第2章 特訓開始! 5
「――ねえ、アザミ。あたし、あの魔法教官見てるとイライラしてくるわ」
思わず出てしまう本音。もちろん相手が、親友のアザミだから言えるのだけれど。
でもほんと、なんだろう。このモヤモヤとしたイライラ感。
相性が悪いの一言では片づけられない気分。
王子と組手でもして解消しようかと思ったのに、『今日は疲れたから、また明日』なんてはぐらかされた。
(ああ、もう! 王子の役立たず!)
明らかに八つ当たりなのはわかってるけど、ついつい感情が過激になる。
でも父さんと同い年のあの魔法教官を見て、鼻の下を伸ばしている王子も王子だ。
「ちょっと一泡吹かせたいんだけど、協力してくれないかしら」
「アヤメ様に? 気が乗らないなー」
「なんであんたは、あんなのに様なんてつけてんのよ。あんたの方が目上でしょ?」
「えー、でもアヤメ様は兄さまの先生だし、今はこうしてお世話になってる身だし」
「じゃあ、いいわ。あたし一人でやるから」
「もう、手伝わないなんて言ってないよー。でも一体何するつもり? カズラ――」
取り出して見せる、高純度クロルツ。
神社からの夜道を照らすのに使っていたが、今はもう魔力が切れたただの石。
それを見たアザミは、すぐにピンときたらしい。
「――あ、わかった。子供の頃よくやった、あれをやるつもりなんでしょ。悪趣味だなー」
「ちょっとからかってやるだけだから、それぐらいで充分よ。だから、あの女がお風呂に入る時に合図してくれる?」
「はい、はい、わかったわ。あんまりやりすぎないようにね」
家の外でしゃがみ込んで息を潜める。
イタズラをするにも準備が必要。クロルツを握りしめ、魔力を蓄えていく。
頭上の窓の向こうはちょうど浴室、その真下は浴槽。
そこに、水を真っ赤に染める魔法を掛けたクロルツを放り込めば、湯船はまるで血の池地獄。子供の頃よくやったイタズラだ。
「……カズラ、アヤメさんがお風呂場に向かったよ」
「ありがとう。タイミングを見計らって、実行に移すわ」
掛ける魔法は変質。あたしの魔力じゃ長時間の効果は見込めない。
クロルツで持続効果があるといっても、多分いいところ十五分。
最初は何ともなかったお湯が、真っ赤になった方がきっとビックリする。
頃合いを図るために、音を頼りに中で何をしているのか想像する。
まずはかけ湯。そして、湯船に浸かったらしい。
今はまだ時期じゃない、しばらく様子を見る。
やがて、ざばーっと湯船から上がる音。今度は身体を洗い始めたらしい。
よし、今だ。窓からクロルツを放り込む。
――とぷん。
音から察するに、上手いこと湯船に落ちたようだ。
身体を洗っている最中は気づかないはず、洗い終わって湯船を見たらきっとビックリすることだろう。
その様子を見るために、大急ぎで家に入り浴室へと向かう。
「――うぎゃあ!」
耳に響いたのは、浴室からの低い声の悲鳴。低い声?
明らかにアヤメじゃない。
嫌な予感を抱えつつ浴室へ急ぐと、飛び出して来たのは王子。しかも、前を手拭いで隠しただけの裸。
「な、なにを慌ててんのよ」
「お、お、お……風呂が、風呂が血で真っ赤に……」
あたしを見つけるなり、王子は怯えた様子でしがみついてきた。
両手で肩を掴み、風呂場の様子を訴えかける。って、両手を離したら前が……。
「ちょっと、ちょっと。裸で何やってんのよ。服着なさいよ! この変態!」
「あ、ああ。ご、ごめん」
慌てて隠すべきところは隠したものの、浴室には戻ろうとしない。
そんなに怖い思いをさせてしまったのだろうか。王子にはちょっと申し訳ないことをしてしまった。っていうか、なんで王子がお風呂に?
そこへ悲鳴を聞きつけたのか、アザミとアヤメがやってきた。
「あらぁ。何ごとかしらぁ」
「に、兄さま……。だ、大丈夫……ですか?」
「疲れてるみたいだったから、お風呂の順番変わってあげたんだけどぉ……。その様子だと、なんだかひどい目に遭っちゃったみたいねぇ」
アヤメは、王子とあたしを交互に見比べながら、意味深長な笑み。そしてアザミはアヤメの陰からこっそりと、申し訳なさそうな表情をこちらに向ける。
その様子を見るに、アヤメの方が一枚上手だったみたい。
悔しいけれど、作戦は失敗だわ……。
(ああ、悔しい……)
身体を伸ばし切ってもまだ余るほどの、広い湯船に顔を埋めて反省。
やっぱりむしゃくしゃしてたとはいえ、あんなことするんじゃなかった。
あんな見た目でも、年齢は父さんと一緒。やっぱり経験が違う。
クロルツの回収を兼ねて王子の次にお風呂をいただいたけれど、あんまりゆっくり浸かってもいられない。まだ後ろに三人も控えている。
身体を一通り洗って脱衣場に出ると、アヤメが着替えを持って立っていた。
あたしの次に入るみたいだ。
「カズラちゃん。寝間着ここに置くからねぇ。寸法合うかわからないけど、今日はそれ使うといいわぁ」
「あ、ありがとうございます。お借りします」
にっこりと微笑み、服を脱ぎ始めるアヤメ。あんな直後で少し気まずい。
それにしても、五十歳のおばさんの身体とは思えない肌つや。そして、その体型も正直言って妬ましい。
ゆっくりと服を脱ぐ様子は、その身体をわざと見せつけているみたい。
気まずさと、妬ましさで居心地が悪いので、急いで借りた寝間着を着込む。
そして、飛び出すように脱衣場から出ると、そこには王子が廊下に立っていた。
「あんた、こんなところで何やってんのよ」
「いや、アヤメさんがここで待ってれば、いいものが見られるって」
「いいもの? 何かしら。騙されたんじゃないの? お風呂場には何にもないわよ。大体あんたは――」
なんか王子が妙だ。
さっきまで普通にしてたのに、なんだか顔が赤い。それにこっちをチラチラと見ながら、なんだがモジモジしている。
男の人って、お風呂上がりの女性に弱いとか聞くけど、まさかね。
「――ちょっと、あんた。なに、人のこと見てんのよ」
「い、いや、カズラ……。こんなこと、言っていいのかわかんないんだけど……」
「なんなのよ。言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさい。あんたは――」
顔を真っ赤にして、手で目を覆っている王子。
何がそんなに照れくさいのか。
ひょっとして、あたしの寝間着が着崩れて……。
「――いやああ! 見ないで、見ないで。この変態、変態、変態、変態」
「ご、ごめん」
急いで駆け込む脱衣場。
なんで? どうしてあたしは服を着てないの?
見られた、全部見られた。王子に見られた。
「あらぁ、どうしちゃったの? いつまでも裸でいると、湯冷めしちゃうわよぉ」
「やってくれたわね……」
「やったって、何をぉ? 寝間着ならそこにあるわよぉ」
あの寝間着は、きっと変質魔法で作った物。あんなものを作ってみせるなんて、一体どれほどの魔法技術なの。
こんなすごい魔法、初めて見た。さすが魔法教官だけある。
恥をかかされたのは悔しいけど、今のあたしじゃ到底太刀打ちできない。
「――覚えてなさい。いつかきっと、この屈辱は倍にして返してやるんだからね!」