第四章2 『椿の落ちる季節』
その夜、ふたりは時計塔の内部にある階段の踊り場に座り込んでいた。踊り場のスペースはかなり広く、昔この時計塔を整備していた者たちの息遣いが感じられるような空間だった。
夕食はいつもよりも豪華だった。「誕生日はいつもよりいいものを食べるってきまりでしょ?」そういってステラは鞄の中から次々と食糧を出していく。
缶詰四つと、乾パン、そしてそこに粉砂糖を振りかけたものだった。いつもは絶対に使わない貴重な調味料を、何かわからない缶詰に入った煮物の上に振りかける。
「ちょっと待てよ。今お前砂糖かけたか?味見もしてないのに変な味付けすんなよ」
「大丈夫、どんな食べ物でも砂糖をかけたら絶対に美味しくなるから」
こんな小細工で豪華とでもいうつもりかよ、とステラの表情を見るが、まるで調理をしたとでも言いたげな満足そうな顔に文句をつけるのはやめておいた。
味の方はというと、意外にも魚のような食感の煮物に、砂糖の甘みが合わさっておいしかった。
さては先ほどは飴を独り占めしたことに対するささやかな不満として、砂糖をこれ見よがしに使ったのではないかとも思ったが、おいしかったから不問にすることにする。
夕飯を食べ終わり、寝床の準備でもしようとしたイドラを遮って、ステラが妙な白い塊を皿に乗せて運んでくる。
「…なんだその白い塊は」
白一色の冷たい塊を、妙に真剣な顔で置いた。その正体に皆目見当もつかない。
「見りゃわかるでしょ、ケーキだよ」
そのケーキには、砂糖もミルクも、フルーツも使われてはない。もちろんこの世界には、ケーキの要となるクリームやスポンジのような生鮮食品は残っていないからだ。ただ雪を円柱状に固めただけの、はたから見ればゴミにしか見えないそんな物体をステラはケーキと言い張った。
「どっからどうみても雪だろ、寒さで頭がおかしくなったか?」
「文句言うなよ、材料が雪しかないんだから。誕生日にはケーキがないと話にならない」
イドラはその言葉を聞いて思わず吹き出した。
「うわ、感性がおこちゃまなのはお前も変わんないじゃねぇか」
「うるさい、さっさと食え」
「雪を食べると頭が痛くなるんだよ…」
そういいながらもステラの茶番に付き合ってやろうと、雪を手に取った。しかし、その重さに眉を顰める。雪にしてはやけに重いような気がしたからだ。
イドラはそのケーキを半分に割った。
「…?」
ゆっくりと雪が崩れていき、中からは小さな金属のような感触がする。さらに掘り出すと、中に入っていたのはスレプトのオルゴールだった。彼が大切にしていた、そして壊れてしまったはずの、――あの古びた箱。
「…もしかして、直して、くれたのか…?」
イドラの口から言葉が漏れた。
「お前と喧嘩したとき、やることなかったからついでに直しただけだ」
ステラは目を合わせない。どこか照れ臭そうに、ケーキだった雪のかけらを指でつついている。
「誕生日にはケーキともう一つ、プレゼントも必要だろ。これも感性が子供っぽいって言うんなら取り上げるからな、それ」
イドラはオルゴールの蓋をゆっくりと開いた。裏側についているゼンマイを回して、音を待つ。
――ポロン、ポロロ…ポロロン
ほんの少し遅れて音が流れ出す。かつてスレプトが繰り返し聞いていた、あの旋律だった。少したどたどしくて、それでも温かさを含んだような、小さな祈りのようなメロディ。
その拙い音は、塔内の広々とした空間に木霊する。細い隙間から吹き込む雪に混ざり、しばらく時の流れを忘れさせてくれた。
「――」
イドラの肩が震えていた。それが寒さ故なのかは、本人にしかわからない。
「…ありがとう」
「うん」
それだけ言うと、ステラは食事の片づけを始める。その間、イドラはまるでスレプトの幻影を手繰り寄せるかのように、ゼンマイを巻いてはオルゴールを鳴らし続けていた。
***
ステラとイドラは背負った大きな荷物を揺らしながら、真っ白な地面に足跡を残していく。
「…雪はきれいだが、寒いのにはもう飽きたな」
「ほんと人間って勝手だよね。美しいものを見るのには我慢も必要だよ」
「またジジィみたいなこと言うなよ」
降り積もる雪は、昨夜よりはその勢いを随分と落とし、はらはらと細かい欠片だけが空気中の光を反射している。
「昨日はよく眠れた?」
「本当は丸一日、スレプトの餞としてオルゴールを奏でてやるつもりだったんだけどな、気づいたら寝落ちしてた」
「そっか」
二人の足取りは時計塔を離れて、街の中心部とおぼしき市場跡へたどり着いた。
そこでは庇が雪を防ぎ、昔誰かがそこで生活していた跡を確認することができた。あたりにはリュックやボトルに入った水が散らばっており、まるでその場所から人だけが切り取られてしまったかのように、生活の余韻を残していた。
「見てみろよ、まだ使えるぞこの缶切り。あっ、リュックの中に缶詰めがめっちゃ入ってんじゃねぇか。奇跡か?」
「ここで缶切りに出会えるのは嬉しい収穫だな。プルタブのついてない缶詰の開け方に困ってたところなんだ」
「じゃあこれからは新しい味の缶詰が食えるってことか、余生の楽しみが一つ増えたな」
そういってイドラが笑った。屈託のない笑顔はどこか無防備で、少年のような純粋さがあった。
リュックの落ちていた場所、おそらく空蝕で死んだかつての旅人に、鞄から取り出した花をそっと添える。
「その花どこで拾ったんだよ、雪のせいで自生してた花はあらかた枯れてたぞ」
「木の傍に落ちてたんだ。きれいだったからさっき拾ったんだよ」
「それ椿じゃねぇか、縁起悪いぜそれ」
そういいながら供えた花をイドラが再び拾い上げた。
「そうなんだ…真っ赤で綺麗な花なのに」
「花がそのままの形で落ちるところが、首が落ちるみたいで忌み嫌われてたんだと」
ステラは寂しげな目線でイドラの手のひらに乗った椿の花を見つめる。こんなにも美しい花が縁起悪いとされるなんて、悲しい話だと思った。花びらがだんだんと散っていき、むき出しの雌蕊と雄蕊が晒されるよりも、いっそ全て一緒くたになって落ちてしまった方が美しい最期のように思えた。
その代わりといったふうに、イドラが地面に降り積もった雪で何かを作り、墓標の代わりのようにリュックの前に備えた。
「それなに?」
「知らねえのか?これは雪うさぎだよ」
雪を扁平な楕円に形造り、耳と目を植物であつらえたそれは確かに白いウサギのようにも見えた。真っ白なそれが 雪の上に降り立ち、今にも動き出しそうに雪の上で輝いていた。
「かわいいね、これ」
「雪が降ったら雪うさぎを作るって習わなかったのか?必修事項だから覚えておけよ」
そういうと、優しげな目つきのうさぎに視線を向ける。その様子をステラがじっと見つめていた。
午後になると雪はすっかり止み、残された積雪が太陽の光線をじっとりと浴びて、滑らかな表面を光らせていた。それでもまだ空気は冷たく、コートの紐をしっかりと閉めて二人は歩いていた。
「なんか向こうのほうに煙突っぽいの見えない?」
「あぁ、本当だな。食品工場だったら収穫があるかもしれねぇ」
「もし生鮮食品とかだったら虫とか湧いてそうで嫌だな。近くまで行ってみてもいいけど、僕は入らないからね」
「今頃虫が食えるものなんて工場に残ってないだろうよ。とりあえず行ってみようぜ。俺、世界が滅亡して一人だけ生き残ったら、チョコレート工場に住んで独り占めするのが小さいころからの夢だったんだ」
そういってフッと笑ったイドラが白い息を吐き出す。寒さで鼻と頬が赤く染まっているのとは対照に、光を反射させてキラキラ光る銀の髪がやけに眩しく思えた。
「そうだな…僕は一番高い天文台に行って、そこで星を見続けたい。ただ死を待つのみの人生だったら、孤独に穏やかに過ごしたい」
「じじくせぇー!でもそれって今でもできるんじゃねぇの?何年か前にチョコレート工場に忍び込もうと思った時は入り口が閉まってるせいで入れなかったし、今となってはもうチョコなんて残っちゃいねぇと思うが、天文台ならそうそう朽ちることはないし、探せばありそうだぜ」
「…そうかもね」
端的な返答で少し不自然に会話を終わらせたステラに、イドラは首を捻る。しかし気を取り直したように両腕を天につき上げて、大きく伸びをしながら言った。
「さあ、立ち止まる暇はねぇぞ。行くぜ、夢の楽園に!」
意気揚々と足を踏み出すイドラにステラは歩調を合わせてその背を追っていた。




