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灰燼  作者: AFD
灰燼
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第四章 感染

 一月二十五日木曜日、

東京都新宿区国立感染研究所(戸山庁舎)


 新宿区にある国立感染研究所の戸山研究庁舎とやまけんきゅうちょうしゃは朝からごった返していた。今回の一連の事件に携わった警察並びに病院関係者らが呼び出され、検査と聴取が始まったからである。全員がいくつかの部屋に別れて、一斉(いっせい)にその場で体温測定が行われ、アンケート調査、最後に血液と尿検査という段取りとなっていた。体温測定の時に既に白い防護服を着た医療関係者が各自に体温計の受渡しを行なったため、事情を知らないままここに集められた全員はその姿に困惑の色を隠すことができなかった。アンケート調査の最後に「今回の事件において、被害者並びに被害者の所持品並びに犯行に使用された物品への直接的若しくは間接的に接触を行なったか?」という質問内容が記されている。これが今回の検査の根幹を成しているものと皆が容易に推測できた。この判別に当たっては、まずこれらの結果をレベル4までの四段階に分け、レベル1は被害者との直接的・間接的な接触がなく微熱も発生がない者、レベル2は被害者との接触はないが微熱が発生している者、レベル3は被害者と接触したが微熱がない者、レベル4は被害者と接触して微熱のある者という分類となる。レベル4から血液と尿検査が始められ、血液に陽性反応が出ればその場で特定感染症指定医療機関である成田赤十字病院に送られ完全隔離の状態で更なる精密検査と治療が行なわれる。

 レベル1に麹町署の捜査第一課長の辻村の顔があった。レベル1には総勢七十名程度の警察署員や救急隊員などが一室に閉じ込められていたが、血液検査は最後のレベルなので時間がかかり(しび)れを切らした者達がざわめいていた。

 「一体、どうなってるんだ?朝一(あさいち)からこんなところに呼び出された挙句(あげく)、何時間待たせるつもりだ!」

辻村は相変わらずパイポを口に(くわ)えながら、顔を紅潮(こうちょう)させ辺り構わずぼやいている。大谷は辻村の視界に入らぬように後方からそっとそれを見物していた。この部屋に通される前に大谷は周りの何人かに聞いてみたが、この調査目的については署長レベルにも伝わっていないらしい。この部屋の集団が何を意味するものかわからないが、どうやら警察関係者からは麹町署、愛宕署(あたごしょ)、東京空港警察署そして科捜研(かそうけん)のメンバーが召集されていることがわかった。麹町署では例の国会議事堂前の一件のみの情報しか入ってきていない。このニ・三日で新橋と羽田付近で同様な事件が起こったということだろうか。大谷は隣に座る若い坊主頭の刑事に聞いてみた。

 「麹町署の大谷です。これって水風船事件の関連ですかね?うちのヤマで今捜査中なんですけど・・・」

 「あっ、私は愛宕署(あたごしょ)一課の桂といいます。うちのヤマには水風船なんて使ったヤマはないですが・・・」

 「水風船ですって?」

突然、大谷の前に座っていた年配の男性が振り向いた。

 「失礼、私は蒲田消防署空港分署で救命士をやっている和田といいます。一昨日ですが、羽田空港の第一ターミナルのトイレで事件がありまして・・・それが今おっしゃられた水風船を使ったものなんですよ」

 「どんな事件だったんですか?」

大谷と桂が背広からメモを取ろうと手帳を同時に出した。

 「それがですね、男性の顔をガムテープでグルグル巻きにして体も紐で結んでトイレの中に監禁してたんですよ。それでガムテープは何だか水でぐっしょりと濡れていまして、それを剥がしたらなんと目玉があったんですよ」

 「目玉・・・」

大谷が更に前に乗り出した。桂はそれを確かめるとその先を続けた。

 「その時にガムテープの裏にゴム状の物がへばり付いていましてね、被害者からはその時にガムテープで息が苦しくて口元を(ふさ)いでいた何かを噛み千切ったら水が突然出てきたって伺っています。その噛み千切ったものっていうのが水風船ですよ」

 目の前にいるのは警察関係者ではないことはわかっていたが、大谷は事件の更なる関連性を探るべく一昨日の国会議事堂前で起きたポーチの話をした。すると今度は先程までメモを取り続けていた桂の顔色が変わった。

 「衛視ですか?ポーチを開けてズブ濡れになった人って?」

 「ズブ濡れになったかどうかはわからないが、若い衛視です。一昨年、合格したばかりの・・・」

 「もしかしてその衛視の名前、梶原っていうんじゃないですか?」

大谷は目を大きく見開いて何度も頷いた。何で水風船を知らない愛宕署(あたごしょ)の捜査員が梶原の名を知っているのか早く顛末(てんまつ)を知りたいという表情をしている。

 「昨日の朝方、新橋のラブホテルから救急車の呼び出しがあって、救急隊員が駆けつけたところ男がベッドで血だらけになって倒れていたらしいんですよ。鼻と口から大量の出血だったんでどうやら外傷と勘違いしたらしく警察へも出動要請がありまして・・・」

 「その男が梶原?」

 「はい、身分証で同僚が顔を確認してそう言っていましたので。あれっ、そういやあいつの姿が見えないなぁ、何処行っちゃったんだろう」桂は汗ばんだ坊主頭を()きながら、後ろを振り向いて探し始めた。

 「桂さん、それで梶原は近くの病院に運ばれてどうなったのでしょうか?」

大谷が桂の動きを制して更に詳細を聞こうとした。

 「それがおかしいんですよ。自分はその後に梶原と一緒にいた女を事情聴取して、その事実確認のために搬送先の病院を訪れたんですけどね、「院内立ち入り禁止」の札を掲げて誰も入れない状況だったんですよ。通院患者が電話をしようが、ブザーを鳴らそうが一切応じないどころか、入院患者ですら携帯にも出ない始末だったんです」

 「それって、労災病院も同じですよ。昨日から突然、東邦医大の蒲田病院に搬送が変更になって、昼間に通りかかった時に病院の前で人だかりが出来ていましたよ」和田が驚いた表情で桂に続いた。

 水風船、目玉、出血、搬送、病院の閉鎖、そして今回の検査、考えられることは一つしかなかった。

 「我々はあの目玉入りの水風船で相当やばいものに感染している怖れがあるということか・・・」

大谷はポツリと(つぶや)いて天を(あお)いだ。

 

 「あの、私・・・どうかしちゃったんですか?」

山藤は部屋に入ってきた白い防護服を着た三人に困惑した顔で尋ねた。宇宙服のようなその感染防御服を着た者達はおそらく医療関係者であろう。山藤は先程から不安と苛立(いらだ)ちで爪をしきりに噛み始めている。良く見るとドアの脇に同じ防護服を着た者がもう一人立っているが、体格と右腰あたりの膨らみから同じ医療関係者には見えない。おそらく警察関係者若しくは自衛隊員であろう。山藤が部屋に通された時には既にベッド、簡易用便器、輸液・循環管理のセットが用意されていた。

 感染研(かんせんけん)での検査と聴取が終わって間もなく、山藤と他十数名がバスに乗せられた。そこから一時間程で成田赤十字病院に到着し、この個室に押し込められた。バスから降車する時に着ていた衣服を全て脱がされてシャワー消毒を行なったため、財布や携帯電話、そして身分証明書などは一切手元にない状況だった。山藤が身に着けているのは入院患者用の白い病衣(びょうい)のみだった。

 三人のうちの一人が山藤の質問に的確に答えた。「詳細はまだ申し上げることができませんが、山藤さんは特定感染症に(かか)っている可能性があり、今回は一時的な隔離と精密検査ということになります。そしてもし感染が確実ということになればここで治療を行なわなければなりません。本件対応につきましては警視総監から麹町署長へ直接話が行くことになっていますのでこちらの指示に従ってください」

 「警視総監からですか・・・」山藤は爪を噛むのを止めポカンと口を開いた。少なくとも課長の辻村には自分の状況を伝えたかったが、今はどうすることもできない。しかし感染って一体・・・山藤は再び爪を噛もうとしたが寸前で止めて親指を見た。

 「こいつかぁ?」山藤がガクッと肩を落とした。その時一滴の鼻血がポタリと白い病衣(びょうい)(したた)り落ちた。三人のうちの一人がそれに気付き慌てふためいたが、山藤はその重大さに気付くはずもなく鼻を(つま)んで、汚してしまったことを謝りながらティッシュを要求した。


 その頃千葉の科警研(かけいけん)ではこの水風船の仕掛けが(おおむ)ね解明され、所長の大西と第五研究室長の川田らがテレビ電話を通じて刑事部長、公安部長、そして副総監らに対して説明を行なっていた。科警研(かけいけん)の見解は次の通りであった。


1.犯人はこれをまず冷凍させウィルスの活動力を弱めた後に粉砕し特殊な形状でできたカプセルに入れた。特殊な形状というのはたんぱく質でできたカプセルの厚さを示す。

2.その後小動物の眼球部分に十文字に切り目を入れてそのカプセルを挿入させ飛び出ないように切り目部分にテープを貼付した。たんぱく質でできている眼球が外側からカプセルの溶解を促し、完全にカプセルが溶解された後、その眼球がウィルスの巣窟(そうくつ)となる。

3.ウィルスの飛散を目的として水を媒体とし、その容器として破裂しやすい水風船を使用した。時間の経過に伴いウィルスは感染した眼球内部から外部に接する水にまで行き通り、それを浴びることでその者がこのウィルスに感染する。


 「水風船を使う以上、犯人にも感染するリスクは考えられないかね?」公安部長の篠原が問うた。

 「はい。但し、もし我々の仮説が正しいとすると犯人はウィルスを冷凍と粉砕する設備を有しており、このウィルスにかなり精通している人物だと思われます。そして犯行に要する時間はカプセルの厚みで調節していると考えられ、国会議事堂の場合はターゲットを予め被害者の梶原に絞ることでウィルスが水風船内の水に行き渡る寸前、つまり午前十時に渡すように設計されたカプセルを使用し、羽田空港の一件では不特定での実施によりかなり厚めのカプセルを使用し、感染するスピードを早めるために直接水風船を口に当てたり、縛り上げ監禁することでウィルス感染を確固たるものにしたと推察します」

 川田は手元の資料を(めく)りながら篠原の質問に答えたが、周囲の重い空気に押し潰されそうになった。

 「ウィルスの特定状況はどうなっている?」篠原が続けた。

 「ほぼエボラウィルスと見て間違いないと思われますが、感染から症状が重篤(じゅうとく)になるまでのスピードが極端に早いという点でエボラの亜種(あしゅ)だと考えられます。感染が判明した二人はいずれもこのニ、三日の間で激しい出血を起していますが、通常はある程度一週間から三週間の潜伏期間があり、その後発症、その一週間後に激しい出血症状を起すという点で両者には相違が見られます」

 今度は大西が川田の代わりに答えた。

 「つまりは感染したら最後、打つ手なしということだな・・・。刑事部長、羽田の防犯テープの解析はどうですか?」篠原は隣の席に座るがっちりとした体格の男を見た。刑事部長の榊だった。榊はビデオテープには犯人がトイレに入る後姿しか写っていないこと、トイレから白人男性の影に完全に隠れて出てきたこと、そして被害者は後ろから襲われたため犯人の姿を確認できなかったというこれまでの捜査結果を淡々と説明し始めた。その間もスクリーンから防犯カメラが捕らえた映像が何度も流れている。

 「すみません、そこ、ストップお願いできますか?」川田が榊の話を(さえぎ)り、身を乗り出してマイクにむかって叫んだ。

 「もう少し戻して!そう・・・そう、そこでストップ!」

 画面が静止状態となり全員がその画面に注目した。それは白人男性がトイレを出て右に曲がった直後の映像であった。

 「ここからゆっくりスローでお願いします」進行方向を向いていた白人男性の顔が急に右真横に向けられた。

 「この場面がどうかしたかね?確かに犯人が通った時にこの白人がそれに気付いて振り向いただけのように思えるが・・・」榊が怪訝(けげん)そうに言った。

 「もし犯人が頃合(ころあい)を見計らってこの白人男性の横をすり抜けて前に立ったとしたら、白人男性は犯人が通過した後にそれに気付くので顔は正面若しくは斜め右となり、決して真横を向くことはありません。つまりこの男性は犯人が通過するときに何らかの方法で通過することを知っていたことになります。そしてこの男性は数秒間立ち止まっています。この様子からは怒っているようには見えず、状況を把握のために立ち止まった可能性が高いと思われます。このことから考えられるのは、犯人がこの男性の前に立つ寸前に何らかの言葉を発し、それに気付いた白人が振り向いたことになります。つまり、この白人は犯人の顔を見ている」

 川田のこの推論に一同が沈黙した。有り得ない話ではないが、偶々(たまたま)ということも考えられる。この白人がツアー客であればもう帰国の()についている可能性も高く、第一どうやってこの白人を見つけるというのか、ここにいる誰もがこの人物を特定し、発見するまでの長い道のりが頭に浮かんだ。その時トイレの正面からの防犯映像でこの白人出る姿がスクリーンに映し出された。右手の二の腕に何か描かれていた。榊は映像を拡大し解析度を上げるように命じた。「十字架にドラゴンのタトゥ・・・」一同が口を揃えた。

「大至急、法務省に連絡し入国管理局のデータからこの白人男性を割り出す。各県警に至急この人物の顔写真とタトゥの写真を配布し、入国管理局からの回答が来るまで待機させろ」

それまで押し黙っていた副総監の山口が()えた。




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