役割(ロール)の破壊と、過集中
西の荒野に点在する古代遺跡群の入り口付近。
モンスターが非アクティブになる安全地帯の岩陰に腰を下ろし、俺――アイズドは、目の前でちょこんと体育座りをしている白銀の髪の少女に向き直った。
パーティ結成のシステムウィンドウを閉じ、さて、と口を開きかけたところで、俺はふと妙な居心地の悪さに襲われた。
(……よく考えたら、俺、リアルでもネットでも、若い女とまともに会話したことなんてここ数年皆無じゃないか?)
プロゲーマーとして最適化された地味な生活を送り、チームのむさ苦しい男どもと数字やデータの話しかしていなかったのだ。
これからスパルタで教え込むにあたって、まずは名前を呼ばなければならない。だが、初対面の相手をいきなり呼び捨てにするのもなんだか偉そうだし、「さん」付けするのも師匠面をした手前、妙に気恥ずかしい。
「あー……その、なんだ」
俺はポリポリと頭を掻きながら、どこか困ったような、気まずい表情で彼女を見た。
「……お前のこと、なんて呼べばいい?」
すると、少女は不思議そうにサファイアブルーの瞳を瞬かせた後、ぷっ、と吹き出した。
「ふふっ……あははははっ!」
「お、おい! なに笑ってんだよ!」
「だって、アイズドさんったら……!」
彼女はお腹を抱え、涙目になりながら笑い声を上げた。
「さっきまで詐欺師の男の人たちを相手に、あんなに自信満々で怖い顔してドヤ顔でボコボコにしてたのに……! 女の子の名前の呼び方ひとつで、急にそんな中学生みたいにモジモジしちゃうなんて、面白すぎます!」
「うぐっ……!」
図星を突かれ、俺は顔に熱が集まるのを感じた。
こいつ、ただの無垢な初心者かと思いきや、言うことはしっかり言うタイプのようだ。
「……ルナ、でいいですよ。呼び捨てで構いません。パーティのリーダーなんですから」
ルナは悪戯っぽく微笑みながら、そう言ってのけた。
「……わかったよ……コホン。パーティを組んだ以上、ルナの足手まとい度合いを正確に把握しておく必要がある。VRゲーム自体が初めてって言ってたよな。普通のコンシューマーゲームとか、モニターでやるMMORPGの経験は?」
俺が咳払いをして話題を戻すと、ルナは気まずそうに人差し指を少しだけ立てて見せた。
「ええと……スマホのパズルゲームとか、育成ゲームくらいなら、少しだけ……」
「マジか……。本当に、完全にゼロからのスタートってわけか」
俺はわざとらしく大きな溜め息をついた。
MMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)は、独自の専門用語や暗黙のルールが膨大に存在するジャンルだ。ヘイト管理、AoE(範囲攻撃)、バフ・デバフ、DPS(秒間ダメージ)。そういった基礎知識すら持たない完全な素人に一から教えるのは、骨が折れるなんてものではない。
「い、一生懸命覚えますから! 見捨てないでください!」
「わかってるよ。乗りかかった船だ、ゲームの基本概念から頭に叩き込んでやる」
俺は空中にホログラムのシステムウィンドウを展開し、EHOにおける『職業』の派生ツリー図を表示させた。
「まず、EHOにおける戦闘の基本は『役割の分担』だ。プレイヤーは大きく分けて三つのロールに分類される。敵の攻撃を引き受け、味方を守る盾役の『タンク』。敵の体力を削り切る火力の要『アタッカー』。そして、パーティの生命線となる回復役『ヒーラー』だ」
ルナは真剣な顔でコクコクと頷き、空中に自分用のメモウィンドウを展開して、指先でポトポトと文字を打ち込み始めた。
「プレイヤーはキャラクターを作成した時、まず『基本職(下級クラス)』を選ぶ。剣を振るう《素浪人》や、魔法を使う《魔法使い(マジシャン)》とかな。そしてレベルを上げ、特定の条件を満たすことで、より強力な『上級職』へと直接クラスチェンジできる」
俺はツーブロックの金髪野郎――元チームのレオンの顔を思い浮かべながら続けた。
「例えば、基本職の素浪人からは、手数で圧倒する《グラップラー(剛闘士)》や、一撃必殺の《イアイカスター(抜刀術士)》といった上級職に派生する。上級職は全部で三十種類。だが、システム上、一人のプレイヤーが就くことができる戦闘職の上級職は『一つだけ』だ」
「一人、一つ……。それが、この世界の絶対のルールなんですね」
「そうだ。タンクはアタッカーのような火力は出せないし、ヒーラーは敵の攻撃を受ければ一瞬で死ぬ。だからこそ、互いの弱点を補い合うためにパーティを組む。これがMMOの絶対的な常識だ」
そこまで説明した上で、俺は右腕に装着された漆黒のガントレット――《古代変形機装》をカチャリと鳴らした。
「でも、アイズドさんはさっきの戦いで、一人で全部やってましたよね……?」
ルナが不思議そうに首を傾げる。
俺は獰猛な笑みを浮かべた。
「そこだ。この武器がなぜ人間の手には負えない『産廃』とされ、逆に俺にとっては『最強』の相棒なのか。その理由がここにある」
俺はガントレットを光の粒子と共に瞬時に『戦斧』へ、そして『魔導銃』へ、さらに『治癒の杖』へとシームレスに変形させてみせた。
「この《古代変形機装》は、武器の形態を変えるだけで、今説明した『三十種類の上級職』すべてのクラス特性と、膨大なスキルツリーを、戦闘中に瞬時に切り替えることができる」
「全種類の、上級職を……一瞬で!?」
ルナが息を呑む。
「ああ。だが、ただ色々な武器が使えるというだけなら『器用貧乏』で終わる。真の異常性は、MMOにおける『時間の制約』を破壊できることだ」
俺はより深いシステムの深淵について語り始めた。
「通常、プレイヤーが強力なスキルを使うと、『グローバルクールダウン(GCD)』と呼ばれる約二・五秒の共通待機時間が発生する。この間、他の主要スキルは一切撃てない無防備な状態になる。だが……この武器は『三十種類のクラスすべてが独立したシステム』として認識されているんだ」
俺は戦斧を振り下ろすモーションを取りながら解説する。
「《ヴァンガード(タンク)》の斧でスキルを撃ち、二・五秒の待機時間が発生したとする。普通の奴ならここで動きが止まる。だが、俺は瞬時に《マギカ・ガンナー(アタッカー)》の銃に変形させる。するとどうなるか?」
「……あっ!」
ルナのサファイアブルーの瞳が見開かれた。
「銃のクラスの待機時間は、まだ『ゼロ』のまま……!」
「ご名答。GCDを完全に無視して、別のクラスのスキルを即座に叩き込める。敵の大技が来れば、瞬時にタンクの盾を出して無敵化し、反撃で大剣の最大火力を叩き込み、隙を見て杖に変形して自分を回復する」
俺は悪役のように目を細めた。
「三十個の独立した待機時間タイマーを脳内で同時管理し、コンマ一秒の硬直も残さずにクラスチェンジを連続させれば……『永遠に途切れることのない俺のターン』が完成する。これが、《古代変形機装》の真価だ」
語り終え、俺はふと我に返った。
(……しまった。いくらなんでも、完全な初心者に対してシステムのマニアックな話をしすぎたか)
プロの最前線で情報戦略を担っていたアナリストとしての癖が出てしまった。GCDだの、独立クールダウンタイマーだの、昨日今日ゲームを始めたばかりの人間に理解できるはずがない。情報過多でパニックを起こしているに違いない。
「おい、ルナ。少し難しすぎたか? 最初は分からなくて当然――」
俺が心配して声をかけようとした、その時だった。
「…………」
ルナは、俺の声など全く聞こえていないかのように、空中のメモウィンドウを凝視していた。
その青い瞳は一点を見つめて動かず、彼女の細い指先は、残像が見えるほどの恐ろしい速度で仮想キーボードを叩き続けていた。
『タタタタタタタタタタタタタタタッ!!』
「……ルナ?」
「…………」
返事はない。
彼女は、外界の音を完全にシャットアウトし、自分の思考の奥底へと深く潜り込んでいるようだった。
プロゲーマーの世界でごく稀に見る現象。人間の集中力が極限まで高まり、脳の処理能力がオーバークロックする状態――『ゾーン(過集中)』だ。
まさか、ただの初心者が、俺の一度の説明を聞いただけでその領域に足を踏み入れたというのか?
数分後。
ピタッ、とルナの指の動きが止まった。
大きく息を吐き出し、彼女はようやく俺の存在を思い出したように顔を上げる。
「……あ、はい! すみません、アイズドさん! 頭の中で、三十種類の上級職のスキルの繋がり(シナジー)をシミュレーションしていたら、少し没頭しちゃって……!」
「お、おう……。で、理解できたのか?」
俺が半信半疑で尋ねると、ルナは満面の笑みで頷いた。
「はい! 理論は完璧に分かりました。つまりアイズドさんの武器は、MMOの根幹である『ロールの固定化』というシステム上の常識を、根本から破壊できるバグみたいなものなんですね!」
俺は、一瞬だけ言葉を失った。
ただのパズルゲームしかやったことのない少女が、「ロールの固定化」や「システムの破壊」という概念を、たった一度の説明で完璧に言語化してみせたのだ。
(……こいつ、ただの無垢な初心者じゃないな)
「アイズドさんの脳内処理能力が人間離れしていることは分かりました! 私も、足手まといにならないように、まずはゲームの基礎システムを全部丸暗記して最適化します!」
「お、おお……」
気合いに満ちたルナの様子に、俺は圧倒されながらも、口元に笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。
プロの世界で俺が求めていた「最適化の美学」を、こんな初心者の少女があっさりと理解し、食らいついてこようとしている。
利益や名誉のためではなく、ただ純粋な知的好奇心と負けず嫌いだけで。
「いい覚悟だ。なら、ここからは実戦でシステムを体に叩き込むぞ。まずはレベル上げと、初期スキルの習得だ」
「はいっ!」
俺は立ち上がり、果てしなく続く古代文明の荒野へと視線を向けた。
俺の異常なプレイスキルと、この白銀の少女の底知れない吸収力。
この奇妙なパーティが、やてEHOの世界そのものを揺るがす最凶の嵐となることを、この時の俺たちはまだ知らなかった。




