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医者の魔女

 医者の魔女はただ一人、病気を治して、怪我を切り縫い付ける。

 最初から魔女だった訳もなく、資格を取って医者になり医院に務めた。魔女になったのは平行鍛錬、二足を器用に挿げ替えて怪我と病気の根治を目指す。

 とろけた腕に医者は何も出来ず、目に見えない病に魔女は感知しない。

 だから医者の魔女は両方になった。

 医者の方の、と言われて来て、魔女の方の、と言われて来て。

 それに馴染むうちに老婆になっていた。

 医者の魔女は明かりを消さない。食事をしない、眠りもしない、体だけが医者の魔女の欲望を満たしているのだと言われた現役時代は遥か彼方、腕の衰えと精神の摩耗をおして患者に向き合う生活を畳み、辺鄙な村で魔女の仲間達と診療所を営んでいた。まあ、現在働いているのは医者の魔女ただ一人。なけなしの馬力でカルテに噛り付き、パドゥル村の村民の健康を管理している。放り出せなかったのが運の尽き、常軌を逸した医者の立場への執着で、日夜患者を診ているのだ。

 亀裂みたいに血走った皺が顔面に集中していた。背中は針金を通した直線で、真っ直ぐな姿勢の老齢の医者であり、魔女である。彼女は常連の患者を診た。


 「すみません毎日・・・・・・よろしくお願いいたします」

 「ヘイス・パドゥルさん。何時もの診察ですね。あれからどうですか」

 「よいです、はい。良い・・・・・・胸の、痛みなんかは無くなったんです。あの、ミー先生?聞いてもらえますか」


 鼻の高い、美しい女性だ。赤いグロスを引いている。清楚な淡い色のブラウスと、スカートを合わせて着ている。髪を目にかぶせて、弱り切った様子でいる。パドゥル村の村長ラード・パドゥルの奥方で、パドゥル村に残った希少な魔女である。


 「聞きましょう。何かありました?」


 ヘイスの夫は呪われている。外にも出れない容体が続いていて、訪問診察が定期的に求められる。解呪と診療を施すのだが一向に回復にいかず、追い詰められたラードはヘイスに錯乱した言動を繰り返すのだ。気をやって診察に来るヘイスは精神状態にムラがあり、幻覚と事実の確認作業が毎回行われた。カルテに書き留めて足りなくなっていた処方薬を煎じる間、ヘイスが窓の外を見つめているのに気付く。


 「何か見えますか?」

 「あ、いえ。いつもより曇っているなとちょっと思って」

 「どれ・・・・・・雷が落ちそうだ。あん子は洗濯物、ああクソ、いつもは居るのに今日に限って仕事だ。籠は何処に置いたっけね、ええい面倒くさい・・・・・・!」

 「あの子・・・・・・ああ、お孫さんでしたっけ。今日はお客さんが来ているとかで、張り切ってましたね」

 「旦那も子供もいないのに孫。ハッ、突っ返されるに早過ぎる。一所で上手くやれない血筋だわ、可哀想にね」

 「可哀想だなんて、よくやってくれてるんです。助かってるんです私」

 「結構なことですね、雨が降らないことを願いますよ、はあ」


 ふと、親の仇を見るみたいな目が緩んで椅子に全身を預ける。米神をつまむ指は枯れ木じみて硬質感があった。「・・・・・・気になっていたんですけど」と何の気なしに聞いてしまう。


 「旦那さん捕まえなかったんですね、ほら、私達って魔女じゃないですか」

 「使い道が偏ってる自覚はある。それはまあ血縁がね、色々あるのさ。我らは一族単位で曰く憑き、不幸にすることないだろうってね、止めたんだ。医者を続けろっていう願いを叶えてやらないとワタシは息ができませんでね」


 酷い話だよ、と医者の魔女は言うので、ヘイスは被りを振った。言葉の響きは、絵本のお優しい台詞に似ている。


 「よいことでしょう?人間に優しくしてあげてるということでしょう?口振りが、黒いシミを付けやがって、くらいの嫌悪に聞こえるんですけど」

 「自覚がある、というのがミソですな。やらずにはいられないことを優しさだと言われて、好かないなあと思う。正気でやってるからね我らは。宿命であり、習性だ、そう生きるように出来ている。ワタシで言うなら、医者として人間を救い続けてくれ、だ。これを一生続ける」

 「何が駄目だって言うんです、親切にしたいってよいことでしょう?」

 「旦那は身内だから対象外、てなことになる訳です、一族全体その認識で・・・・・・そうですね、ふん。説明しちゃった方がわかりやすいか・・・・・・聞いていきますかね、ヘイスさん」

 「聞きたいです、気になりますよ、どういうことなんです?」

 「成り立ち話があるってことです」


 雷は落ちない、雨も降らないね。そう窓から見える天気に言及してから、医者の魔女は話し出す。ヘイスは居ずまいを正した。


 「とある土地、村とも呼べない小さい集落だった。土地の近く、街があるも、河で分断されている。底が深くてね、水が濁流を以て橋を壊すんだ。食う物に困って、やることもないとくる。心の底が、心の中身が抜け落ちることで何とか争わず生きていたんだ。我らは侘しさを抱えていて、だからこそ穏やかに生きようという殊勝さを持っていた」


 「何があったって言えば、共に生きてはいけなくなり、散り散りになって、根絶やしさ。生き残りが細く、偶にいるくらいのね」


 「欲しいと願ったんだ。せせこましく身を寄せ合って暮らしてきたから、一度投げられた石は随分波紋を立てた。集落全体の欲に変わったんだよ。空を見上げて、お願いしますと願った。肩を組んで、両手を掴み合って。穏やかさは健在で、騒ぐ気概はなかったようだ」


 「外の世界に出る前に、起こってしまった。そこらの教訓を語り継ぐ唄があるんだ。言い聞かせて、変貌を遂げた者だということを自覚させる役割があるんだよ・・・・・・どうだったか」


 何に成ったのかということだった。何かに成った我らから生まれたのだということだった。そうすると、我らには宿命が課せられている。そのことを知らせてあげるのが我らの真心だったのだ。


 「『我らは空へ向かい祈り申した。人間に必要とされたいのです。何でも良いから人間を助けられる力を下さい。お願いです。人間の為に働かせて下さい。そう願って、一塊になっていれば、しかと空は聞き届ける。鈍重な雲が空を覆い、河が化け物に代わって大雨を我らに打ち付けた。家屋に逃げ帰ろうとして、雷が我らの脳天を貫いた。その上で我らは生きている。我らが逸脱した査証である。我らは血族を残して、漲る人間以上の能力を手に入れた。』・・・・・・そんなような、一篇がある。これを聞かせるんだ、雷にゃ因縁があるってことさ」


 「・・・・・・雷、ですか。そう言えば口癖ですねぇあの子の」


 ヘイスは身近な少女の主張を思い出す。良い子だけれど、変わっていて、扱いやすい存在。孫というけれど直接の親族じゃあなかったはずだ。それにしては似ている、そう思う。一族でそんな感じなのだろうか。

 想像の外だとヘイスは唸ってしまう。全員が、雷に打たれる。魔女だって普通死ぬのだが彼らは生き延びたのだと。それは一体全体どういうことなのだろうか。

 ふと引っ掛かる。普通死ぬはずの出来事の後、普通に生きられはしないんだろう、と。どうしたんだろうか。


 「・・・・・・具体的に、どうなったんでしょうか?」

 「異常な執着、かね。特に他人に乞われた願い、望みの言葉に固執する。誰であっても何を乞われてもだ。他人ってところが大事でね、身内は適応外って知らんふりさ。始末が悪いのは願い、望みを叶えてしまえる力がある、それを躊躇なく使う。人間に都合良く出来ている。化け物は人間じゃないから聞く耳持たない。どっかしら、正気でこれを自覚するんだ。だから言ったんだよ、旦那なんか不幸にするだけだって話だ」

 「そんな!化け物だなんて、そんなこと言わないで下さい。患者に親身なのは事実なんですから生まれを卑下することないじゃありませんか。ご縁がなかっただけです、結婚できますよ今からだって!」

 「いくつだと思ってんだい、いらんよ。」

 「体を乗り換えれば良いじゃないですか、若い女の人、美人を使いましょう!調整すれば魔法もその雷?の力も据え置きですわ!私見繕いましょうか!?」

 「すっとぼけが、態とやってんのかいワタシャ独り身で十分だよ」

 「あっ、ミー先生も一つ聞きたいことがあります表の看板ずっとミー診療所になってますけれどフルネームって何と言うんでしょう?お見合い書類には流石に本名を載せないと怒られてしまいますから」

 「隠してもいないけどね、呼ぶ奴は死んじまったり居なくなったりだ不便もない。見合いはいらん興奮しない、しないよ、血圧上げるんじゃないよヘイスさん・・・・・・ヘイスさん?」

 「わかりました、しません・・・・・・ごめんなさい私、疲れていて」

 「いいえ、いいんですよ」


 医者の魔女は処方薬の袋にペンで名前を書きつけた。一向に良くならない患者を前には願いを無下に出来ないだろう。それが医者の性であり、我らの特徴によるものだ。どれの比率が高いのかを、もう考えない。それこそ病の素だからだ。

 割れた唇が開かれる。


 「ミエレ・ロックボルト。それがまあ、ワタシの本名です」





 医者の魔女は、訪問診察に向けて鞄を用意していた。苦しんでいる外出できない患者の為に、ピンと張った背中を気遣って擦る。老齢にしては健康だった。衰えは不可逆であるものの。

 パドゥル村に残って幾分か、手応えの虚しさに悩まされている。夢は夢、と容量を使わず忘却してきた医者の魔女だが、経過に変化がないという異常を根治出来ずにいた。

 医者の方、は治療薬は合っていると。

 魔女の方、は。


 「・・・・・・ああ?」


 何度も辿り着いた診断だったのだろう。既視感と不甲斐なさが同じ味を舌に寄越してきた。医者の魔女は老齢の、腕の衰えと精神の摩耗をおして働く一人の女性だ。干渉してくるモノに抵抗力は無いに等しい。魔女の魔法に弱くなっている。風邪を引いたら死にかけるのと同じで、一度かかればかかったまま干渉され続ける。

 治してやることが出来ないのだった。それは事実として医者の魔女の苦痛だった。


 「・・・・・・もう、領分じゃないねぇ。老いた老いた、願いを聞いてやる力も無い」


 ミエレ・ロックボルトは医者の魔女だ。

 魔女として振舞うことがなくなって、もう幾ばかり経っただろう。雷に打たれた者の末裔は、意地を張り、なけなしの馬力で心を守った。治す。必ずや治す。その一手がここまで落ちてきますように。

 人間が見ないものを視る。人間が聞かない声を聴く。人間がしないことをする。人間が出来ないことをする。

 知ってしまうのが、我らというモノだった。

 医者の魔女がああ、と言う。


 「きたね」

 「呼んだ?呼んだのししょー?何で?」


 ロックボルトは繋がっている。

 呼び鈴が鳴るより先に医者の魔女は確信した。治してやることは医者の魔女には出来ないだろう。代わりに開いて、壊すような何かに少女が適任だったのだ。

 願いを叶えて生きる。預かった少女がそれになる。懐かしいものが過ぎ去って、はん、と笑った。

 不思議そうに見やるアイクルーの顔は青い。作り笑顔に錆が付いたみたいだった。


 「待ってたよ、さあどうした。ワタシに話してみな」

 「頭が痛い!急に痛い、調べてししょー痛い痛い、わーいたい。ヘイスさんって何処に呪い掛けてる?痛くって案内できないんだ痛ーい!」

 「ボクはレオンハルト、今日連れになったんだつまり案内してもらったら僕が壊すよ!根絶やしにしたいな、排除してくれる。こんなものは要らないだろう任せてくれ、下手は打たない!」


 わーきゃあと青年も参戦した。医者の魔女は酸っぱい顔をする。


 「座りな。アレを見た割には元気じゃないか、煩いが。どれ、目ぇ見せな。うん、口開けな。脈、鼓動、こいつで透かしたら・・・・・・はい、脳。勝手に頭回されてるようなもんだよ、抑えるのと熱冷ましだ。目にもきてるね、暫く閉じとくんだ・・・・・・お前さん、背中を擦っておやり、心が休まるさ」


 言われた通りに背中を擦って、レオンハルトは言った。ホッとした空気だ。


 「ああ良かった。うん。生きた心臓が排出されそうだった、流石アイクの親族だ他人とは思えない。親しみを感じる・・・・・・感謝する。貴女が居てくれて良かった」

 「・・・・・・おおげさだよー、だいじょうぶ」

 「勿論大丈夫で結構だね!今は僕が用件を担おう、任せてくれ」

 「ありがとー」

 「幻覚の魔法を掛けているヘイスさんという魔女は何処に、若しくは何が呪いの核なのだろうか。それに案内してくれようとしたアイクは呪いの核に組み込まれているからか消耗した。呪いとの関連を正しく理解してからだ。自覚したい、呪いが存在する居所を。知っているだろうか」

 「ああ、やっと。やっとだね。わかるさ、魔女は触媒を使う。何でも良いが、条件が合っている、触媒として優れているものがいい。出来に関わるのさ」

 「なるほど。修練度合いと素体の良さ」

 「まあ間違ってない。ワタシは医者の魔女、診察には目を光らせる。錯乱した村長のラードは物を割った事がないんだ。家具を新調した様子もないね。一番呪われているのは外出も出来ない囚われ様のラードだ。彼の生活圏の私物で、ワタシが当たりを付けるなら、あれだ」

 「アレってなーに?アレってどれー?見えてるんだけどわかんないな」

 「二階。寝室。ラードが寝てる。頭の近く。置くなら離す。危ない位置。わかるねアイクルー、もう案内出来るね、案内したいんなら出来るはず」

 「・・・・・・・・・・・・あー!!わかったわかった!花瓶だー!古い花瓶っ、ハルト君!」

 「さっすがアイク!有能だ不思議だ頭はもう痛くないのか、大丈夫か」

 「大丈夫!案内するね、ガイドさんだから!」

 「素晴らしいな!」

 「はしゃぐなはしゃぐな、こだまじゃないんだよ、ええい煩い」


 夢中になって駆け回るように、アイクルーとレオンハルトは笑顔を咲かせた。てらいなく、曇りなく、パドゥル村にあるまじき光景だった。血走った目。老婆のやぶ医者と言われて久しい魔女の、割れたみたいな皺が伸びる。

 眉の下がった、穏やかな目だった。



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