20.二度目の手合わせ
「私と、勝負ですか?」
「ああ、負けたのは分かっている。今の私では、実力は遠く及ばないことも。けれど、どうかもう一度だけ、剣を交えたいのだ」
シェイド殿下は、私が護衛に就くとなった時に手合わせをしたことを忘れていなかったようで、わざわざ負けたと口にした。それは、黙っていればこの地にいる兵たちには分からなかったのに。
ざわりと広がったのは、私に勝負を持ちかけたからか、それとも負けたという言葉にか。ここの兵たちは、私とも手合わせをしたことがある。体格の良い兵だったら私は力で負けるけれど、小柄な兵だと私の方が有利。なので、私に勝ったことがある兵はだいたい半分くらい。
再戦を願ってくれている兵たちがいるから、シェイド殿下のもう一度という言葉に反応したのだろう。自分たちは出来ないのに、どうして視察に来た奴が申し出ているのか、という意味だろうけれど。
「どうして、とお聞きしてもよろしいでしょうか、シェイド殿下。この場には、父も兄もおりません」
様子を窺っていたロラントお兄様が前に出てきてくれた。事前に打ち合わせていたニアマト王国との一戦だったけれど、伝達係はお父様やフェルヴェお兄様に送っている。シェイド殿下が来ていると知っているから、どちらかはこの国境に向かってくれているはずだ。けれど、思ったよりもニアマトからの攻撃は短かったので、到着するにはもう少し時間がかかる。
それまでは、この場の責任を担うのはロラントお兄様だ。
「そうか、責を取ることになるのは貴殿になるのか」
「ご理解が早くてなによりです。ご説明、いただけますでしょうか」
穏やかに笑っているけれど、ロラントお兄様の目線は鋭い。シェイド殿下と私が護衛をかけて勝負した時に立ち会ってくれてるからかもしれないし、この場でそんなことを言い出したシェイド殿下の真意を掴みかねているというのもあるかもしれない。
「私は、王都へ帰る。帰って、この地の現状を国王陛下にお伝えせねばならない。どれだけの鍛錬を重ね、腕を磨いた兵士たちが、この国の守護を担ってくれているのかを」
シェイド殿下は、もう俯いていない。私と同じくらいの背丈なのに、まっすぐとロラントお兄様を見つめて話している姿は、どうしてだかとても大きく見える。
周りで様子を窺っていた兵たちのざわめきが静まっていく。褒められたからというだけではなく、シェイド殿下の言葉を聞こうとする雰囲気へと変わったからだ。
「ただの言葉だけでは、説得出来ないんだ。私の立場は、とても曖昧で弱い。けれど、その思いである剣の腕をこの体に刻んでおけば、どんなに苦しくともきっと私はやっていける」
「……それでは、ドルチェである意味はないのでは? お望みとあれば、私も兄も、おそらく父も剣を振るいますが」
「もちろん、貴殿らも強いのだろう。だが、私がこのプレシフ領で手合わせをしたのはドルチェ嬢しかいない」
早朝や深夜に、シェイド殿下がこっそりと剣を振るっていたのを見たのは誰だったか。巡回をしている使用人から報告を受けてからというもの、フェルヴェお兄様かロラントお兄様が様子を見守るようになっていた。教科書のお手本のようだと言っていたけれど、それはつまり基本はしっかりと身についているということだと感心もしていた。
シェイド殿下と手合わせをした時に感じたことは間違ってはいなかったと思ったことは、記憶に新しい。
「そう仰られていますが、あなたはどう思いますか。ドルチェ?」
くるりと振り向いたロラントお兄様は、いつものように穏やかに笑っている。この決定権は私にある。そう感じたのだろうか、シェイド殿下がばっと腰を折った。思わず声を上げそうになった私を止めたのは、ロラントお兄様の視線だ。
お父様と同じグリーンの瞳が、私が視線から逃げることを許さない。
正直なところ、この間は不完全燃焼もいいところだった。本気で戦ってもいいというのならあの時の気持ちは晴れるかもしれないけれど、本当にそんなことをしてもいいのだろうか。
考えがぐるぐると巡ってしまって、いい答えが出てこない。どうしようかと思ってシェイド殿下を見たら、まだ腰を折ったままの体勢だったけれどぐっとこぶしを握っているのが見えた。
きっとまた負けると思っているシェイド殿下は、その姿を大勢に見られると分かっていてこの提案をした。ならば、その気持ちには応えなければいけないと、ただそう思った。
「では、場所を変えましょうか」
私が何かを口にするよりも早く、雰囲気の違いを感じ取ったロラントお兄様がシェイド殿下に告げた。
そっと背筋を伸ばしたシェイド殿下はわずかに安心した顔を見せたけれど、すぐにきゅっと表情を引き締めた。
「いや、ここでいい。この地にいる兵士たち皆が証人だ。
……貴殿らが守る王家は、これほどまでに弱いのだと」
今度こそ、兵たちの間に沈黙が落ちた。ひとり、またひとりとシェイド殿下と私を取り囲むように移動している足音だけが響く。
シェイド殿下は、覚悟を決めている。ならば、私がその覚悟に泥をかけるような真似をするわけにはいかない。
「プレシフ家長女、ドルチェ。お相手願います」
「ああ、遠慮はいらない。本気を、見せてほしい」
「立ち合いは、私が。負けを認めるか、続行が不可能だと判断するまでは止めません。
お互い、全力で向き合うこと」
ロラントお兄様の言葉に頷いたシェイド殿下は訓練用に刃先を潰した剣を、私は木を削ったナイフを構える。全力で、と言われたのだ。今の自分が一番扱いやすい武器を持つのがいいだろう。
「始め!」
膝をぐっと曲げて、ロラントお兄様の開始の号令と共に飛び出した。けれど、それはシェイド殿下も予想していたようで、下から上へと切りつけたナイフは、体を後ろに反らすことで躱された。
そのままくるりと手首を回して思い切り腕を前へと突き出すと、さすがに避けきれないと判断したのか剣を盾代わりに体の前へと押し出した。
「……一手は入ると思ったのですが」
「予想は、していたからな。純粋な腕力勝負では、私に分がある!」
刃先を潰してあるからこそ、何かを斬ることは出来ない。その代わりに、鈍器としては十分に役に立つのだ。今、シェイド殿下が使っているように。
木のナイフと鉄の剣。このまま力比べのように押し合っていても、武器自体が軽いうえに腕力では劣る私の方が時間をかけるほどに不利になる。
さっと袖口から出した手のひらほどのナイフを、手を払うような仕草だけで投げる。当てるつもりはないので、狙いは遠く後ろで見守っている兵たち。
ハッとした様子でナイフに意識を向けたタイミングで、腕から力を抜いてシェイド殿下の体勢を崩すことに成功した。
「っ!」
ざぁっと音を立てながら、シェイド殿下が地面に倒れ伏した。投げたナイフは兵たちまでも届かず、シェイド殿下の少し後ろに落ちる。取りに行こうかと考えたその一瞬で、シェイド殿下は立ち上がっていた。
「まだだ!」
「ええ、もちろんです。この程度で負けを認められてしまっては、さすがに手ごたえがなさすぎますわ」
ちょっとだけ、冷静さを欠くだろうかと思って煽るような言葉を選んでみたけれど、シェイド殿下が乗ってくることはなかった。これは、前回よりも状況がよく見えている。
そのまま構え直したシェイド殿下は、私から視線を外すことはない。どんな些細な動きでも見逃さないようにと見つめる紅い瞳からは、少しだけ楽しいという感情が見えた。
同じ行動では芸がないし、これ以上は通用しないだろう。先ほど打ち合ったからこそ分かる、腕力ではやはり敵わない。そうなると私に残された攻撃手段は、体格を活かした早さと手数。剣を振り回すよりも小回りの利くナイフを、腕の柔らかさを使いながら仕掛ける。
「どうした、ドルチェ嬢。手が止まっているようだが?」
「あいにくと、そのようなお誘いには簡単に乗りませんの。……あなたをどう倒すか、考えていたところです」
「そうか。では、期待に沿えずに申し訳ないな!」
大きく振りかぶった分だけ、勢いがついているから一撃が重い。剣筋は単調なのに、ナイフだけでは上手く捌ききれず足元がずるりと滑っていく。このまま押し切られてしまうのはまずいと、足に力をこめてから膝の屈伸を使って剣を弾き飛ばす。よろけたシェイド殿下のお腹に、思い切りナイフを当てて横に振りきった。
けれど、さすがに軽い木製のナイフでは膝をつかせることは出来なかったみたいだ。くぐもった声を上げたけれど、シェイド殿下はその場で踏みとどまった。
後ろの兵たちから、感嘆の声が漏れている。きっと、シェイド殿下が膝をつかなかったことへの感心だろう。分かっていたけれど、こういう時に純粋な筋力の差を思い知らさせる。倒れ込むまではいかなくとも、膝をつかせるくらいは出来るだろうと思ったのに。
「今のは、結構痛かったな……っ」
「痛くなければ困りますわ。私の力があまりに弱いかと思いましたもの」
「こればかりは、男に生まれたことに感謝、だな」
ええ本当に。悔しいけれど生まれながらの筋力の差というものは、簡単に埋められるものではない。もちろん、それを埋めたいし少しでも近づきたくて、毎日訓練しているのだけれど。
一人で剣を振るっていただろうシェイド殿下でも、私と打ち合えば勝てると思えるだけの筋力はあるのだから。
辺りには、私のナイフとシェイド殿下の剣が打ち合う音が響いている。時折、地面に倒れるような鈍い音のほとんどはシェイド殿下のもの。力では敵わないと理解したからか、それとも二度目の手合わせだから動きに少しは慣れたのか、私も地面に膝をつくことはあった。
倒れ伏すことだけは、していないけれど。ただ、シェイド殿下の体力も尽きかけているようだ。先ほどから、どんどんと攻撃が単調になってきている。それでも、シェイド殿下に決定打が入らない。
いや、そうではない。私の攻撃はもう何度もシェイド殿下に当たっているのに、一向に倒れてくれないのだ。ロラントお兄様は止めるそぶりすら見せず、シェイド殿下も負けたとは口にしない。
だから、この状況がじりじりと続いてしまっているけれど、もうそろそろ終わりにしたい。私も、息が上がってきた。
もはや掲げることすら出来なくなった剣を、ガラガラと引き摺って向かってくるシェイド殿下を見据え、真っ直ぐにナイフを構える。狙うのは、上半身ではなくて下半身。膝の下をガツッと音がするくらい思い切りナイフの柄で叩き込む。
堪えきれず声を漏らしたシェイド殿下は、体勢を保てずに地面に倒れ込む。起き上がろうとするその背中に跨り、顔の真横にナイフを突き立てた。
「この状況でしたら、負けを認めてくださるでしょう……?」
「……僕の、負けだ」
そのままがくりと体から力を抜いたシェイド殿下から離れて、ロラントお兄様に向かってお辞儀をした。
じっと見ていたグリーンの瞳が、ふっと柔らかく細められたのを確認して、私もようやく体から力を抜いた。




