第四百六十九話「励ます」
七夕祭も終わり、土曜を挟んで日曜日。今日は蕾萌会の講習に来ている。こけら落とし公演のための練習とかで色々と予定が変わっているから、蕾萌会の授業の予定もかなり変則的だ。
もう大学受験まであまりすることがないとはいえ、それでも両親がお金を払って通わせてもらっている以上はきちんと授業をしなければならない。これからも土日は演奏の練習でちょくちょく予定が変わることになる。来年度くらいまではずっと変則的な状態が続くだろう。
「御機嫌よう菖蒲先生」
「おはよう咲耶ちゃん」
蕾萌会に到着すると菖蒲先生が俺を待っているかのようにロビーに居た。にっこり優しい笑みを向けてくれたからこちらもにっこり応える。何か最近菖蒲先生は妙に色っぽい。大人の色気というやつだろうか。それともまさか……、男でも出来た……、とか?
「それじゃ咲耶ちゃん、行きましょうか」
「……え?行くとは?」
蕾萌会の中へは入らずそのまま菖蒲先生に手を引かれてビルから出て行く。これはいつものアレか……。
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カランカランとドアベルが鳴り響く。その音を聞いてマスターが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、先生、咲耶ちゃん。今少し混んでるけどそこに座ってて」
「ええ」
「御機嫌ようマスター」
菖蒲先生に連れられた俺は結局マスターの喫茶店に来ていた。両親にお金を払ってもらっているから授業を受けなければならないと言ったな?あれは言葉の綾だ。
もちろん俺だってサボって成績を落とすようなことをするのはよくないと思う。でも実際に俺は学園のテストも成績もほぼ満点だ。こうして喫茶店に来ていても決して遊んでいるわけでもサボっているわけでもない!すべきことはちゃんとしているからこそこうして息抜きしても良いと思わないかね?
うん……。ただの言い訳です……。
月謝を払ってくれている両親には悪いと思っている。でも実際蕾萌会に行ってもあまりすることがない。だから菖蒲先生は授業の進捗状況を見ながらよくこうして息抜きも入れてくれている。じゃあその分蕾萌会の授業回数を減らせばいいじゃんとは思うけど……、そこはあれだ……。これ以上授業を減らしたら菖蒲先生に会える機会が減ってしまう。
「ごめんなさい。お待たせ。何にする?」
「私はホットで。咲耶ちゃんは?」
「え~……、それでは私はアイスをお願いします」
「じゃあホットとアイス一つずつ。あとお薦め二つね」
「ホットとアイスと、お薦め二つね。少し待っていてね」
注文をとるとマスターはすぐに下がった。日曜の朝だというのに店は結構繁盛している。
「もしかして今日もこれから演奏を流すのでしょうか?」
「当然よ。毎朝流しているわ。むしろ流さないと暴動が起きちゃうわよ」
いや……、CDが流れないくらいで暴動はないだろうけど、それにしても日曜の朝まであの曲を聴くためにわざわざ喫茶店に来ているのか……。この客達は相当な変わり者なんだろうな。
「オフィシャルショップになったと言ってもあまり代わり映えもありませんね」
「咲耶ちゃんがそういう風になるように働きかけたからでしょ?」
「それは……、まぁ……」
一部の近衛グループの社員は高圧的に店を改装しろとか、場所を移せとか相当無茶なことを言ってきていたけど、俺と近衛母で話し合ってこの店の経営に関してはマスターに任せるということで落ち着いた。それでもオフィシャルショップなんて看板がついたら何か変わるかと思ったけど、実際にはほとんど何も変わっていない。
変わったというか、堂々と出来るようになったのはこうして毎朝決まった時間に俺達のCDを流せるようになったことくらいか。
「お待たせ。これから曲を流すからまた少し待っていてね」
「はい」
マスターが持ってきてくれたコーヒーとお薦めのパウンドケーキを楽しみながら時間を潰す。カウンターに戻ったマスターが機器を操作して曲が流れ始めた。俺の家にも同じCDやDVDがあるけど、俺は自分で聴いたことはない。自分のCDをわざわざ自分で聴くほど酔狂でもないし……。
客達はこの曲が目当てで来ている、らしい。だから曲が流れている間は俺達も静かに待って時間を潰す。自分の演奏した曲が流れているというのは落ち着かないけど、一日一曲らしいので少し待っていればすぐに終わる程度のものだ。
少しすると曲が終わり一部の客はゾロゾロと帰り始めた。本当にあの曲が流れることだけを待っているんだな……。でも平日の朝と違って日曜だからか曲が終わってもまだ残っている客もチラホラいた。平日なら皆忙しいからすぐ出る客が多いけど、休日だとまた少し違うようだ。
「ごめんなさいね。お待たせ」
「いえ。むしろお仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありません」
マスターが趣味でしているとはいえ、ちゃんとお金を貰ってやっているプロの仕事だ。俺達は一応客とはいえ半分は冷やかしのようなものでしかない。そんな俺達がマスターの仕事の邪魔をすることの方が申し訳ない。
「そんなこと気にしなくて良いのよ。そもそも今日は私が呼んで来てもらったんだし」
「……え?」
「ん?」
俺の疑問の声にマスターも首を傾げる。これは……。
「もしかして先生、咲耶ちゃんに何も言わずに連れてきたのかしら?」
「来たらマスターが話すから一緒かと思って、とりあえず何も言わずに連れてきたのよ」
「「…………」」
あ~……、うん……。菖蒲先生さぁ……。仮にも大人でしかも塾講師とはいえ先生をしている人がさぁ……。報連相くらいちゃんとしようよ?
「まぁそれもそうね」
――ッ!?マスターまでっ!
いいけどね?いいんだけどね?でも何かこう……、何ともモヤモヤする。
「え~……、それで一体私に何の御用でしょうか?」
呼び出したということは何か用件があるということだろう。マスターとは金曜日に七夕祭で会ったばかりだし、急に呼び出されるような覚えは特にない。しかも本当に大切な相談なら俺に連絡してくるだろう。菖蒲先生に俺を連れてくるように頼む程度ということはそれほど重要とか、切羽詰っていることではないのかもしれない。
「実は七夕祭以来秋桐が塞ぎ込んでいるのよ。だけどどうして秋桐があんなに塞ぎ込んでいるのかわからなくてね。咲耶ちゃんなら何か知っているかと思って」
「あ~……」
そういうことか……。もう大体わかった気がする。でもマスターも講堂のどこかで観ていたと思うんだけどな?
「マスターも七夕祭で秋桐ちゃん達の出し物を観ておられたのですよね?」
「ええ。コンテストの方も、演奏の方も観せてもらったわ。それが何か関係あるのかしら?」
マスターは年に似合わず可愛らしく小首を傾げていた。この人はずるい。孫までいるはずの年なのに絶対可愛い!秋桐が少々天然で可愛いのはマスターの血を引いているからじゃないかと思える。秋桐も将来こんな可愛い熟女になるのだろうか?
「え~っとですね……。秋桐ちゃん達の最後の演奏ですが……、正直に言えば出来はイマイチでした」
「へぇ?そうなの?」
マスターは音楽とかにあまり興味がないのかな?普通に聴いていてもかなり音が合っていなかったり、ミスもちょくちょくあったけど……。まぁあまり日ごろから楽器や音楽に興味がなければあまり気にならないのかもしれない。
「少し音楽に詳しい人や楽器を齧ったことがある方が聴けば、少々出来が悪かったと言われると思います。ダンスも混ぜていましたが、ダンスの方もミスも目立ちましたし、揃っていなかったので……」
「それで失敗してしまったから塞ぎ込んでいるのかしら?」
マスターは小学生の発表会とか、音楽会や学芸会のつもりなんだろう。それならあれくらいのクオリティでも特に問題はないように思われる。俺だって前世で学芸会をやったことはあるけど、棒読みの芝居をやったような記憶しかない。
実際七夕祭でも個人参加の小さなグループの演奏とか、クラス参加の演劇のようなものだと本当に学芸会レベルの出し物もチラホラある。でも藤花学園は上流階級の子達が数多く通う学園だ。幼少の頃からみっちり仕込まれた演奏をしたりする子も多い。
そんな中で秋桐達のパフォーマンスはお世辞にもレベルが高かったとは言い難い。個人個人の演奏はまぁまぁだったけど、全体で合わせた練習の絶対量が足りなかった。
「それぞれの演奏レベルは決して低くはありませんでした。ただ恐らく揃っての練習をあまりしていなかったのでしょう。来年度のコンサートのための練習もありましたし、藤花学園に通う生徒は忙しい子も多いので、中々全員揃って合わせて練習出来なかったというのは想像がつきます」
「なるほどねぇ……」
菖蒲先生もスプーンをくるくる回しながら、ふんふんと話を聞いていた。菖蒲先生は七夕祭に来ていないからここで話を聞いた部分しかわからない。
「さらに途中でダンスを織り交ぜたり、色々と凝った演出をしてしまったのが悪かったと思います。それならば演奏だけに集中して練習時間を増やした方がよかったでしょう。結果論と言われればそうですが、練習時間確保の目処が立たないまま、凝り過ぎてさらに練習密度を下げてしまったのが失敗の原因です」
「そういうことだったのね。それじゃ咲耶ちゃんから秋桐にそう言ってもらえるかしら?」
「…………え゛っ!?」
俺の手が止まる。いや、ちょっと待って欲しい。俺が偉そうに落ち込んでいる秋桐にそんなお説教じみたことを言うのか?それって俺が秋桐に嫌がられたり疎まれたりするのでは?
「それじゃ秋桐を呼んでくるわ。今日はうちに来ているのよ。すぐだから待っていて」
「あっ!ちょっ!?」
俺が何か言う暇もなくマスターはカウンターの奥へと消えていった。そしてしばらくするとそれはもう見るからにしょんぼりしている秋桐と、その秋桐の背中を押しているマスターが戻ってきた。
え?マジで?本当に今から俺が秋桐にさっき言ったことを伝えるの?
「咲耶お姉ちゃん……」
「ぅ゛……」
言えない……。こんな弱った表情を浮かべている秋桐にそんなことを言えるはずがない。でも言わないと終わらない。このままずっと秋桐を俺の前に立たせたまま黙っていることもまた出来ない。
「秋桐達も咲耶お姉ちゃん達みたいになろうって思ったの……。それなのに……、うっ……」
あわわっ!やっ、やばい!秋桐が泣きそうだ!とっ、とにかく何とかしなくては……。
「秋桐ちゃん達の失敗が何だかわかりますか?」
「失敗……。やっぱり失敗なんだ……」
ああああっ!ますます泣きそうな顔になっている!もうちょっと言葉を選べないのか!俺のバカバカ!
「秋桐ちゃん達は練習時間が足りない中であれもしたい、これもしたいと欲張りすぎました。それは自分達でも気付いていますよね?」
「…………」
秋桐がコクンと頷く。自分達でも練習不足、調整不足はわかっていただろう。でもそれだけじゃない。
「でも一番の原因はそれではありませんよ」
「……え?」
少しポカンとした表情で秋桐が俺を見上げる。そっと頬を優しく撫でてから続ける。
「秋桐ちゃん達が失敗したのは他の人を頼らなかったのが原因です」
「他の人を頼る……」
わからないという顔で同じ言葉を繰り返す秋桐に微笑みかけて、俺達の失敗について話した。
「秋桐ちゃんは私達のようになろうと思ったと言われましたね。でも私達だって失敗したのですよ」
「……え?」
「私達も七夕祭で最初の演奏の時は練習不足で散々でした。観客も少なく、拍手もまばらで、とても大成功と言えるようなものではなかったのですよ。それもこれも急遽やろうと時間がない中で推し進めたからです。今回の秋桐ちゃん達と同じですね」
「咲耶お姉ちゃん達も……、同じ?」
よしよし。泣きそうだった顔が段々変わってきている。何とかうまくいっているようだ。
「そうですよ。ですが私達の場合は秋桐ちゃん達と違う部分がありました。それはプロの指導者に指導を頼んでいたということです。秋桐ちゃん達はサプライズで驚かせようとするあまり他の人に内緒にして、誰も頼らず進めたのではありませんか?」
「……うん」
やっぱりな。でなければ誰かもっと内容を知っていたはずだ。秋桐達はサプライズにしようと思って大人や指導者を頼らずに自分達だけでやろうとしてしまった。
「人を頼ることは悪いことでも恥ずかしいことでもありませんよ。もし私達に相談していれば、私達が最初の年に準備不足で失敗したと聞けたでしょう。それならば秋桐ちゃん達ももっとちゃんと準備をしたり、内容を絞って出来たはずです」
「…………」
「それに私達に相談しないとしても、演奏の指導をしてくれる大人を頼る必要があったはずです。驚かせようと思って秘密にしていた気持ちもわかりますが、せめて誰か指導者なり相談出来る相手は頼んでおくべきでしたね」
何か駄目出しばかりになってしまっている……。慰めてあげたいけど俺は四年生の女の子をどうやって慰めたらいいかわからない。とにかく泣かせないように話題を切らさないように話す。
「私達は一回目の失敗から、二回目に向けてすぐに準備を始めて練習も繰り返しましたよ。秋桐ちゃん達がもしまだ諦めていないのなら……、今すべきことが何なのかわかるのではありませんか?」
「……うん!わかった!皆に伝えて、来年のために今から準備する!」
うんうん。秋桐が良い笑顔でそう言ってくれた。俺は人を慰めたり、励ましたりするのは下手だけど、とりあえず前向きで聡い秋桐は何とかこんな俺の言葉でもわかってくれたようだ。
ようやく肩の荷が下りたと思ってほっとしていると、何だか菖蒲先生とマスターが温かい目で秋桐を見ていた。




