2-2.嵐の最中
「は?」
静寂を破ったのは、シュッツェだった。
上がったのは、ひどく間抜けな声。
紅茶を飲む手を止め、リーベンスは苦笑した。
──この人、叔父だよな?
幼稚な質問を、シュッツェは自身へ投げた。
「……なんで、そんなことを?」
理解が追いつかないと、額に手を当てる。
「叔父さま、悪い冗談ですね」
レーヴェの表情は硬く、愕然とした様子だ。
「冗談じゃないさ。君は大公になることが重荷だったんだろう? ちょうどいいじゃないか。こんな美味しい話、二度とないよ」
身振り手振りを交え、リーベンスは饒舌だ。
「それに、一生遊んで暮らせる金が手に入る。本当に、グローセベーアには感謝しなきゃね」
やっと死んでくれた。と笑う顔は、兄妹の知る叔父ではない。
「それが、あんたの本性か。小汚いことするなよ」
懐に拳銃があれば、この場でリーベンスの頭をぶち抜いていただろう。
シュッツェは、死刑制度を廃止した亡き祖父を恨んだ。
「決定権は次期大公の俺にある。お前には即刻、クローネから出て行ってもらう」
「今まで構ってやった叔父に対して、随分な物言いじゃないか」
次期大公の怒りは、鼻で笑われた。
「そもそも、取引はすでに終わっているんだ。君たちに権利はない」
中指で眼鏡を押し上げ「お入りください」と、リーペンスは声を上げた。
ノックもなく、すぐに扉が開く。
突然の来客に、警護官たちが兄妹の前に飛び出した。
乱入者は五人。武装した男たちと、アタッシュケースを持った男が一人。
中心には、守られるように立つ男。
「この方はビエール共和国宰相、ヴィリーキィ・シーリウス殿だ」
瞠目した警護官たちは、ショルダーホルスターの拳銃から手を離す。
ビエール共和国とは、クローネ公国の北に位置する国だ。
クローネによる永世中立国への移行宣言を承認し、数十年も和平を保ってきた。
しかし──。
たった今行われていることは、不可侵条約の一方的な破棄。
「……この売国奴」
レーヴェは円卓を叩きつけ、勢いよく立ち上がる。可憐な容姿には、そぐわない言葉だ。
「やめろ!」と、シュッツェは怒鳴った。
「混乱に乗じて、よくも汚いことを!」
制止を無視し、レーヴェは詰め寄った。
小銃を持った男たちが立ち塞がるが、一歩も退かない。
「レーヴェ、やめろ」
シュッツェは、レーヴェの肩を掴んだ。
リーベンスに手を出せば、報復を受けるのは必至。それどころか、クローネは焦土と化すだろう。
「宰相」
緊迫した雰囲気の中、声を上げたのはアインだ。
「この件は、なかったことにはできませんか。このような形でクローネに干渉したとなれば、各国が黙っていないでしょう」
撃たれやしないかと、シュッツェは固唾を飲んだ。
眼鏡の男が、ヴィリーキィに耳打ちを始めた。どうやら通訳らしい。
「雪と不毛の大地からなる我が国は、資源と自然が潤沢な地を求めています」
ヴィリーキィの言葉と同時に、通訳が口を開いた。
「よって、この件は願ってもいないお話です。クローネ公国を併合することは、宗主国であるザミルザーニ帝国も了承済みです。このように──」
続けて、一枚の紙を取り出した。
「契約書には、皇帝陛下の署名もあります」
ザミルザーニ帝国とは、大陸北部に位置する大国。『北壁』とも称され、大陸最大の軍事力を誇る。
「永世中立国もとい『非武装中立国』という立場が、あなた方の敗因でしょう」
さらなる追い打ちに、シュッツェは殴られたような衝撃を受けた。
非武装中立国。軍を持たず、各国の理解の上で成り立つ国家形態。
先代が多くの反対を押し切ってまで進めた、平和の形。
いとも容易く破られた挙句、踏みにじられた。
「『この家に生まれたせいで、人生を捻じ曲げられた』。君はそんな理由で、父上と喧嘩したそうじゃないか」
軽やかな足取りで、リーベンスは前へ。
「よかったじゃないか。晴れて君も、ただの平民だ」
リーベンスを睨み上げ、シュッツェは拳を固めた。
だが、振り上げることはできない。理性を保つため、震えるほどに握りしめた。
「でも、簡単には平民になれない。しばらくは大人しくしていてくれ」
眼鏡を押し上げ、リーベンスは笑みを浮かべた。
「今日から、私がクローネの王だ」