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21.瞳に宿る決意

 体力を使い果たしたのか、その場で動かないシェイド殿下のことはロラントお兄様が木陰に連れて行った。

 私はというと、久しぶりに兵たちの前で手合わせの姿を見せたからか質問攻めにあっている。

 普段あまり国境近くに来ない私だからこそ、ここに常駐している兵たちにはあまり訓練の姿を見られていない。いくらプレシフ家だといっても、あまり姿を見せなかった私の事を見下している兵もいるとは聞いていた。国境にずっといる兵から見たら当然だと思っていたのに、目を輝かせてあれこれと質問を投げてくるばかりで、そんな姿は見当たらないのだけれど。


「はい、そこまでですよ。ドルチェの腕を疑っている者はいないでしょうに」

「ロラントお兄様、もうよろしいのですか?」

「おそらく、体力を使い切っただけだろうからね。医師にここに来てもらうより、俺たちが戻った方が早いだろう」


 木に寄りかかる姿勢を取って休んでいるシェイド殿下を近くの兵に任せて、ロラントお兄様が私の傍に来てくれた。傍にいる兵たちは、ロラントお兄様があえて大きな声で私達が帰ると言い出したその意味を悟ったようで、残念そうな顔をしながらも引き留めるような言葉は出てこなかった。


「そういうわけだから、ドルチェに手合わせを願いたいものをまとめて、後で書面で提出してくれ。日程は調整しよう。いいよね、ドルチェ?」

「私は構いませんわ。このように未熟な身でも手合わせを願ってくれるのであれば、全力でお相手いたします」


 それでも、残念そうな顔をした兵たちをそのままに別れるわけにもいかないので。近くにいた隊長格の兵に、ロラントお兄様が指示を出す。瞬間、その兵も表情を緩めたのはきっと私との手合わせを望んでいた一人だからだろう。

 ここで隊長を任せられる兵だったら会ったことはあるはずなのに、申し訳ないけれど私は覚えていない。次に会うのは手合わせの時になるだろうから、お詫びも兼ねて全力で相手になろうと思う。



「ロラント様のお見立て通りですね。しばらくしたら目を覚ますでしょう。念のために気つけ薬は置いていきますが、たぶん使わずに済みますよ」

「ありがとうございます。お忙しいなか申し訳ありません」


 客間のベッドに寝かせても、シェイド殿下は目を覚まさなかった。呼吸は安定していたので、疲れたのと気が抜けたので深く寝ているだけだろうとロラントお兄様は仰っていたけれど、その見立て通りだったと医師の言葉を聞いて、ようやく安心できた。

 手慣れた様子で器具を片付けている医師に、ロラントお兄様と二人で深く頭を下げる。


「なんのこれくらい。王都から来た使者殿ですから、領をあげて礼を尽くさねばならないでしょうとも」

「……重ね重ね、ありがとうございます」


 ふふ、と穏やかに笑って退出していった医師は、かつて王都にて自分の診療所を構えていた。それが後進に譲るとなったときにはかなりの話題になったらしい。友人の縁だと笑いながらこの地に来てくれたことを、お父様はとても感謝している。

 シェイド殿下の事を知っていてもおかしくはないのだけれど、わざわざ使者殿と言ってくれたのは彼の気遣いだろう。


「さて、ドルチェ。申し訳ないがまだ書類が残っていてね。ここでシェイド殿下の様子を見ていてくれるかな」

「もちろんですわ。夕食までに目を覚まさなかったら、このお薬を使ってもよろしいんですよね?」

「ああ。明日、王都に発つ予定だそうだから、夕食は食べてもらった方がいいだろう。よろしく頼んだよ」


 明日の出立が何時になるのかは分からないけれど、王都までの道のりはそれなりに長い。手前の街で待っているという貴族の方とも合流するのだろう。どういった間柄なのかは結局教えてくれなかったけれど、滞在日数がそれなりに長くなったのに様子を窺いにも来ないのだから、そういうことだ。となると、シェイド殿下があまり周りの目を気にすることなく食事が出来るのは、おそらく今日が最後になる。

 それでなくとも長距離の移動になるのだから、朝食を食べられない可能性がある以上、夕食はしっかりと食べた方がいいはずだ。

 頷いた私に、にっこりと笑ってくれたロラントお兄様は、静かに部屋を出て行った。



「ここ、は……」


 窓の外の景色はオレンジからお母様たちの髪色のようなネイビーに変わり、もう少しですっかりと暗くなるだろう時間。そろそろ薬を使うということを考えなくてはいけないかと思い始めた時に、もぞりとシェイド殿下が身じろぎをした。

 掠れた声が聞こえたので、水差しを持ってベッドに向かう。わざと足音を立てたけれど、ぼんやりしている様子のシェイド殿下は気付かないので、刺激にならないよう控えめに声をかけた。


「シェイド殿下が滞在している屋敷ですわ。お目覚めになられたのですね」

「そうか、僕はあのまま……不甲斐ないな」

「最後まで、ご立派でしたわ。私から言われるのも、良い気分ではないでしょうけれど」


 自分の負けを認めるまでは、ちゃんとに立っていたのだ。その姿のどこが不甲斐ないのか。とても、とても立派だと思ったけれど、負かした私から言われるのは屈辱にもなるだろう。


「立派なのは、ドルチェ嬢だ。僕の護衛をしながらも、日々の鍛錬は怠っていなかったのだろう?」

「……どうしてそう思われたのか、お伺いしても?」

「最初に僕と手合わせをした時とは、戦い方が違っていた。それに、早さも。今までを考えれば、何日か鍛錬しなかっただけで簡単に落ちるとも思えないが」


 サイドテーブルに置いた水差しから、当たり前のように自分でコップに注いで水を飲むシェイド殿下は、人を観察することに長けているのだと思う。私が護衛に就いて、一日ほぼずっと一緒にいるからそのような時間を取れないと思われていてもおかしくはないのに。

 一日鍛錬しなかったからといってすぐに実力に現れるようには鍛えられていないと思うけれど、まさかそれをたった何日共にしただけのシェイド殿下が見抜いてくるとは。


「お察しの通りですわ。夕食の後から護衛を交代していただいて、夜に鍛錬をしております」

「そうか。そこまで戦えるのに努力し続けているのだから、僕なんかが勝てるはずもないか」


 コップをぎゅっと握りしめているシェイド殿下の顔は、俯いてしまっているから見えない。けれど、声と震える手から、きっと苦しそうな表情をしているだろうとは簡単に想像がついた。


「シェイド殿下は、私と違う方向の強さがございます。ただ、力を振るう場所と立場が違うだけです」


 私の強さは、必要に迫られて習得したものだ。もちろん、自分で選んだのだから後悔はしていないし、もっと強くありたいとも思う。ただ、時々王都で話に聞く令嬢と同じように生活していたら、と考えもするけれど。

 話題のお店を巡り、劇を楽しみ、そして何の事もない会話を交わせる友人がいる。そんな自分の姿を空想しなかったとは言えない。けれど、その生活では今、私が抱いているこの国の役に立っているという気持ちは決して感じることが出来なかった。

 どちらかを選べるのだとしたら、私は今の生活を選ぶ。それだけだ。


「……ドルチェ嬢、もう少しだけ話に付き合ってもらえないだろうか」

「構いませんわ。ですが、夕食をこちらに運んでもらうよう手配をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 これで断られたら、他の人にも聞いてもらっても大丈夫な話。もし了解されたなら、私だけに聞いてもらいたい話だろうと判断できる。

 どちらにせよ、そろそろ夕食の時間は近づいている。ロラントお兄様に、シェイド殿下が目覚めたことを伝えるためにも、夕食をどうするかの連絡は必要だ。


「もちろんだ、よろしく頼む」

「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ。食欲はございますか?」

「恥ずかしながら、寝ていたはずなのに空腹を感じている」

「それは、良いことですわ。合わせて伝えて参ります」


 部屋の外には使用人が待っていてくれたので、今までのシェイド殿下の話と食事量の相談をさせてもらう。ロラントお兄様には個別にシェイド殿下が目を覚ましたことの言付けを、お父様には話したいことがあると言われた、と夕食は別に取ることを伝えてもらうことにした。

 何か不備があるなら、食事を運んでくるのと一緒に連絡が来るだろうと考えての事だったけれど、その後特に何か連絡があることもなく、あまり待たずに食事が運ばれてきた。


「お話は、先に少し食べてからにしましょうか」

「そうさせてもらえるとありがたい……」


 シェイド殿下が少しばかり俯いているのは、先ほどから空腹を訴える音が響いているからだ。まだベッドの中にいるからあまり大きな音ではないけれど、静かな空間にはとてもよく響いてしまった。

 お腹が空くというのは当たり前の欲求なのだから、私は聞いてもそこまで気にすることではないと思っていたけれど、知り合い程度の間柄で聞かれるのは、シェイド殿下にとっては恥ずかしいことだったようだ。


 私の普段の食事量と同じ程度だったシェイド殿下だけれど、今日は多めに用意してほしいと頼んで正解だったようだ。

 お父様やフェルヴェお兄様までとはいかないが、ロラントお兄様と同じくらいの量が盛られていた料理は、きっと残ることはないだろう。

 足りなければ追加を用意すると、ここまで料理を運んでくれた使用人は部屋の外で待っていてくれている。ちらりとシェイド殿下の食の進み方を確認したけれど、たぶん追加はしなくても大丈夫だろう。


「プレシフ家の料理はついつい手が進んでしまうな」

「もったいないお言葉ですわ。ですが、コックが喜びます」


 シェイド殿下が我が家に来た初日、その姿を確認したコック長が少しでも太らせて帰らせようとしていたのは、実を結んだようだ。たかが数日でもこのような言葉を頂けるのだから、あとで必ず伝えなければ。


「それで、だ。ドルチェ嬢。話に付き合ってほしいとは言ったが、令嬢に話すには少々重い内容になるだろう。それでも、聞いてもらえるだろうか」

「シェイド殿下、私はプレシフ家の長女ですわ。多少の話であれば動じない自信はございます」


 お父様とお母様から教えていただいたシェイド殿下の身の上。聞いてほしいというのがその話であるならば、笑って聞こう。そうでなくても、国境を預かるこの地で、隣国と内密に連絡を取っているこの家で、飛び交うのは綺麗な話だけではない。

 家族はあまりその手の話を私に聞かせないように、と注意を払ってくれていたけれど、兵たちと接する中ではどれだけ頑張っても耳に入ってきてしまうのだ。人を揶揄する言葉も、侮辱する単語も、生死に関わるような話だって、私の耳はすでに聞いている。

 そうして微笑んで言葉を待っている私を見て、安心したようにシェイド殿下が息を吐いた。こくり、と小さな音を立てて水を飲んだ後、一度目を伏せたシェイド殿下は、真っ直ぐと私を見て口を開く。


「僕の母は、僕を産んだから生きていられる。

 ……僕を産まなければ、きっと死んでいた」



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