第2章 特訓開始! 1
(うー。早く着いてくれ……)
石畳を進む馬車の乗り心地の悪さ。以前味わったが、そう簡単に慣れるものではない。酔いそうだ。
他の三人は平気な顔をしているが、乗り慣れているからなのだろうか。
ここは話でもして、気を紛らわせなければ。
「これから会う魔法教官て、どんな人なんですか?」
「そうね、あたしも興味あるわ。信用できる人なんでしょうね」
「腕は確かですし、信用もできる人物です。私の幼馴染でございますからね。ただ……」
「ただ……?」
「いささか、変り者でして……」
その『いささか』という言葉には、不安しか感じ取れない。
その口ごもりっぷりも、不安に拍車をかける。
「どう、変り者なのよ」
「今は魔法教官そっちのけで、自分の研究に明け暮れているらしくて……」
「で、寝泊まりはどうするんです? 近くに宿とかあるんですか?」
「まとめて全員、面倒を見てもらおうと思っております。長い付き合いですし、費用もちゃんと払うんで、問題はないでしょう。おっと、そろそろですな」
馬がいななき、馬車が止まる。
御者によって開かれるドア。女性を降ろすために手が差し伸べられる。
最初に降りたのはカズラ。
続いてアザミ、僕と続き、最後にマスターが降りる。
マスターが代金の支払いを済ませ、馬車を見送ると緊張がみなぎる。
「さて、参りましょうか」
なんとも、立派な屋敷。
レンガ造りの二階建て。庭も広く、門から玄関までは石造りの歩道。それ以外の場所は一面の芝生。絵に描いたような豪邸だ。
これが魔法教官の家。
魔法教官なんて聞いて浮かんでくるのは、やはり怖そうな先生のイメージ。玄関に進むごとに、緊張が重くのしかかる。
やがて到着する玄関。マスターが下げられた紐を引くと、ドアの向こう側で鐘のような音が鳴り響く。これがチャイムなのだろう。
ドアが開かれるまでの間が怖い。
魔法教官はマスターの幼馴染とのことだったが、やはり魔法使いのお婆さんのような風貌なのだろうか。
緊張のあまり胸が高鳴る――。
「はい、どちらさまぁ?」
ドアを開いたのは、二十代後半ぐらいの艶やかな美女。口元のほくろが、さらなる色気を醸し出す。
しかも透けそうに薄い生地の服は、まるで天女の羽衣。さらに突き出した胸は、その張りのある大きさで服から飛び出しそうだ。
高鳴っていた胸の鼓動が、さらに早まったのは言うまでもない。
「久しぶりだな、アヤメ」
「あらぁ、久しぶりねえ、カズちゃん。元気だったぁ?」
「アヤメは相変わらずのようだな」
お互いに面識があるようで、アヤメと呼ばれたこの美女とマスターは、軽く抱擁を交わした。
さらに、懐かしそうに近況を尋ね合う二人。
その雰囲気に、話し掛けることもできずに立ち尽くしていると、カズラが吠えた。
「ちょっと、父さん! なんなの、この女は。場合によっちゃ、母さんに報告させてもらうからね!」
まあ、確かに堂々と浮気現場を見せつけられたようにも見えなくはない。
カズラの不満も当然だろう。
「あらぁ、カズラちゃん? しばらく見ないうちに、大きくなったわねぇ。お母さんは元気?」
「え……? あたしのこと知ってるの? それに母さんのことも?」
「ああ、もちろん知ってるさ。三人とも幼馴染だったからな」
「あ、あの……ひょっとして……。この方が幼馴染の魔法教官の方なんですか? カズト様」
いや、あり得ない。このアヤメという女性、どう見ても二十代後半がいいところ。百歩譲ったとしても、三十歳ぐらいにしか見えない。
驚きの表情のアザミ。
動揺が隠せない様子のカズラ。
そして胸元に目が釘付けの僕。
三者三様に、呆気にとられる三人。
「驚かせちゃったかしら。わたしはねぇ、治癒魔法が得意分野なのよぉ。人の細胞を活性化させる研究をずっとしてて、この見た目の若さはその研究成果ってわけ」
「え? じゃあ、本当に父さんと同い年なの?」
「ああ、そうだ。だから母さんに報告する必要はないぞ、カズラ」
マスターと同い年。突き付けられた驚愕の事実。
僕は、五十代ぐらいの女性に鼓動を早めたということか。いや、でもこの容姿じゃ仕方がない。いやいや、それでも五十代……。複雑な感情が渦巻く。
「それで? 突然訪ねてきて何の用かしらぁ。それに、こちらのお二方はどなた?」
「……いや、実はな……。ついに、王子候補を見つけたのだ」
こっそりと耳打ちするマスター。
だが、自信満々の口振りは声も大きく、こちらまで聞こえてくる。
これほどの重要事項にもかかわらず、顔色一つ変えないアヤメ。
それどころか、妙な優しさを感じるほどの笑み。
「あらあら、それはそれは。丁重におもてなししないとですわねぇ。ようこそいらっしゃいました、どうぞお入りください」
僕たちはうやうやしく、応接室へと招き入れられた。
人数分の紅茶と共に、部屋に入ってくるアヤメ。そっと一人一人に紅茶を差し出して回る。
次は僕の番。前かがみのアヤメの胸元を見て、心が躍る。だがしかし、年齢を思い出して、また再び複雑な心境になる。
マスターはここにみんなで厄介になると言っていたが、この分じゃ気が休まりそうもない。先が思いやられる。
「さて、改めて詳しい事情を聞かせていただきましょうかぁ。そちらのお方が、王子候補というお話だったわねぇ」
「よろしくお願いします」
「それで……。これで、何人目だったかしらぁ?」
ああ、さっきの笑みはこれか。
今までマスターが何人連れてきたのかはわからないが、きっと同情心が湧くほどなのだろう。不安感が膨らむ。
「今度は間違いない。自信もあるんだ」
「大丈夫です。きっと兄さまは、本当の兄さまに違いありません。私は信じてます」
マスターの自信に、アザミの輝く瞳。プレッシャーが重くのしかかる。
だが、プレッシャーがかかろうが、自分の力で王子候補になるわけじゃない。まず行うべきは事実確認。主任にも言われた言葉を思い返す。
「え? 兄さまって呼ぶっていうことは……。こちらは王女様なのぉ?」
「ああ。大っぴらにはできないが、こちらが王女のナデシコ様だ」
慌てて跪き、頭を深く垂れるアヤメ。
一般大衆が王女に相対した時の反応というのは、やはりこうなるのか。
ついつい今までが今までだったので、感覚が麻痺していた。
「そういうのは無しで構いませんよ、アヤメ様。今は私のことより、兄さまをお願いいたします」
「僕が本当に王子なのか知りたいのですが、どうしたらいいですか?」
「そうねぇ、まずはそこからよねぇ。じゃあ調べますんで、王子候補様だけこっちのお部屋にいらっしゃいな」
そう言い残して、応接室のさらに奥の部屋に消えていくアヤメ。
この結果でこの先の命運が左右されるかと思うと、やはり緊張が襲ってくる。
興奮状態も最高潮。もちろんさっきのような、不純なものとは違う。
深呼吸をして息を整え、ノックをして静かに踏み入る奥の部屋。
中はこじんまりとした、六畳ほどの広さ。病院の診察室を思わせる小部屋。
「じゃあ、まずはここに立って、力を抜いていただけますかぁ? 王子様」
「こ、これでいいですか?」
アヤメはそういうと、身体を上から下まで眺めながら、ゆっくりと背中に回る。
力を抜けと言われても、この緊張状態ではそう簡単に抜け切るものでもない。
ついついうわずる、返答の声。
そこへ突然、背後から回される腕。
服に手を掛けられ、さらに耳元に寄せられる唇。
吐息がかかる程の距離で、ゆっくりと耳元で囁くアヤメ。
「――さっそくですが。服を脱いでくださいな、……王子様。フフ」