第4話 鎧の結び目と母の号令
着替えのために誠達が本部として使っているテントに入るとテントに入った途端、むっとした。
人いきれに、革と油の匂い……鎧の内側にこもった熱気が、冷えた頬にまとわりつく。
「いいところに来たわね、誠!」
そこで突然の聞きなれた号令が飛んだ。それは紛れもなく、鎧兜などと言った武具を扱うということで手伝いに来た誠の母、神前薫の声だった。そんな急いだ口調の母のこの声が出たら、反論は許されない。
「時間が迫ってるみたいなのよ。とりあえず、そこに並んでる鎧……片付けて木箱に入れて。急いで!」
そう言ったのは手伝いに来ていた誠の母であり、誠の実家の剣道道場『神前一刀流道場』の女当主神前薫だった。誠も早速周りを見回して自分が何を手伝えばいいのか考え始めていた。
薫は鎧兜にも通じている。
見慣れた紺色の稽古着姿のまま、胴丸姿の整備班員が手間取っているのを見つけると、すっと近寄った。
そして迷いなく、紐を解く。ほどく。外す。……手際だけで黙らせる速度だった。
「僕、まだこの格好なんだけど……僕が着替えるのは後回し?」
誠はまだ自分自身が着替えを済ませていないことを薫に伝えようとした。
「誠。道場の息子でしょ。胴丸くらい自分で脱げるじゃないの!」
薫は言い切った。
「自分のことは後。文句はあと!……今は手を動かして!」
そう言って薫はまるで戦国武将そのままに堂々と目の前に立って鎧を示して見せるかなめの小手を器用に外していた。
「いつもお母様にはお世話になってばかりで。本当に私としても恥ずかしいばかりですわ。それにしても神前曹長には今回もお世話になって……ご立派なご子息をお持ちでさぞご自慢でしょう」
殿上貴族の身分にふさわしい口調に切り替わったかなめに、着替えを待っているカウラ達は白い目を向けた。
かなめの口調が、殿上貴族モードに切り替わった。
いつものガサツで暴力的で品が悪い……その反動みたいに、やけに『たおやか』だがそれは下心が薫の前でだけそうさせているだけだ。
そんなかなめにカウラたちは白い目を向ける。誠も半分呆れた。
いまさら取り繕っても、母は二か月前に『本性』を見ているのに。
あれだけ自分勝手なかなめを数日間にわたって目にしてきた薫だが、かなめの上品な公家が追い詰められて武具に身を固めたという状況を装っている様を見ると笑顔で見上げながら手を動かした。そんな母が何を考えているのか誠には読めなかった。
ただ、かなめの珍行動を見ても薫は笑っている。
その笑顔が『許している』のか『泳がせている』のか、誠には判別がつかなかった。
「誠ちゃんも大変ねえ、自分の着替えは後回しで上官の着替えを手伝うなんて……なにか手伝えることは無い?」
呆然と上品なお姫様を演じているかなめを見つめていた誠にそう言ってきたのは小手を外してくれる順番待ちをしていたアメリアだった。当世具足は、かなめやカウラの大鎧より機能的にできていた。
だからアメリアでも時間さえかければなんとか脱げる。すでに上半身は外し、下に着込んだ水干姿で誠に声をかけてきた。
「ああ、お願いします。そこの靭を奥の黒い漆塗りの箱へ。油紙も一緒に……お願いします!」
他の隊員は別として道場の息子としてこう言う物には見慣れている誠はアメリアにそう指示を出した。
「いいわよ。そんなのお安い御用よ。それにしても誠ちゃんは整理整頓が得意よね。隊長とかどこかのガサツなサイボーグとは大違い……たぶんかなめちゃん自分一人で鎧くらい何とでもなると思うわよ。実際、隊長は流鏑馬を済ませると全部ひとりで鎧を脱いでタバコを吸いに喫煙所に向ったって言うし」
そう言って矢を抜き終わった靭を取り上げたアメリアだが、まじまじとそれを覗き込んでいた。
「私はあまり詳しいこと知らないんだけど、高いんでしょ?これ……甲武の隊長の荘園で抱えている伝統職人とかが作るんでしょうから……。表面も見た感じ天然漆を磨き上げた仕上げだし……実際どれくらいするの?知ってる?誠ちゃん」
そう言いながらアメリアは手にした靭を箱の中の油紙に包んだ。
「まあな。それ一つでテメエの10年分の給料くらいするんじゃないか?今じゃ地球の信託統治領ジャパンは、アメリカさんの植民地みてえなもんだろ。伝統工芸なんて残ってねえし、伝統工芸の残っている甲武じゃ漆は採れねえからな。わざわざ地球から取り寄せるんだ。その手間を考えてみろ。当然値段が上がって当たり前だ」
脛当てを外してもらいながらかなめがそう言ってにやにやと笑った。地が出てはっとするかなめだが、まるでそれがわかっていたように薫は笑顔を浮かべていた。
「そんなにしないわよ。それにそれはたぶん実用を考えて東和製の人工漆を使った模造品だから。まあ確かにかなり本格的な複製だけど値段は誠の月給、数か月分くらいよ。かなめさんもいい加減に自分でもできることをひとにさせて貴族気分に浸るのもいい加減にした方がいいんじゃないかしら?かえでさんもリンさんも私が手を貸しましょうかって言っても、一人で出来ますからと言って断って全部ひとりで済ませて次の会場があるって出かけたわよ。じゃあここから先はご自分でね」
そう言って薫は主な結び目を解いたかなめを送り出した。すぐさまアメリアが立ち上がって薫に小手を外してもらった。
「実際、叔父貴が使った流鏑馬用の『模造品』でも結構高ぇんだぜ」
かなめはニヤついたまま続ける。
「さすが嵯峨家。甲武一の税収を誇る荘園領主、ってやつだ。叔父貴は甲武一の軍事工場コロニー……泉州コロニーを荘園として押さえてる。叔父貴も家督はかえでに譲って、他の荘園は全部かえでのものになった。……けど、泉州だけは譲らなかった」
かなめはそんな嵯峨の自分では管理していない金の裏事情をばらして見せるとそして、悪い顔で言う。
「そのおかげで、うちに『荘園からの上がり』で管理運営できる『全自動温泉卵製造器』が来たわけだ」
かなめの言葉にハンガーを整備員の誰もが『行きたくない場所』第一位に変えた嵯峨専用シュツルム・パンツァー『武悪』の存在を思い出させた。
その誠の東和製法術師専用シュツルム・パンツァーである05式乙型と同じ『法術増幅触媒』の同性能の甲武製『法術増幅触媒』を装備した『武悪』だが、甲武の技術では空気中で安定した状態を維持できる『法術増幅触媒』を作ることが出来ず、常に大気と反応して劣化を続けて発熱を続けて装甲表面はちょうど『温泉卵』を作るのにちょうどいい温度になっていた。さらにその劣化過程でほのかに硫化水素を発生するのでその卵は本物の『温泉卵』そのものの味だった。
それに目を付けた嵯峨が住んでいるアパートの電気もガスも水道も止められているということでその熱を利用した『全自動温泉卵製造器』を取り付けたことから全隊員はそれを兵器ではなく『温泉卵を作る機械』と認識していた。
「ああ、あれ一応シュツルム・パンツァーで戦闘もできるんだっけ?」
誠もおかげで弁当に温泉卵を食べられる環境に馴染んできた今日この頃だった。
「でも表面温度が常に80度超で、乗り込むたび火傷するし。エンジンがデカすぎて、叔父貴以外が操縦すると重力制御装置だの腕脚のアクチュエータだの、すぐクラッシュするのは保証済みだ。あんなのまさに『全自動温泉卵製造器』以外の使い道なんかねえ!」
かなめは結論を叩きつけるようにそう言った。
「……やっぱアレは『全自動温泉卵製造器』だわ。兵器と呼べる代物じゃねえ」
かなめはそう言うと誠の隣で兜の鍬形を外していた。
「西園寺さん!そんなに乱暴にしたら折れちゃいますよ!もっと丁寧に扱ってください!一応、伊予の『公家戦国大名』西園寺家の末裔なんでしょ?西園寺さんは!だったら武具に少しくらいの敬意は持ってもいいんじゃないですか?」
誠は不器用に鍬形を兜から外そうとするかなめに向って歩み寄ると器用にそれを外して決められた箱に収めた。
「そんな先祖の話しなんてどうでもいいんだよ。そう言えば叔父貴はどうしたんだよ。叔父貴の鎧は当時製の代物で国宝級の価値が有るんだぞ。それこそ傷でもついたら一大事だ。一人で着替えたって、そんな油断して傷でもつこうもんなら一大事だ。それに、金髪で見れば一目で分かる……茜の奴はどうした?アイツも時代行列だけは付き合うって言ってたじゃねえか。でも、アタシが馬上から見た限り茜は居なかったぞ。馬も茜の分は無かった。アイツは常に『自分は騎士だ』って言い張ってるし、お袋は神聖ローマ帝国選帝侯ヴッテンベルク公家の分家のはずだからほんまもんの騎士なんだからここは一人西洋風の騎士くらいいてもいいじゃねえか。アイツも顔はどう見ても西洋風で西洋甲冑を着れば誰もが『ジャンヌダルクだ!』って盛り上がったのに……アメリアの真田幸村のコスプレが許されてる時点でどんな格好しようが自由なんだよ。それがあれだけアタシの前ではやる気を見せておいて肝心のこの場に姿が見えねえとはどういう了見だ」
流鏑馬で観客を唸らせた司法局実働部隊隊長嵯峨惟基特務大佐。彼はかなめの家の養子として育ったこともあり、かなめはいつも嵯峨を『叔父貴』と呼んでいた。しかしその口調にはまったく敬意は感じられない。誠も『駄目人間』である嵯峨に隊を率いる指揮官としての敬意を感じたことは一度も無かった。
「ああ、惟基君はタバコを一服した後は私に手伝うことは無いかと聞いて来たから外で整備班の胴丸を脱がせるのをお願いしたのよ。それに茜さんは、『特殊な部隊』の隊員じゃないからって言いながら、鎧は着たのよ。ただその恰好で慶大を歩き回って警備の人と一緒に入口で交通整理してたわよ」
ちょうどその噂の制服姿の法術特捜主席捜査官……嵯峨茜警部が、更衣室に入ってきた。
その隣には、こちらも着替えを終えて志保局の制服を着た日野かえで少佐とその副官の渡辺リン大尉もいる。
「なんだ、かなめお姉さまはもう脱いでしまったのか……僕が脱がして差し上げれば……いつもは僕が脱がされてばかりなのだから、たまには僕の方から奉仕させていただくことが出来ればよかったのに……ああ、僕がこの制服を脱いで裸になればいいのかな?そうすれば……」
ぼそりとつぶやいて瞳を潤ませて自分を見つめるかえでに、かなめは思わず後ずさった。
「この露出狂!そんなにどこでも脱ぐんじゃねえ……オメエが衆人環視の下全裸になるのは勝手だが、オメエはアタシや神前を巻き込む気満々で裸になるからな。何度も言うがそんなに裸が自慢ならそっち系のグラビアのオーディションでも受けろ」
冷たく言い放つかなめだがかえでは怯む様子は無かった。
「ああ、僕がワンナイトラブを楽しんだ女性にもそう言う女性が居たね……ただ、彼女も僕の美しさには心打たれてもう一度会いたいと言って別れたが……僕には『許婚』である神前曹長が居るからね」
悪びれもせずにかえではそう言って視線をかなめの鎧の胴を箱に仕舞っている誠に向けた。
「ワンナイトラブだ?そんなことは『許婚』の前で言うことじゃねえだろ?いくら女同士であんなことをするのが好きだからって……オメエやっぱり脳みそ腐ってるだろ」
水干を脱ぎ終えて司法局のタイトスカートを履いていたかなめが苦虫を嚙み潰したような顔でそう言った。
「なんだか次の節分祭のゲストの到着までには間に合いそうね。神前君、あなたも着替えなさいな。それと薫さんも作業が続いて疲れたでしょうから私が代わりますから休んでいてくださいな」
そう言って茜はアメリアの左腕の小手を慣れた手つきで外しにかかった。
「そうね、誠。外に出てなさい。ここは女の子ばっかりだから、あなたの居る場所では無いわ」
薫はそう言うとあらかた片づけを終えた誠に本部から出て行くように言った。
「いいんですよお母様、私は見られても恥ずかしくないし、同じ屋根の下で暮らしている以上いつみられても別に……ごぼ!」
満面の笑みを浮かべて話し出したアメリアの腹にかなめのボディブローが炸裂した。
「神前、邪魔だ!出てけ。アメリアの下着姿で欲情するテメエをアタシは見たかねえ」
そう言ってかなめはまた部屋の隅に戻り、カウラが着ていた大鎧を油紙に包んだ。さらに奥のテーブルで制服姿のカウラと談笑している大鎧を着たままのサラとパーラの冷たい視線が誠を襲った。
「それじゃあ着替えてきますね」
そう言って誠は二月の寒空の中に飛び出した。テントを出た瞬間、冷気が顔面を殴った。
誠は鼻をすすり、鎧の重みが抜けた肩をすくめた。……やっと、息ができる。




