受注条件(リクワイアメント)の不在
「お待たせしました、アイズドさん!」
リアルでの食事と休憩を終え、EHOの世界へと再ダイブ《ログイン》してきたルナと共に、俺――アイズドは再び『砂風の野営地』の片隅にある薄汚れた天幕へと足を踏み入れた。
天幕の内部は、外部のプレイヤーをシャットアウトする隔離空間として処理されている。
布をくぐった先では、依頼主である老商人のNPCが、粗末な木箱の上に腰掛けてじっと待っていた。
俺たちの姿を認めた瞬間、老商人のアバターを覆っていた『ヒューマン(人間族)』の偽装ポリゴンが、ノイズと共にサラサラと崩れ落ちる。
現れたのは、淡い砂色の毛並みと、頭部にピンと立った巨大な狐の耳、そして背中で揺れるふさふさの尻尾を持つ獣人――未発見種族である『砂耳族』の本来の姿だった。
「おお、お待ちしておりましたぞ、お二人とも。どうか私がこの姿に戻る非礼をお許しください。人間の皮を被り続けるというのは、どうにも肩が凝りましてな」
「気にするな。あんたの正体が他の連中にバレないなら、俺としてはどっちでもいい。……で、準備はできてるんだろうな?」
俺が尋ねると、フェネキアの老商人は深く頷き、狐の耳をピンと立てた。
「ええ。あなた方に取り戻していただいた『古代の記録晶』さえあれば、我が一族の隠れ里へ続く結界を通り抜けることができます。さあ、参りましょう」
◆ ◇ ◆
俺たちは老商人の案内に従い、野営地を離れて再び『北の流砂地帯』の奥深くへと足を踏み入れた。
本来なら、このエリアは足を踏み入れるだけで移動速度が低下し、スタミナをじわじわと削られる強烈な環境デバフが存在する。
しかし、先導する老商人が淡い蒼光を放つクリスタル(古代の記録晶)を掲げて歩くと、俺たちの周囲数メートルだけに『流砂無効』の局地的なバフフィールドが展開され、まるで舗装された平地を歩いているかのようにスムーズに進むことができた。
「すごいですね! これならスタミナも減らないし、サクサク進めます!」
ルナが足元の砂を不思議そうに踏みしめながら歓声を上げる。
「ああ。護衛対象《エスコートNPC》が自ら環境デバフを打ち消すギミックか。よくできてる」
俺は感心しながらシステムウィンドウを開き、現在進行中のクエスト欄を確認した。
そこには黄金色の文字で『ユニークシナリオ:古代竜の残響・第一章〜砂漠の隠れ里〜』と輝いている。
その詳細テキストを眺めていたルナが、ふと首を傾げた。
「あの、アイズドさん。さっき野営地で見た普通のクエストには『レベル五以上』とか『推奨レベル十』って書いてありましたよね? でも、この金色のクエストには、そういう数字がどこにも書いてないんです」
「……お、よく気づいたな」
俺は前髪の隙間から三白眼を細め、少しだけ感心したように彼女を見た。
「MMORPGにおいて、通常のクエストには必ず『最低受注レベル《レベル・リクワイアメント》』が設定されている。プレイヤーの進行度をシステム側でコントロールし、適正なエリアに誘導するための絶対的なフラグ管理だ」
俺は、太陽の照りつける荒野を見渡しながら説明を続ける。
「だが、このユニークシナリオには、レベルという概念そのものが存在しない。つまり、俺たちみたいなレベル三の初心者でも、レベル百のカンストプレイヤーでも、進行フラグさえ引き当てれば『平等に』受注できるってことだ」
「平等……。でも、レベル一でも受けられるクエストなら、もっとたくさんの人が見つけててもおかしくないんじゃないですか?」
ルナの疑問はもっともだ。
だが、それこそが、このユニークシナリオが持つ最大の『異常性』である。
「逆だよ、ルナ。普通のクエストは、レベルが上がればNPCの頭上にマークが出て『システム側から』教えてくれる。だが、このクエストは違う。レベルをどれだけ上げようが、最強の装備を持っていようが……プレイヤー自身の『異常な知的好奇心』や『偶然の閃き』がなければ、一生触れることすらできないんだ」
誰も見向きもしない不味い罠クエストを、あえて「楽しそうだから」と受注する好奇心。
そして、流砂の底に落ちていたガラクタの金属箱を、クエストアイテムのオルゴールと「組み合わせてみる」という発想。
「システムに与えられたレール(最適解)をなぞるだけの連中には、絶対に見つけられない。完全にプレイヤーの『遊び心』に依存したクエスト……それがユニークシナリオだ」
俺がそう締めくくると、ルナは嬉しそうに「えへへ」と笑い、胸を張った。
「やっぱり、無駄を楽しむ冒険を選んで大正解でしたね!」
「ああ。まったく、お前のおかげで最高の展開に巡り会えたぜ」
俺たちがそんな会話を交わしていると、先頭を歩いていたフェネキアの老商人が、懐かしむような、そしてどこか哀愁を帯びた声で語りかけてきた。
「お二人のおっしゃる通り、この『古代の記録晶』は、ただの魔力触媒ではございません。これは……かつて我々フェネキアの一族が、『古代人』と共に歩んだ歴史の記憶そのものなのです」
「古代人……?」
ルナが身を乗り出して問い返す。
老商人はクリスタルを愛おしそうに撫でながら、ポツリポツリと言葉を紡いだ。
「太古の昔。まだこの大陸が緑に覆われていた時代、手先が器用で微細な魔力操作に長けていた我々砂耳族は、高度な技術を持つ『古代人(ヒューマンの祖先)』たちと強固な同盟関係にありました。我々は彼らの知識に学び、共に偉大な都市や、天を衝くほどの機巧建築を築き上げたのです」
その言葉に、俺の脳裏で点と点が繋がっていく。
俺の右腕に装着された《古代変形機装》というオーパーツ。あんな複雑怪奇な仕掛け武器を人間だけで造り出せるはずがない。フェネキア一族の『異常な器用さ』と『古代人の技術』が融合したからこそ産み出された禁忌の兵器なのだ。
「しかし……古代人は自らの力に驕り、超えてはならない一線を越えてしまいました。彼らの犯した禁忌により、神の怒りが大陸を焼き尽くし、偉大なる文明は一夜にして滅亡したのです」
老商人の大きな狐の耳が、悲しげに垂れ下がる。
「生き残り、住処を追われた我々フェネキア一族は、怒り狂う『古代の悪意』から逃れるため、この過酷な砂漠の地下深くへと逃げ延びました。そして長い年月をかけ、独自の地下都市を築き上げたのです。……この記録晶は、その地下都市へ入るための唯一の鍵であり、古代の技術を継承した証でもあります」
「古代の悪意……」
ルナが、クエスト名にもあったその不吉な単語を口にする。
「おじいさん。古代人を滅ぼして、おじいさんたちを砂漠に追いやったその『悪意』って、一体何なんですか? もしかして……ドラゴン、とか?」
ルナの鋭い質問に、老商人はビクリと肩を震わせ、周囲の砂漠を見回すようにして声を潜めた。
「……申し訳ございません。その恐ろしく、そして絶対的な存在の御名を、この砂空の下で口にするわけにはいかないのです。下手に言及すれば、奴らの眷属に我々の居場所を感知されかねません」
(……なるほどな。見事なまでの情報統制《フラグ管理》だ)
俺は心の中で舌を巻いた。
AI『アルファ』は、プレイヤーに一気にすべての謎を開示するような野暮な真似はしない。プレイヤーが『特定の場所』に到達するまで、NPCの口を塞いで期待感を煽り、没入感を最大限に高めているのだ。
「詳しいお話は、里の長老から、しかるべき時に直接お聞きください。……さあ、着きましたぞ」
老商人が足を止めたのは、流砂地帯の最深部。
周囲を切り立った岩山に囲まれ、風化して何も残っていない、ただの巨大な砂のすり鉢の底だった。
老商人が、両手で掲げた『古代の記録晶』に魔力を注ぎ込む。
『ガガガガガガガガガッ……!!』
突如として、大地を激しく揺るがす地鳴りが響き渡った。
すり鉢状の砂が、まるで滝のように真っ二つに割れ、左右へと凄まじい勢いで流れ落ちていく。
砂の海が割れたその奥底から姿を現したのは――緻密な幾何学模様が刻まれた、途方もなく巨大な『金属の階段』だった。
「うわぁぁ……!」
ルナが、その圧倒的なスペクタクルに目を輝かせて歓声を上げる。
俺もまた、その途方もないスケールで描かれた未知の領域の入り口を前に、口元を凶悪に歪めて嗤っていた。
プロとして三年以上このゲームをプレイしてきた俺ですら、見たことも聞いたこともない、完全なる未踏のエリア。
「……さあ、ご案内しましょう。我々フェネキアの悲願が眠る、砂海の地下都市へ」
老商人に導かれ、俺とルナは、世界の真理へと続く巨大な階段を、期待に胸を躍らせながら下っていった。




