スピンオフ1:番外短編 手紙の向こうへ
これは、ミアがキースのいる牧場へ行くことを決めた、秋の日の小さな前日譚。
番外短編
―手紙の向こうへ―
秋の風が、窓を少しだけ揺らしていた。
役所の仕事を終えたミアは、机の上に置かれた封筒を見つめていた。
見慣れた字。
少しだけ角ばっていて、必要なことしか書かなさそうな、真面目な字。
差出人は、キース。
「……また短いんだろうな」
そう呟きながら、ミアは封を切った。
中には、便箋が一枚。
◇
元気か。
こっちは忙しい。
秋はやることが多い。
馬も牛も変わらず元気だ。
ランとレンは来年の学園の話でうるさい。
母さんは、お前のことを聞いてくる。
親父は何も言わないけど、多分聞いてる。
無理するな。
ちゃんと食え。
キース
◇
「……短い」
思った通りだった。
でも、ミアは笑ってしまった。
無愛想で。
飾り気がなくて。
でも、ちゃんとこちらを気にしている。
そういうところが、キースらしかった。
便箋の最後に、小さく追伸があった。
『時間ができたら、来てもいい。
遠いけど、案内くらいはする』
ミアは、その一文を何度も読んだ。
来てもいい。
それは、キースなりの「会いたい」なのだと分かる。
分かるからこそ、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ずるいなぁ」
ぽつりと呟く。
自分からは、なかなか甘いことを言わない。
でも、こういう言葉で扉を少しだけ開けてくる。
行ってもいいのだろうか。
突然行ったら、迷惑ではないだろうか。
仕事は休めるだろうか。
考え始めると、いくつも理由が浮かんだ。
行かない理由が。
けれど、本当はもう決まっている。
会いたい。
ただ、それだけだった。
「ミア?」
後ろから声がした。
振り向くと、リナが扉のところに立っていた。
用事の帰りなのか、手には小さな包みを持っている。
「まだ残ってたの?」
「うん。ちょっと片付け」
ミアは慌てて便箋を畳む。
その動作を見て、リナが少しだけ目を細めた。
「……手紙?」
「え?」
「キース?」
「なんで分かるの」
「顔」
リナは笑いながら近づいてくる。
「すごく分かりやすい顔してる」
「そんなに?」
「うん」
ミアは頬に手を当てた。
熱い。
自覚したら、余計に恥ずかしくなった。
リナは椅子を引いて、ミアの向かいに座る。
「何て?」
「元気か、こっちは忙しい、ちゃんと食え」
「キースらしい」
「でしょ」
ミアは小さく笑う。
それから、便箋の端を指でなぞった。
「でもね」
「うん」
「時間ができたら、来てもいいって」
リナは少しだけ目を丸くして、それから優しく笑った。
「じゃあ、行くの?」
ミアはすぐには答えなかった。
窓の外を見る。
秋の空は高く、少しだけ寂しい色をしている。
「……行きたい」
正直に言う。
「でも、急に行ったら迷惑かなとか。仕事もあるし。あっちは忙しいみたいだし」
「ミア」
リナの声が、少しだけ柔らかくなる。
「キースが“来てもいい”って書いたなら、それはきっと、来てほしいってことだよ」
ミアはリナを見る。
「……そうかな」
「そうだと思う」
リナは少し考えてから、苦笑した。
「キースって、そういうところ不器用だから」
「うん」
「でも、言わないことまで全部察して待ってたら、たぶん何も進まないよ」
その言葉に、ミアは小さく息を呑んだ。
リナは窓の方を見ながら続ける。
「私もね、最近思うの。言葉にしてくれないからって、何もないわけじゃないんだって」
ミアは少しだけ笑った。
「カイのこと?」
リナが一瞬固まる。
「……今はミアの話」
「ふふ、分かりやすい」
「ミアに言われたくない」
二人は顔を見合わせて笑った。
少しだけ、心が軽くなる。
ミアはもう一度、手紙を開いた。
短い文章。
飾り気のない言葉。
でも、その向こうに、キースがいる。
牧場で働いている彼。
動物に囲まれて、家族に囲まれて。
自分の知らない場所で、ちゃんと生きている彼。
見たい、と思った。
キースが育った場所を。
キースが大事にしている家族を。
キースが「帰る場所」と呼ぶ風景を。
「……行こうかな」
小さく言う。
リナは、にこっと笑った。
「うん。行っておいで」
「でも、返事を書いてからの方がいいかな?」
「驚かせたいなら、書かない方がいいんじゃない?」
「リナ、意外と大胆ね」
「たまにはね」
ミアは少しだけ考えて、それから便箋を胸元に抱いた。
「じゃあ、行く」
その声は、自分で思ったよりもはっきりしていた。
「明日、休みの申請出してくる。馬車も調べる。荷物もまとめる」
「早い」
「行くって決めたら早いの」
リナは嬉しそうに笑う。
「キース、驚くね」
「驚かせる」
「抱きつく?」
「抱きつく」
即答してから、ミアは少し頬を赤くした。
「……止められるかもしれないけど」
「キースなら止めそう」
「汚れてる、とか言いそう」
「言うね」
二人はまた笑った。
その夜。
ミアは机に向かい、返事を書こうとして、何度も筆を止めた。
『行きます』
それだけ書けばいいのに、なぜか少し恥ずかしい。
結局、便箋には短くこう書いた。
『ちゃんと食べてます。
キースも無理しないでね。
近いうちに、会いに行きます。
ミア』
けれど、封はしなかった。
送るより先に、自分が行く。
その方が、きっといい。
ミアは手紙を畳み、鞄の中に入れた。
窓の外では、秋の風が静かに吹いている。
遠い場所にいるはずの人が、少しだけ近く感じた。
「待っててね」
小さく呟く。
返事はない。
けれど、手紙の向こうで、あの不器用な声が聞こえた気がした。
――来るなら言えよ。
ミアはくすっと笑った。
「言ったら、驚かないでしょ?」
そうして翌朝。
ミアは大きな荷物を抱えて、牧場へ向かう馬車に乗った。




