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「大丈夫か? 怖かったよな、もう安心して良いよ」
冷たい牙に貫かれるはずだったはずなのに、どうして私は生きているのだろう。
温かい言葉に反射的に閉じていた目を開けると、優しく頭を撫でてくれる狼牙族の青年がいた。その背後には先ほど襲い掛かってきた魔狼が血を流して倒れている。手に持っている剣で倒したのだろう、刃には血が滴り落ちている。
とっさに周りを見渡せば10匹以上いたワーグがすべて倒されていた。
「イリーナ、この子の手当を頼む。フーゴ、このワーグの肉って食えるのかな?」
「はいはーい、まっかされたー!」
「食えなくはないと思うが、食べるのか?」
弓を持った猫人族の女性に双剣を持った人族の青年もいたようで、3人であっという間にワーグを倒したのだろう。ワーグは賢い。不利になれば遠吠えで仲間を呼ぶのだがこの3人はそれを許さず、すべて倒した。
エハヴはその事実に少し唖然としていたが目の前にウェアキャットの女性、イリーナが来て思わず後ずさる。
「あや? 怖がらせちゃったかな。大丈夫だよ、怪我を治すだけだから」
イリーナと呼ばれたこの女性は首から上が三毛猫の顔をしている。猫人族や狼牙族など、獣人に分類される亜人たちは基本的に首から上が獣の顔をしている。先ほどエハヴの前に現れた青年も然り。
だが首から下は人間と同じで、鋭い爪や肉球といった類は見られないのだという。
そんなイリーナは地面に膝をつき、両手を私の両足に包むように手を置くと【治癒】と一言呟いた。
緑色の光が足を包み、驚く間もなく両足の痛みはなくなり裂けた皮膚も元通りになっているではないか。なにこれまじファンタジー。
この世界に魔法なんてものがあったのか、と驚いているとイリーナは私を見上げてにっこりと笑う。
「痛くない? 大丈夫? 私これでも治癒師としての才能あるんだよー」
イリーナの治癒師という言葉に首を傾げながらも、自分の足をそっと持ち上げて裏を見る。
確かに完全に治っており、雪の冷たさはあるがそんなに苦ではない。
この世界に魔法はないと思っていた。村の人たちはみんな火をおこすときは火種から作るし、怪我をしたら薬草を揉んで傷にしみこませるなどをしていたから。
もし、魔法があるのなら私も覚えてみたい。攻撃系統よりかは、癒しの力のほうが良いのだけれど。
「私はイリーナ。あそこにいる犬はスヴェンで、隣の澄まし顔はフーゴ。私たちは旅してる仲間でさ、今は夕飯探しにこの山に入ったってわけ」
「おいこら、誰が犬だ」
「お前だろう。で、なんでこんな山に子供が? 見た感じ…ひどい目にあったのは分かるが」
旅人…それにしては手練れだなあ。もしかして傭兵とかそんな感じのことをやっていたんだろうか。
にしてもまずい。私は喋れないのだ、文字だって習ってないし…ううむ、これはジェスチャーで答えるしかない。
私は自分の喉を指さしてから両手をクロスさせて×を作る。2,3回繰り返すと3人はハッとして察したようだ。
「喋れないのか」
正解!
ジェスチャーでも分かるときは分かるんだなあ。良かったよ通じて。
「イリーナ、治せるか?」
「んー…こればっかりは私もちょっと…。団長に聞いてみるしかないよ」
一緒に行こうか、とイリーナに手を差し出されて目を瞠る。
普通であれば親切な人だなと思うだけなのだが、8年間地獄のような場所にいた私は幼児化していることもあり堰を切ったように号泣した。人に親切にされることがこんなにも嬉しいことだなんてと、うれし涙を流す。イリーナたちは大慌てしたようで、必死に泣き止ませようとしているのだが子供の涙は早々止むものではない。
優しく抱きしめられてさらに泣いたため、その場は混乱状態に陥った。いや、ほんとごめんなさい。
◆◇◆◇◆◇
なんだかんだで泣き止んだ私はうとうとしながらイリーナさんの背中に乗っている。
子供の体とは不便で、泣いて満足したら眠気が襲ってきた。それにイリーナさんは嫌な顔一つせずに背中に乗せてくれたのだ。
雪雲のせいでよくわからなかったが、今は夕方らしい。どうりで眠いはずだ。
「ねえこの子軽すぎるよー。どんな生活してたんだろう…」
「確か、この先に村があるはずだが。そこから逃げ出してきたのでは?」
うとうとしているとそんな会話が聞こえる。
逃げてるのは、ある意味当たってる。
「確か、ミズラフ村だっけ? 一応領主はいるけど村人がめちゃくちゃ少ない村だったよな」
「そうそう。この子、虐待受けてるよ。だって足とかすごい痣が多かったもん」
ああ、見られてたのか。
別に知られたからってどうにもしないけど、同情して変な親切をされないか心配だな。
私は、生きればいいのだ。
「北も荒れてるということか?」
「うーん、しばらく北は来ないほうがいいかもね。東からぐるっと一周すれば良い感じになるかもしれないよ」
「だな。俺が団長に話すからお前らは…あー…そういや名前聞いてなかった」
教えたのは山々だけど、無理だね。
ああ、喋れたらいいのに。あの夫婦許すまじ。
「いや、喋れないから無理だろ」
「文字は…書けるかな?」
「微妙なところだな」
今の時代、文字を書けるのは商人などの商いを営んでいる人たちか貴族以上の階級を持った者しかいない。計算も同じで教養を持っている一市民の子供はそうはいない。
ゆえに、騙されて奴隷にされたり農夫は領主に多くの税を騙し取られることなど多々あるのだ。
それはどこの国も同じで、国が抱えている問題の1つだ。
今では奴隷制度も解除されて人さらいの問題は解決した、と国は言っているが事実、それは虚言だ。
確かに奴隷制度が解除されてから多くの奴隷は家族の元へ帰ったり自分の生活を持ったりしている。だが、完全に消すことはできなかった。
上流貴族は今でも奴隷を侍らせ、スラムでは奴隷商人が今日も奴隷を売り払っている。
文字が読めず、書けなかったために奴隷にされる者もいるのだ。
もし教養のない子供が少しでも王都に近づこうものなら即奴隷にされてしまうだろう。
実のところ、エハヴは文字が書ける。
いつ習ったのかと問われれば、夜中にこっそり家を抜け出して村長の家に忍び込み、本を盗んで練習していたのだ。
バレなければ何してもいい。そんな考えを持っていたためか、歩けるようになった3歳のときからずっとそれを繰り返し、文字を覚えた。
前世では英語を覚えるのが苦手だったのだが、子供の脳のおかげだろう。スポンジの如く知識を吸収していった。
不覚なる意識の中、エハヴは起きたら名前を教えようと、そう誓った。
本音を言うともっと酷くしたかった。
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