支えきれず両膝をつく。予想以上の異能を消耗した。長期戦になればこっちのが不利だ。頭からは変わらず血が流れている。
汐はというと彼女も苦しそうな呼吸を繰り返していた。綺麗な部類に入る顔も汗まみれだ。
「力尽くで破るなんて・・・なんて無茶苦茶な」
「私を、閉じ込めようなんて、一万年はえーんだよ。渚の妹の分際で」
瞼に閉ざされていない方の瞳は鮮やかな紅玉色に変わっていた。ゆらりと立ち上がった桜は腰から刀を抜き、構える。汐は渚の名前を聞いた瞬間物凄く嫌そうな顔をする。
「姉の名前、出さないでもらえますか。耳が腐ります」
「渚の事、嫌いなのか?」
「嫌いなのか?ですって・・・。あいつと同じ血が流れてるって思うだけで虫唾が走る。おまけに私の欲しいもの何でもかんでも奪ってくし」
その声音の隅々まで嫌悪感に満ちていた。桜はびしょ濡れの髪をぐしゃぐしゃにかき回し、太刀を地面に突き刺す。
「欲しいものあるんなら自分の力で力尽くで奪いなよ。いじいじしてたって手に入らないよ。被害者ぶったって誰も何もしてくれないんだから。この世界は誰にでも平等に優しくない」
「赤の他人のあんたに何がわかるんですか!あんな運動オンチの馬鹿より私の方が百倍もいいのにさ。おまけに理系ありえないほど点数悪いし。赤点取って帰ってきたときは笑ったわ。ざま~みろだ」
何か言おうとすると、汐がそれを遮ってさらに続ける。
「しかも私のが断然可愛いのに悠紀さんあんなブスと付き合っちゃうし。あの人もしょせん見る目が無かったわけだ。それともあいつの演技に騙されちゃったのかな。外面だけはいいからね、あいつ。お兄ちゃんもお兄ちゃんよ。いっつもあいつの味方して。それに料理は下手だし・・・」
その後も延々と渚に対する文句を言いまくる汐。これが立て板に水ということか、と訊きながら妙に達観した気分になってしまう。よくこれだけ人の悪口を並べられるものだ。ある意味天才かも。こんな才能は欲しくないが。
「あんな人間の成りそこないに生きる価値ないし」
「――――っ」
考える前に体が勝手に動き、汐を殴り飛ばす。汐は塀にぶつかり低く呻く。桜ははっとして己の拳を見る。怒りのあまりつい手が出てしまった。この短気な性格どうにかしないとダメだな。でも友達の文句を言われるのは嫌いなのだ。特に親友の悪口は聞き捨てならない。
「殴ってごめん。だけどはっきり言わせてもらう。私の親友を侮辱する奴はたとえ誰であっても許さない。もう一つ言えば家族の事を悪く言う奴はもっと許せない。今度言ったら、潰す」
明確な敵意を込めて断言する。体の奥がまるでマグマが煮え滾っているかのように熱い。内側から焼き尽くされてしまいそうだ。
「許さない・・・ね。そういえばあんたもあいつの友達なんだっけ。可哀想に。あんな奴と友達になんてならなけりゃ仲良く出来たかもしんないのに」
水で作った槍で襲い掛かってくる。紙一重でそれを避け、どうしたものかなっと微苦笑を浮かべる。懐に入って今度は本気で殴り飛ばしてもいいのだが、渚に怒られるのはちょっと困る。つーかあいつに妹がいるとか初めて聞いた。あいつも妹の事嫌いなのかな。
ふと思い至った可能性に桜の表情が曇る。
「あんたの事傷つけたらあいつも傷つくだろうね。いい気味だ」
風切り音と共に槍が投げられる。はっと顔を跳ね上げた桜はそれをいつものような動作で受けた。瞬間。刀身から重い衝撃が伝わってきた。万全の状態ならなんてことのない衝撃だが、怪我をした右腕には荷が重かった。
「っ・・・」
鈍い痛みが右腕を掛け抜け、柄から力が抜ける。そういえば怪我してたっけ?って・・・。
「ヤッバ」
反対の手を伸ばすが、すでに太刀は数メートル先に弾き飛ばされてしまっていた。
「右腕も怪我してたんだ。残念だね。万全だったら私に勝てたかもなのに」
今度は二本同時に槍を投げる。自分の不手際に舌打ちをしつつ腰に差してあるもう一振りの太刀を抜こうとするが、右手では抜けない。
「!?くっそ」
悪態をつき、身をさばいて槍を避ける。そして唐突に思い出す。そう言えばこっちの太刀は両手でしか抜いた事がない。右手では抜けないなんて知らなかった。
今度は槍を持って直接襲い掛かってくる汐。迫ってくる気配を感じながら右手で太刀を抜こうとするが、やはり抜けない。
「んで抜けねぇんだ」
太刀を取りに行くには汐の脇を通らなくてはいけない。丸腰のまま突っ込むなど殺してくれと言っているようなものだ。こうなれば鞘か素手で戦うしか。
「あいつが私の幸せを壊した。今度は私があいつの幸せを壊す。手始めにお前からだ、天空 桜」
私の欲しいものを私より先に手に入れる姉。その存在が疎ましかった。あいつさえいなければと幾度となく思った。だから私があいつの幸せを奪う。私の幸せを奪ったあいつにも同じ気持ちを味あわせてやる。
「ぐっ・・・・!」
避けそこなった槍が桜の脇腹を抉る。一瞬遅れて鮮血が噴き出す。食いしばった歯の隙間から痛みを訴えるうめき声がもれる。
「あいつの幸せの一つは友。それを今日、奪う」
耳元でそう囁いた彼女は間合いを開けた。よろよろと二、三歩後退った桜はガクッと片膝をつく。脇腹を押さえた右手が赤く染まり、アスファルトが湿っていくのが見てとれた。
「いて・・・・・ぇ・・・太刀さえ・・・抜ければ・・・」
太刀を一瞥して悔しげに唇を噛む。何で抜けないんだよ。くそっ。
『左手で抜いてください』
「左手・・・」
不意に聞こえてきた声を聞くともなしに聞いていた桜は左手で柄を握る。そのまま勢いよく引き抜くとあっけないほど簡単に抜けた。拍子抜けするぐらいあっさりと。さっきまでのは幻覚だったのかと一瞬思った。
「抜け・・・た・・・?」
いまいち実感が持てず首を傾げていると、不死鳥が桜の右肩に舞い降りてきた。
『その刀は左手か両手でしか抜けないんだよ』
「先に、言えよ」
それを聞いていたらここまで苦戦しなかったはず。・・・いや、聞いていても苦戦は免れなかったか。利き手使えないし頭の傷は相変わらず痛むし不利な条件が揃いすぎている。
「刀、抜けたんだ。でもその程度じゃ私には勝てないよ」
汐の言うとおりだ。血を流しすぎた。それに体調も万全じゃない。しかもさっき水の膜を破るときにかなりの異能を消耗した。このままじゃ確実に殺られる。
「あんたの、言う通りみたいだ。それじゃ、逃げる。狼、太刀を」
語尾を遥か後方へ置き去りにして逃走開始。あのまま戦っててもらちが明かない。とにかくこの傷をどうにかしないと。
狼は桜に言われたとおり太刀に向かい、柄の部分を銜えると桜を追って走り出す。
「鬼ごっこ?いいよ、逃げなよ。必ず捕まえてあげるから」