第10章 主任の憂鬱 2
「――主任さんは悪くないわ。悪いのは、明らかにこいつよ」
二人並んでの弁明大会は、圧倒的大差をつけて主任が勝ち抜けていった。
さすが女性同士、謝罪のツボというものがわかっているようで、あっさりと無罪放免らしい。
あの時は一応、電話で遅くなる連絡も入れて許可ももらったはずなのだが、状況説明不足を理由に、正座までさせられる破目になった。
「あんたは、アザミを家に残したまま遊び歩いて、兄としての自覚はないわけ?」
「ちゃんと連絡もくれたし、私のことならそんなに気遣わなくても大丈夫だよ」
兄としての自覚。
『兄さま』と慕われれば嬉しいし、守ってやりたいという父性のような感情もある。だが、両親の記憶もなくずっと天涯孤独で生きてきたのに、ある日突然この子が妹ですと言われても実感が湧かない。と、いうのが正直な気持ちだ。
そうは言っても、ここでそんな返事をしたら話が拗れる一方なので、ここはカズラの感情が鎮まるまで低姿勢に徹して、当たり障りのない回答に終始する。
「私よりも、ずっと心細そうにしてたカズラに謝ってあげてください。兄さま」
「な、何言ってんのよ……。あたしは全っ然、平気だったわよ」
「二人とも悪かった。やっぱり、あの時は真っすぐ家に帰るべきだった。ごめん」
アザミは初めから怒っている素振りはなかったが、カズラも謝罪の言葉を聞いて表情に穏やかさを取り戻したように見える。やれやれ、やっと解放されそうだ。
「山王子くん。それじゃ、あの時はあたしが誘ったから、仕方なく付き合ってくれたってわけね。その程度の気分だったのね、わかったわ」
ああ、もう面倒臭い。
あちらが立てばこちらが立たずで、どうすればいいというのか。
そもそも、不倫でもして責められているならいざ知らず、彼女のいない僕が彼女でもない女性たちに、なんでここまで言われないといけないのか……。
しかし、ここで短気を起こすと振り出しに戻る。何とか状況に終止符を打ってもらえないかと、マスターに目で救いを求める。
「まあまあまあ、浮気者の王子は後で懲らしめると致しまして……。ユウノスケ君の言葉は信じて良いと思われますか? みなさん」
「あたしは信じないわよ。あんな思いは、もうごめんだわ」
「話は筋が通ってたし、信じてあげてもいいと思うけどな……。私は」
何とかマスターのお陰で話題は逸れた。
しかし、もう少し上手い話題の転換の仕方はなかったのか。これでは、処刑が先延ばしになっただけだ。
「……実はさっき、ふと思ったんだけど――」
小さな声で、アザミがポツリポツリと呟き始める。
表情も曇っていて、明らかに元気がない。
「――兄さまが王子候補だって知られたのは、きっと私のせいだよね……」
「突然どうしたんだ? アザミ」
「さっき主任さんが、兄さまのことを王子って言ったのと同じことかなって……。私が外でも『兄さま』って呼んでたから、それでバレてしまったんじゃないかな」
「確かに、アジクもこれ見よがしに『兄さま』とか言ってたわね」
「ごめんなさい。私の軽率な行動で、みんなを巻き込んでしまって……」
責任を感じているのか、アザミは肩を落として俯く。
表情もさらに暗く沈み込んでしまったようだ。
「気にするなって。向こうにいた時は僕が散々やらかしたじゃないか。お互い様だよ」
「そうよ、そんなこと言ったら、あたしがユウノスケに見つかった方が重大な過失だわ。そもそも、父さんのせいなんだけどね」
「でも……、軽々しく私が『兄さま』なんて外で口走らなければ……」
言葉だけでは落ち着きそうもないので、そっと頭を撫でてやる。
どうやら効果があったようで、アザミはやや表情を明るくさせて顔を上げた。
「今回、みんなそれぞれ色々やらかしてるんだ。アザミだけがそんなに責任を感じる必要はないよ。結果として今こうしてみんな無事でいるんだから、これから先を考えよう」
「あーら、あんたもいいこと言えるんじゃない。これでもう少し、事前に気が回せれば言うことないのにね」
誉め言葉だけで終わればこちらも気分が良いのだが、嫌味も追加されるので複雑な心境になる。だが、その嫌味もアドバイスだと好意的に受け取っておこう。そうでなければ、カズラと会話なんてできやしない。
「それで、ユウノスケ君の扱いはどう致しましょうか。王子」
「マスター、呼び方開き直ってないですか? それはともかく……。もしも彼の話が本当で、こちら側に協力してくれるのなら、確かに反国王派の情報を手に入れられます。でも、ここは彼は当てにしないで、僕たちだけで行動しましょう。今は危険を伴う行動は、慎んだ方がいいかと」
「あたしもその意見に賛成だわ。もともと、当てにしてた戦力じゃないしね」
こちらの話が盛り上がれば盛り上がるほど、口数をめっきり減らした主任が気に掛かる。話に入りようがない話題だから仕方ないが、会社ではいつでも会話の中心にいるような人なので、気になって視線を向ける。
途端に目が合い、主任は慌てた様子で視線を外した。ひょっとしたら……。
「主任、こっち見てたようですけど……」
「え? なに? そ、そんなことないわよ。気のせいじゃないかしら」
「そんなはずないですって。慌てて目を逸らしたじゃないですか」
明らかに動揺しているように見える。
異世界の話になって以来、黙っていたのはわかっていたが、ずっと視線は感じていた。主任は気のせいと言ったが、そんなはずはない。
それに、一瞬だったが絡んだ視線には熱いものを感じた。ただ見ていただけとは、とても思えない。
「や、やめてよ。それじゃあたしが山王子くんを、見つめてたみたいじゃないのよ。ボーっと、考え事してただけだから気にしないで……」
「やっぱり、そうだったんですね……。一人で考え込まないで、はっきりと言ってくれればいいのに……」
ちょうど話題が落ち着いていたせいもあって、みんなの視線は二人の会話に注がれる。
主任は注目を集めていることに気付いたのか、頬を赤く染めながら表情を引きつらせ、視線を向けている一人一人の顔色を伺う。
「え? 言うって……、何を?」
「主任の口から言えないのなら、代わりに言いましょうか?」
視線が一斉に僕に集まったのがわかる。何を言い出すのかと興味津々らしい。
主任が言えずにいる言葉を、僕が言ってしまって良いのかという不安もあるが、きっとみんなが居るから言いづらいだけだ。
胸の内にしまっておいてはきっと後悔するはず、僕は主任に代わって切り出す。
「――本当は、主任も異世界に行きたいんじゃないですか?」