第三章1 『遺書の街』
テディのいた町からそう遠く離れていないところに、少し大きい街があるらしい。あくまでもこの流浪の旅の目的は食糧調達にある。栄えていればいるほど、食糧などの品も豊富だろう。
テディのいた町で一番の高台に上ったイドラが、行く方向にあたりをつけ、あとはステラの持つ地図で進んでいく。大きめの建物がいくつか見えたことから、二人の期待は空腹とともに高まっていた。
「あれ、こんな建物があるなんて、珍しい」
ステラがふと足を止めて、街の入り口にあるひときわ大きな建物に目を付けた。壁はひび割れ、看板も朽ち果て、文字はほとんど読めなかったが、かろうじてその役割を物語る決定的な跡が残っている。
――郵便局だ。
やけに存在感のある赤々としたポストが、落書きやステッカーを身に纏いながら堂々と立っていた。扉はわずかに開いていた。誰かが慌ただしく飛び出したか、あるいは力尽きて締めきれなかったのか。いずれにせよ、まるで中に入れとでもいうような不思議な邂逅に二人は惹きつけられた。
「入るか?」
イドラが先に前へと踏み出して、ジェスチャーをする。ステラは無言で頷いた。
好奇心か、それとも運命的な何かを感じ取っていたのか。二人は躊躇なく、暗がりへと足を踏み入れた。
しかし、そこへ一歩踏み込んだ瞬間二人は息を呑んだ。
床も、カウンターも、壁も、棚も、すべて。そこには夥しい量の手紙が積み重なっていた。破れかけた封筒、滲んだインク、今にも崩れそうな大量の紙の山。その一枚一枚に、必死で絞り出したような、震える筆跡があった。
「よう、ステラ。こりゃ傑作なアートだな。悪趣味ったらありゃしねぇ」
重い空気が肌にまとわりつく。古びた紙とインクの匂い、そして何故か胸を詰まらせるような匂いが入り混じっていた。
「…これ、全部…」
ステラは言いかけて、途中で声を失った。ステラは足元に落ちていた手紙を拾い上げる。破かれた封筒には住所も名前も書かれていなかった。こんなんじゃ投函しても、誰にも届かないだろ、と思いながら中身に目を通す。そこには、小さい子供が書いたような字で短い言葉が綴られていた。
『ままへ、またどこかであえますか?』
たったの一行
けれど、たったそれだけで、この街に何が起きたのか、何を望み、何を失ったのか、すべてが伝わってくる気がした。
「おそらく、空蝕が広まった直後だろうな…」
イドラがほかの手紙を拾い上げてそう呟いた。
死期を悟った人々は、遠く離れた家族や、大切な誰かへ、一言だけでも何かを伝えたかったのだろう。一通、また一通と投函される遺書。
――だが、受け取る者はいなかった。届ける者も、きっと。
郵便局の職員たちもまた、空蝕に呑まれ、街を去り、もしくは命を絶った。それでも手紙は止まらなかった。誰もいない郵便局へ、絶望の中、必死に差し出されたそれらはこうして部屋を埋め尽くす程になった。
ステラは何も言わないまま、床に散らばった封筒を拾い上げては、そっと重ねておき直す。破れそうなものは端をそろえ、泥が付いたものは指先でそっと落とす。
「…せめて、ぐちゃぐちゃにしないようにしないと」
低くつぶやきながら、いつになく真剣な顔をしていた。その手つきには、亡くなった者たちへのささやかな敬意があった。
クシャ
紙が踏みつぶされる音に眉を寄せ、ステラは振り返った。そこにはあえて山を踏みつけるように歩き、無造作に何枚も手紙を蹴散らすイドラがいた。目も感情も、ほとんど動かない。
「読まれるために生まれてきたってのに、その役割も果たせないなんてかわいそうな奴らだよな」
吐き捨てるような声。けれど、それに対する返事はない。今までだって、こういう時無理に正そうとしてもうまくいかなかったから。
イドラが壁についていた一枚の手紙を引き剥がし、冗談めかした口調で読み上げる。
『■■■へ
誰にも言うつもりもなかった。でも■■■にだけ伝えなくちゃって思って。
あのね、死ぬのが怖いの 難病のくせにいまさらって笑うかな?
いままでお別れの言葉だって何回も練習してきたのに、いまあなたに何を言えばいいのかわからない
それでも隣のベッドにあなたがいて、毎日が楽しかったよ。■■■はまだ、生きてる?
手紙なんて書かないからへたくそで、ごめんね またね
■■より』
ところどころインクがかすれて読めないところはあるが、それを書いた少女の悲痛な思いがひしひしと伝わってくるような手紙だった。ステラは何も言い出せずに、ただ沈黙を貫いている。
「死ぬのが怖い、か。…バカみたいだな。結局人はみんな死ぬんだ。そんな思いをするくらいなら、初めから生まれ
てこなきゃ幸せだったかもしれねぇな、かわいそうに。怖がった分だけ人生の損失だ」
そういってイドラは乾いた笑いを空中に放った。ステラは何も言わなかった。ただ、手に持っていた手紙をそっと折りたたんで、積み重なった手紙の山の上に置いた。
ステラははたと立ち上がると、乾いた埃の匂いがする床を踏みしめて出口へ向かった。振り返りはしなかった。
イドラはようやく、自分の失言に気が付いた。しかし、どう取り繕えばいいのかはわからない。去りゆくステラの背中に手を伸ばしかけたが、その腕は空中で止まる。
――手を伸ばす資格は、自分にはない
「…怒ってんのかよ、ステラ」
喉から絞り出すように、かすれた言葉が飛び出た。背中越しに、ステラが言った。
「…どうしてこの人たちが、届かないって分かっている手紙を死ぬ前に書いたと思う?」
イドラは言葉に詰まった。
「…死ぬのが怖い。だから、ここに来る誰かに、自分はここにいたぞって…知ってほしかったんじゃないのか」
そういって、拳を強く握りしめ、下を向いた。その顔は、外から零れる光によって読み取ることができなかった。
「イドラがそんなふうに、死を笑うやつだなんて、思いたくなかった」
ステラはそのまま重いドアを押し開け、外の灰色の空へと消えていった。
残されたイドラは、ひとり郵便局の中央に立ち尽くしていた。床に散らばった遺書たちが、彼を取り囲んでいる。読まれることもなく、想われることもなく、ただここに積み重なっていった亡霊たち。
「…バカだな」
誰に向けられたのかもわからない言葉を呟き、笑う。やっぱり、どこまで行っても俺は、こういう生き方しか知らない。
遅すぎる後悔を胸に、ステラを追おうとイドラもまた郵便局を後にした。だが、二人の距離はもう簡単には埋まらなかった。




