新米道士・林 玥寧
故人曰く
一つ、仙人が生まれるところに瑪瑙あり
一つ、仙人が生まれるところに怪奇あり
一つ、仙人が生まれるところに奇異あり
それらは、仙人が俗世に残す未練である
それらは、人の世に回帰し災いを起こす
何を以て回帰し、何を以て不可思議と成り得るのか
ただ、生まれ落ちた瑪瑙には「仙遷瑪」と名を残す
――ある道士の記録より
***
犬が飢えていた。
骨が浮き上がり、歩くことさえ乏しい痩せ衰えた野犬。
犬は水を飲むべく川に行って二口ばかり飲むと、ふいに鼻をヒクつかせて河川の砂利の匂いを嗅ぎ、大岩の傍で足を止める。
執拗に鼻を地面に押し付けながら、足元の小石を一心不乱に掻いた。すると、大岩の影に身を潜めていた小さな沢蟹が一匹、観念したかのように這い出てくる。
犬はすかさず口を開き、周りの小さな砂利と共に沢蟹を口に含む。
がぶり。
一思いに口に含んだ沢蟹は、抵抗する間もなく噛み砕かれた。
その後、歯と口唇の隙間に入り込んだ砂利に抵抗を感じたのか、犬はしきりに顔を振りながら前足で自分の口元を掻く。
やがて犬は再び同じ地面を掻き、そして諦めたように時折首を振りながら、その場から立ち去った。
大岩の先にある滝が水面に叩きつけられ、下流に向かって清らかな水の流れる川の先には、森に覆われた小さな村がある。
人目を憚るようにあるその村は、人知れず貧しい村だった。
「……暇だなぁ」
小さな小屋の戸口を開いたまま、机に突っ伏していた少女――玥寧は深いため息と共に呟く。
「仕事も無いし、食料は底を尽きそうだし……もういっそ、廃業しようか」
玥寧は、戸口に掲げた手書きの看板を恨めしそうに見つめる。
その看板には「妖魔、悪霊祓い請負い中! お困り事はこちらまで!」と大きく書かれている。さらに、ごく最近後付けしたのだろう「掃除、片付け、お使いなど何でもご相談いただけます」と小さく書かれてもいる。その看板が、風に煽られて玄関のドアに当たり、カラカラと虚しい音を立てていた。
「……そもそも爺さんの時代ならともかく、今は妖魔や悪霊なんて、流行らないもんなぁ」
顔を顰めて不貞腐れたようにぼやく玥寧が、ゆっくりと身を起こして部屋の奥に置いてある大きな壺の前に立つ。そして木製の蓋を開けると、壺の底には僅かな食料が入っていた。量を見る限り、持っていいところ二日分くらいしかない。
「……っ」
腹の虫が、閑古鳥の鳴く部屋の中に情けない音を立てて鳴るものの、玥寧はぐっと口を引き結び渋々蓋を締めた。
当たり前だが腹は空く。それでも今ここでこれを口にすることは、後々で後悔しそうな気がして諦めるしかない。……今は我慢だ。
「はぁ~……腹減った……。腹いっぱい饅頭や月餅が食いたい! 何でもいいから仕事ないのか?!」
玥寧は苛立ったように大きな声でそう呟くと、外から忙しない足音が響いて来た。一瞬、期待してそちらを振り返る。
――あぁ、でもどうせ、またここじゃないんだろ?
やさぐれ気味に玄関先へと睨むように視線をやると、その足音は荒い息遣いと共に真っすぐこちらへ向かってくる。そして、迷うことなくその戸口に一人の男が立った。
――仕事だ!
玥寧はそれまでの表情から一転、目を輝かせて男を見る。
「玥寧!」
「いいよ! いくら出す!?」
食い気味にそう答えると、まだ要件を言っていない男は面食らったように一瞬身を引いた。
「まだ何も言ってないぞ」
「言わなくたって分かってる。で、いくら出せる?」
ギラついた眼差しに、興奮気味に鼻息荒く詰め寄ると、男は怪訝な顔を浮かべながらも口を開いた。
「……俺じゃなくて、今回は村長が出してくれる」
「村長!?」
玥寧の目がきらりと光った。
村長絡みの案件であれば、そこそこいい金額が出るに違いない。
捕らぬ狸の皮算用と分かりつつも、玥寧は概算的に金額を頭の中で打ち出し、その計算上来月いっぱいまでは何とか食い繋ぐことができると勝手に判断した。
――本業もまだ辞めずに済みそう!
今は亡き祖父に憧れて、母の反対を無理やり押し切ってなった道士。辛い修業に励み、ようやくなれてまだ三年しか経っていない。たった三年で早くも廃業したとあっては立つ瀬もない。大方「だから言ったじゃない」と追い打ちをかけられることは、日の目を見るより明らかだ。
とはいえ、その三年の間に道士としての仕事は一件も無かったわけだが。
「分かった。じゃあ金額については村長にあとで話を聞くことにする。それで? 今回はどんな仕事?」
「ここ二、三日前から、野犬が村にきて畑を荒らすようになったんだ。今までは石でも投げりゃ尻尾巻いて逃げ帰ってたのに、昨日は牙を剥いてさ。今回はケガをした奴も出たんだ」
その話を聞くなり、玥寧の顔つきが一瞬冷めたようになった。
野犬を追い払うだけなら、大した金額にはならない。
頭の中で弾いていた数字が一気に音を立てて崩れた瞬間だった。
――その仕事だったら、いいところ二日分ってところか。
どうにも釈然としない。だが、今はそうであったとしても喉から手が出るほど欲しいものでもある。
「……分かった。ひとまず現場に行ってみよう」
玥寧はいつも持ち歩く法具の入った袋を念のため肩にかけ、男と共に家を出た。




