第三十六話「薊グループ」
授業の合間の休憩時間になるたびに薊ちゃんは俺の席までやってきてずっとおしゃべりしていた。その薊ちゃんはとてもうれしそうで、昨日までの塞ぎこんでいた様子はまったく見られなかった。元気になってよかったけどちょっと教室でも目立ち過ぎている。俺としてはもう少し目立たないようにひっそりと過ごしたいんだけど……。
そして休憩時間の間に約束していた通りにお昼ご飯は薊ちゃんのグループと一緒に食べることになった。薊ちゃんが俺と一緒に昼食を摂ろうと約束して、薊ちゃんの取り巻き達もいつも薊ちゃんと昼食を共にしているから自然と皆が一緒になることになったというわけだ。
食堂で皆でテーブルを囲んで座る。ぶっちゃけて言えば今まで薊ちゃんのグループがいつも座っていた場所に俺一人加えてもらったようなものだ。なので薊ちゃんのグループからすればいつもと同じなわけで、余計な人物である俺が増えていて目障りという感じだろうか。
薊ちゃんがずっと俺に『咲耶様』『咲耶様』と構ってくるのは嫌ではない。可愛い女の子が子犬のように『構って!構って!』と甘えてくるのを嫌だと思う人はあまりいないだろう。
だけど本当にこのままでいいのかな?これはあまり良くない兆候じゃないかと俺は思う。薊ちゃんは俺にばかり構って他の子達のことを放置してしまっている。他の子達からすれば昨日まで自分達のリーダーだった子が急に今までほとんどしゃべったこともない相手の所にばかり行って、自分達に構ってくれなくなったら不満に思うんじゃないだろうか。
もちろん薊ちゃんからすれば自分が、自分のために、自分の思うようにして何が悪い、と思うかもしれない。犯罪を犯したり人に迷惑をかけているわけではないのなら薊ちゃんがどうしようとも自由だろう。でもその結果置き去りにされている子達と仲が悪くなったりしたら俺は悲しい。皆仲良くしてもらいたい。
これが他所のグループとのことだったなら俺は口を出さない。他の派閥やグループとの揉め事なら知ったことじゃないんだけど……、この、薊ちゃんのグループは『恋花』の時に皆一緒に仲良くしていたグループだ。そのグループがこんなことで仲が悪くなったらとても悲しい。
「え~っと……、九条……、さん?はお作法はどこかで習っているの?」
一緒にテーブルを囲んでいると北小路椿ちゃんがそんなことを聞いてきた。北小路家は同じ名前で別の家が存在している。間違えやすいけど両家の始まりはまったく別々であり分家でも何でもない。
そのうち椿ちゃんの家の方は家格も上の北小路家であり、かなり家格が下の方である東坊城茜ちゃんとでは結構な差がある。でも薊ちゃんのグループというか『恋花』の咲耶お嬢様の取り巻きグループというか、はそういう家格差がどうこうというのはあまり感じられない。皆割と仲良くやっている印象だった。
椿ちゃんは俺との距離感がわからずどう接していいか困っているようだ。それでも頑張って話題を振ってくれたんだろう。
「私のことは咲耶で良いですよ、椿ちゃん」
「つっ、つばきちゃん……」
馴れ馴れしすぎたかな?椿ちゃんは『椿ちゃん呼ばわり』されて少し戸惑っているようだ。でもいい。遠慮はしない。最初に硬い呼び方をし合うとそれが定着してしまう。最初のうちは馴れ馴れしい奴だなと思われてでも、ちょっとくらい強引にでも親しくしにいかないと距離が出来てしまう。
「えっと……、じゃあ……、咲耶さん?」
「ジロリ!」
「ひっ!」
椿ちゃんが俺を『咲耶さん』と呼んだら薊ちゃんが睨みつけていた。
「椿!咲耶様でしょう!」
「もっ、申し訳ありません咲耶様!」
「ちょっ、ちょっと薊ちゃん……!あっ、椿ちゃん、私のことは『咲耶ちゃん』でいいですからね?」
薊ちゃんが滅茶苦茶なことを言い出したから慌てて止める。ついでにさりげなく『咲耶ちゃん』呼ばわりを勧めておいた。俺は皆に畏まられたり恐れられたりしたいわけじゃない。むしろもっとこう……、フレンドリーな感じで、ついでに言うと出来ればキャッキャウフフな感じで接して欲しい。
「あうあう……」
椿ちゃんは俺と薊ちゃんの顔を交互に見ながら泣きそうな顔をしている。あうあう言ってるのはちょっと可愛いけど可哀想だから薊ちゃんを止めなくちゃ……。
「薊ちゃん!薊ちゃんが私のことをどう呼ぶかを決めるのは私と薊ちゃんです!でも私と椿ちゃんの間でどう呼び合うかを決めるのは薊ちゃんではありません!そういうことを強要してはいけませんよ!」
「シュン……。ごめんなさい咲耶お姉様……」
うっ……。薊ちゃんがシュンとしてしまった。言い過ぎたかな……。
「ごめんなさい薊ちゃん。私も言い過ぎたかもしれません。でもそういうことは強要してはいけませんよ」
「はい……」
薊ちゃんも反省したのか大人しくなったので話を続けようか。何の話だったかな……。
「あっ!私のお作法の話でしたね。私は道場に通っていますよ」
百地流だと言うとまた変な話になる可能性があるから百地流だということは黙っておこう。これなら皆もわからないはず……。
「……道場?」
「お作法教室とか家庭教師じゃなくて……?」
「道場に通うだなんてまるで百地流みたい」
「まっさかぁ~……。百地流に入門なんて……、ねぇ?」
げっ!何でそれだけでここまでわかるんだ?俺の言葉がおかしかったのか?それともやっぱり俺の百地流の作法が見ればわかるほど異質だということか?それに皆は教室とか家庭教師と言うようだ。道場に通うという言い方も悪かったらしい。そういえばそうだよな。作法を習いに道場に通うって何か変だよな!今更気付いたよ!
「ほっ、ほほほほっ!駅前のビルにあるお作法教室などに通っているだけですよ」
「ああ、あそこの……」
「あそこも入会するだけでも大変だよね……」
「やっぱりさすがは九条家ってことかなぁ」
あっぶねぇ……。何とか誤魔化せたか?あそこのお作法教室には一回しか行ったことがないけど嘘は言っていない。ミスリードするようなことは言ったがね!これで誰かあそこに通ってる子がいたりしておかしいってバレたら面倒なことになるけどこの場にはいなかったようだ。
それにしても……、やっぱり百地流は地雷流派なんじゃないか……。父の言葉で一時は胸を張っていこうかとも思っていたけどやっぱり隠しておいた方がよさそうだ。嘘をつくつもりはないけどこれからはなるべく隠す方向で行こう。
それはそうと皆でこうして話しているけどやっぱり茜ちゃんはちょっと距離を置いているというかあまり話に入ってこないな。俺以外の子達とは話しているんだけど俺との会話になるとプッツリと会話が途切れてしまう。
別に嫌がって、とか、絶対に話したくない、という感じではない、と思う。ただまだちょっと様子見というかいきなり親しくは出来ないという壁を感じる。
それに比べて他の子達は徐々に慣れてきたのか普通に会話するくらいなら出来るようになってきた。まだお互いの距離感がわからなくてちょっと遠慮気味だったりするけどそれは追々直ってくるだろう。椿ちゃんのように普通に話しかけようと頑張ってくれている子もいるし、こうして一緒に過ごしていれば徐々にでも打ち解けられるのだという手応えは感じた。
何とか茜ちゃんとも打ち解ける方法はないかなぁ……。下手なことをせずに時間をかけてじっくり友達になっていくのが本来ではあると思うけど……。ただこうも避けられて様子見をされていると本当にこのままで良いのか心配にもなる。出来れば茜ちゃんとも仲良くなりたい。
まぁ小学校一年生の薊ちゃんに人付き合いの何たるかを教えられたような人付き合いの苦手な俺だ。そんな簡単に女児と仲良くなるような方法など知っているはずもなければ思いつくはずもないわけで……、こればっかりはどうしようもなく、成り行き任せにするしかないのかな、と思いながらお昼休みを過ごしたのだった。
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午後の授業も適当に蕾萌会のテキストをしながら時間を潰していると放課後になっていた。あまり行きたくないけど五北会に行くしかない。そう思って俺が立ち上がると薊ちゃんが俺の席にやってきた。
「咲耶様!サロンへ行かれるのですよね?ご一緒しましょ?」
「薊ちゃん……、そうですね。それではご一緒しましょう」
別に断る理由もないから引き受けたけど……、何だろう……。何か心に引っかかる……。
ぁ……。そうか……。わかった……。
俺は今日皐月ちゃんと朝の挨拶以外まったく話していない。何しろ朝からずっと薊ちゃんがべったりだったからな。それ自体は嫌じゃないしむしろ俺からすればウェルカムな部分もあるけど皐月ちゃんにとっては今日の俺の態度はどう感じただろうか。
例えば……、今まで仲の良かった友達が、急に他に友達が出来たからって冷たくなったらどう思うだろう?寂しかったり、腹立たしかったり、悔しかったり、色々な感情がわき起こるんじゃないだろうか……?少なくとも良い気持ちがする人はいないだろう。
俺は今日皐月ちゃんにそんな思いをさせてしまったんじゃないのか?俺はそこまで考えていなかったけど……、いや、考えていなかったからこそ余計悪いとすら言える。それはつまり皐月ちゃんの気持ちなど考えず思い至っていなかったということだ。
「薊ちゃん、もう一人誘っても良いかな?」
「え?はぁ……、まぁ……」
俺の言葉を聞いて薊ちゃんはチラリと皐月ちゃんの席を見た。俺が誰を誘うつもりかわかったんだろう。ゲーム『恋花』では二人とも咲耶お嬢様の派閥だったけど、少なくともこの世界の現時点では二人とも派閥も門流もグループも完全に別で、むしろ敵対関係に近いくらいの間柄でしかない。
この二人のグループがどうやって『恋花』の時点で仲良くなっていたのかはわからないけど、今の時点では二人は確実に親しくないしむしろ敵に近い。でも俺はあえて薊ちゃんがいるこの場で皐月ちゃんを誘ってみることにした。出来れば俺が仲を取り持って二人には仲良くなってもらいたい。
「さ~つ~き~ちゃん」
「咲耶ちゃん……、どうしたんですか?」
俺が後ろから皐月ちゃんに声をかけると少し驚いたような顔でこちらを振り返っていた。だけど俺はお構いなしに用件を告げる。
「一緒にサロンに行きませんか?」
「え?でも……」
皐月ちゃんはそのままチラリと視線をさらに後ろに向ける。俺の向こうに立っている薊ちゃんを見ているんだろう。
「『三人で』行きましょう?」
「そうですか……。そちらも納得されているのなら良いですよ」
そう言って皐月ちゃんは薊ちゃんを見ながら立ち上がった。どうやらオッケーのようだ。だったら三人で向かおう。
「それでは三人で向かいましょう」
「「…………」」
う~ん……。皐月ちゃんと薊ちゃんはお互いにちょっと微妙な雰囲気になっている。でも表立ってとやかく言う様子もないからこれからかな……。いきなり十年来の親友のようになれるはずもない。こうしてお互いに少しずつ親しくなっていくしかないだろう。
そんなこんなで三人で少しだけおしゃべりしながらサロンへとやってきた俺達はその扉を開けて驚いた。
「私は納得いきません!近衛様にあのようなことをした者などこのサロンには相応しくありません!」
「まぁまぁ……、茅ちゃんも落ち着いて」
「お前が相応しいかどうか決めるんじゃないんだよ!文句があるならお前がここを去れ!」
「ちょっと伊吹……、言いすぎだよ……」
四人の人物がサロンの中心で言い争っていた。いや、二人が言い争うのを二人が宥めているというべきか。
一人は正親町三条茅だ。七清家には劣る家格だけど六年生で五北会の中心的メンバーの一人だ。そして近衛家の門流であり伊吹に近しい人間だろう。
その茅さんと揉めているのはあろうことか門流の長であるはずの伊吹本人だ。でもどちらかと言えば伊吹が感情的に怒っているだけで茅さんは伊吹に忠言しているという所かな。
茅さんの方を宥めているのは広幡水木で伊吹を宥めているのは槐だ。この状況が何なのかよくわからないけどあまり巻き込まれたくはない。とはいえ俺が扉を開けてしまったからかなりの視線がこちらに向いている。今更気付かれないようにこの場から立ち去るのは不可能だ。
どうしたものかと思いながら開け放たれた扉の前で途方に暮れて立ちすくんでいたのだった。