【18】ノアの依頼
「こっちにおいでよ、チェリービューティー。おねーさんが、老若男女骨抜きにするスペシャルマッサージを伝授してやろう」
ベリルに声をかけられ、燃え滓邸の陰から姿を現したのは、ピンクがかった髪の背の高い女、ロゼだ。
ロゼは長身の背中を丸めて、気まずそうにモジモジしている。
「あ、アタシがやったら……頭蓋骨砕いちまう、から……」
「なら、自分でできるセルフマッサージを教えてあげよう。手のひらのここをグリグリ〜ってして痛かったら、肝臓が悪くなってる証拠だぞ〜」
朗らかに話しかけるベリルに、ロゼがゆっくり近づいてくる。のそのそとした歩き方は、なんだか野生の熊みたいだ。
「……かんぞーって、なんだ?」
「酒飲みが悪くする臓器だよ。ほら、ここ」
ベリルがロゼの右手を押すと、途端にロゼは「ギャッ!?」と叫んで仰け反った。痛かったらしい。
「酒飲みのおねーさんが言うのもなんだけど、ほどほどになー」
「う……分かってる……」
ロゼは手のひらを押さえて涙目で頷く。
そんな彼女を見上げて、テオは少しだけ鼻をひくつかせた。彼女から酒の匂いはしない。
「ロゼさん、ここ数日は、お酒飲んでませんよね?」
「……ん」
ロゼは曖昧な相槌を打ち、テオの足をジッと見た。
きっと、テオの足の怪我を心配しているのだろう。ハルクが負傷したテオを担いで駆け込んだ時、ロゼは酷く動揺していたという。
その翌日もテオが歩くたびにハラハラした様子で、あろうことか「食堂まで送る」と言いい、強制的に肩車をしたのだ。
(この歳で肩車されるのは、騎士じゃない……すごく騎士じゃない……)
その後、カルラが「わたしもやる」と張り合い、ヒューゴが大爆笑……と、精神的ダメージが大きかったので次は遠慮願いたい。
テオはロゼを心配させぬよう力強い笑顔で言った。
「足の怪我なら、もう大丈夫ですよ。明日から、訓練に参加しても良いそうです。ロゼさんも一緒に行きませんか?」
「アタシは、いい……怪我させちまう、から」
ロゼは自嘲するように笑い、項垂れる。
ピンクがかったバサバサの髪が、彼女の青白い顔を覆い隠した。
「アタシ、手加減できないんだ。すぐ、人を怪我させたり、物をぶっ壊したり……」
ロゼは呪いの力が身体能力に偏っているタイプらしい。
呪装顕現で武具を作り出すことはできないが、絶大な身体能力を誇る。特にその怪力ぶりは、甲殻持ちの呪魔を一刀両断するほどだ。
ただ、その力が日常的に制御できておらず、よく物を壊してしまうのだという。
「ロゼさんさえ良ければ、力の使い方を教えて欲しいです。呪いの力を肉体に行き渡らせる? って言うのかな……その辺りが、僕はスムーズにできていない気がするので」
「良いじゃん、それ。ロゼも教えるだけなら、テオをぶっ壊したりしないだろ?」
テオの提案にベリルが賛同し、ロゼは戸惑うように視線を彷徨わせた。
ロゼはモジモジとしていたが、やがてポツリと「アタシで、良ければ……」と小声で言う。
その時、建物の陰から小さな人影が飛び出してきた。
「テオさん、ちょっと良いですか?」
こちらに早足で近づいてくるのは、黒髪の少年──準職員のノアだ。いつも通り、清潔感のある服の上にエプロンをつけている。
一般人である彼は、テオの忘却の呪いの対象であり、意識していないとテオを忘れてしまう側の人間だ。
なので、ノアに名前を呼ばれただけで、テオは「覚えていてくれたんだ!」と感激したが、同時に不思議に思う。
(僕に用事って……なんだろ?)
今まで、テオはノアに何かを頼まれたことがない。
怪訝に思いつつ、テオは立ち上がる。そこに、ロゼがソワソワした様子で言った。
「ノア……テオと友達になったのか?」
それはまるで、弟に友達ができたことを喜ぶ姉のような口調だった。
ノアは何故かムッとした様子で、ロゼを睨む。
「ロゼさんには関係ないです」
そう言って、ノアは強引にテオの手を引き、早足で歩き出す。
「ノア君、そんな言い方……」
テオはたしなめようと思ったが、ノアの表情を見て口をつぐむ。
ノアが、傷ついたようにも、悔しそうにも見える顔をしていたからだ。
* * *
「また、ノアに怒られた……なんで、アタシはいつもこうなんだ……」
ベリルは地面を転がっているレニーを拾い上げると、地面に座るロゼの膝に乗せた。フワフワセラピーというやつだ。
そうして自分はロゼの背後に回って、頭を揉む。
「アタシがダメ人間だから、ノアは怒ってるんだ……」
「めふ」
「ノアのこと、シャルルに頼まれたのに……」
「めあ」
「大事な弟だって、思ってるのに……」
「めう」
相槌はレニーに任せ、ベリルはロゼの頭を揉みながら苦笑する。
最近のロゼは、テオを気にかけている。弟に飢えているロゼにとって、テオはあまりにも理想的な弟だからだ。
優しくてしっかり者で、ロゼの暴れっぷりを見ても過度に怯えたりはしないし、人懐こい。
(テオ、良い子だもんなー。こういう弟がいたら、可愛がっちゃうの分かるわー)
思い出すのは、テオの兄のアレン。彼もまた、随分とテオを大事にしているようだった。
だから、ベリルとエルバートがローレンス家を訪れた時、アレンは腹を立てていたのだろう。
もし、ベリルが灰色騎士の存在を語らなければ、決闘なんてしなくて済んだ。お前のせいだ──と、あの少年の目は怒りにギラついていた。
(あの時のアレン少年、なかなかアレな目つきしてたよなー。昔のエルみたいで、ゾクゾクしちゃった)
と、思考が少し逸れたが、問題はノアとロゼである。
ノアは、ロゼがテオを構うことが面白くないのだろう。とは言え、自分が弟扱いされるのは面白くない。複雑な少年心である。
(これは、一悶着起こりそうだなー)
どうなることやら、と胸の内で呟くベリルの前では、ロゼが毛玉に泣き言を零し続けていた。
* * *
テオの手を引いてズンズンと歩くノアは、勝手口から厨房に入ると、扉を閉める。厨房にモラン夫人の姿はない。テオとノアの二人だけだ。
何の用? と言いかけて、テオは少し考えた。ノアはテオより一つ年下なのだ。
ここは年上らしく、気の利いた声の掛け方をしたい。
「ノア君、君が何か困ってるのなら、力になるよ」
テオの言葉に、ノアはギュッと唇を引き結び、眉間に皺を寄せた。怒っているというより、何かを堪えているみたいな、そんな表情だ。
ノアは強張った顔で、しばし黙り込んでいたが、やがて腹を括った様子でテオに告げた。
「……テオさんの〈指定忘却〉で、ロゼさんから、僕の兄シャルルの記憶を消してほしいんです」




