白銀の終撃
『ガアアァァァァッ!!』
古代合成獣の機械化された巨大な前脚が、ルナの回避軌道の『完全な死角』から、音速を超えて振り下ろされる。
「しまっ――!!」
俺の悲鳴にも似た叫びが、闘技場に木霊した。
タンク役である俺が、ルナの美しすぎる剣舞に見惚れ、一瞬だけ思考を停止させてしまったせいだ。
距離が遠すぎる。今から盾で庇いに入ることは、システム的にどうあがいても間に合わない。
(くそっ、間に合わせろ!!)
俺は自分への怒りで奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばりながら、右腕の《古代変形機装》に思考コマンドを叩き込んだ。
「《展開》――ヴァンガードッ!!」
魔導銃から、重厚な戦斧へと瞬時にクラスチェンジ。
そして、タンク職が持つ最上位の固有アビリティを、喉が裂けるほどの声で発動させた。
「《プロヴォーク(挑発)》!! こっちを見ろ、ポンコツ機械!!」
闘技場に俺の咆哮が轟く。
《プロヴォーク》――対象の敵視を強制的に最大値まで引き上げ、自身にターゲットを固定させる絶対的なヘイトコントロール技。
不可視の赤いヘイトラインが、ルナから俺へと強引に引き剥がされ、バチリと結びつく。
だが、それでも。
(クソッ……ターゲットは俺に移ったが、すでに攻撃判定に入ったモーションは止まらねえ!)
システム上、一度振り下ろされ始めた巨大な質量攻撃のグラフィックが空中で静止することはない。
キメラの鋼鉄の爪は、ルナの華奢なアバターを無惨に引き裂こうと迫っていた。
終わった。
誰もがそう直感する絶望の瞬間。
「…………」
ルナだけは、サファイアブルーの瞳に一切の恐怖を宿していなかった。
彼女の時間は、極限の『過集中』の中で限りなく引き延ばされている。
迫り来る巨大な爪を前にして、彼女が取った行動は「防御」でも「後退」でもなかった。
彼女はあろうことか、その猛威の『内側』へと、躊躇なく一歩を踏み込んだのだ。
「なっ……!?」
俺の三白眼が、信じられないものを見るように見開かれる。
ルナの身体が、ふわりと宙に舞った。
振り下ろされる三本の巨大な鋼鉄の爪。彼女はその爪と爪の間に生じた、わずか数十センチの『隙間』に自ら飛び込み、体を捻ってすり抜けたのだ。
轟音と共に闘技場の石畳が粉砕され、巨大なクレーターが穿たれる。
だが、その破壊の余波の只中を、ルナのアバターは無傷で泳ぎ切っていた。
まるで、落ちてくるギロチンの刃の間を優雅にすり抜ける、一匹の白銀の蝶のように。
「……ははっ、マジかよ」
俺の口から、感嘆の笑みが漏れた。
そしてルナは、死地の隙間を通り抜けた勢いを一切殺すことなく、キメラ・マキナの巨大な顔面の『真ん前』へと躍り出ていた。
キメラは次の瞬間、ルナを噛み砕こうと顎門を開きかける。
――だが、ここで俺の放った《プロヴォーク》の強制効果が、完璧な形でシステムに干渉した。
『ギギ……ッ、ガガガガッ!』
キメラのAIは、目の前にいるルナを無視し、ヘイトの最大対象である『遠く離れた俺』の方へと、強制的に顔を向けさせられたのだ。
「(……いける!)」
敵の頭部が横を向いた。
それはつまり、ルナの目の前に、キメラの最も脆い急所である『巨大な眼球』が無防備に晒されたことを意味していた。
俺の『強制ヘイト』と、ルナの『神回避』が偶然にも生み出した、システム上の絶対的な死角。
この完璧すぎる一瞬の隙を、狂人的なセンスを持つ白銀の少女が見逃すはずがなかった。
「いけぇぇぇッ、ルナ!! その目玉をブチ抜け!!」
俺は、今までで一番の熱を込めて、喉が枯れるほどに叫んだ。
プロ時代の、感情を殺した冷徹なコールではない。魂を震わせる、純粋な相棒への鼓舞だ。
「――はいっ!!」
ルナが空中で身体を捻り、手にしたショートソードを限界まで引き絞る。
剣身が、システムアシストの眩い光に包まれた。素浪人の持つ、単体貫通用のソードスキル。
「《ソニック・スラスト》ォォォッ!!」
ルナの裂帛の気合いと共に、光を帯びた刃が一直線に放たれる。
その一撃は、キメラがこちらを向こうとする動作の隙間を縫い、巨大な眼球のど真ん中へと、柄の根元まで深々と突き刺さった。
『ドガシィィィィィィンッッ!!!』
これまでの戦闘で一番強烈な、耳をつんざくほどのクリティカル・エフェクトが闘技場に響き渡る。
弱点への特大ダメージを知らせる真紅の光が、キメラの頭部から爆発的に噴き出した。
『ギュルアアァァァァァァッッ……!!!』
古代合成獣が、断末魔の悲鳴を上げて天を仰ぐ。
そして、その頭上に表示されていた残りわずかなHPバーが、完全に削り切られ、『ゼロ』に到達した。
パリリンッ、と。
ガラスが砕け散るような音と共に、十メートルを超えるキメラの巨体が、膨大なポリゴンの塵となって大気の中へと溶けていく。
『Boss Defeated.』
『戦闘終了(Battle End)。莫大な経験値を獲得しました』
『レベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
無数のシステムログが滝のように視界を流れ、俺たち二人の全身が、レベルアップを知らせる金色の光に何度も、何度も包まれた。
「…………」
キメラが消滅し、静寂が戻った闘技場。
空中で見事なトドメを刺したルナが、スタッ、と軽い足取りで石畳に着地する。
彼女はゆっくりとこちらを振り返り。
そして、顔いっぱいに花が咲いたような、とびきりの笑顔を浮かべて、持っていたショートソードを天高く突き上げた。
「勝ち、ました……! アイズドさん、私たち、勝ちましたよ!!」
その歓喜の声が響いた瞬間。
『ウオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』
「素晴らしい!! これぞ戦士の舞だ!!」
「なんという一撃! 人間族の勇者に栄光あれ!!」
静まり返っていた観客席から、数万のフェネキアの民による、地鳴りのような大歓声と拍手が巻き起こった。
誰もが立ち上がり、拳を振り上げ、俺たちのあり得ない大番狂わせ(ジャイアントキリング)を称賛している。
俺は、ゆっくりと《古代変形機装》をデフォルトのガントレットに戻し、熱い息を長く吐き出した。
プロが八人がかりで作る盤石なマニュアルの攻略。
それも確かに、一つのゲームの形だ。
だが、今のこの胸を焦がすようなカタルシスに比べれば、あんなものはただの退屈な事務作業に過ぎない。
「……ああ。お前の言う通りだったな、ルナ」
俺は、自分に向けて嬉しそうに駆け寄ってくる白銀の少女を見つめながら、前髪の奥の三白眼を細め、心からの笑みをこぼした。
「やっぱり冒険は……楽しんだ奴の勝ちだ」




