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七罪の色(仮)  作者:
10/11

七色の罪

 演目を待ち侘びる故の静寂と、そう言えたならばよかった。

 その舞台さえも聾しかねない轟音と、聞く者に戦慄を与えた怨声が作りだした物悲しい森閑がそこにあった。学生寮という名の、舞台としては大きすぎる場所に役者が唯の二人──万来の観客など望める筈もなく、黒衣だけが騒がしかったのも既に幾分か前の話。

「どうした、何故誰も動いていない?」

「──王さんか」

 本来体育館であった筈の場所は、白い外壁で囲まれ、外観を規格外の白い塔としていた。その頂に鎮座するのは、和合の極みとも言えるマリア像──そのマリア像だけが、この学園で催される大舞台の静かな観客であった。

「だからよ、獅子吼だっての」

「思い出すのが遅かったな」

 そして、観客席と呼ぶには遠くその高い場所で二人──ブルートと、王と呼ばれた雄偉に溢れる男が語らいを始めていた。

「まぁいい、確かに今更だってのもある──で、手伝うか?」

「やめておけ、ウルスにどやされるぞ」

 二人が見つめる先に、……先と言えど、二人からは目視出来る筈のない場所に対峙する二人の演者──共演者をホールで待ち迎えたのが《館 豊繁》ことタチと呼ばれる学園生であり、舞台の調べを挙げた共演者が《熊川 正》ことユウシ、この学園で委員長と呼ばれた生徒であった。

「ウルスが? ああ、成程、あの委員長か──……なら、あの転校生は何なんだ?」

「知っていたか」

 既に役者達は、舞台を移すべく歩き出していた。

 二人の歩みは淀みない。ここが舞台である以上、開幕があれば閉幕があることに疑いはない──そこに一つの答えがあるのだ。

「転校生が来たことくらいはな──ああして例の委員長と話してんだ、怠惰なんだろ? それにしては早いな」

「まぁな、少し変わり種だ」

 舞台裏を明かすように役者は語り合う。

「ん? まぁ──それは今度聞くとして、いいのかあんな嘘を吐かせて」

「知らずに済むならその方がいいだろ。オマエは気に入らんだろうがな」

 タチはその時間を埋めるため、ユウシは自身の罪を認めるため──閉幕は既に近い。

「まぁな──あの転校生、ウルスの奴が何をどうやって説得したか知らないが、何をさせるつもりだ?」

「委員長が抱えた罪の清算」

 舞台袖ともいえる渡り廊下での語らいは、ユウシの優しさに溢れていた。

 本来は、自身の力で罪と向き合い卒業という結末を迎える。道を外れ、天使達の祈りや罪深い者の介錯をもって、この学園を離れることを卒業と言えるだろうか。まして前者と後者で、業を終えると、その言葉の意味を正しく消化出来るとすればどちらか──タチは気付かない。

「冗談だよな?」

「アイツだけだと、笑えない冗談だわな。クラスの連中全員が、委員長のための送別会紛いの準備をした──教室を見てみろ。アイツはその案内役みたいなモンさ」

 見えてくるのは怠惰クラスの教室──タチにとっては数日前から、ユウシにとっては一頭の妖が生まれる程の期間をすごした場所。

 二番の幕はこの場所でこそ開かれる。

「成り行きは、おおまか把握した──それでも、随分と分の悪い賭けだ」

「……否定はしない。だが、ウルスもその辺りは弁えている」

 開かれる扉は何の変哲もない教室の扉──ユウシにとっては何千と開いてきた扉の筈だ。それでも今日だけは、その何千もの軌跡が伸ばす手を遮る。

「となると、もしもの時はウルスの奴が?」

「ああ」

 タチの言葉に招かれる形で扉を開いたユウシは、目を閉じそうになる──その光景があまりにも眩しいから。

 過度な装飾はない。黒板にユウシの卒業を祝う言葉、教卓の上にはクラスメイトの寄せ書きと卒業証書。輪飾りと花紙の飾りつけが少しずつ足りない。ついでに言えば、黒板にも不自然なスペースがある。

 でもだからこそ、ユウシにとっては価値があった。

 このクラスは怠惰のクラスだ、短い期間でこれだけのものが出来ただけでも驚いて余りある。

「なかなかに悲しいね」

「念を押すが、オマエは手を出すなよ」

 穏やかに続いている筈の会話は何故か、飢餓の野生動物を前にしたような緊張感があった。

「ああ──なら、どうせしばらくは手隙だろう? ここに至るまでの経緯を聞かせてくれてもいいぞ」

「ハン────アイツはな、現世で人として正しすぎた。故に、疎まれて妬まれて最後には手酷い裏切りを受けた」

 タチは、一歩、また一歩と迫る不気味な焦燥感に襲われる。

「よくある話だ」

「アイツはこの場所で心を癒し、成長した。どこまでが必要で、どこまでが無用であるか知ることが出来た──それでも、その裏切りだけが枷として残ってしまった。その枷を取り除くことが出来るかもしれないと、今回の件を容認した。その結果が《罪の徴》とは……」

 それでも分かってしまった。

「──《七色の罪》へと至る、唯一の結果とも言える」

「大半は自身の罪に潰される。そんなもの、無い方がいいに決まっている」

 その理由も意味も分からないけれど、失敗だったと。

「まぁ、ある種の敗北と言えるが、それを乗り越えてこその人だ」

「否定はしない。だが今回は誰もそれを望まなかった──それが委員長自身の選択で、ウルスの願いでもあった」

 今この時、一匹の獣が生まれる。

「上手くいくのか?」

「現世で繰り返す可能性は残る。それでも委員長であればやっていける、オレもウルスもそう信じている」

 産声として吐き出したのは、眩しきモノへの怨嗟であり、憧憬でもある──言葉がタチの心を侵す。

「お前もウルスも見通しが甘くないか──いや、ウルスは知って尚か。ブルート、アレは既に《七色の罪》に届く資格を持っているぞ」

「なっ──!」

 委員長だった筈の獣は、只管に彼女を求める。

「お前は立ち位置が半端すぎるから、見落とす」

「ッ、タチ……」

 獣が求める彼女──ウルスは既に覚悟を決め、タチへの避難を促していた。

「タチ? 転校生か──例え今逃げたとしても誰も咎めない状況だな、何故あそこまで関われる? 俺は委員長の行く末より、あの転校生に興味が湧いてきた」

「無理にでも助けに──」

 ウルスの声は確かに届いていた。それでもタチは、ウルスの言葉を遮るように問いかけるの止めはしない。

「やめておけ。あれだけ必死に訴えかけれるものがあるんだ。決して無駄なことじゃない──本人にとっても、委員長にとってもだ」

「クッ、──やけに肩を持つな。それ程気に入ったか?」

 自分に足りなかったものはなんだったのか、委員長が真に望んだモノとはなんだったのかと、獣に問い続ける。

「ん、まぁ、傲慢のクラスに招待したい程度にはな」

「そうかい」

 それでも返ってくる言葉は悉く不穏な言葉であり、委員長の口から発せられるものとは思えないものだった。

「なんだ、その微妙な笑みは?」

「──なら、もしもの時はサポートを頼む。暇してるんだ、構わないだろ?」

 獣は彼女を姫と呼ぶ。

「別に構わないが、俺が必要と感じたらの話だぞ」

「ああ、それでいい。タチが一言でも救いの言葉を発したなら叶える──ウルスの要望はそれだけだ」

 姫を求める獣は、敏感にその気配を察していた。

「後は自分が、か。疑問なんだが、転校生が今尚声を上げる理由とは何だ?」

「あのなぁ、仲介を止めたのはオマエだろ」

 それもその筈で、ウルスの力は今この場にいる二人に向けられていた。観察で状況を見極め、伝達をもって二人を諭し、傾聴にて最適化を図る──それが怠惰の姫が持つ、最上の罪の証。

「いや、そうだが──何か別の手があると想像したんだが、そうでもないらしい」

「そうだよ、これ以上はもうない筈なんだ。ウルスにだってそう言われている筈だし、オレもそう伝えた」

 それでも尚、彼女が望む状況が得られない。

「ウルスにもか……転校生は何を持ってウルスに従っている?」

「従う、か。そっちのクラスじゃ、終ぞないだろうよ。一人のクラスメイトが、委員長の幸せを願えたらしい──唯それだけの願いが、連鎖した。その結果が今にあるだけだ」

 それは委員長が想定よりも早く、重く罪の深淵に触れたからであり、タチが想定よりも頑固だったから。

「確かに、想像も出来ないな──その連鎖から一番遠い筈の人間があそこにいて、声を上げる理由なんてのはな」

「アイツは……天使のお気に入りでな、オマエとは違う特別なのかもしれない」

 その頑固さが決定的な状況を生み出した。

「あぁ? どういう意味だ──っな、あいつ」

「無謀だ、タチ」

 人が獣と対する時、何らかの武器を手にしなければならない。それは知恵であり、火である筈だ──ならば獣と化した人の場合はどうだろう?

「いや、今度は自信があるらしい──」

「……アイツ」

 獣の圧倒的な突進に対し、徒人であるタチは徒手にて迎える──ことここに於ては、人側に軍配が上がったらしい。

「なんだ、やりゃ出来るじゃないか」

「それでも──」

 それは徒人であるが故に積み重ねたもの。

「ああ、アレはまだ《七色の罪》じゃない」

「獅子吼っ」

 倒れ伏せられた獣は、高らかに喝采を送る。

「分かっている」

「鬼熊、と言ったな」

 此度の勝利の褒美だと、己の内を曝け出す。

「人程度なら、掌だけで押しつぶす力馬鹿の妖怪だったか?」

「行くっ! サポートを頼む」

 独白は真実委員長のものであり、聞く者の心を揺さぶった。

「了解、これ以上を求めるのは確かに酷だ」


 そして独白を始めたのが獣であれば、独白を終えたのも獣である。

 紡ぐ言葉は粗野でいて、その所作だけは静けさを保っていた。

 それは一つの宣戦だ──何故なら罪とは外から生ずるモノに有らず、なればその力も内より生ずる。

 伏せた獣が月白色に輝く。

 その右腕は獣とも鉱物とも言えない罪の形へ──《七色の罪》



「意外に紳士ですね、委員長」

 委員長は、先程の怒声が嘘のように平素の表情と足取りで現れた。

「そうでもない──君の示す答え次第さ」

「知っていましたか」

「ここ数日、皆の様子がおかしかったし──なにより、内のクラスだけ、教室が使えないなんてのはありえない」

「良かったです、委員長がこうして話せる状態で」

 本当に良かった──これで僕の役目を果たすことが出来る。

「少し無茶をしたというか、無理を通した」

「では急ぎましょうか」

「ああ」

「──それにしても天使様たちを抑えてくれたのは君かい」

「指示を出したのはウルスさんですが、そうです」

 僕と委員長の関係は複雑だ──積み上げてきたものは未だ薄く、その重量ばかりが重たい。

「そうか……。正直、天使様になんと言い訳しようと頭を悩ませていたんだ」

「彼女がけりをつけると、その一言でブルートさんは納得してくれました……その一言が指す意味を、僕は結局知ることが出来ませんでしたが」

 だからこそ、この限られた時間の中で最善を尽くさなければいけない。

「天使様がその善なる力で生徒を導くように、その罪をもって隣人の罪を屈服させる──結果は同じさ。僕はこの学園から卒業する」

「……ウルスさん、実は凄い人なんですね」

 本来、ここに立っているべきなのはウルスさんなんだ。どんな事情であの場所から抜け出せないのか、僕には教えて貰えなかったけれど、僕は代行だから──少しでも彼女に近い位置にいたい。

 彼女はきっと見ているから。

「ああ、彼女は凄いよ。僕たちのクラスで唯一、事情も憂いもなくこの学園に来た生徒なんだ。本当に純粋で眩しくて、──……今のは忘れてくれ」

「ええ、聞かなかったことにします」

 委員長はやっぱり……。

「こんな時に僕たちは一体何の話をしてるんだか」

「きっと悪い事ではないと、僕は思いますよ」

 そうだ、悪いことである筈がない。

 そういった気持ちの類にだけは、僕は否定の言葉を紡げない──特に、委員長と僕達の関係はどこか似ている気がするから。

「最後になるかもしれないから、一つだけ言っておこうと思う」

「何でしょう?」

 本当はもっと話していたい。きっとウルスさんも、委員長だってそれを望んでいる筈だ。それでも、眼前に一つの答えがあるから、そこで一つの幕が引かれるから──歩みは止められない、それもまた二人の望みだったから。

「彼女から聞いているかもしれないが、僕は罪に呑まれかけている非常に危険な状態だ。本来なら天使様たちが祈り癒し、僕を卒業させている。彼女の温情で、僕はまだここにいられるみたいだけど、その危険は変わらないんだ。この先に僕が望んだ答えがあるかもしれない──僕はその答えを知りたいがためにこんな無茶をしている。だから、それ如何で僕はどうなってしまうか分からない」

「身の危険を感じたら直ぐに逃げる、と言うことですね?」

 二人はこんなにも同じ方向を向いているのに、これから先は違う道を歩むのだろうか。

「頼むよ。その後は大人しく彼女の元へ向かう──本当はすっぽかすつもりだったんだが、どうやらそうもいかないみたいだ」

「委員長が望む答えかどうかは、正直分かりません。ですが、怠惰のクラス全員が委員長のために用意したものです──見て行って下さい」

 ならせめて、最後くらいは二人が望む結末を迎えて貰いたい。クラスの皆が委員長を思い、準備したこの教室で──


「……とても素晴らしいよ──僕には眩しいくらいだ」


「委員、長……」

「──ふっ、そうだな。こんな時くらいはいいか。タチ君、どうだ一杯?」

「ええ……是非」

 あの歓迎会の日と同じように、準備の時には存在しなかった筈のお酒があった。

「なぁ──猫又って知ってるかい?」

「ええと、はい。猫が年老いてと化けるという──急に何です?」

 何故、そんなにも諦めたように、救われなかったかのように悲しそうなんですか? 

「まぁ、聞いてくれよ。なら熊が年老いて化けるという話は?」

「いえ」

 今の状況に全く関わる筈のない会話が恐ろしい。

「僕の七石の中にはね、熊がいたんだ。多分、珍しくもないツキノワグマさ──何か彼女から聞いてないのかい?」

「いえ、そう言った話は」

 その理由が分からない。

「君は特別だから知らないのかも知れないけど、七石には自分の心の形が映される」

「その話でしたら天使さんに」

 それでも、確信に似た気持ちがある。

「そうか──君たちの関係が末永く幸せに続くことを祈ってるよ」

「そんな、委員長にだって……」

「だけど気をつけろ。この学園には罪に対する罰がある。正しく罪と向き合えない者への罰だ──僕はその罰に耐えられなかったらしい」

「委員長、何を──」

 彼の望みに答えられなかった、と。

「その罰がね、一頭の熊を化かしたっ。一欠けらの罪を化かしたっ。時間だけがこの場所ですぎていったんだ……──鬼熊、と呼ぶらしい」

「まさか、委員長……?」


【故に眩しいと──眩い光はその光源をも隠し、本質を見失わせる】


『──ここまで付き合わせて悪かった。お前は最善を尽くしたんだ、後は任せろ』

 お酒を置き、立ち上がってこちらを見据えた委員長はまるで別人のようだった。鬼気森然──確かに鬼、人の根源を震わせるナニか。

 ここまでだと、そうウルスさんが伝えくる言葉も並び立つ樹木に霞そうだ。


「待って下さいっ。委員長っ、何が、何が足りなかったんです? 貴方が望んだモノとは何だったんです?」


 それでも僕は、この結果を受け入れらない。

 僕だけではないのだ──この舞台を整えたのは僕ではない。むしろ僕は、この場所に何一つとして手を加えていない。怠惰のクラス、皆の気持ちがこの場所には溢れている。それは委員長も認めた筈だと、制止も聞かずに問いかけた。

『タチッ!』

「姫の、声がするなぁ」

「姫?」

 僕の訴えに返って来た言葉は、憧憬の混じった呟めきだった。

『あ゛ー、アタシのことだ──これで分かったろ、アタシが御指名だ』

「姫に──貴方は何を望むんですっ?」

「知れた事──その怠惰を喰らう」

「──……違うでしょう。委員長はそんな人でないでしょう──君は何だっ?」

 そしてやっと返って来た言葉は、これまでの全てを否定する言葉だった。

「名乗ったろ、鬼熊と呼ばれた化け物──月下の舞台にて舞う、消え逝く罪人と言った所か」

「君は、委員長を──」

 常識を外れた言葉に最大限の理解を示した時、そこに浮かんだものは精神の乗っ取り──その結果に僕は、言葉を紡げずにいる。

「違うなぁ、タチ。おまえは失敗したんだ、おれの期待を裏切った──おれという心を、推し量ることが出来なかった」

「そんな、」

「何故なら、おまえが怠惰ではないからっ。何故なら、おまえはおれという個人を見なかったからっ」

『もういいんだっタチ! 聞くなっ、後は私に』

「僕のことはいい、もう一度聞く。君はウルスさんに何をするつもりなんだっ」

 僕の理解も責任も、この際いい。ただ、これだけを確認出来れば──

「ふん、どこかの馬鹿が出来なかったことを全て──欲望の赴くままに、甚振り、舐り、屠る」

「委員長は……、委員長はそんなこと望まないっ。何で……何でこんな──っ」

「一つ、疑問なんだがね。おまえ、姫が彼女を指すとどうして知った? 想像出来なくはないと、言われればそうかもしれないがそれにしては確信をもった言葉だった。それにさっきから姫の気配がする──これが噂に聞く姫の力か?」

「……──ふぅ、君のその一つ、という物言いは彼女の真似か? その割には言葉が堪能でないみたいだ、疑問が二つになっている──何にせよ、それを僕が答えられると言ったら君はどうする?」

 それだけは認められないから。

「──おまえへの認識を改めることになるな」

「だったら聞かせてくれ、僕達に何が足らなかったんだ」

 正せるなら、正したい。まだ終わりではないから──

「勘違いするなよ、タチ。別に問答しようってんじゃないんだ──いいことを教えてやろう。罪っていうのはな、人という存在の根源なんだ。そこに至った者は、人の限界を、超えるっ!」

「なっ──!?」

 蹴り飛ばされた机は、いつかウルスさんがやったような惨状を造り上げていた。

『大馬鹿野郎っ! 逃げろっ! 言ったろ、アタシたちの望みを忘れたかっ、そこにお前も入ると何故考えないっ!』

「やっとだ──やっと姫と同じ舞台に立てた」

「大丈夫です。少し驚きましたけど、何とかなります──それに、穏やかにというのはどこに消えたんです? お二人は、それこそを望んでたんじゃないんですか?」

『……半分以上はお前のせいだ』

「だから僕に出来ることをさせて下さい」

『勝手にしろ、アタシはあの馬鹿の方に戻る──お前の引き際は、もうお前に任せた』

「はいっ」

「何をごちゃごちゃ言っている? 逃げられるなんて思うなよ? おまえが陸上競技の記録保持者だったとしても関係ない、その意味は先の理解したな? ──摑まえて、嬲り殺しだ」

「君の好きな一つってやつだ。これから僕が君を抑え込むことが出来たなら、君は僕の質問に答える。抑え込めなければ君の望む結果を受け入れる──どうだ?」


「よく吠えた──死ね」


「おっ、と、」

 感情に任せるままに振るわれる右拳は、既に突進とも言える様相であり、確かに人の限界を僅かに超えたものかもしれない。

「なにぃ……」

「人の限界をと言っても、人という構造から抜け出ないのなら、人の培ってきた技術が有効なのは道理だ」

 肘締めと呼ばれる類の技術──諸々の習い事をやってきた中で、僕が一番上手く出来た技術。

「……──ふっ、はは、はははは。確かに、確かに、道理だ」

「何が可笑しい?」

 腕を極め、地に伏せさせた筈の獣が笑う。

「いや──おまえの健闘を称えて、約束を果たそう。『僕達に何が足りない』……だったか?」

「……ああ」

 この焦燥感は何だ?

「一つ、たった一つで良かったんだ。おれがやってきたことの結果が欲しかった──一言、一言でいい。誰かがおれを、僕の選択を認めてくれれば良かったんだ」

「それは直接誰かの口から?」

「そうだ」

「それは、」

「そうだ、矛盾だって分かっている。僕が罪を受け入れた時、皆がどういう状況に置かれるか僕だって知ってる。それでも、信じてみたかった──僕は、一度信じられなくなったから……」

「委員長……」

「ここに来て、癒されて学んで。本当はもう分かってるんだ。僕に欠けていたもの、余分だったもの──それでも一度信じられなくなった僕は、最後の最後まで抱え続けた。その結果が今さ。君には悪いことをしたと思っている、今からでも天使様に助けを求めるといい。次は君でも、うっ、あ゛ぁーー──」

「委員長っ!?」

「ここまでだ。人という構造からと、おまえは言ったな? おれは《鬼熊》、化け物だっ、一つの妖だっ。気を緩めるな、力を込めろ────それでもおまえは潰れている」

「待って下さいっ! 委員長っ」


【月白の罪:翁熊】


「悪い、力の加減がきかなかった。って、聞こえる筈ないかぁ」

 何、がぁ……──。

「がっ、はぁ……ぁ」

「タチッ、すまないっ、遅れた──直ぐにオマエを避難所に連れて行くっ」

 ブルートさん……? 

「待って下さいっ──ゴホ、ハ……委員長は?」

「バカ野郎っ! 自分の心配をしてろっ!」

『まぁ、待ってやれ。委員長の奴はそいつに関心を無くしたらしい──随分とやられたな、タチとやら』

 暗く灰色に塗れた世界の中であっても尚、更に暗い紫黒の色が輪郭を結んだ気がした。誰だろう? 何故か眼も耳も、体の感覚すら遠い。

「獅子吼っ、オマエっ──」

『まぁ、少し預けろ』

 ブルートさんの声──……そうか僕は、

「失敗したんですね」

『いや、何を以て失敗とするかによるな』

 恐らくブルートさんが《ししく》と呼んだ人だろう。ウルスさんと同じように語りかけてくる──

「君は、っ、一体……」

『無理に話さなくていいし、俺についてはその内挨拶に行く。まずはお前が望む現状確認だ──お前は極めていた筈の技を無理矢理剥がされ、そのまま殴り飛ばされた。怠惰のクラスから、文字通り一直線に学生寮前までだ。技自体に問題なかったが、相手が相手だ。お前はまだ知らないだろうが、既に委員長はこの学園で得られる最上の力を得ている。そこで質問だが、今の話を聞いて尚成し遂げたいことがあるのか?』

 こんなにも自分の体が遠いと感じたことは今までなかった。《ししく》という人の言葉を信じるなら、教室から学生寮までを一直線に飛ぶ──それはどれだけの力が加われば可能なのか。

 人を越えた化け物の力、それを知って尚遂げたいこと──誰かに間違いを起こすことなく穏やかにその時を迎えること。

 叶えてあげたかった。前者は既に、僕のせいで叶わなかったのかもしれない。後者だって今の僕には出来ることが思いつかない。でも、もう少しだったんだ。委員長の、真の望みが聞けて後は伝えれば良かった。その準備があると、委員長は間違っていなかったと伝えられれば……。

「……──あるっ! それでも、っ、体が何一つ自由に動かない……」

『ほう。その心をいずれ聞いてみたいと思う──ならば先に、先輩として君に最善の方法を伝授しよう。この学園だからこそ出来る、心と体の療養法』

 もし僕の体がもう一度動くなら、この自己満足にすぎない僕の願いも叶うかもしれない。

「獅子吼、何を言っている? そんなものでっ──」

「お願い、します」

『ああ』

「待て、獅子吼。コイツはっ──」

『声に出す必要はない。お前もこの場所に来たからには、心の奥底に抱えているモノがある筈だ。対話しろ、向き合え──そして許容しろ、願ってみろ。この学園でなら、全てが許される』

 僕の心の奥底に──いや奥底なんかじゃない、抱えてだっていない。


(「私の心を半分あげる。だから豊ちゃんの心の半分を貰うね」)


 僕の、心の半分、その半分丸ごとが彼女なんだっ!


(なぁ、安維。こんな所に来ちゃったよ)

(正直、最初は驚いたし勘違いだってした。それでも、ああ、そうかって納得してしまったんだ)

(でもこれだけは信じて欲しい)

(偽り一つなく、君の傍にいたかったよ)

(情けないよな……)

(だけど僕は、色々間違えてたみたいなんだ)

(頭の片隅ではで分かってたと思う)

(安維に甘えてた。それでいいとも、思ってしまっていたよ)

(安維と離れて、一度死んだんだと思ってやっと気付けたんだ)

(だから、この場所に来てしまったことに後悔はないよ)

(安維とすごした日々を抱えたまま、安維の元へ帰るよ)

(──少しの間だけ、待っていて欲しい)

(この場所で僕は強くなる)

(この場所に来て、すごして、一つだけ決めたことがあるんだ──だから聞いて欲しい)


「彼女から貰ったモノを、僕が触れ合う皆に返していこう」

(──うん、頑張って)


 心が波打ち色めいた。


「これは……、罪の、いや」

『……流石に俺もここまでは』

 二人の声がはっきりと聞こえる。

 視界も良好。

 体は十全に動く……?

「なんだ、この手。それに背中に──羽っ!?」

「タチ、オマエ……」

『これはなかなか──型に囚われない斬新なスタイルだな』

 端的に、客観的に見れば──異常で、異形。それでも、その異形に嫌悪はなく、むしろ暖かい郷愁さえ感じさせられる。

 着衣などそこだけ存在しなかったかのように右の肩先から手先までが例の七石の如く変異し、どういう原理かは知らないが、首から下げられていたダブルリングのネックレスはその右腕に絡まるようにして手中にある。そして、目に見える殊更の異常──件の七石に似たソレは、右の肩甲骨から垂れるように地面にまで伸びているけれど、本来垂れるとは思えないその形状と大きさは、……羽根を失い骨格だけを残した末期的なモノ。


「安維と、僕の……」


『行け、その姿がお前が望んだモノだ。その想いの深さと意志が委員長を上回るのなら、お前が望む結果を得られるかもしれない』

 都合三片のその羽も、例の如く七石に倣うものであり──ソレが獅子吼のいう僕の希望と想いだというのなら、厭う理由など有る筈がないのだ。間違いなく僕のもので、半分はきっと彼女がくれたものだから。

「獅子吼、有難う。ブルートさん、御心配をかけました。でもいけそうなんです。これまでも、ここからも僕の自己満足かもしれません。それでも、伝えておきたいことがあるから──行ってきます」

「ああ、もう何も言わん──行ってこい」

 久しぶりに……安維と会えた気がする。こんなにも心が晴れやかな気持ちでいられるのはきっと、あの約束が今も僕の中で息づいているからだと、今は確信を持てる。


「あぁ、こんなにも嬉しい事はない」


『あの転校生、この俺を『獅子吼』──だってよ』

「許してやれ──この学園に来て、あんなにも嬉しそうな顔を出来るヤツをオレは知らない」


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