気遣いの戦力外通告
『MATCH END――Winner, Team B』
闘技場の空中に無機質なシステムアナウンスが響き渡り、視界が真っ白に暗転する。
次の瞬間、俺たちCチームの五人は、試合と試合の合間にインターバルを取るための待機室へと強制転送されていた。
「ハァッ……ハァッ……! うぅ……、あぁっ……」
石造りのベンチに倒れ込むようにして座り座ったルナは、まるで激しい全力疾走を終えた直後のように、肩を激しく上下させて荒い息を吐き出していた。
完全没入型仮想現実(フルダイブVR)の世界において、アバターが肉体的な疲労を感じることはシステム上あり得ない。スタミナという数値はあっても、それはスキルの発動制限に過ぎないからだ。
だが、今のルナの額にはべっとりと脂汗が浮かび、白銀の片手剣を握る指先は痙攣したように小刻みに震えている。
それは、極度の緊張、恐怖、そして自分の理解を超えた事象に直面し続けたことによる『精神的負荷』が、仮想肉体に「息切れ」という形でフィードバックされている証拠だった。
(……私の剣が、まったく、通用しなかった……っ!)
ルナの脳裏には、先ほどまで行われていた第一試合の凄惨な光景が、悪夢のようにこびりついて離れなかった。
巨大なレイドボスや、格下の三流プレイヤーを相手にしていた時、ルナの『生物学的な反射神経』は無敵だった。敵の筋肉の収縮、重心の移動、魔力の集束点。それらを本能で読み取り、システム上の無敵フレームを利用してあらゆる攻撃を紙一重で躱し、圧倒的な火力を叩き込む。それが彼女の戦い方だった。
だが、何千戦という対人戦(PvP)を経験してきたプロゲーマーたちの戦場は、彼女の知る『戦い』とは根本的に異なっていた。
あえて隙だらけのモーションを見せ、ルナがそれに反応して飛び込んだ瞬間、その攻撃動作を『キャンセル(フェイント)』する。そして、ルナが回避行動を取って着地するであろう座標に、あらかじめ致死級の魔法を『置き撃ち』しておく。
ルナが本能で動けば動くほど、相手が張り巡らせた見えない蜘蛛の巣に絡め取られていった。
PvP特有の『騙し合い』。
敵のヒーラーが不用意に前に出た。絶好の隙だと思って飛び込んだルナを待っていたのは、無敵バリアを展開したヒーラーの冷ややかな笑みと、死角に潜んでいた敵アサシンからの『拘束(CC)』。
足止めを食らい、動けなくなったルナに向けられる、敵チーム五人全員からの集中砲火。
防御スキルを展開する暇も、アイズドからの回復を待つ猶予もない。コンマ数秒でHPバーがゼロに吹き飛び、死に戻り(リスポーン)させられる。
焦って前線に復帰しようと走れば、今度は味方の陣形から孤立したところを狙われ、またしても一瞬で狩り取られる。
(私が……私が死ぬたびに、前線が押し込まれていく。私のせいで、みんなの足が引っ張られている……!)
最強のアタッカーとしての自負など、対人戦の猛者たちの前ではただの滑稽なハリボテに過ぎなかった。
もがけばもがくほど泥沼に沈んでいくような、圧倒的な無力感と悲惨な蹂躙劇。
ルナは、自分の不甲斐なさにギリッと唇を噛み破り、悔し涙を必死に堪えていた。
そんなルナの絶望を余所に、待機室の中央では、俺と八咫烏の三人のメンバーによる、次戦に向けた高度な戦術会議がすでに始まっていた。
「おい、次のラウンドの修正点だが。敵のバーストの起点は、間違いなくあの魔導士だ」
俺は魔導書を開き、空中に第一試合のマップとプレイヤーの動線をホログラムで展開しながら指示を飛ばした。
「敵のタンクが《ガード》を使って前線を押し上げてきた時、あえて削りには行かずに射線(LoS)を切れ。奴らの狙いは、こっちの《ピュリファイ(浄化)》のクールダウンを吐かせることだ。それに付き合う必要はねぇ」
「ああ、同感だ。俺がタンクとして壁になりつつ、敵のヒーラーのMPリソースを削る。HPを回復するための《自己回復》を連発させて、MPが枯渇した(Low MP)対象から一気にフォーカスを合わせよう」
八咫烏のタンクの男が、俺の意図を即座に汲み取って力強く頷く。
「なら、私がバフを合わせるタイミングは、敵の《ガード》が切れるコンマ一秒前に指定しておきますね。アイズドさんのデバフに合わせて、一気に落としましょう」
ヒーラーの女性も、プロ特有の冷徹な計算で立ち回りを修正していく。
「遊撃は俺がやる。相手のアサシンが裏取りに来るルートは二つだ。アイズド、こっちの射線を塞がないように、ペイロードの左側に陣取ってくれ」
アタッカーの男も、自身の役割を完璧に理解し、戦術のピースを埋めていく。
MPリソースの削り合い、射線(LoS)の管理、そして防御スキルが枯渇した瞬間の集中砲火。
彼らプロゲーマーの間で交わされる対人戦特有の高度なセオリーと専門用語の応酬に、ルナはただ一人、完全に蚊帳の外に置かれていた。
彼らが何語を話しているのか、次の試合で自分はどこに立ち、どう動けばいいのか。その一端すらも理解できない。
(……このままじゃ、ダメだ。私から動かなきゃ)
ルナは震える足を叩き、勇気を振り絞ってベンチから立ち上がった。
そして、白熱する戦術会議の輪の端に、恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……っ!」
ルナの声に、俺と八咫烏の三人が会話を止めて振り返る。
「私にも……私にも、できることはないですか……? 次の試合、私はどこで、どう動けば皆さんの役に立てますか……!」
彼女のサファイアブルーの瞳は、焦燥感と申し訳なさで潤み、今にも泣き出しそうだった。
自分の不甲斐なさを認め、教えを乞う。それはプライドの高いアタッカーにとって、とても勇気のいる行動だ。
だが。
その純粋で痛切な問いかけに対し、八咫烏のアタッカーの男は、困ったように眉を下げて、この上なく優しく微笑んだ。
「ああ、ルナちゃんは特に何もないよ。そのまま、今まで通りでいい」
「え……?」
ルナは、予想外の言葉に目を瞬かせた。
「でも、私、さっきの試合で何もできなくて……私のせいで負けちゃって……」
「大丈夫、大丈夫。ジン……いや、アイズドから事前に聞いてるからね。ルナちゃんはPvPは初心者だって」
アタッカーの男は、本当に気を遣うような、温かい声で言った。
「だから、セオリーとか連携とか、そういう難しいことは気にしなくていいよ。君の分の穴は、俺たち三人でしっかりカバーして動くからさ。ルナちゃんは適当に、邪魔にならないところで剣を振っててくれればそれでいいから」
「そうそう、気楽にやってね。ゲームなんだし、楽しむのが一番よ」
ヒーラーの女性も、まるで幼い子供をあやすような、慈愛に満ちた言葉をかけた。
それは、紛れもない『善意』と『優しさ』から出た言葉だった。
対人戦に不慣れな初心者を責めず、経験者である自分たちがカバーする。オンラインゲームのコミュニティにおいて、それは非常に模範的で優しい対応だと言える。
――だが。
最強のアタッカーとしての自負を持ち、これまで俺の背中を護り続けてきたと信じていたルナにとって、その気遣いは、何よりも残酷で冷酷な『戦力外通告』であった。
「気にしなくて……いい。私の穴は、カバーする……」
ルナはポツリと呟き、その場に立ち尽くした。
つまりそれは、「お前は戦力として計算していない」「お前がどう動こうが勝敗には関係ない」という、完全なる見限りの宣告に他ならない。
自分の存在が、この高度な戦場において『いてもいなくても同じ』、いや、むしろ『いない方がマシなハンデ』として扱われているという事実。
「……はい。ご迷惑を、おかけします……」
ルナは血の気が引いた顔で力なく頷き、再びベンチへと戻って、深く、深く俯いてしまった。
これまでの冒険で培ってきた自信も、才能への自負も、すべてが粉々に砕け散った。疎外感と惨めさが、彼女の小さな肩を震わせている。
俺は、魔導書から目を離さず、その光景をただ冷徹に眺めていた。
PvPにおいて、対人戦のセオリーを持たず、敵のフェイントに容易く釣られるプレイヤーは、明確に『チームの最大の穴』となる。
相手チームは、動きが素直すぎるルナを完全にカモとして認識し、彼女を起点にして盤面を崩しにかかっていた。俺たちCチームの敗因は、十中八九、ルナの立ち回りの甘さにある。
俺がここで、「あそこは前に出るな」「フェイントを見極めろ」と一つ助言をすれば、彼女の生存率は確実に上がるだろう。あるいは、俺の指示で彼女を完全に縛り付け、操り人形のように動かせば、戦力として組み込むことも可能だ。
だが、俺は固く口を閉ざし、一切の沈黙を貫いた。
他人に教えられた小手先の知識では、本当の意味でPvPの泥沼を泳ぎ切ることはできない。己の弱さと無力さに絶望し、そこから自分自身で這い上がって殻を破らなければ、これから待ち受ける神話の試練や、レベル121の憤怒の竜を相手に生き残ることは絶対に不可能なのだ。
(……今回ばかりは、今まで俺を護ってくれたお前を、俺は救わない)
俺は心の中で静かに決意し、項垂れる白銀の少女からあえて冷たく視線を外した。
次なるラウンドの開始を告げるシステム音が、重苦しい待機室に無慈悲に鳴り響いた。




