楽しんだ者勝ちの精神
翌朝、地下都市の空は、きちんと朝だった。
それがまず、おかしい。
ここは地下だ。
地表の太陽など届くはずがない。なのに、庵の窓から差し込む光は柔らかく、白い石の床を薄く照らしていた。遠くでは水路の音がして、鳥に似た影が人工の空を横切っていく。
局所環境制御。
そう表示されていた機構が、この都市に昼と夜と風と湿度を与えている。
ただ生き延びるためだけなら、ここまで精密な空はいらない。
光があって、空気があって、水があればいい。
だが、フェネキア族は空を作った。
雲を流し、朝と夕方を分け、草の匂いまで再現した。
それは、効率だけでは説明できない選択だった。
「おはようございます」
ルナが寝台から起き上がり、窓の外を見て目を細めた。
昨日の試練の疲れが残っているのか、少し動きが鈍い。VRの肉体に筋肉痛はないはずだが、集中の疲労は表情に出る。
「ちゃんと朝ですね」
「ああ」
「地下なのに」
「そこは昨日も言った」
「でも、朝になると、もっと不思議です」
ルナは窓辺へ歩き、外を眺めた。
外縁の庵の前には、小さな水路と草地がある。白狐はその草地に丸まっていた。こちらに気づいているのかいないのか、目を閉じたまま尾だけをゆっくり揺らしている。
「可愛い」
「触るなよ」
「まだ何もしてません」
「目がしてる」
「目は許してください」
ルナが少しだけ頬を膨らませる。
白狐は目を開けないまま、尾を一度だけ振った。
許可なのか、警告なのか。
判断は保留した。
扉が叩かれたのは、その直後だった。
入ってきたのはイリスだ。白い外套、青黒い腕輪、腰の短剣。昨日と同じ装いだが、表情の硬さは少しだけ薄れている。
「長が待っている」
「根の間、だったな」
「そうだ。汝らは昨日、第一環を越えた。だが、根に近づくには、戦えるだけでは足りぬ」
「次は何を試す」
「それは、見れば分かる」
イリスはそう言って、俺たちを庵の外へ促した。
見れば分かる。
この都市の住人は、どうも説明を節約する傾向がある。
いや、違う。
説明しても伝わらないものは、見せるしかないと知っているのかもしれない。
ーーーーーー
根の間は、都市の中央にあった。
昨日、遠くから見た白い根。その根元へ近づくほど、空気が変わっていく。風の温度が少し下がり、地面を走る青い光が強くなり、俺の左腕の機装が袖の下で低く鳴った。
巨大な根は、木の根に似ていた。
だが、近くで見ると、それだけではないと分かる。
表面には樹皮のような皺がある。だが、その下を青白い光が血管のように走っている。ところどころに金属の輪が嵌め込まれ、歯車と管と結晶が根を補強するように組み合わされていた。
植物。
機械。
魔術。
そのどれでもあり、どれでもない。
古代の根。
この都市の心臓。
その根元に、円形の広間があった。
天井は高く、空へ抜けているように見える。実際には人工天蓋の内側なのだろうが、見上げても継ぎ目は分からない。根の間の中央には、浅い水盤があり、その上に白い光が浮かんでいた。
セレンは、その水盤の前に立っていた。
黄金の九尾が、朝の光を受けて静かに揺れている。
「来たか」
「呼ばれたからな」
「昨日の試練、見事であった。白尾灯は消えず、汝らは己の勝利ではなく、守るべき灯を選んだ」
セレンの視線が俺の左腕へ向かう。
「そして機装は、守護の形へ応えた」
「あれは完全解放じゃない」
「種が芽吹いたに過ぎぬ。だが、芽吹かぬ種よりはよい」
相変わらず、言い方が古い。
だが、意味は分かる。
昨日の盾装の変化は、《古代変形機装》の成長の入り口だった。行動が形態を呼ぶ。役割が機装を起こす。そういう仕組みなのだろう。
セレンは次に、ルナを見た。
「白銀の娘も、灯を守った。己が避けるだけでなく、灯へ向かう刃を逸らした」
「はい。アイズドに言われたので」
「言われただけでできるなら、世に達人は溢れている」
「えっと……褒められてますか?」
「事実を言われてる」
俺が言うと、ルナは少し困った顔でこちらを見た。
「この都市の人、みんなその言い方しますね」
「たぶん、俺より先にこの言い方をしていたんだろうな」
セレンの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「だが、守るだけでは根のそばには立てぬ」
セレンが水盤へ手をかざす。
白い光が揺れ、広間の床にいくつもの紋様が浮かび上がった。
白狐の尾。
流れる砂。
枝分かれする根。
そして、小さな足跡。
「外界の者よ。汝らは強さを示した。沈黙も示した。だが、根が見たいものはもう一つある」
「何だ」
「楽しめるか」
俺は一瞬、聞き間違えたかと思った。
「楽しめるか?」
「そうだ」
セレンの声は真面目だった。
冗談ではない。
「根は、ただ守られるためだけに空を抱いたのではない。民が生き、歌い、踊り、子らが遊び、朝を喜ぶために空を抱いた。守るだけなら、暗い石室でよい。効率だけなら、風も雲もいらぬ」
俺は黙っていた。
それは、昨日から感じていた違和感の答えだった。
地下都市に空がある理由。
雲が流れ、風が吹き、歌があり、祭りがあり、白狐を追う子供たちがいる理由。
生きるだけなら不要なもの。
だが、生きていると感じるためには必要なもの。
「外界の者は、何でも価値に換える」
セレンは続けた。
「景色を映像に。道を座標に。歌を暗号に。根を素材に。戦いを利益に。勝利を名に。無駄を嫌い、余白を削り、最後には楽しむ心すら効率の餌にする」
「否定はできないな」
俺は小さく答えた。
実際、俺もそうしてきた。
景色を地形として見た。
歌をヒントとして見た。
NPCを機能として見た。
戦闘を盤面として見た。
それ自体が悪いとは思わない。攻略とはそういうものだ。だが、それだけになったとき、たぶんゲームは仕事になる。
そして俺は、仕事になったゲームから追い出された。
「汝らがここへ来たのは、利益のためではないと言った」
セレンの瞳が、俺を見る。
「ならば、見せよ。汝らが、未知を楽しめる者かどうかを」
ルナが小さく首を傾げた。
「それも試練なんですか?」
「そうだ」
「楽しむ試練……?」
「難しいか」
「いえ、ちょっと楽しそうです」
ルナが素直に言った。
セレンは満足げに目を細める。
俺は少しだけ頭を抱えたくなった。
楽しむ試練。
字面だけなら簡単そうだが、こういうものほど厄介だ。
なぜなら、勝利条件が見えない。
敵を倒せ。
灯を守れ。
時間内に突破しろ。
そういう条件なら読みようがある。
だが、楽しめと言われても、何をすれば達成なのか分からない。システムログも出ない。報酬欄もない。おそらく、結果を数値で見せる気もない。
かなり性格が悪い。
俺は、少しだけ笑った。
「アイズド、今、楽しそうです」
「気のせいだ」
「もう早いです」
ルナが呆れたように言う。
早いも何も、仕方がない。
勝利条件不明。
観測不能。
攻略ログなし。
楽しめという曖昧な命題。
こういう問題は、面倒であればあるほど、少しだけ血が騒ぐ。
たぶん俺は、やはりまともではない。
ーーーーーー
セレンが案内したのは、根の間の奥にある庭だった。
庭、と呼ぶしかなかった。
白い根の一部が地表に浮き上がり、自然の橋や丘のように広がっている。根の間を水路が流れ、青燐茸に似た光草が小道を照らしていた。人工の空から差す光は柔らかく、地下であることを一瞬忘れそうになる。
そこには、子供たちがいた。
フェネキア族の子供たち。
小さな狐耳と尾を揺らしながら、根の上を走ったり、水路のそばで白い石を並べたりしている。俺たちが入ると、彼らは一斉にこちらを見た。
警戒。
好奇心。
そして、少しの期待。
イリスが低く言う。
「尾追いの庭だ」
「尾追い?」
ルナが聞き返す。
すると、子供の一人が前へ出てきた。
薄茶色の耳と、一本の小さな尾を持つ少年だ。彼は胸を張り、少し得意げに言った。
「白尾さまの光を追う遊びだよ。外の人、できる?」
「遊び」
俺は庭を見る。
白狐は庭の中央に座っていた。
だが、いつもの白狐とは少し違う。体が淡く光り、尾の先から小さな光の粒がこぼれている。白狐が尾を振るたび、光の粒は庭のあちこちへ飛び、根の橋や石の上に小さな印を作った。
ルールは、説明されなくてもなんとなく分かる。
光を追う。
ただし、庭には足場があり、水路があり、根の橋があり、沈む砂の場所もある。おそらく、ただ走ればいいわけではない。
「制限時間は?」
俺が聞くと、少年が首を傾げた。
「せいげんじかん?」
「何個集めればいい」
「集める?」
「勝敗は」
「いっぱい取れたら楽しいよ」
駄目だ。
ルールが遊びの言語で構成されている。
攻略勢が最も苦手なタイプだ。
ルナは、すでに少し楽しそうだった。
「やってみたいです」
「待て。まず観察する」
「遊びですよ?」
「遊びほど初見殺しが多い」
「それはアイズドだけの考え方だと思います」
ルナはそう言うと、子供たちに混ざって庭の入口に立った。
俺はため息をつきながら、その横へ立つ。
セレンとイリスは少し離れた場所で見ている。
白狐が尾を振った。
光の粒が、庭のあちこちへ飛ぶ。
子供たちが一斉に走り出した。
ルナも走る。
俺は一拍遅れて動いた。
足元。
根の橋は滑る。
水路の縁は濡れている。
青い光草のある場所は安全。白い砂が薄く積もっている場所は沈む可能性がある。光の粒はランダムではない。白狐の尾の動きと連動して、三拍ごとに位置が変わる。
俺は瞬時にルートを組んだ。
一つ目の光は右の根橋。
二つ目は中央の石。
三つ目は水路の向こう。
最短で取るなら、右から入り、根の起伏を使って跳ぶ。戻りは不要。次の出現位置を予測して、先回りする。
我ながら、嫌になるほどいつもの癖だ。
遊びを始めて三秒で最適化している。
俺は根橋を駆け上がり、一つ目の光を取った。
視界に小さなログ。
《白尾の光を一つ受け取りました》
点数表示はない。
順位表示もない。
ただ、光が手の中で弾け、白い粒になって消えた。
二つ目へ向かう。
子供が一人、同じ光を狙っていた。
俺は一瞬で進路を読み、先に取れる角度へ入った。
取れる。
取れるが。
その子供の顔が、視界の端に映った。
悔しそうではない。
むしろ、楽しそうだった。
光を取れるかどうかより、追いかけていること自体を楽しんでいる顔。
俺は足を止めた。
子供が光を取る。
「やった!」
少年が笑った。
俺はその横を通り過ぎ、次の光へ向かう。
今のは、効率で言えばミスだ。
取れる光を一つ捨てた。
だが、何かが少し分かった気がした。
これは奪い合いではない。
少なくとも、フェネキアの子供たちはそう遊んでいない。
光を追い、転びそうになり、笑い、譲り、また追う。
勝つためだけの遊びではない。
遊ぶための遊びだ。
そんな当たり前のことを、俺は忘れかけていた。
ーーーーーー
ルナは、実に楽しそうだった。
光を取るのはそこまで上手くない。
いや、身体能力だけなら高い。根の上を走る動きも軽いし、水路を越える跳躍も危なげない。だが、彼女は光を取るより、子供たちと一緒に走ることに意識が向いていた。
「そっち行きました!」
「こっち!」
「わ、すごい!」
子供たちの声に合わせて、ルナが笑う。
白銀の髪が光を受けて揺れ、彼女は根の橋を渡り、水路の縁を蹴り、時々足を滑らせそうになっては、身体をひらりと戻す。
危ない。
が、危なくない。
彼女にとって、こういう足場の悪さはむしろ楽しいのかもしれない。
白狐の光が、庭の奥の高い根の上へ飛んだ。
子供たちが一斉に見上げる。
「高い!」
「あれは無理!」
俺は反射的にルートを読んだ。
右の根を上がり、中央の突起を足場にすれば届く。だが、子供の足では難しい。ルナなら届く。俺も、機装を使えば届く。ただし、射装の反動を使えば早いが、庭の遊びで機装を派手に使うのは違う気がした。
いや、そもそも遊びで何を遠慮している。
そう思った瞬間、ルナが動いた。
彼女は高い根へ向かってまっすぐ走らなかった。
小さな子供の一人を見て、しゃがむ。
「一緒に行きます?」
「え?」
「手、出して」
子供がおずおずと手を出す。
ルナはその手を取って、根の低い段差へ誘導した。
「ここに足。次、こっち。怖かったら止まっていいです」
彼女は光を取りに行くのではなく、子供を光の近くまで連れて行こうとしていた。
効率は最悪だ。
一人で跳べば早い。
手を引けば遅くなる。
子供に合わせれば、光が移動する可能性もある。
だが、子供の顔が変わった。
怖そうだった目が、少しずつ輝いていく。
ルナは根の突起を使い、子供を持ち上げるようにして高い場所へ導いた。最後の一段、子供が手を伸ばす。届かない。
ルナが膝を落とす。
「踏んでいいです」
「いいの?」
「はい」
子供がルナの膝を足場にして、手を伸ばした。
光を取る。
白い粒が弾ける。
子供が、目を丸くして、それから満面の笑みになった。
「取れた!」
「やりましたね」
ルナも笑った。
その瞬間、白狐の尾が大きく揺れた。
庭全体の光が、ふわりと強くなる。
視界にログが出る。
《白尾の庭が応答しました》
《遊興行動を検知》
《共有達成を確認》
遊興行動。
共有達成。
俺はその文字を見て、思わず苦笑した。
「なるほどな」
「何か分かったんですか?」
ルナが戻ってきて聞く。
「この試練、光をたくさん取るのが目的じゃないらしい」
「そうなんですか?」
「たぶん、楽しめるかどうかを見ている。しかも、一人で勝つんじゃなく、誰かと楽しめるか」
「じゃあ、今のは正解ですか?」
「少なくとも、反応はした」
「よかったです」
ルナは素直に笑った。
白狐が俺を見る。
金色の瞳が、何かを問うように細められていた。
お前はどうする。
そう言われた気がした。
俺は庭を見る。
光の粒がまた飛ぶ。
子供たちが走る。
ルナも走る。
俺は一瞬だけ、自分が組んだ最短ルートを頭から消した。
いや、完全には消えない。
どこを走れば早いか、どの光が次に出るか、足場の安全度、全部見えている。見えてしまう。
なら、その見えているものを、勝つためではなく、遊ばせるために使えばいい。
「右の根、次に光が来る」
俺は近くの少年に言った。
「え?」
「三拍後だ。走るなら今」
「ほんと?」
「たぶん」
「行く!」
少年が走る。
俺はその進路にある滑りやすい根へ先に乗り、足で軽く砂を払った。少年が通る。光が出る。少年が取る。
「すごい!」
「次、左の石だ」
別の子供に声をかける。
今度は、俺が取るのではなく、彼らが取れるようにルートを整える。危ない足場を示し、沈む砂を踏ませないようにし、白狐の尾の動きから次の出現位置を読む。
やっていることは、いつもの軍師だ。
誰かの動きを読み、盤面を整え、勝てる位置へ置く。
だが、勝たせる相手はレオンではない。
配信映えする火力職でもない。
スポンサーへ見せるためのエースでもない。
地下都市の子供たちだ。
そして、勝利条件は、笑うことだった。
馬鹿げている。
だが、悪くない。
いや。
かなり楽しい。
「アイズド、こっちです!」
ルナが呼ぶ。
彼女は水路の向こうで、子供たちと一緒に手を振っていた。白い光が、その周りを星屑のように舞っている。
俺は走った。
最短ではない。
途中でわざと遠回りし、子供が渡りやすい石を踏み、ルナが投げた小さな白石を受け取って、次の光の出現位置へ置く。
遊びを最適化している。
だが、今度は奪うためではない。
楽しむために。
その事実に気づいた瞬間、俺は笑っていた。
ーーーーーー
どれくらい続いたのかは分からない。
制限時間はなかった。
勝敗もなかった。
だが、白狐が尾を一度大きく振ると、庭に散っていた光の粒が一斉に集まり、中央に小さな白い花のようなものを作った。
子供たちが歓声を上げる。
ルナも一緒に拍手していた。
俺は少し離れた場所で息を整える。
VRの身体は疲れない。
だが、妙に疲れた気がした。
悪い疲れではない。
頭を焼くような戦闘の疲労とも違う。
肩から何かが抜けるような、軽い疲れだった。
セレンが近づいてくる。
イリスもその後ろにいる。相変わらず表情は硬いが、目は先ほどより穏やかだった。
「外界の者は、勝たぬ遊びを嫌うと思っていた」
セレンが言った。
「嫌う奴は多いだろうな」
「汝は?」
「昔なら、たぶん嫌った。意味がないと思っただろうし、勝利条件がないなら時間の無駄だと判断した」
「今は」
「今は……」
俺は庭を見た。
子供たちが、ルナの周りでまだ騒いでいる。
白狐はそのそばで丸くなり、尾だけを揺らしていた。
「悪くなかった」
「素直ではないな」
「よく言われる」
セレンは小さく笑った。
「だが、根は応えた」
彼女が水盤へ手をかざす。
庭の中央にできた白い花が、光の粒になって浮かび上がり、俺とルナの前へ漂ってきた。花は二つに分かれ、一つは俺の左腕の機装へ、一つはルナの片手剣へ吸い込まれる。
視界にログが走った。
《白尾の遊興を完了しました》
《共有達成を確認》
《根系親和:微増》
《古代変形機装:補助系統への適合反応を確認》
補助系統。
今度は守護ではない。
誰かの動きを助けるための系統。
俺は左腕を見る。
機装は静かだった。
だが、奥でまた別の歯車が一つ噛み合ったような感覚があった。
ルナの方では、片手剣の刀身に一瞬だけ白銀の光が走った。
彼女自身は気づいていない。
だが、セレンは見ていた。
イリスも。
白狐も。
「白銀の娘」
セレンが呼ぶ。
ルナが振り返る。
「はい」
「明日、剣の環へ立つがよい」
「剣の環?」
「汝の身体が、剣の名に触れるかを見る」
ルナは目を瞬かせた。
俺は、セレンの言葉の意味を考える。
剣の名。
ルナの身体。
白銀の光。
おそらく、《絶剣》へ繋がる試しだ。
正式取得かどうかは分からない。
だが、少なくともその前段階にはなる。
「危険なのか」
俺が聞くと、セレンは頷いた。
「遊びの庭とは違う。剣の環は、白尾の影と向き合う場。傷つけるための剣ではなく、触れ、避け、届く剣を問う」
「ルナ一人か」
「主に、この娘が立つ。汝は見届けよ。ただし、灯が消えそうなときは手を貸すがよい。根は、孤独な強さだけを尊ばぬ」
なるほど。
次はルナの試練。
そして俺は、助けすぎても駄目、放置しても駄目という面倒な立ち位置らしい。
最高に不親切だ。
俺は、また少し笑ってしまった。
「アイズド、また楽しそうです」
いつの間にか戻ってきたルナが言う。
「気のせいだ」
「もう、その言い訳は弱いです」
「明日はお前が試されるんだぞ」
「はい」
「怖くないのか」
ルナは少し考えた。
それから、庭で遊ぶ子供たちを見て、白狐を見て、最後に俺を見る。
「怖いです。でも、ちょっと楽しみです」
その答えに、俺は少しだけ黙った。
怖いより、楽しいが勝ち始めている。
それは危うさでもある。
だが、悪い兆しではない。
「調子に乗るなよ」
「はい」
「でも、楽しめ」
「はい」
ルナは笑った。
白銀の髪が、人工の空の光を受けて揺れる。
セレンはその姿を見て、静かに頷いた。
「楽しんだ者が、最後に根の道を見つける」
「勝った者じゃないのか」
「勝つことだけを見た者は、道の半ばで足元を見失う。楽しむ者は、時に遠回りをし、時に無駄を拾い、時に誰かの手を引く。その足跡だけが、根に届くこともある」
俺は言葉を返せなかった。
あの無駄な一日。
崖。
歌。
青燐茸。
白狐。
流砂。
地下都市。
全部、効率だけを見ていたら拾わなかったものだ。
そして今、俺たちはここにいる。
楽しんだ者勝ち。
安っぽい言葉に聞こえる。
だが、この都市で言われると、妙に重かった。
白狐が、尾を揺らす。
白い光が、庭にふわりと舞った。
探求期初日の地下で、俺たちは勝つためではなく、楽しむための試練を越えた。
そして明日、ルナは剣の環へ立つ。
その先に、白銀の終撃が待っていることを、このときの彼女はまだ知らない。




